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「イヤ、待て。ローシェッタとの友好はザジリレン建国当初から続くものだ。建国の王がローシェッタを追放されただなんて、おまえの勘違いなんじゃないのか?」
ピエッチェの抗議にクルテが悲しげに微笑んだ。
「建国の王が『父に追放された』と言ったんだ。わたしは本人から聞いた。勘違いだとしたら、弟王子の勘違いだ」
「本人がそう言ったって?」
そうだった、クルテは建国の王と知り合いだと言っていた……確か協力してゴルゼを封印したんだった。
「だけど、弟王子はこうも言った。ローシェッタを愛している。父のことも兄のことも愛している。父も追放するとはさすがに言えなかった。だからザジリレンを口実に使った。本心ではわたしを追放などしたくなかった――建国の王の言葉に『口にする前にまず考えろ』と言うのがあるだろう? ザジリレンに行けと言われて弟王子はすぐに事実上の追放だと悟った。承服しかねると言おうとしたが、父王が苦しげに目を逸らすのを見て再考した。どうして自分は追放されなければならないのか? その結果は話した通り。追放も、王位継承の件も、すべて弟王子が出した答えだ」
建国の王は事実を確認することなく身を引くことを決めた……ローシェッタ国を思い、父を気遣い、ザジリレンに赴いたと言うことか。
「それと『相手の言葉はそのまま受け止めろ』って言葉もある。追放を悟った弟王子が自分に言い聞かせた言葉だ――弟王子は父と兄を恨むようなことはなかった。で、『窮地に頼れるのは己のみ』って言葉、あれは、ザジリレンでした苦労を言ってる。自分を追放したローシェッタに頼るものかって、弟王子の意地だ」
「だがその説明ではローシェッタとザジリレンが友好関係を築いたことを説明できないぞ」
「なんだ、察しが悪い……相手の言葉をそのまま受け入れろ、だよ。父王は弟王子への後ろめたさから、事情を知らない兄王子は僻地に行かされた弟王子を不憫に思い、どちらもザジリレンには親切だった。弟王子は、自分から頼ることはなかったが、好意を拒否することもなかった。父と兄の言葉を疑うことをしなかったんだ。だからこそ築けた友好関係だ」
なるほど……
「納得したようだね」
クルテがニッコリする。
「でさ、カティ、おまえはザジリレンそのものだね」
「どう言う意味だ?」
「建国の王の訓えを忠実に守ってる。わたしが言った建国の王の言葉を体現してるみたいだ」
「いけないか? 子どもの頃から言い聞かされてきたことだ。いい加減、身に沁みもするさ」
建国の王の訓えは他にもあるが、どうせクルテは知っている。わざわざ披露することもない。
「いけなくはないさ」
ピエッチェの隣にクルテが横たわる。
「まったく、おまえと話すのは楽しいけれど疲れる。眠くなった……まぁ、『窮地に頼れるのは己のみ』だから、指輪がおまえを守るのは窮地を越えた時だけだってことだよ」
窮地を越えるってどんな状態だよ? それ、手遅れに感じるぞ?
ベッドの上に座っていたピエッチェも、掛け布団を自分とクルテに被せて横たわった。
「そう言えば、抜けなくなった指輪は抜けたのか?」
「あぁ、あれはまだ抜けない。失くしたりしないから心配するな」
そんな心配はしていない。もう少し話していたくて、思いついた話題が指輪のことだった。
気付けばクルテはピエッチェにしがみ付いて寝息を立てている。こんなにゆったりしたベッドなのに、やっぱりくっ付いて眠っている。もっとも、離れていたら不安になるのは俺のほうだ。クルテの心も離れてしまうんじゃないか?
いつものようにクルテを抱き寄せて目を閉じた。だけど何か物足りない。し忘れたことがあるような? あぁ、そうか……
そっとクルテの髪を掻きあげ額に口づけ、
「好きだよ、クルテ」
小さく囁いた。クルテが少し笑んだ気がする。これでぐっすり眠れるはずだ――
予告通り朝食は目玉焼きとカリカリに焼いたベーコン、付け合わせには花芽・人参の茹でた物、細く切った芋とキノコの炒め物、それに丸パンだった。例によって自分の皿をじっと見つめているクルテを無視して食事は進んでいく。
「リュネ、最近、立ったまま寝てるみたいです」
カッチーが、パンにバターを塗る手を止めずに言った。
「お腹も空くみたいで、餌をあげると速攻でバリバリ食べてました」
「すっかり若返っちゃったね」
マデルがニッコリする。
「本音を言うと、リュネを初めて見た時、この子に馬車を引かせるなんて可哀想だって思った」
「こんな年寄りに課役するのは無体だって?」
ピエッチェが苦笑する。
「あの時は背に腹は代えられないって状態だったからなぁ。大丈夫かなとは思ってたけど、リュネは充分過ぎるほどよく働いてくれてるよ」
「これから先はますます役に立って、俺たちとってなくてはならない存在になりますよ」
カッチーはリュネの存在意義を大いに売り込んでおきたいのだろう。マデルの気が変わって『やっぱり魔物だ』とか言わせたくないのだ。
ふと見るとクルテはいまだに皿を見詰めている。
「どうかしたのか?」
やめといたほうがいいと思いながら訊いてしまうピエッチェ、するとクルテがピエッチェを見上げた。
「細く切ってあるのは芋、一緒に炒めてあるのはキノコ。このキノコは毒がなく食べると美味しい。そしてわたしは最近、毒キノコを見た。どこで?」
「毒キノコかよ? そりゃあ気を付けないと……思い出せないのか?」
訊かれたって知るもんか!
困り顔で言ったのはマデル、
「どこで見たのかは知らないけど、お店で買ったキノコしか食べないから心配しなくていいよ」
半ば呆れている。
「間違って食べるとは思ってない。だけど気になる」
真面目な顔でクルテが答えた。そしてまたピエッチェを見上げる。
「群生してて、一部がごっそり失われてるのが判った。森の生き物が食べたなら、近くに死骸があるはずだけど無かった。目的を持って人間が採ったんだと思う。森の中ってのは思い出せた」
「そう言うことは気が付いた時に言えよ」
「言おうと思ったけど、その時はそれどころじゃなかった。なんで?」
だから、訊くな、判りっこない。
「そう、何か別のことに気を取られてたんだった。あ……?」
「何を思い出した?」
「滝に落ちそうだった――最近じゃない、ずっと前だ。もういい、気にするな」
「まったく、人騒がせなヤツだ。次は必ずその時に言え」
やっと食べ始めたクルテ、ピエッチェもパンに手を伸ばす。マデルもカッチーも特に気にした様子がない。クルテがまたヘンなことを言い出したくらいにしか思ってないだろう。が、実のところピエッチェは背筋に寒いものを感じていた。
滝に落ちそうだった――それはあの時じゃないのか? ネネシリスに追い詰められた崖っぷち、落ちた濁流の先は落差激しい滝、だから俺に気を取られた。毒キノコに構ってる暇など、クルテにはなかっただろう。気掛かりなのは、その毒キノコをネネシリスも見つけたんじゃないかってことだ……クリオテナに毒を盛るチャンスはいくらでもある。
クルテがピエッチェを小馬鹿にしたのは、食事が済んで客間に戻ってからだ。
「察しがいいんだか悪いんだか?」
どうせ俺は察しが悪いさ、ほっといてくれ。おまえの物忘れよりきっとマシだ。
大浴場の営業開始は正午、午前中は各自好きなように過ごす事になった。ピエッチェは女神の森に行くつもりだったがクルテが『服が欲しい』と言うので、店が開く時刻を待って出かけることにした。マデル・カッチーとは正午の約束で大浴場の前での待ち合わせだ。
「毒キノコを見たのはあの崖っぷちであってる。でも、『ネネシリスも気が付いたら』と考えたようだけど、採ったのはネネシリスだとわたしは思う。事前に下調べしてないはずがない。そしてクリオテナに食べさせる気なら、とっくに食べさせてる。だからその心配はない」
「確かにおまえが言うとおりかも知れない。でもさ、だったら誰に食べさせるつもりでキノコを採ったんだ?」
「そんなの決まってる。おまえだ」
「狩りのどさくさで亡き者にするつもりだったんだから、そんな必要ないぞ?」
「あの日、おまえが連れて行った臣下はみな若かった。経験が足りず、同族とも言えるネネシリスの家臣への警戒を怠った。それがなければ計画は決行できない可能性が出てくる。ヤツがその場合を想定していないとでも?」
「狩りには若い方がいいと思ったし、遊びだからな、重臣を連れて行くのも気が引けた」
「勿体ないことをしたな。若いのに王直属の臣下、将来が楽しみだっただろうに」
それを言われたら何も言い返せない。彼らはちゃんと埋葬されただろうか? それすら確認できていない。
「もしも襲撃できそうもなければ、火を熾してキノコを焼いて食わせる気だった。止めたのにカテロヘブが言うことを聞かなかったとでも言えばいい。あるいは狩りより先に居城につれて行けと言われたら、持て成しの料理に出す。ま、そんな事を考えていたんじゃないかな」
「どうしても俺を殺したかったか? だけど、何を根拠にクリオテナに食べさせないって言い切る? まだ食べさせていないだけかもしれないぞ」
「おまえの知っているネネシリスはどんな男だった?」
「え……アイツは、もともと気が優しくて、あんな大それたことをするようなヤツじゃなかった。クリオテナの我儘に、困った顔をしても『仕方ありませんね』って微笑むようなヤツだった」
「憑りついてたってゴルゼが、思い通りにネネシリスを動かせるわけじゃない。ヤツにできるのは唆して入れ知恵することだけ。ネネシリスがクリオテナを本気で始末したいと望まない限り、ゴルゼにはどうすることもできない」
「噂では、クリオテナとネネシリスは対立している。その気になるのも時間の問題なんじゃないのか?」
「それはどうかな? 対立の原因はカテロヘブの存在とグレナムの剣の行方、だとしたらクリオテナをどうにかしても解決しない。ネネシリスは短絡的か?」
「いや、何事も熟考するタイプだ」
「おまえを手に掛けるというのもゴルゼに唆されなければしなかった――ならば無益なことはしない。クリオテナは安全だ」
安全と言い切るか……クルテにはきっと、まだ俺に言っていないことがある。そう感じるが、それがどんな事なのか判るはずもないし、どうせ訊いても教えてくれない。その何かがクリオテナの安全を保証する理由、そう考えるしかない。
「そろそろ店が開く時刻だな」
クルテが窓の外を見た。
「夏物の服を買う予定――カティはどんな服が好き?」
「服なんか着れりゃあいいよ」
そう言ったものの、クルテなら風に揺れるような服が似合いそうだと思っていた。




