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焦るピエッチェにクルテがコロコロ笑う。
「どうした? 顔が真っ赤だ。入浴前から湯あたり?」
コイツ、俺を揶揄ってるのか?
「風呂くらい、一人で入れるだろう? 森の聖堂でも入ったじゃないか」
あの時は、熱い湯を水だったと言ってたっけ……って、
「風呂に入るなら水か湯を運ばなきゃな」
きっと湯を運ぶんだろう。各部屋に焚口を作るんじゃ効率が悪い。
「蛇口を捻ったらお湯が出た。なんか少し匂うけど。温泉を引いてるのかな?」
ここは温泉の村、各家屋に湯を送るのもありそうだ。
「匂うってどんな?」
「茹で卵に少し似てる」
「じゃあ、きっと温泉だ。色は?」
「色なんかない。ジュースじゃないんだから」
「長いこと使ってない水道だから、汚れた湯が出るかもってことだよ」
「そうなんだ? そうなのかな?」
クルテに訊くより自分で見たほうが早い。ピエッチェが立ち上がる。
付いてこなくていいのにクルテも来た。入るなりピエッチェが立ち止まる。そこには洗面所、左隅に区切りがあってその奥に便器、前に進めばまたドアだ。そのドアを開けて中を覗く。クルテが言うように客室にしては広い風呂場、大きな湯船、湯船に注ぐよう作られた蛇口は三つ、水・湯・温泉が出るのだろう。
ピエッチェがジロリとクルテを見た。
「おまえ、判ってて何も言わなかったな?」
ピエッチェを見上げてクルテが首を傾げる。
「なんのこと?」
「このバスルーム、魔法仕掛けだ」
言い捨てて寝室に戻るピエッチェをクルテが追いかける。
どさっとソファーに腰かけたピエッチェを、隣に座ったクルテが覗き込む。
「魔法を使ってるかなんて訊かれてない。訊かれたことには答えた」
クルテの言うとおりだ。だけど最初から、魔法の仕掛けでいつでも入浴できると言ってくれればそれで済んだ。クルテならバスルームに掛けられた魔法を一瞬で見抜いたはずだ。
だがそれはもういい。それよりも、
「カッチーはこの魔法に気が付いてるのかな?」
そっちが気になる。
「どうだろう? 生まれた時からここに住んでるんでしょ? こんなもんだと思ってるかもね」
「キッチンの水は〝普通に〟水路を使った物だった。でも、本当は違うのかな?」
「建屋の裏手に水槽があって、そこに貯めた水に圧力をかけてキッチンと客室のバスルームの蛇口に送ってる。お湯はそこで沸かして同じ仕組み」
「その水槽、見たか?」
「うん、さっきマデルとお料理した時、見に行った」
「マデル、何か言ってた?」
「魔法だねって言っただけ」
「そうか……」
「何が気になる?」
「いや、マデルが気付かなかったんなら俺の勘違いだ」
「キッチンの水については勘違いかも知れない。あれは水路を通ってきた水。水槽の魔法は有り触れたもの。だけど温泉に関しては勘違いじゃないと思うよ?」
ニヤッとクルテが笑い、ピエッチェが顔を顰める。
「カティが感じたとおり温泉は源泉からの直結、つまり空間を無視してる。魔法使いの魔法じゃない。蛇口に別の魔法を掛けて誤魔化してあるけどね。きっとマデルは客室のバスルームを見ても気付かない」
「魔法使いの魔法じゃないとしたら?」
「女神の魔法――掛けてあるのは源泉のほう」
「おまえ、知ってたのか?」
「前に来た時、源泉を見に行ったよね。あの時、発動を休止してる魔法があるのには気付いてた。きっとこれがそう」
「なるほど。発動条件付きの魔法、この屋敷の所有者の在宅がその条件。カッチーがいるから温泉が出る――あってるか?」
「カティの考え通りだと思う。不思議なのは、なぜこの屋敷だけなのか? ババロフの宿にはこんな魔法はなかった」
「そのあたりは知らないんだ?」
「最近までわたし、封印されてたんだぞ? この屋敷は建ってせいぜい二十数年、封印中に何があったかまでは知るはずない」
ふむ……ピエッチェが唸る。
「魔法を掛けた森の女神って、おまえが母さまって呼んでる女神だろう?」
「コゲゼリテと周辺の森はあの女神の領域だからね。他の女神ってのは考えられない」
「俺を祝福してくれた女神だよな?」
「そう言うことになるね」
「話はちょっと横にそれるけど、あの祝福ってどんな効果があったんだ?」
「なんだ、判ってないんだ? そのうち判るよ」
「なんだよ、それ……」
まぁいいか。なんだか当てにできそうもないし、そんなものを当てにする気もない。
「じゃあさ、女神の森に行けば、会えるってことだよな?」
ピエッチェの問いにクルテがギクッとした。
「まさか、カティ……会いたいとか?」
「嫌がってる?」
「会ってもロクなことにならないよ?」
「ババロフの支払いを手配してくれてるんだよな? 礼も言いたいし」
「気を遣うことはない」
ピエッチェが『ふふん』と笑う。
「なるほど、雷の次に苦手か」
「煩いな」
クルテがソッポを向いてムッと唇を尖らせる。どうやら図星、なんだか愉快だ。それに、拗ねた顔も可愛いじゃないか。
「なにをニヤニヤしてる? ってか、女神に会ってどうする気だ?」
「ん? あぁ……」
そうだ、それどころじゃなかった。
「おまえ、カッチーの素性を知ってるんじゃないのか?」
「素性って、カッチーの父親が誰かってこと?」
「そう、それ――森の女神が手を貸すってことはローシェッタ王家に繋がる人物なんじゃ?」
「そうなのかな?……よく判らない」
クルテの答えにピエッチェがムッとする。
「森の女神が魔法を駆使して個人に手を貸す対象は、基本的に王族だけだ。温泉を湧出させるみたいに大衆の利益になることはしても、それを個人宅に引き入れるのに手を貸したりはしない」
「森の女神は気紛れだよ?」
「そうだな、気紛れでもある。でもその気紛れは、女神が相手に同情するとかがあってのこと。カッチーの父親に同情した? それにしても何か可怪しい」
見詰めるピエッチェから目を逸らしてクルテが溜息をつく。やっぱり何か知っているようだ。
「確かなことは判らない……カッチーは女神の祝福を受けている。だから連れてくことにした」
「女神の祝福?」
「なぜ女神がカッチーを祝福したのか、それが何時だったのか、そのあたりはさっぱり判らない――カティ、女神にそれを訊こうとしても無駄だ。教えてくれない、絶対に。わたしが訊いても教えてくれなかった。それが約束らしい」
「カッチーの父親との約束ってことか?」
「女神の加護を受けていること自体を秘密にする。それがきっとカッチーの父親に課した条件。同時に女神をも縛っている」
「ってことは、この屋敷のバスルームに源泉が直結されていることを聞いても教えてくれない?」
「ふふん、このところ察しがいいな。もし女神が打ち明けるとしたらカッチーにだけだ。カッチーは何か使命がある。それを果たすか、本人が自覚すれば条件は解除される……んじゃないかな?」
「はっきりとは言い切れないみたいだな」
ピエッチェが苦笑する。
再びクルテが溜息をつく。
「女神は何かと条件を付けたがる――カティを祝福して欲しいと願ったら『ヤギ男を退治し、騎士病を解決したら』って条件を提示された」
「それでおまえ、俺にあの魔物を? って、それを俺に言っても良かったのか?」
「ほかに条件の提示はなかった。だからカティは女神の祝福を受けてるってことを誰に言っても構わない。相手が信じるかどうかは別だけど」
うん、夢でも見たのか、と言われるのがオチだ。
「カッチーのことは様子を見るしかない。女神がわたしに言ったんだ。カッチーはきっと役に立つ。互いに相手の使命を果たす助けになるはずだって」
「カッチーの使命がなんなのか判らないのに?」
「うん。それを教えてくれるほど女神は親切じゃない」
「で、おまえの使命って?」
「イヤ、それは……」
口籠ったクルテがチラリとピエッチェを見た。
「思い出すことだ」
「へっ?」
「思い出せばなんとかなる。多分」
なんでここで多分なんだ? てかクルテ、おまえ、自分の使命を覚えていないってことなのか? それにしても……
俺にも思い出せって言っていた。ひょっとして、なにを思い出せばいいのか訊いても答えてくれないのは、おまえも知らないか忘れているからなのか?
『女神の娘は忘れっぽい。儚き早暁の精霊とか――』
カッチーが解説していたのを思い出す。クルテはつい最近のことでさえ『そうなのかな?』と考え込む。忘れっぽいのは間違いない。
ところで、とクルテがピエッチェを見上げた。
「お風呂、使ってもいいよね?」
「ん? あぁ、魔法が使われてるって言っても害があるものじゃない。問題ない」
「だよね?」
嬉しそうにクルテが笑う。
「一緒に入ろうよ」
それか!
「だから! 風呂くらい一人で入れ」
「こないだはマデルと一緒だった」
「あの時はおまえ、泥だらけでぐったりしてて、一人にするのは心配だったからだろうが」
なんでこんなにイラつくんだろうと思いながら言葉がいささか乱暴になっていく。
「そうだったっけ?……どうでもいいや。なにしろ今度はカティと入りたい」
「今度は?」
言葉尻を捕らえるのもどうかと思うが言わずにはいられない。
「じゃあなんだ? 俺と入ったら次はカッチーと入りたいとか言い出す気か?」
言うと不思議なもんで、そんなこと思ってもいないのに腹が立つ。
クルテのほうがやっぱり上手、
「カッチーと入ってもいいの?」
ニヤリと笑う。
「いいはずないだろうが!」
「あ、怒った」
「あ……いや、なんだ」
「怒らないで。誰かと一緒にお風呂に入るなら、カティだけにするから」
「う、うん」
あれ? 完全にクルテの手中? そうは行くか!
「でも! 今日はダメだ。一人で入れ」
「せっかくの温泉だから一緒に、って思ったけど、まぁ、いいや。またそのうちにね」
そのうちっていつだよ?
「お風呂に入ってる間に、どこかに行っちゃヤだよ」
どこにも行かないって。おまえみたいに夜中にフラフラ出歩かないさ。
クルテは諦めてバスルームに一人で行った。やれやれと思うピエッチェだ。なんとなく立ち上がり窓を開ける。夜風が涼しく心地よい。
一緒に入浴しようと言われイラついた。なんでおまえは俺を誘惑するんだ? そう言いたかった。でも、いつも通り言えなかった。
見上げても庇が邪魔をして星は望めない。だけど今夜も星は輝いているだろう。そう、たとえ曇天だとしても雲上で煌めいている。
なぜか胸騒ぎがした。
『どんな荒天だろうが空にはいつでも星がある。昼間だって太陽の光で見えないだけだ』
そう言ったのは誰だった? とても大切な誰かだった気がする。
あの時も星は見えなかった。空すら見えなかったような気がする。部屋の中で話していたんだろうか? それに酷く怠かったような……病気だった? だとしたら大切な誰かは母か。なんとなく違うなと思いながら、窓を閉めた。
どうせ明日は大浴場に行く。今夜はもう寝てしまおう――




