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困惑するピエッチェとマデル、カッチーだけは
「ホント、クルテさんって女神の娘みたいですね」
クスクス笑う。
「女神の娘?」
カッチーを見るマデルに、
「ノホメさんも言ってたじゃないですか、黎明の精霊は忘れっぽいって。今、読んでる本は『魔法使いと女神の娘』なんですけど、女神の娘が約束を忘れちゃって魔法使いが慌てるなんて話が幾つかありました」
とニッコリする。
「カッチーの女神の娘談議が始まったわ」
やれやれと言った態のマデル、けれど話題が変わったことにホッとしている。
少し照れ笑いしてからカッチーが続けた
「忘れっぽいのは黎明に限ったことじゃないみたいです。東雲に霞みゆく精霊とか儚き早暁の精霊、他にもなんだったっけかなぁ……有明に光放つ精霊、とか? ちなみにノホメさんが言ってた黎明の精霊って、正しくは黎明に潜む精霊です」
「それって言いかたが違うだけで夜明けばっかりよ」
「そこ、肝心なんです。忘れっぽいのには理由があるんです。ノホメさんが言ってたのも間違いじゃないけど、この精霊たち、寝ぼけてるらしいんですよ。時どき、夢から覚め切れなくってヘンなことを言い出したり。女神の娘ってユニークなのがいっぱいで、幾ら読んでも飽きません」
話題が変わったことにホッとしたのはマデルだけじゃない。ピエッチェもだ。こちらはマデルと違ってクルテの物忘れに困惑しただけじゃない。立て続けに衝撃を受けていた。
クルテは『ナリセーヌとの子も可愛い』と言った。おまえとではなくナリセーヌと子を作れって意味か? おまえが好きだって、俺、言ったよな? なのに、なんでそんな事を言う? 俺の子なんて産みたくないって意味か? 子を産んで欲しいから好きになったわけじゃない。だけど、もし誰かに産んで貰うなら、それはおまえしかいない。人間に成って、俺の妻になって欲しい。それなのに、他の女と子を作れって?
さらにクルテは、『ナリセーヌって誰?』と言い出した。本当に忘れているらしい。でも、どうして忘れる? そりゃあ俺だって、ナリセーヌのことは思い出しもしなくなってる。慕わしさは微塵もないが、ナリセーヌって人物を忘れたわけじゃない。だいたい、忘れてるならなんで名を口にするんだ? だけど、おまえが何かを忘れているのは今に始まったことじゃない。首を傾げて『そうだった?』って言うのを何度も見てる。でも、ナリセーヌなんて知らないってのは、少し度が過ぎてる。
そしてカッチー……『クルテさんって女神の娘みたいですね』
みたいなんじゃなくって、元もと〝女神の娘の成り損ない〟だ。だから共通点と言うか、女神の娘そのものであっても可怪しくない。カッチーが読んだ本に出てきた『儚き早暁の精霊』だって、成れの果てが付いていたが人魚がクルテを呼んだ名だ。
女神の娘に似ていると思われても仕方ない。似ていると思われているうちはまだいい。問題なのは、女神の娘だと知られることだ。
森の貴婦人に纏わるノホメの話から、森の女神が実在することをカッチーもマデルも知っている。森の女神が存在するのなら、女神の娘が存在したって奇怪しくないと、クルテが成れの果てとは言え女神の娘だと知られたら? 一番怖いのは『成れの果て』だと知られることだ。精霊ではないのなら何か? 人間だと思ってくれるならいい。でも、そんなに都合よく行くだろうか? 成れの果て=魔物だと思われたらどうすればいい?
そんな事を考えながら黙々と手を動かしているうちに皿洗いは終わり、マデルとカッチーの話題も明日の朝食へと変わっている。
「パンは今日買ったのがまだあるから、サラダと目玉焼きでいいんじゃない? ベーコンも付けようか?」
「卵、いっぱい買ってましたもんね」
「やっぱりカッチーは、目玉焼きも半熟よりしっかり火が通ってる方がいいの?」
「はい! 食べ応え重視でお願いします」
マデルとカッチーは、クルテの奇妙さを内心どう捉えているんだろう? カッチーはユニークだと言い、マデルは面白いと言っていた。
「片付けは終わりだな」
カッチーが皿を仕舞い終え、棚の戸を閉めるのを待ってピエッチェが言った。
「で、どこの部屋を使えばいい? なんだか疲れた、荷馬車よりキャビンのほうが気を遣うのかな?」
「あれ? もう寝ちゃうんだ?」
マデルはもっとお喋りを楽しみたいようだ。
「クルテも寝ちゃう? もう少し、何か話そう」
「まぁ、まず、部屋に案内しますよ。そのあと、お茶を淹れますから、居間に来てください。えっとぉ……クルテさんはピエッチェさんと同じ部屋で?」
もちろん、とクルテが微笑んだ。
お茶の用意をして居間で待っていたカッチー、だけど来たのはマデルだけだ。
「ま、想像通りです――これ、お茶請けにどうぞ」
「あら、これは? こんなお菓子、買った覚えがない」
「薄切りにした芋に塩と胡椒を振って、チーズを乗せて焼いただけです。お湯を沸かしてる間に作りました」
「カッチーが?……美味しいじゃない。ビールが欲しくなるわね』
「昔、母が元気なころにはよく作ってくれました。甘いものだけだと飽きるだろうからって」
「カッチーはよくお料理するの?」
「たまぁにですよ。ババロフの奥さんには手伝おうとしても嫌がられたし」
「わたしなら喜んじゃうけどな。なんで嫌なのかしら?」
「判らないけど、きっと息子さんを思い出すからだと思います」
「あ……」
カッチーがババロフのところにいた頃は騎士病が蔓延していて、ババロフの息子も行方不明になっていた。
「グリュンパの女将さんは元気かしらねぇ?」
カッチに息子の面影を見たのは『ババロフの妻』だけじゃない。
この旅の中で、息子を亡くした母親に何人も会った気がした。だけど、よく考えてみればグリュンパの女将さんとノホメの二人だ。ババロフの息子は戻ってきた。むしろ母親を早く亡くした人の方が多い。カッチーがそうだし、ピエッチェも、クルテもそうだ。
「あの女将さんなら、今日も元気にお客さんを捌いてますよ」
カッチーがニッコリした。
「またあの宿に泊まりたいなぁ。リュネを女将に見せても大丈夫ですよね?」
「まぁ、今の状態なら大丈夫だとは思うけど……元の持ち主が返せって言い出さないか心配」
「老いぼれだから処分しようとしてたくせに? 勝手だなぁ」
「手放した物の価値が上がれば悔しいものよ」
「それは、うん、なんとなく判ります。ギュリューのレストランもそうでした」
「なんか、経験したことありそうな言いかたね」
「そうですね、つい最近。マデルさんは?」
「わたし? わたしはね、一度手放して、でも後悔して取り戻したわ」
「あ、判った。王太子さまのことですね」
真っ赤になったマデルをカッチーが笑った。
寝室に引っ込んだピエッチェは、途中で買った花籠を鼻歌まじりで眺めているクルテを見るともなしに見ていた。案内された部屋に入ると衝立の向こうにゆったりとしたソファーセットとテーブルが置かれた居間、正面に大きな窓、右の壁にはドアがある。そこにはベッドが置いてあるのだろう。きっとこの屋敷で一番広い客室だ。
「そんなに花が好きか?」
「うん、大好き」
俺とどっちが? なんて訊けない。訊きたくもない。いや、訊けば答えが怖い。
「ザジリレンに戻ったら、王宮の庭に好きな花を植えるといいよ」
「そんなことしない」
「なんで?」
「勝手に生えて自由に咲く花が好き」
そう言えば、シスール周回道の原っぱで生き生きしてた。花冠を作って喜んでた。俺にも一輪くれたっけ……
「その花籠の花も、人が種を蒔いて育てた花だぞ?」
「そうだね、だから少し力が弱い。過保護だと、花も弱くなる」
何か違う気がするが、なんだか理屈は通っているような? でもそんなこと、どうでもいいか。訊きたかったのは花のことじゃない
俺がナリセーヌと結ばれてもいいのか?――ダメだ、答えは判ってる。ナリセーヌって誰? と訊き返してくるか、いいところ、カテロヘブが望むなら、だ。訊ね方を変えたほうがいい。
俺の子を産んでくれないか?――これもダメ、生殖能力がないから無理と言われて終わりだ。でも、本当にこいつ、子どもが産めないんだろうか? 身体は人間の女と同じだったはず。確か森の女神も姿は人間の女、分身を作る能力があって、その分身が女神の娘で、コイツはその分身に人間の男の命を与えた存在だ。コイツも女神と同じように、分身をつくる能力があるんだろうか? 女神と同じで人間の男の命を与えた分身を作れる? だったら……いいや、絶対ダメだ。コイツは自分を中度半端な存在だと言った。精霊でも人間でもない事に苦しんでいた。
そもそも子どもを産んで欲しいわけじゃない。もしも俺に子どもができるなら、その母親はコイツであって欲しいと思っているだけだ。だから、『子を産んで欲しい』なんて言うのは違う。
俺はこいつに何を訊きたいんだろう? なんて言って欲しいんだ?
「また、何か考えてる」
花を見ながらクルテがクスッと笑った。中央が黄色く、周囲をたくさんの白い花びらがぐるりと囲んだ花だ。
「考えたって答えなんかでないよ?――花びらは二十一枚。判らなかったけど数えたら判った」
「それはなんて花?」
「なんだったっけ? 本来は今の時期には咲かない花。人間に誤魔化されて咲いちゃった」
「誤魔化されてって……」
温室などで季節を勘違いさせた、それを誤魔化したって言うか?
「でも、だからおまえの花籠に入れることができたんだ」
「そうだね。誤魔化されてくれて感謝」
感謝するのはそっちかよ? 花を育てた農家には感謝しないんだな。
「誤魔化してくれた人にも感謝――人間の知恵って凄い。なんでも誤魔化しちゃう」
心を読んだのか、偶然なのか? 今さらだ。
「なんでもってのは言い過ぎだぞ」
「そうなのかな? でも、カティはいつも誤魔化しちゃう」
「誤魔化してないって」
嘘吐きのおまえに言われたくない。
「誤魔化してるよ。いつも自分を誤魔化してる。あぁ、そんなのは素直じゃないって言うんだっけ?」
「捻くれてて悪かったね」
「捻くれてるなんて言ってないよ?――それより、バスルーム付きの寝室だってカッチーが言ってたね」
クルテが立ち上がり、部屋の隅のドアの中に消えた。
『素直じゃないなら捻くれている』とは言い切れない。素直に思った通りのことを言えないだけで、捻くれているってのはまた別だよな。でもそうか、俺は素直じゃないのか。少なくとも思ったことをすぐに口に出したりしない。だからなんでも思った通りにポンポン言葉にするおまえに惹かれるのかもしれないな。
戻って来たクルテが嬉しそうに言った。
「寝心地良さそうな大きなベッド、お風呂も広くって湯船もデカい。四人くらい余裕で入れるよ――ねぇ、カティ、一緒に入ろう」
えっ? いや、ちょっと待て!




