4
「あんなこと、俺たちの前で言っちゃってよかったんですか?」
カッチーが気の毒そうにピエッチェに訊いた。クルテとマデルが夕食を作ると言ってキッチンに行ったあとだ。ピエッチェはムッとした顔で答えない。なんと言っていいか判らなかった。
「悲しいのは、クルテさんがまるっきり関心を示さなかったことですよね」
それ以上、言うなカッチー、もう黙っててくれ……
『俺が幸せを教える。きっとおまえだって幸せってもんが判るはずだ』
そう言ったピエッチェを不思議そうに見たクルテが言ったのは
『そうなんだ? 頑張ってね』
だった。そして皿に視線を戻し、美味しそうにケーキを頬張った。
『あ……』
いや、別に、何か反応を期待してたわけじゃない。そうじゃないんだ。
『もう、やめといたほうがいいよ』
マデルがそっとピエッチェに囁く。やめるのは何を? クルテを幸せにしようと意気込むことを? それともクルテを思うこと?
それでもマデルが
『クルテは絶対幸せになれる。ピエッチェと二人で頑張るんだよ』
クルテに言えば、
『うん、判った』
ニッコリするクルテ、いったいコイツはどこが判ってどこが判らないのか、まずそこが判らない。だけどマデルが言うように、もう何も言わないほうがよさそうだ。これはクルテのためではなく、自分のために……なんだかどっぷり疲れるティータイムだった。
そのあとは、マデルもカッチーも黙ってケーキを食べ終え、カッチーが使用済みの食器を片付けようとするのを、
「食事の支度をするから」
とマデルが引き受け、クルテを連れてキッチンに行った。向こうで二人、内緒話をする気だろう。
居間に残ったピエッチェとカッチーが話すのも、内緒話みたいなもんだ。
「でもね、クルテさんは絶対、ピエッチェさんが好きです。これ、慰めてるわけじゃないですから」
カッチー、後半の付け足しは逆効果だぞ。
「そんな事より、ババロフの様子はどうだった? 本人にはこないだ会ったから、宿のほうな」
「えぇ、再開してて、ほぼ満室だって言ってました。従業員を四人雇ったって。その人たちと夕食を済ませたら、すぐに寝るそうです。朝食を作るのに、夜明け前には起きるからって」
「充実した毎日を送ってるみたいだな」
「息子さんとお嫁さんも一緒に頑張ってくれてるみたいです。奥さんは相変わらず元気で、ピエッチェさんとクルテさんに会いたがってました」
「そっかぁ、二人にはさんざん世話になった。なんだか、懐かしいな――大浴場のことは何か言ってたか?」
「はい、聞いてきました。営業は正午から日の入りまでだそうです。以前は一日中やってたんだけど、もうちょっと軌道に乗るまで、治安維持を考えてそうするって言ってました」
「コゲゼリテの治安維持って、村で警護隊を組織してるのかな?」
「そのあたり、詳しく判らないんですよね。騎士病のせいで、滅茶苦茶になった体制を立て直すとか」
「村人が戻っただけじゃ昔の通りとはいかないか」
でも、なんとなく違和感があるのはなぜだろう? まぁいいか。ババロフに会えば何か判るかもしれない……
キッチンではクルテが肉を睨みつけていた。
「これ、生きてた? なぜ血が通ってない?」
「血抜きしたからよ、クルテ」
「血が抜かれた……まぁ、死んでいるのは一目瞭然。しかし、元はこんな姿ではなかった」
「そうね、潰して血を抜いて、切ったの。これは切り身」
「痛そう」
「痛かったでしょうね。だから感謝して、美味しくいただきましょう」
さっきからこんな調子だ。クルテらしいと言えばクルテらしい。マデルもとっくに慣れっこになっていて、割と受け答えが適当になっている。そして時どき、次は何を言い出すか楽しみに感じることもある。
「これはブタ? 食べるために飼っていた?――小屋にブタがたくさんいるのを見たことがある」
「その中の一匹の切り身かもね」
「……情が湧いたりしない? 餌を遣ったり世話を焼いてたってことだよね?」
「どうなんでしょうね? 畜産をしてる知り合いがいないから判らないな」
「リュネを殺せないでしょ?」
「リュネは食用じゃないもの――クルテ、卵液を付けたらパン粉をつけるの。粉を振るのは一度でいいの」
「粉を振って卵液付けてパン粉で包んでを四回。なんで一回?」
「粉を振って卵を付けたらパン粉で包んで揚げたら完成だってば」
「全部一回ずつ? でも揚げるのは四回?」
「揚げるのも一度でいいよ? なんで四回なんだろう?」
「切り身が四枚」
「……そうね、一枚につき一回ずつで四回だね。失礼しました」
マデルが苦笑する。
肉の裏表に満遍なく均等に粉が付いたか念入りに見ているクルテを『完璧主義なのかな?』と思いがら、マデルは蒸した芋を潰し始めた。
「ねぇ、クルテ」
「ん?」
「将来の夢とか、希望とかある?」
「将来ってのはこれから起こること、今はまだ判らない」
「そりゃそうなんだけど、こうなるといいなとか、こうしたいなとかないの?」
「そんなこと、考えたことがない」
「じゃあ、今、考えてみてよ」
「意味があるとは思えないけど、マデルがそう言うなら考えてみる――粉、これでいい?」
「いいよ。キレイにできたね。次はこっち」
「このベチャベチャが卵?」
「そう、白身と黄身を掻き混ぜたの。パン粉を付ける糊みたいなもんよ――で、何か考え付いた?」
「糊みたい? 糊は食べられない、だから代わりが必要……考えても何もない。敢えて言うなら、アイツの人生が平穏であればいい」
「アイツってピエッチェ?」
「そう、わたしの全て。アイツのためにわたしは居る」
「それって愛してるってこと?」
「そうなのかな? 判らない」
「好きなんでしょ?」
「嫌いじゃない」
「ピエッチェはクルテが好きよ?」
「口ではなんとでも言える」
「口では、ってピエッチェに好きって言われたんだ?」
「ピエッチェに訊かないと判らない」
「うん? どういうこと?」
「マデルに言ってもいいのかどうか」
「あぁ……」
それって言われたって事よね、とマデルが思う。
「彼が信じられない?」
「パン粉、終わった。卵の糊、凄く良く付くね――揚げよう。揚げないと食べられないんでしょう?」
「そうね、油を温めないとね」
どうやらクルテは話し過ぎたと感じているようだ。聞き出そうとしても、これ以上はピエッチェとのことは話してくれないだろう……マデルが小さな溜息を吐いた。が、すぐに気を取り直して笑顔に戻ると、フライパンを火にかけた――
刻んだキャベツ、切ったトマト、マッシュした芋、細切りにした人参とキノコの炒め物、それらに取り囲まれて皿に鎮座するのは黄金色のフライ、ナイフを入れてみると衣の中は厚切りのポークだ。フライにはトマトソースが掛けてある。
「うわぁ、これ、マデルさんが作ったんですか?」
大喜びのカッチーに、マデルが微笑む。
「クルテと一緒にね。衣の仕上げはクルテが一人でしたの。綺麗にできてるよね」
マデルの言葉にチラッとピエッチェがクルテを見る。すると見上げていたクルテと目があってしまった。『食えるのか?』そんな憎まれ口を叩きたくなったが、
「頑張ったじゃないか」
と言ってみる。ニンマリしたクルテが
「美味しそう?」
と訊いてくれば、おまえが作ったから不安だ、などと言えるはずもない。
「あぁ、旨そうだな」
「じゃあ、半分食べて。わたしには多すぎる」
そう来ましたか? ピエッチェが苦笑する。
「他には何を手伝ったんだ?」
フライを口に放り込んでピエッチェがクルテに訊いた。思いのほか旨い。まぁ、実質的に調理したのはマデルだろう。ならば安心して食べていい。
「他には何もしてない」
フォークをトマトに刺してクルテが答える。
「フライの衣が不思議だった。あれってパン粉なんだね」
またもニンマリする。
「でね、マデルが教えてくれた。手順が大事」
「そうか、勉強になったな」
頼むから、今度は一人で作ってみるとか言うんじゃないぞ。何をやらかすか心配過ぎる。
「うん、勉強になった。忘れないで、手順が大事」
「なんだよ、それ、俺に言ってるのか?」
「そうだよ。手順が大事。でももっと大事なこともある」
「へぇ、それって?」
「それは自分で考えろ」
なんだよ、いきなり命令された? てか、突き放された気分だ。
ブドウのゼリーの角切りと果物の盛り合わせのデザートを食べ終えると、ピエッチェとカッチーが片付けをすることになった。マデルとクルテが作ったのだから、と言う事だ。なのにクルテがピエッチェにくっついてキッチンに来てしまうし、マデルも一人はつまらないのだろう、クルテについてきた。
キッチンに来たものの手伝うこともせず、クルテはピエッチェの傍で面白そうに皿洗いを眺めているだけだし、マデルにいたっては『洗いかたがなってない』とダメだしする。洗った食器を拭いて、棚に戻しているカッチーが笑いを噛み殺す。
「食器洗いなんかしたことないんだ」
ピエッチェの言い訳に
「じゃあ、皿洗いを覚えるいい機会ね」
マデルは容赦ない。
「カッチーは上手に洗ってたよ? まさか、これから先、一切家事をする気はないなんて言わないよね? 奥さんに全部やらせる気?」
「ふん! 充分な召使を雇えるようになって見せるさ。妻に家事なんかやらせるもんか」
「クルテ、今の聞いた? 忘れちゃダメだからね」
なんでクルテに話しを振る?
「ピエッチェの奥さんは家事をしなくていい?」
「それでも家事は覚えておかなきゃダメだからね。召使の家事の出来栄えが判らないと困るから」
「家事……炊事・洗濯・掃除、それから?」
「育児とかは?」
横からカッチーが口を挟む。
「ピエッチェさんとクルテさんの子、可愛いだろうなぁ」
「気が早すぎる」
つい言ってしまって『しまった』と思うピエッチェ、もう遅い。
「早いけど、いずれはってことですね」
カッチーがすかさず突っ込んでくる。
ジタバタするのも見っともないと黙ったピエッチェ、するとクルテが、
「ナリセーヌとの子でもきっと可愛い。多分」
ポツリと言った。
「おいっ!」
なんで今さらナリセーヌ?
「マデルとラクティメシッスの子もきっと可愛い」
「ちょっとクルテったら……」
ナリセーヌで困惑したのはピエッチェだけではない。マデルもだ。そこに自分のことも言われ、さらに返答に困る。
そんなことはお構いなしのクルテ、
「でも、ナリセーヌって誰だったっけ?」
とピエッチェを見上げた。
「えっ? 忘れちゃったのか?」
「ってことは知り合い? どこで知り合った?」
「あ、いや……それ、真面目に言ってる? 俺を揶揄ってるんじゃなくて? あ、そうか、冗談だな。最近、冗談は難しいってよく言ってるよな」
「冗談なんかじゃないし、揶揄ってもいない――やっぱ、ナリセーヌなんて知らないや」
知らないって、おまえ……自分で言い出したんだぞ?




