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すぐにキャビンからカッチーが降りてきて、玄関扉前の階段を駆け上った。が、途中で足が止まる。
「いけねっ! 鍵をババロフに預けてたんだった」
ババロフに鍵を預けたことはピエッチェもクルテも知っている事なのに、鍵を掛けてあることすら考えになかった。
「俺、ひとっ走り、鍵を貰いに行ってきます」
すぐに駆け出しそうなカッチーを慌ててクルテが引き留める。
「これ、持ってって。明日、時刻を見て改めて挨拶に伺いますからって、ちゃんと伝えて」
と菓子折りを出した。グリュンパで買い求めたものだ。
「任せてください!」
大事そうに菓子折りを抱えてカッチーが駆け出す。
「ババロフさん家って近いの?」
キャビンから降りてきたマデルが訊いた。
「それにしても、コゲゼリテには中流貴族の別荘があるって訊いたけど、けっこう大きなお屋敷ね」
カッチーの家を見て感心している。
「一度だけ中に入れて貰ったけど、なかなか趣味のいい調度が揃ってたよ」
ピエッチェは御者台に座ったままだ。厩に馬車を入れなくちゃならない。
「上流貴族はギュリューで、中流だとコゲゼリテ?」
「そうとは決まってないけど、多いってこと。上流でもコゲゼリテが気に入ればコゲゼリテ。でも、ギュリューは上流ばかりかな」
「まぁ、事情があってコゲゼリテにしたって人もいるだろうな」
ピエッチェが思い浮かべたのはカッチーの母親が貴族の囲い者だったと言う事だ。ギュリューでは目立ってしまう。だからコゲゼリテにしたのだろうと思った。
ほどなくカッチーが頬を上気させ戻ってきた。走ったせいもあるだろうが、顔が赤いのは他にも理由がありそうだ。きっとカッチーは歓待されたはずだ。ババロフとその女房だけじゃなく、ひょっとしたら顔見知りが宿の従業員として働いているかもしれない。そんな面々の顔を見れば興奮しても仕方がない。
「すぐ開けますから……あ、お菓子、喜んでました」
止まりもしないで階段を上り、ガチャガチャと開錠する。
「開きました――食料、キッチンに運べばいいですよね?」
落ち着かない様子で荷物を運び始めたカッチーに、マデルが苦笑いする。
クルテも降りてきて
「夕食、なにを作るの?」
とマデルに訊いた。
「干し肉、戻す?」
「森の聖堂に行った時は干し肉だったね」
マデルが笑う。
「今日はね、生のお肉を買ってきたから。フライにしようかな?」
「お肉のフライ……油で揚げてサクサクしてる?」
「そうよ、嫌い?」
「ううん、大好き。でも、作ったことはない」
「じゃあ、一緒にお料理しようか?」
嬉しそうに頷くクルテにマデルがニッコリする。
「それじゃあ、俺、ピエッチェさんと一緒に厩に行ってきますから。キッチンは入って真っ直ぐ行って奥を右です。食器でも何でも好きに使ってください。水も汲んでおきました」
建屋から出てきたカッチーが、クルテがいつも座っている席に乗り込んだ。
「ひょっとして、厩は遠いのかしら?」
馬車を見送ってマデルが呟く。
「遠いって別の敷地とか? それはなさそう」
「あらクルテ、敷地内に作れなくって別の場所に作るとか借りるとか、けっこうあることよ」
「カッチーのお父さんが来た時、それじゃあ不便」
あっとマデルが息を飲む。
「そうね……うっかり忘れてたわ」
「中に入ってお湯を沸かそう、まずはお茶淹れて。お料理はそれから」
タンタンと階段を上って中に入っていくクルテ、マデルもすぐあとに続いた。
ピエッチェとカッチーが戻ってきたのはお湯が沸いて、お茶を淹れようとしているところだった。
「勝手口の鍵、取り換えた方がいいですよね?」
なんてカッチーが言っている。二人が入ってきたのはキッチンよりさらに奥の部屋からだ。
「そっちに勝手口があるんだ?」
マデルの問いに、
「はい、厩から直接建物に入れるようになってるんです。でも、なんか鍵の調子が悪くって。開けるのに苦労しました」
とカッチーが面白くなさそうな顔をする。
「随分使ってなかったみたいで、錆が来てたんだよ」
ピエッチェが苦笑いする。
「ってことは、厩はすぐそこ? その割には遅かったわね」
「ババロフも厩の掃除までは気が付かなかったみたいで、二人で掃除してきた。蜘蛛の巣とか埃を払って床を掃いただけだがね――鍵は錠前屋を呼んで付け替えた方がいいな」
「錆びた鍵をよく開けられたわね」
「錆って言っても少しだけだから」
「お茶、淹れた」
クルテがボソッと言った。
「マデルに教わって淹れてみた。美味しいかな?」
「俺、咽喉カラカラです――隣がダイニングなんだけど、ソファーのほうがいいなら、居間に行きましょうか?」
「ソファーがいいな……お茶、運んで」
カップを四つ乗せたトレイを置き去りに行ってしまうクルテ、カッチーがクスクス笑い、マデルが『あらら』とやっぱり笑う。
ピエッチェだけは
「お茶菓子を思い出したんじゃないかな?」
と笑わない。なるほどね、とマデルとカッチーが見交わしてさらに笑った。
三人が居間に行くと、クルテはソファーに座って菓子箱を開けていた。カッチーがトレイを持っていった。
「マデル、大好き」
マデルを見るなりクルテが言った。
「生クリームが絞ってあって果物が乗ってるケーキ。イチゴにブルーベリー、サルナシと桃もある。でも、全部ひとつずつ?」
「一人一個でいいと思ったんだけど……クルテ、好きなのを選んでいいよ。ピエッチェはブルーベリーでしょ?」
買い出しは全部マデルとカッチーがしてきた。ババロフに持って行く手土産も、このケーキもマデルのチョイスだ。
「うん、そっか。うん、一人一個で充分」
そう言いながら、どことなく寂しそうなクルテ、カッチーが
「だから言ったのに……クルテさんはピエッチェさんと同じがいいんですよ」
とマデルに言った。
するとピエッチェが、
「そんなに気を遣わなくっていい。クルテの我儘に付き合ってたら疲れるぞ」
と笑う。
「それに、それは俺の仕事だ。同じのがいいって言うなら、半分ずつ食べる、これで解決だな」
とクルテを見れば、ピエッチェを見上げて嬉しそうに『うん』と答えるクルテ、
「はいはい、心配して損しました」
とカッチーがボヤいた。
「で、二人は付き合うことにしたんですか?」
「付き合うとかっていうんじゃないけど、まぁ、似たようなもんか?」
「どっちなのよ?」
マデルまでピエッチェに突っ込むが、
「誰もお茶を飲まない……」
とクルテが呟き、三人揃って急いでカップに手を伸ばす。
「美味しい?」
見上げてくるクルテに
「あぁ、上手に淹れたな」
微笑みながら、そう言えば俺たちの関係ってなんだろう? と思うピエッチェだ。
好きだと言ったら嬉しいと答えてくれた。でも好きだとはまだ言ってくれない。昨夜、クサッティヤの宿でも、眠る前にはキスを交わし『好きだよ』と囁いた。クルテは嬉しそうな顔をして抱き着いてきただけだ。その時は含羞んでいるのだと思ったけれど、実際のところどうなのだろう?
でも、まぁいいか。そのうち好きなら好きだと言ってくれる。クルテが俺を好きじゃないとは思えない。
「マデルがね、肉のフライを作るって。一緒に作ることにした」
クルテが選んだケーキはブルーベリーとサルナシ、それぞれを半分にしたものを一つの皿に乗せ、ピエッチェの前に置いた。自分の前には半分にした残りの二皿だ。
「そっか、火傷に気を付けろよ」
「火傷は痛いからヤダ」
「懲りたか?」
デレドケの暖炉を思い出してピエッチェが笑う。
(揚げ物は油跳ねがあるから、気を付けろ。間違っても姿を消したりするなよ)
頭の中でクルテに話しかける。
「懲りたって、クルテ、火傷したの?」
「うん、マデルともカッチーとも知り合う前。焚火でしくじった」
「割とクルテってドジだよね。こないだも、倒れた木に失神させられちゃったんでしょ?」
「倒れてくる木なら判らないでもないけど、倒れちゃった木に、ですもんね」
マデルとカッチーは疑いもしない。
「その焚火でした火傷って、ちゃんと治ったの?」
「とっくに治ってるよ」
「そう、ならよかった。気を付けないと、火傷って醜い跡が残ることがあるから。もし今度火傷したら、ちょっとしたものならいいけど、ちゃんと医者に診せるのよ」
「火傷の後って普通の傷と違うんだ?」
「皮膚の表面が焼けちゃうんだもの、切り傷とは違うよ。ベロベロって感じね」
「醜い?」
「そうね、綺麗じゃないわね」
するとクルテがピエッチェを見上げて訊いた。
「もし火傷しても嫌いにならない?」
まったく、今かよ? と思いつつ、
「嫌いになんかなるわけないだろう」
すました顔で答える。
「別におまえが綺麗だからって好きになったわけじゃない。美醜で判断できるのは見た目だけだ」
「でも醜かったら好きにならないんじゃない?」
「そんな仮定の話をされてもなぁ。今さら判らないよ。現実がどうかが重要だと思うぞ?」
「ふぅん。判んないけど、判った」
どっちだよ?
「まぁ、つまり、ピエッチェさんは、この先クルテさんがどんな見た目になっても変わらず好きってことですね」
と言ったのはカッチー、『このヤロウ』と思うが否定もできず
「あぁ、まあな」
とカッチーを睨みつけた。マデルが
「クルテ、幸せになるのよ」
追い打ちをかける。こいつら揃いも揃って、と思うものの文句も言えないピエッチェだ。だけど、それほどイヤでもない。
が、場の空気を冷やしたのはクルテだった。
「わたしは幸せなんて望んでないから」
ニッコリ笑ってそう言った。
狼狽えてクルテを見るピエッチェに、マデルとカッチーも慌て、どうにか取り繕おうとする。
「そうよね、ピエッチェが幸せならクルテも幸せなのよね?」
「そんなこと言って『今が幸せだから』とか言うんじゃないですか?」
「あぁ、なるほど。カッチーの言うとおりかな? でもねクルテ、もっともっと幸せを感じる時が来るわよ」
だけどクルテの反応はパッとしない。
「わたし、幸せってどんなものだか判らない」
「幸せってのはですね、えっと、なんて言うか……」
勢いを削がれたカッチー、
「嬉しいとか美味しいとか、そんなのを全部ひっくるめて幸せよ」
マデルは少しイラついたようだ。
「だいたいクルテ、幸せが判らないなんて、自分を不幸だとでも思ってるの?」
するとクルテは
「不幸ってのも判らない。そんな事を考えたり感じたりするのは人間だけ。他の生き物は生きるのに必死でそんなこと考えたりしない」
サラッと答えた。
コイツは魔物だった――改めてピエッチェが思い知る。幸せな魔物とか、不幸な魔物とか、そんなの、聞いたことないよな。
幸不幸が人間だけのものだとしたら、俺が必ずおまえを人間にする。そして――
「俺が幸せを教える。きっとおまえだって幸せってもんが判るはずだ」
そう宣言するピエッチェを、クルテは不思議そうに見ていた。




