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湯を運んだ後も、バケツを従業員に渡してデッセムはコテージに居続けた。
「それで? どうして湖のほうから? で、穴の正体は? 判ったのかい?」
ピエッチェの話が聞きたいらしい。
しかしピエッチェが何も言わないうちに、仕事に戻ったはずの従業員が
「夕食の台車が置きっぱなしなんだけど、どうすれば?」
と言いに来た。慌てて出て行ったデッセムだ。
ドアノッカーを鳴らすことなく、箱を抱えて居間に来ると
「で、話しはどこまで進んでる?」
と言い出す始末、そのままダイニングに向かったが、
「食事はこっちで? それともダイニングで?」
ソワソワと落ち着かない。
話をするのは風呂の後だとピエッチェが言うと、
「それまで待ってちゃダメかなぁ? 何度も同じ話をするのも面倒でしょう?」
と居座る気満々だ。
「詳しい話は明日まで勘弁してくれないか? 何しろ疲れてる」
「そ……そりゃそうですよね。気が利かなくってすいません。食事のセッティングをしたらすぐに出て行かなきゃね」
「あ、それは俺がやります」
食事は運ぶがあとは自分たちでと決まっている。なのにカッチーが立ち上がるのを止めたデッセム、
「いいや、今日は俺にサービスさせてくれ。疲れてないって自分じゃ思ってるかもしれないけど、思いのほか疲れてるもんだよ」
と、さっさとダイニングに行ってしまった。
「俺、待ってただけなんだけど」
不平を口にするカッチーに、
「デッセムの言うことは当たってると思うぞ。明日はゆっくり寝てていいからな」
とピエッチェが言った。
「デッセムさん、かなり気を遣ってくれたんです。ロープが切れたのを見て、お茶を淹れたり、夕食だって四人分用意するって言ってくれました」
「うん? 用もないのにここに来たのか?」
「心配してくれたんだと思います」
ほどなくデッセムがダイニングから出てきて、
「ダイニングの椅子のほうが食事するにはいいかと思って、勝手に向こうに用意しちゃったよ。できるだけ早く食べてくれ」
そのまま出て行こうとするのをピエッチェが引き留めた。
「また代金を忘れてるぞ――ところで、穴を作ったヤツは片付けた。アリジゴクの魔物だった」
「へっ!?」
「地下水脈に落とし込んだから溺死したと思う。あの水脈は湖に流れ込んでるんだろう?」
「は、はい、そうなんです! 流れ込む川がないのに、ジェンガテク湖が枯れないのは地下水脈があるからなんです」
「やっぱりな……恐ろしくデカいアリジゴクが打ち上げられたら処分してくれ」
「はい、はい! ありがとうございました!」
そのまま出て行こうとするデッセム、
「おい! 代金!」
呼び止めるピエッチェ、
「今夜は出血大サービスだ。果物もたくさん用意してあるよ。ビールもジュースも持ってきた。これくらいじゃ、魔物退治の代金には到底足りないと思うけど、せめてものお礼だ――あ、宿賃も今回は不要だから」
デッセムが大きな声で答え、さらに呼び止めるピエッチェを無視して出て行った。
苦笑するしかないピエッチェだ。
「まぁいいか……他人の好意は受け取るのが礼儀、って教えられたしな」
「誰に教わったんですか? そう言えば、いい匂いがしてきた。さっきまで、食べるのも苦痛だって思ってたのに、気の持ちようって重要ですね――それにしてもアリジゴク? 四人の犠牲者は食べられちゃったんですね」
気の毒そうに言うカッチー、人魚は女を一人助けたと言っていたが、それがグレイズの妻なのは間違いない。
「まぁ、風呂から出てきたら詳しく話すよ。三人で先に食い始めててもいいぞ」
「ピエッチェさんを待たないわけにはいきません」
「遠慮しなくていい。風呂から出たらすぐに寝ちゃうかもしれないぞ?」
「えっ!? 待ってたのに食いっぱぐれ?――ピエッチェさんがバスに行ったらマデルさんと相談します」
「なんて言ってるうちに、あがったようだな」
寝室に続くドアが開いてマデルが顔を見せた。
「お風呂、空いたわよ――わたしとクルテは髪を乾かしたりするから、もう少し待っててね」
と、すぐに引っ込んだ。
「やっぱり待つしかなさそうです」
力なく笑うカッチーを置いて、ピエッチェはバスルームに向かった――
たかがビールで酔いを感じたのは疲れのせいだ。小脇に抱えたクルテ、土の重さに身体の自由を奪われて、動きが読めない巨大な魔物を相手に極度の緊張を味わった。一度は敗北を覚悟しもした。人魚が助けてくれなかったら、今頃はどうなっていた事か?
〝助けられかた〟も乱暴だった。濁流に揉みくちゃにされ、平衡感覚が乱れ、溺死寸前で……下手をしてたら息を吹き返さなかったかもしれない。そしてずぶ濡れのまま、やはりずぶ濡れのクルテを担いで木の洞の中を登った。
洞から出た時は泣きたいくらいにホッとした。すぐそこに月明かりで煌めく湖面が見え、そう言えば昨日は満月だったとなぜか思い出した。
森の中をコテージに戻るより、いったん湖畔に出ることを選んだ。今の状態で迷子になるより遠回りでもその方がいいと、湖に沿って左に進んだ。それは正解で、すぐに前回人魚と話したあの場所、コテージに続く小道の終点に出た。
「地下に水脈があるなんて知ってたんですか?」
骨付き肉に嚙り付きながらカッチーが訊いた。雉のモモ肉のローストだ。デッセムはかなり奮発したようで、夕食は随分と豪勢だった。マデルとカッチーを慰めようとしての献立なんだろうが、最初から代金を取るつもりはなかったんだろう。そんな気がした。
「ジェンガテク湖に川が流れ込んでないのには気が付いていた。だけど、地下水脈がどこを通ってるなんて判りっこない」
ピエッチェが食べているのは、やはりローストした牛肉、薄切りにして甘辛いソースを掛けてある。
「足元に水脈があるなんて、よく気付けたわね」
これはマデル、マスの塩焼きから小骨を取っているところだ。
人魚に助けられた話はしていない。ズズッと足元だけが流れて、水を感じた。アリジゴクがボロボロにした地面が水脈に届いたのだろうと説明した。水を感じると同時に流れがいきなり強烈なものに変わり、焦ったピエッチェは咄嗟にアリジゴクの足を掴んだ。結果、一緒に流され、途中で見つけた洞窟の岸にピエッチェは取り縋ったが、アリジゴクはそのまま流され沈んでいった。かなり無理のある話、だけどマデルとカッチーに疑う様子はない。明日には魔物の骸も上がる。そうなればベスク村の誰もが疑わないだろう。
「ロープを切ったのがピエッチェだとは思わなかった」
これには少しばかりマデルの皮肉が込められた。
「敵が連れ去るために切ったって思うよね?」
カッチーに同意を求める。
カッチーはそれには何も言わず、
「魔物と遭遇したのって、俺たちにとっては最悪のタイミングだったんですね。引っ張ったって手応えがなくって、まさか継ぎ足した直後だなんて思わないし、最後には切られてましたから」
と暗にピエッチェのせいではないと言った。もちろんマデルにピエッチェを責める気はない。そうよね、と機嫌よく笑っている。
機嫌がいいのはクルテだ。デッセムはピエッチェとクルテが無事に戻ってきたときのこともちゃんと想定していたらしく果物も大奮発、サクランボに桃、メロンにキウイ、ブルーベリー、スイカは赤いものだけでなく黄色もある。高価なパイナップルもある。全て少しずつだが、食べやすく一口大に切ったものを見栄えよく皿に盛ってあった。
見ただけで目を輝かせたクルテに、マデルが自分の分はあげると言い、カッチーが俺もと言う。するとお伺いを立てるようにクルテがピエッチェを見上げた。
「デッセムの好意だ。そしてマデルとカッチーのな。褒美だと思って全部おまえが食べていい」
いつもなら不機嫌そうに『全部食え』と言うピエッチェが穏やかな眼差しをクルテに向けた。
「なんの褒美?」
「今日の頑張りに対する褒美、かな?」
ピエッチェにも実のところよく判っていない。なんとなく言っただけだ。
「他は? 他は食べなくてもいい?」
「食べたいものだけ食べればいいよ」
嬉しそうにニッコリするクルテに、疲れが飛んでいきそうな気がした。これこそ俺にとってはご褒美だ……
何しろいつになくピエッチェはクルテに甘かった。最初こそ、また揉めるんじゃないかとカッチーは冷や冷やしたようだが食事が進むにつれ、心配するのが馬鹿馬鹿しくなる。
左腕に絡みついてくるクルテを普段なら『食べずらいだろうが』と、煩そうに払うのに好きにさせている。それどころか肩に腕を回して抱き寄せてしまった。
マデルとカッチー相手に談笑しているものの、幸せそうな顔でピエッチェを見上げるクルテに、時おり視線を投げては微笑んでいる。クルテが思い出したように口元に差し出す果物を、初めは
「おまえが食え」
と言ったが
「食べて」
とクルテに言われれば微笑んで口を開け、そのあとは差し出されるままだ。
食事が終わる頃にはほぼ見つめ合っているような状態の二人に、マデルもカッチーも話を振れなくなっていた。
「そろそろお開きにしよう」
マデルがそう言ったのは、果物の皿に最後に残った一粒のブルーベリーをクルテがピエッチェの口に持って行った時だった。
「そうだな、寝るか」
ピエッチェがクルテから目を離さず同意した。そして自分の口元にあったクルテの手を掴んで指先のブルーベリーを口に含む。カッチーが目を逸らし、マデルが顔を顰めるがお構いなしだ。
マデルが、
「ピエッチェ、そんなに飲んだっけ?」
と言ったのは、クルテを連れてピエッチェが寝室に向かってからだ。
「ビールを二・三杯ってところですかね?」
食器を片付ける手を止めずにカッチーが答えた。食事用の箱に使用済みの皿を入れて玄関の外に置いておけば、時間を見てデッセムが取りに来ることになっている。
「あれ、酔っぱらってるんですか?」
「それくらいの酒量で酔うような男じゃないけどねぇ?」
「はい、ピエッチェさんが酔ったところは見たことありません。ビールに限らず、ワインだろうがジンだろうが何だろうが平気な顔してます」
「だよね。でもまぁ、魔物の相手で疲れてるからかも」
「疲れてると酔いが回るのも早いってことですか」
最後の一枚を箱に入れ終え、カッチーがマデルを見た。
「酒に酔ってるっていうよりも、恋に酔ってるって感じじゃありませんでした?」
一瞬きょとんとしてからマデルが笑い出す。
「カッチー、あんた、言うようになったね。でも、まぁ、そんな感じもあった」
「だって! 俺たちの目の前で、今にもブチュってしそうでしたよ?」
ますます笑うマデル、少し拗ねたカッチーが通い箱を持ち上げた。
「きっと今頃、愛し合ってます」
笑いを引っ込めたマデルの、寝室に向けた目が心配そうだった――




