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秘魔 =追放されし王は 荒天に煌めく星を目指す=   作者: 寄賀あける
8章  窪みは常に動く

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 老婦人の名はノホメ、宿()()の父(前の宿の(ある))の母親、つまり祖母だ。デッセムの父親が亡くなってからはクサッティヤ村の娘(デッセムの叔母)のところに身を寄せているが、たまたま遊びに来ていた。呼ぶことになれば明日になっていただろう。


 デッセムが言うには、ベスク村の生き字引のような存在らしい。()()言い伝えに関しては詳しく、ノホメに訊けば判らないことはないと太鼓判を押した。


「どれ、まずは本当に森の貴婦人かどうか、見てみようかね」

夜香花には夜の貴婦人という別名があるが、ベスク村の森を()まよう夜香花はいつの間にか森の貴婦人と呼ばれるようになった。

「昔は死の貴婦人なんて呼ばれた頃もあったらしいよ」

ノホメが笑う。

「それじゃ怖すぎるから森の貴婦人と呼ぶことにしたらしいね」


 小さな細長い花は緑白色で目立たないが、房となって咲き誇る。清楚さと華やかさを併せ持つ美しさから貴婦人と呼ばれるのだろう。夜にしか花は(ひら)かず、昼間は閉じてしまうことから『夜の』と付いた。上品だが強い芳香も昼間は弱まり、むしろないに等しい。


「間違いない夜香花だ。そこの森で見つけた?……ってことは間違いなく森の貴婦人だよ。あの森に夜香花は一本だけだからね」

ダイニングに繋がる居間でノホメがコップに挿された枝を見て呟いた。すでに花は閉じている。


「夜香花は一本だけってなぜ言い切れるんですか?」

ピエッチェの問いに、

「一つの森に森の女神は一人だけだからだよ」

ノホメが微笑む。

「夜の貴婦人は女神の化身なのさ」

ついクルテを見そうになったピエッチェ、辛うじてノホメから目を離さずに居た。


 さっさと暖炉のある居間のほうに戻ったノホメを追ってぞろぞろと五人が続く。ダイニングの隣の居間のソファーは四人しか座れない。ノホメとデッセムを加えて総勢六人、暖炉のある居間のソファーはゆったりとした二人用と、その対面に一人用が二脚、左右に一脚ずつ、さらにスツールも二つ置いてあった。


 ノホメが腰を降ろしたのは二人掛けから見て右の一人掛け、ピエッチェとクルテが二人用に座り、その対面にマデルとカッチー、デッセムは遠慮したのか、少し離れたスツールに座を取った。ノホメが夜香花を見ている間にカッチーがお茶を用意し、それぞれの前にカップが置かれている。


「俺、森の女神が花に化身する話、本で読みました」

座るなりカッチーが言った。

「花の種類は書かれてなかったんですけど、毎年可憐な花を咲かせ、その(たね)からどんどん増えていったって話です」


 するとノホメはカッチーを見て頷いた。

「それは別の森の女神の話だね。恋しい男のところに飛んでいきたいと願った女神はタンポポに化身した。せめて種を綿毛に乗せて男のもとにって」


「恋しい男と言うのは人間の男なんでしょうか?」

ピエッチェが問えば、今度はピエッチェを見た。

「森の女神ってのは精霊でね、女しかいないんだよ。男と言えば人間さ。だけど人間の男は薄情、愛を誓っておきながら森では暮らせないと言って女神を捨てる。女神の悲恋物語は腐るほどあるよ」


 本題とは違うと思いながら言わずにいられないピエッチェ、

「男が森での暮らしに満足し、女神と添い遂げたという話だってありそうですね」

言葉とは逆に、自分は森では暮らせないと思っている。


「いや、ないんじゃないかね。女神は永遠に姿を変えない。いつまでも若々しく美しいままだ。だけどさ、人間は歳をとり、姿も心も変わっていく。寿命も短い。若いうちはともかく、森の暮らしには堪えきれないし、家族や友人だっている。恋愛沙汰でそのシガラミを捨てきれる男は居ないんじゃないかね?」


「男は居ない? 女性なら恋のために全てを捨てると?」

「言いかたが悪かった。男も女も同じだよ。男だろうが女だろうが恋に目が眩むこともある。だけどね、恋はいずれ()める。醒めれば途端に色褪せて、恋しさも愛しさも消えちまう、そんなもんさ。だけど女神は違う。一度心を決めたなら変えることがない。姿が変わらないのと同様、心も変わらないんだ――ま、今は女神の話だから対象は男ってことだね。たまに女を選ぶ女神も居るらしいけど」


「女を選ぶって恋の相手にですか?」

これはカッチーだ。


「なにも女神に限ったことじゃないだろうが。恋愛の対象は異性とは限らない。人間だって、鳥どもや獣にだってあることさ」

「そうなんですか?」

驚くカッチー、ピエッチェが慌てて

「まぁ、今はその話はおいといて、森の貴婦人のことを教えてください」

と本題に戻す。話しがドンドン横にそれていきそうだ。切っ掛けを作ったのは自分だと思うものの、これ以上は困る。


「さて、何から話そうかね?」

「まずは夜香花は一本きりって話からお願いします。女神の化身だとしても、他にないのはなぜでしょう? 〝普通の〟夜香花があってもいいように思えます」

「そりゃああんた、簡単だ。もともとこの森に夜香花はなかった。女神が化身する一本だけだ――恋しい男はいつも夜香花の香水をつけていた。だから自分が夜香花になれば男が帰ってくるんじゃないかって思ったんだろうね」

(けな)と言えば健気だがなんとなく薄気味悪い。妄執、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


 男に捨てられた女が花に姿を変え夜な夜な森を()まよい歩く。そして見た者を死へと(いざな)う……まるで怪談だ。

「夜香花を目撃すると、三日後に家族の誰かが命を落とすと聞きました。どう解釈すれば?」


「報復ってことだ。本人ではなく家族なのは、そのほうが苦しめるって知っているからだね――姿を変えてまで男を取り戻そうとする自分の浅ましさ、それを人間になど見られたくない。女神がそう思っても不思議はないだろう?」

「勝手だな。自分の意思で姿を変えたくせに、それを見られたからって仕返しするのは横暴だ」

「確かにね!」

ピエッチェの憤りにノホメが声を立てて笑う。


「でもさ、おニイさん、理屈じゃ割り切れないのが感情ってもんさ。たいして生きちゃいないあんただって、何度も経験してるだろう?」

たいして生きていないって、若いってことか? まぁ、ノホメから見れば子どもみたいなものかも知れない。


「えぇ、そりゃあ、思っている事と違うことを、まぁ、してしまうこともあります。それこそしょっちゅう」

痛いほど身に覚えのあることだ。そう考えると女神への怒りは理不尽にさえ感じてきた。


「ところで、あの枝を折ったのはあんただったっけ?」

ノホメが視線をピエッチェからクルテに移した。

「その時の様子を詳しく聞かせてくれないかい?」


「うん。このコテージの柵の外、建物を正面から見て右のほう、最初に見た時はそこにいたんだけどね。どんどん建物の裏の方に回り込んでったんだよ、おばあちゃん」

「建物ってこのコテージの?」

「そう、それで見えなくなったから、窓から飛び降りて追いかけてみた。どこの窓かって言うと、一番奥の寝室」

「おやま、勇ましいこと」


「で、行ってみたらやっぱりユラユラ動いてて、湖に行ける小道に出られる木戸のほうに向かってた。だけど、わたしに気が付いたみたいで、少しゆっくりになったから『待って』って声を掛けたら止まったんだ」

「森の貴婦人が、止まった?」

「そう、わたしのことを見てるみたいだった。それで、『とっても綺麗でいい香りですね』って言ったら、枝がカサカサって」


「風が吹いた?」

「風が出たのはそのあと。きっとあれ、笑ったんじゃないかな?」

「それで? 夜香花は枝をくれたのかい?」

「手を伸ばしても逃げなかった。届かないかもって思ったのに届いたのは、枝を低くしてくれたんだと思う」

「そうかい、森の貴婦人はあんたが気に入ったんだろうね」

ノホメがうっすらと笑った。


「あんたたちの家族の誰かが死ぬことはないよ。枝までくれたんだ。命を奪ったりしない」

「でも()ちゃん、ギャンもワイルのカミさんも三日後に死んだぞ?」

黙って聞いていたデッセムが恐ごわと言った。


「そりゃあおまえ、女神のご不興を買ったからだよ。この娘さんは夜香花を怖がらなかった。ギャンのカミさんもワイルも、見るなり怖がって逃げ出した。そんな事されりゃあ、誰だってムカつくもんさ。女神も一緒だ」

「だって、夜香花を見たら家族が死ぬって。だから見るなって」

「動くはずのない木が動き回ってるのを見れば、大抵の人間は驚いて腰を抜かす。だからだよ」


 見られたくない姿を見られたうえ、驚いて腰を抜かされればいい気はしないだろう。だが、だからって死なせなくてもいいじゃないか。そうは思うが、ここでそれを言っても意味がない。


「しかし、どうしたものかな」

ピエッチェが溜息をつく。

「コイツはたまたま感覚が変わっているから、動く木を見ても不思議としか思わなかった。だけど、多くの人は驚き怖がる。だから森の貴婦人は処分したほうがいいと思うけど、森の女神なんだとしたらこの森が枯れることになるな」


「満月の夜に森に行かなきゃいいだけさ。な、デッセム。子どもん頃から、何があっても満月には森に行くなって言われてるだろ?」

「あぁ、言われてるよ、祖母ちゃん。夜香花が出るからって」


「満月の夜だけ?」

ピエッチェの疑問にノホメが答える。

「女神が夜香花に姿を変えるのは満月の夜だけなんだ」


「えっ? あぁ、昨夜は満月でしたね。でも、なんで満月の夜だけ?」

「あんた、察しが悪いね。男が女神に会いにくるのが満月の夜だったからだよ」

ノホメにまで察しが悪いと言われ(へこ)むピエッチェ、隣でクスッとクルテが笑う。


「ってことは、夜香花は放置してていい?」

「むしろ触っちゃダメだ――気に入られたんだから、わざわざ嫌われるようなことをしちゃいけない。えっと……」

ピエッチェに言ってからノホメがクルテを見る。

「あんた、まだ若そうだけど、恋人は? まぁ、いいや、夜香花の、花だけ干してずっと持ってるといい」


「ポプリにする?」

「そうだね、そしてお守りだ――叶わなかった自分の恋の代わりにあんたの恋が叶うよう、この森の女神があんたを守る。大事にするんだよ」

それからフッと笑った。

「わたしも若い頃は夜香花を探したもんだけど、満月の夜は怖くて行けない、昼間は花が咲いてない。結局見つけられやしなかった」


「祖母ちゃん……」

複雑な思いでノホメを見るのはデッセムだ。祖母にとって祖父は思う相手ではなかったのか?


「で、他に訊きたいことは?」

少しの間、遠い目をしたノホメが明るい表情でピエッチェたちを見た。


「ねぇ、何を訊いてもいい?」

そう言ったのはクルテだ。

「もちろんベスク村とジェンガテク湖に(まつ)わることなんだけど」


「わたしが知ってることならなんでも教えるよ。で、何が知りたいんだい?」

「このコテージに住んでた少年のこと、ジェンガテク湖の人魚のこと。そして森にできる穴のこと」

クルテがニッコリと微笑んだ。

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