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さらに青くなってコテージを出て行こうとするピエッチェの、腕を掴んでカッチーが引き留める。
「森に行ったと決まったわけじゃありません」
「行ってたらどうする? 放せ!」
「ピエッチェさん、落ち着いてください!」
「落ち着いてなんかいられるか!」
ジタバタするピエッチェ、それを押さえこむカッチー、ふとピエッチェが動きを止めてカッチーの顔に見入る。
「おまえ、随分と背が伸びてたんだな……」
力がグンと強くなってる。カッチーを振り払おうとするなら、本気で投げ飛ばさなきゃならない。まだ負ける気はしないが怪我をさせてしまう危険がある。カッチーはそれほどの腕力になっている。
「なに言ってるんです? だから服や靴を新調したって言いましたよね?」
温和しくなったピエッチェに、それでもカッチーは油断していない。がっしり掴んだ腕を放しはしない。
「行かせろ、カッチー。腕を放せ」
「放しません。ピエッチェさんはクルテさんのこととなると冷静でいられない。もし森に行くなら腕を掴んだまま、俺も一緒に行きます」
「少しくらい身体ができてきたからって生意気言うな」
「言いますよ。今のピエッチェさんになら。信じられないくらい無謀になってますから」
「言えてる!」
黙って様子を見ていたマデルが声を立てて笑った。
「それにもし、森に行くなら三人で行くよ。どうせ相手は魔法使いか魔物。わたしでも役に立てることがあるはず――まずは座って。どうするのがベターなのか、検討しよう」
カッチーとマデルを見比べてから、ピエッチェが溜息をついた。二人の言っていることのほうが正しい。カッチーの成長に気が付いた時から、少しずつピエッチェも冷静さを取り戻しつつある。だが、まだ危うい。
「で、マデル。どうしたらいい?」
腰かけて、深呼吸をしてからピエッチェが言った。
「もうちょっとだけ待ってみましょうよ。あんたが寝室に行ってから、大して経ってない。案外、すぐそこで星でも見てるかもしれない」
「そうですね。何しろ気が済んだら戻ってきます。だとしたら騒いでると戻りずらくなります」
「どれくらい待ってればいい? その間に何かあったらどうする?」
再び激昂しそうなピエッチェ、なんとか自分を抑えようとしているのが見て判る。
「そうね……いつも寝る時刻まで、かな?」
「それまで待って戻らなかったら、どこを探す?」
「まずはコテージの敷地、それから本館に行って訊いてみる」
「本館?」
「宿の主人がクルテを見かけているかもしれないじゃないの」
「あっ!」
声を上げたのはカッチーだ。
「デッセムさんと話し込んでるなんてこともあるんじゃないですか?」
「そうだといいわね」
マデルがニッコリする。
「もしそうなら気分転換になって、何事もなかったって顔で戻ってくるわ」
「で、デッセムが知らないって言ったら?」
「その時は宿の敷地内をまず探す。本館に入ってたとしたらデッセムが気付かないはずないから、本館内は除外していいと思う」
「ほかのコテージに勝手に入り込んでる可能性もありますよ?」
これはカッチーだ。
「そうね、コテージの中も探したほうがいいわね。ベッドですやすや寝てても、ピエッチェ、怒っちゃダメよ?――コテージはここ以外に何軒あるのかしら?」
「野菜屑を貰いに行った時に聞いたんだけど、ここを入れて四棟だそうです。全部違う作りだってデッセムさんが言ってました」
「それじゃ、見るのは三棟ね。でも、きっと施錠されてる。そしたら中には入れない。すぐに終わるわ」
いいや、クルテなら扉や窓の隙間から侵入できる。でも、食べたものを消化しきっていないはずだ。姿を消せば汚物をぶちまけるから、足元を見ておけばいい。だけど、なんだかそれはしない気がする。
「もしそれでも見つからなかったら?」
楽観なんてできるかと言った感じのピエッチェに、マデルが呆れる。
「ピエッチェ……あんた、クルテが見つからないと思い込んでない?」
「いや、そうじゃなくて」
「見つからなかったらどうしようって、そればっかり考えてる。ダメよ、見つかると思って探さなきゃ、見つけられるものも見つからないわ」
「そうですね。できないって思ってたらできないぞって、ピエッチェさんも言ってました。同じことですよね?」
カッチーが微笑みをピエッチェに向ける。
「クルテさんはね、ピエッチェさんが居なきゃどうにもならないんです。だから、どこにも行きませんよ」
「そうそう、カッチーの言う通り。ピエッチェが世界の全て、だもんね」
マデルも微笑むが、『それならどうして居なくなった?』と思うピエッチェだ。
「カッチー、お茶を淹れて。すっかり冷めてる――ここは熱いのを飲んで、落ち着きましょう。それでもクルテが戻らなかったら、探しに行くわよ」
探しに行くの一言に、ピエッチェが縋るような目をマデルに向ける。
「明日の朝までに戻って貰わないと困るしね。クルテ、お金を持って居なくなったんでしょう?」
「あっ!? 俺たち、クルテさんがいないと文無しだ!」
立ち上がったカッチーがケラケラ笑う。
「宿の仕事をしますって言ったら、飯くらい食わせてくれるかな?――お茶、飛び切り熱いのを淹れてきますね」
カッチーがダイニングに向かった――
時間の速度はいつも同じとは限らない。何かを待つ時間はゆっくりしていて、弱火でシチューを煮こむように心を炙る。炙られた心は煮崩れるのか、それとも焦げるのか? どちらにしろ苛まれるような苦しさにじっと耐えるしかない。
熱い茶を啜りながらも焦りは消えない。それでも物理的に急ぐことができないのだから動作は緩やかになり、急かす心にさえもブレーキを掛ける。
「ハチミツがあったよね」
マデルが自分のお茶にハチミツを入れたあと、何も言わずピエッチェのカップにも入れた。
「あ……」
勝手なことを、と言うのはやめた。入れてしまってから言ったところで取り返しがつかない。そのままカップを口元に運んだ。
それきり誰も何も言わない。ピエッチェのカップは空になったが、マデルとカッチーはまだ飲んでいる。カッチーはお替りまでしている。探しに行こう、そう言って立ち上がろうかと何度か迷う。だけどまだ、いつも寝る時刻は来ていない。
ガタガタ、ガタン!……突風が吹いて窓が音を立てる。当然、他の部屋からも微かな物音が聞こえる。もちろん寝室前の廊下からもだ。
「クルテ!?」
サッと立ち上がるピエッチェ、寝室に向かった。
「風の音だよ」
マデルが止めるが聞きやしない。
「風が出てきましたね」
カッチーがポツリと言った。
「雨が降る前に戻ってくるよ」
マデルがそう答え、何も言わずにピエッチェが戻ってくる。廊下にも寝室にもクルテは居なかったようだ。
そりゃあそうだよ、とマデルとカッチーは内心思っているだろう。クルテが魔物だと知らない二人は、戻ってくるなら玄関からだとしか思ってない。
その玄関でカタンと音がした。今度こそ、誰かが扉を開けた音か? 何も言わずに飛び出していくピエッチェ、マデルも立ち上がり、玄関に続く暖炉のある居間へとピエッチェに続く。
すると芳香が漂ってきた。ジャスミン? 似ているけど少し違う。
「クルテ!」
玄関の間でピエッチェが叫んだ。
「クルテ?」
問いながらマデルが玄関の間に入って立ち止まる。
「戻ったんですか?」
マデルの後ろでカッチーが覗き込んだ。
扉の前には一本の枝を手にクルテが立っている。芳香はその枝に咲く花からだ。
「急に風が吹いてきた……すぐに降ってくる」
外の様子を気にしながら言った。
「お……おまえ、どこに行ってた?」
「夜香花の匂いがしたから見に行ってきた。一枝、貰っちゃった」
手にした枝をピエッチェに見せるように持ち上げる。
「貰ったって誰に?」
「木に。一枝ちょうだいって、折ってきた」
「あ……いや。黙って居なくなったら心配するじゃないか」
「そっか。でも、もう心配ない、戻ってきた」
「そう言う問題じゃない」
つい、激しくなりそうな口調をピエッチェが抑える。
「そんな問題じゃないんだ」
ならば何が問題なんだ? 自分で言ったのに、答えが判らない。怒りたいのか喜びたいのか、それすら判らない。泣きたいような気分、それは判る。でも、泣くわけにもいかない。そしてもう一つ、判っていることがある。たとえ巧く説明できたとしても、クルテにこの気持ちは理解できない。
「とにかく、居間に行きましょう。クルテ、咽喉は渇いてない? お茶を飲んでたのよ」
マデルがクルテに声を掛け、奥に戻ろうとして後ろでニヤニヤしていたカッチーにぶつかった。小さな声で『ニヤニヤしないの!』と叱るが、そのマデルも笑んでいる。
クルテはマデルを見てからピエッチェに視線を戻し……
「ふにゅう」
と、ヘンな声を出し、腰を抜かしてヘナっと座り込んだ。同時に外で何かが光る。
「雷?」
マデルが訝るように足を止め、
「光りましたよね?」
とカッチーも外に気を向ける。
バン! と風が建物にぶつかる音、続いて轟く雷鳴、
「ぐにゅにゃお、もにゅこ」
両腕で頭を包み込んで体を丸め縮こまるクルテ、
「うわぁ、やっぱり雷ね」
マデルの呟き、途端にバラバラと叩き付けるような雨音、
「なんか、ヘンな音もしませんでした? 雨の音じゃなくって」
とカッチーが怪訝な顔をした。
ガタガタと風が玄関の扉を揺らす。と、また光った。
「ほにゃられら……」
「クルテ、奥に行こう。立てるか?」
力なく、しかも不思議な叫びをあげるクルテを立たせようとするピエッチェ、
「……変な音を出してるのはクルテ?」
誰にともなく問うマデル、
「そのようです」
驚き過ぎて笑えないカッチーが神妙な顔で答えた――
居間でマデルとカッチーがクスクス笑う。
「クルテ最大の弱点が雷だなんてね」
「それにしても、あれって叫び声ですか? それとも泣き声でしょうか? 初めてです、雷にあんな反応する人」
「ピエッチェが言うには、何かを訴えてるらしいけど意味不明。ピエッチェも判らんって顔を顰めてたね」
「意味なんかないんだと思います。きっとクルテさんの負け惜しみ」
「思わず声が出ちゃうってこと? それにしても、クルテ、飽きないわぁ」
「身体から力が抜けちゃうってのも珍しいですよね」
「雷が光ると力が抜けて、雷鳴とともに声が出てたね」
雷雨は続いている。風も強く吹き付けている。にこやかに話す二人も時に雷鳴に会話を中断させ、揺さぶられる窓に表情を曇らせては外の気配を窺っている。
居間に居るのは二人、ピエッチェはクルテを抱きかかえるように寝室に行ったきりだ。
「まぁ、ピエッチェにとっては救いの嵐かも知れないね」
「叱るか許すか迷ってましたもんね」
「抱き締めるって選択肢を言い忘れてるよ?」
「それは実行したからいいんです」
カッチーが笑った。




