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ラクティメシッスの口止めはなんの効力も発揮しなかったらしい。が、どこでどう変わってしまったのか、宿の主人が知っている話はかなり事実と違っていた。
ピエッチェを待っていた男たちは待ち草臥れて、通りがかった別の旅人を襲ってしまった。襲われたのは滅多に見ないようないい女、ついスケベ心が騒ぎ出し、その女に手を出そうとしたのだ。女の一人旅とは珍しい、目的は男、俺たちが相手してやるよ、って感じだ。
そこに本来の獲物、ピエッチェが通りがかり、一人旅の女を助けようと男たちに斬りかかった。事情を知らない通りすがりの旅人が慌ててグリュンパの警護兵を呼んだが、その中になぜか王太子がいた。
襲われた〝いい女〟は王室魔法使いのマデリエンテ姫、マデリエンテ姫から話を聞いたラクティメシッスはピエッチェたちをお褒めになり、悪党どもは連行された――そんな話になっていた。
「何しろ無事でよかったよ――王太子さまにマデリエンテ姫、そう簡単にお会いできるおかたじゃねぇ、その点はついてたね」
宿の主人がニコニコと言った。
「マデリエンテ姫って、美人なんだろ? どんな人だった? 大貴族の令嬢になんて会ったことないからなぁ。さぞかしお上品なんだろうね」
目の前にいるぞとは言えない。返答に困るピエッチェとマデル、そしてカッチーの三人、クルテだけは動じることなく
「とっても優しいお姉さんって感じだったよ」
とニッコリ答えた。
「前と同じコテージは空いてる? こないだは邪魔が入ってゆっくりできなかったから、今度は何日か居ようと思ってるんだ」
「おう、空いてるよ。コテージに泊まりたい客なんて、あんたらくらいだ。何日居て貰ってもこっちは困らない。むしろ大歓迎――で、予定は何日?」
「それがさ……今回は湖じゃなく、森を探索したいんだ。実は、ある人から頼まれてきたんだよ」
「森って、この宿の敷地の外の森かい? いいけど、うーーん、頼まれたって何を頼まれた?」
宿の主人デッセムが俄かに緊張した。
「あの森は道案内なしに入っちゃなんない。どうしてもって言うなら俺が案内するよ。で、道を外れるのもまずい」
「それって穴に落ちるから?」
「お嬢ちゃん、どうしてそれを?」
デッセムが見る見る蒼褪めた――
「あぁ、そんなこともあった。三年前だったかな?」
クルテから引き継いだピエッチェがグレイズの妻の話をすると、デッセムが溜息をついた。
「忘れもしない、女ばかりの五人連れだ。そんな客はベスク村では珍しくない。三軒先のマチッシュの宿に泊まってた――森に入るなってマチッシュに言われてたのに、迷子になんかならないって軽く考えてたんだろうな」
「迷子になるから森に行くなって俺たちも言われたっけ」
ピエッチェが言うと、
「まぁさ、滅多に森に行く客は居ないんだよ。みんな湖を見に来てるからね。でも時どき居るんで念のため、森には行くなって言ってるんだ」
デッセムが苦笑いする。
「村の人間もあの森には入らない。道を通る分には問題ないんだ。でも、木立の中にたまぁにだけど、深い穴ができて落ちちまう。最初は五年前だった」
「そんなこと、言ってなかったよな?」
「人魚の件と同じさ。悪い噂が広まって、観光客の足が遠のくのは困るんだ――その穴は不思議で、探しても見つからない。五年前には立て続けに四人もいなくなった。ある女は旦那の目の前で穴に落ちた。友達が穴に吸い込まれるのを見たヤツも居る。それで『森には行くな、行っても道を外れるな』ってなった。穴が道にできることはなかったからな。まぁ、それも今のところ、か」
「その四人って見付かったのか?」
「いいや、未だに見付からない――うん、三年前の犠牲者は十日くらいで見つかったんだったかな? だからさ、五年前の犠牲者の家族はひょっとしたら帰ってくるかもしれないって希望を持ってる。でもよ……確か、見つかっても酷いことになってた」
酷いことの内容を口にするのは遠慮したようだ。
「他に犠牲者は?」
「いいや、その五人だけだ」
「全員女?」
「ううん、最初の四人は男女二人ずつだよ――てか、あんたたち、頼まれたって言ったよな。何を頼まれた? 森を探索するって? まさか道を外れて穴を探そうとかって言うんじゃないだろうな?」
黙ってしまったピエッチェ、デッセムが険しい顔になる。
「ダメだ、言っただろう? 探したって見付からない。自分が穴に落ちるだけだ。五人目の時の目撃者は四人揃って、いきなりポッカリ穴が開いたって言ってた。そんなの避けられっこない」
「不思議な穴だよね?」
静かに言ったのはクルテだ。
「そんなの、魔物の仕業に決まってる」
「そ! そうなのか、やっぱり魔物なのか? だったらなおさらだ、行くな、行っちゃダメだ」
懇願するようなデッセムに、クルテが微笑む。
「心配してくれてありがとう――でも大丈夫。わたしたちは魔物退治に来たんだ。その魔物、必ず退治する。任せておいて」
夕食は持参したからと断って、お茶のセットだけを貰ってコテージに行くことにした。
「場所は判ってるよね? はい、鍵。俺、忙しいから案内できないよ」
デッセムは怒ってしまったのか素っ気ない。それでも
「あぁ、馬っこに野菜屑が欲しいなら、幾らでもやるから取りにおいで」
とカッチーに言った。
「夕食は要らないけど、朝食は必要……明日は茹でだ。前回と同じ茹で加減。あ、果物好きのお嬢ちゃんが居るんだった」
デッセムが独り言を続ける。怒っているんじゃなく心配なのだ。きっと明日の朝には機嫌も直っていることだろう。
前回と同じ場所でリュネから荷台を外してやる。
「鞍も外してやって……」
クルテが不機嫌そうに言う。
「なんだ? 何か気に食わないことでもあるのか?」
「失敗した。なんで荷台なんか買ったんだ?」
「へっ?」
「どうせならキャビンにすればよかった。荷馬車じゃなく、馬車のほうがずっと乗り心地が良かった」
それを聞いてマデルが『確かに』と言って吹き出す。カッチーも大笑いだ。
ピエッチェは
「でもまぁ、荷物も多いことだし……一頭立てなんだから大型キャビンは無理、小型になる。そうなると、リンゴ箱は積めないぞ?」
と慰めるが、
「荷台付きの小型キャビンにする。座席が柔らかいヤツ――グリュンパかセレンヂュゲに行ったら買い替えるから、売ってそうな店を探せ」
クルテはどうしてもキャビンが欲しいらしい。言いたいだけ言うと、ツンとソッポを向いてコテージに入ってしまった。
「キャビンを買ったら、俺は一人で御者台ってことになりそうだな」
ボヤくピエッチェに、マデルとカッチーが有り得ないと、またも笑う。
「クルテがピエッチェの傍を離れるわけがないよ」
「どうだか? 乗り心地を気にしてたぞ? フカフカの座席が欲しいらしい。アイツ、キャビンで居眠りする気なんじゃないのか?」
「普通の座席でも荷台よりは良さそうよ? って、あ……ひょっとしたらわたしのためかも?」
そうか、マデルはしょっちゅう腰を叩いてる。
クルテはいつもこうだとピエッチェが思う。わがままを言うような素振りで、誰かのためだったりする。初めから素直に言えばいいのに。でも……まぁ、いいか。
「いいのが見つかったら、の話だな――カッチー、リュネに水と飼葉。それから弁当を持ってきてくれ」
そう言い置いてピエッチェもコテージに入っていった。
ピエッチェがコテージに入ってから、カッチーがそっと呟いた。
「惚れ直したって顔してましたね」
マデルがそれを訂正する。
「惚れ直したんじゃなくって、ますます惚れた、が正解よ」
二人でこっそり声を殺して笑った。
クルテは暖炉のある居間で突っ立っていた。
「どうした? すぐに夕食にするぞ? キッチンで湯を沸かそう」
「うん、暖炉を見てた」
「暖炉がどうかしたか?」
「暖炉の下ってどうなってるのかな、って」
「煉瓦敷きか石組みか……」
「その下だよ」
「ここの場合、コテージの床とひとつながりだろうね。で、支柱があって基礎があって、って感じじゃないかな?」
「本当に?」
ジロリとピエッチェを見るクルテに、いやな予感がするピエッチェ、
「まさか暖炉を掘り返そうなんて言うなよ? 大仕事だし、だいたい暖炉を壊していいはずがない。この宿の持ち物だぞ」
と予防線を張る。
「判ってるよ。でも気になる……コテージの下も気になる」
コテージごとぶっ壊すって言い出しそうなクルテに、ほとほと呆れるピエッチェだ。
「気になったってどうしようもないだろ? 森を調べに来たんだ。そっちを片付けることを考えろ。とにかく飯だ。ダイニングに行くぞ」
ピエッチェが奥に向かうと、諦めたのかクルテもついてきた。が、お湯を沸かす手伝いもしないで椅子に座って考え込んでいる。面倒なので放置した。
キッチンに作り付けの竈に火を熾し、水を張ったケトルを置いたところでマデルが来た。
「遅かったな……カッチーはまだリュネのところ?」
「ううん、すぐ来るよ」
戸棚からポットとカップを出しながらマデルが答える。
「火を熾したのはクルテ? お茶を沸かさなきゃって慌ててきたんだけど、クルテがいるんだから火の心配は不要だったね」
「……ま、そうだな。魔法が使えるヤツは便利でいいや」
クルテはキッチンに来ていない。でも言わなきゃマデルには判らないだろう。面倒がらずに火打石を使えば良かった……小さな嘘にピエッチェの心がチクリと痛む。
お茶を配り終わる頃、カッチーもダイニングに来てすぐ夕食が始まった。サンドウィッチと聞いていたけれど、切れ込みを入れた丸パンに焼いたソーセージやチーズが挟み込まれていて、別の箱に入れてある刻んだ生野菜を追加しろと言う事らしい。トマトソースやマスタードの瓶も添えられていた。
箱の中をじろじろ見ていたクルテが
「ジャムもある」
と嬉しそうにイチゴジャムが詰められた丸パンに嚙り付いた。
「果物はないけど、仕方ない。あとでリンゴを取ってくる」
「あ、俺、取りに行ってきますよ」
カッチーが立とうとするのを
「あとでいいよ」
と引き留めるピエッチェ、
「それよりあとどれくらい残ってる?」
と訊いた。
「そろそろ箱の底が見え始めました」
「それじゃ、どこかで買い込むか」
「ううん、リンゴじゃなくて他のがいい。日持ちする果物って何があるかな?」
クルテは二つ目のジャムパンに手を伸ばしている。いつになく早いペースだ。
「リンゴは飽きた? でも、リンゴほど持つものってあるかしら?」
ソーセージの丸パンに野菜を挟み込んでマデルが言った。
「リンゴがやっぱり一番よね。干した物ならかなり持つけど? 干しブドウとか」
「干したのは嫌い。あれ、果物じゃない」
ツンとするクルテ、とうとうピエッチェが怒鳴る。
「わがままはいい加減にしろ!」
キョトンとクルテがピエッチェを見た。




