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無毛のヤギのような男、背の高さはピエッチェの優は二倍ある。まぁ、要するにデカいのだ。
でかい上に、どうも二足歩行は不慣れのようでヨタヨタと近づいてくる。だいたい身体のバランスが悪い。鼻と口が飛び出した縦長の頭には、これまた立派な長い角が生えている。それを支えているのは異常に長い首。胴体も、大きいことは大きいが、どうにも不格好……斬りかかれば防御もできずぶっ倒れそうだ。
「大きさを除けば脅威を感じないぞ?」
「人間の男はなんで大きさに拘るんだ?」
「人間だけじゃないだろう? 猿山でも身体がデカいほうが有利だ――だいたい動きも鈍い。これで動きが速いと勝てる気がしないが……足を払って体勢を崩したところで、首を落とそうか?」
「そう簡単に転んでくれないと思う」
クルテがギリギリと弓を引いた。ヤギ男との距離は半分ほどに縮まっている。パン! 放たれた矢がヤギ男の足元の地面に突き刺さる。
《なにするんだよぉ》
ヤギ男の動きが止まる。
《精霊の矢を打ち込むなんて、酷いじゃないか》
「それ以上近付くな!」
クルテの叫び、ピエッチェが頭の中でクルテに話しかける。
(近づくな? 近づくのを待ってるんじゃないのかよ? それに精霊の矢ってなんのことだ?)
いくつも浮かび上がる疑問、
(黙ってろ!)
それを全部ひっくるめて封じるクルテの一言が頭に響く。
「おい、ヤギ男、おまえ、どこから来た?」
クルテが大声でヤギ男に問う。
《ヤギ、ヤギ……そうだ。アイツ、俺をヤギさんって呼んでた》
「アイツ?」
《この村に住んでるんだ。でも、どんなに探しても見つからない》
「それで、代わりの人間を連れて行こうとしているのか?」
《誰も連れてってないよ? 来るはずなのに、いくら待っても来ない。きっと森の精霊が邪魔してる》
「なぜそう思う?」
《あいつを探すのに、余所者が大勢いて邪魔だったから、温泉を止めろって言ったんだ。精霊は嫌がったけど、村人を食うぞと脅したら言うこと聞いた。それを恨んでいるのかな?》
「なんのためにアイツを探している?」
《一緒に暮らしたいんだ。アイツはよく、木こり仕事で山に来てた。歌いながら木を伐るアイツを、俺は眺めるのが好きだった――なのに、アイツは突然山に来なくなった。村を出たんだ。騎士になるために》
「ふむ、それで?」
《人間は村でしか暮らせないのだと思っていたが違ったんだ。だったら山で、俺と一緒に暮らしたっていいじゃないか。アイツは休みには帰ると家族に言って旅立った。でも休みっていつだ?》
「なんで村人に夢を見させた?」
《用事以外で村を出たのは騎士になるって言った五人だけだ》
「なるほど、その気にさせて村を出たところを捕らえる気だったか?」
《来て貰うだけだよ、一緒に暮らしたいだけ。だから女神の森の途中まで来たら、森を抜けて東の山に行きたくなるように夢を見させておいた。なのに誰も東の山に来ない》
「なんで十七になると必ず呼ぶんだ?」
《人間の寿命は短い。出来るだけ若い方がいいに決まってる。でも親離れしていない子どもの面倒なんか看てやれない》
「中年も呼び寄せてるよな?」
《仕方なかったんだ。あんまり可愛いとは思わなかったけど、若いのがいなかったから》
「人間が可愛い?」
《なんだか生きるのに必死。可愛いよね。手元に置いておきたい》
「おまえ、人間が何を食べるか知っているのか?」
《人間はなんでも食べる。黒い物ばかり食べてると腹黒くなる》
「ふむ……ところで教えてやろう。人間は、人間の中でしか生きられないんだ」
《え?》
「村を出たって、街や、別の村で暮らしてる。そこには大勢の人間が住んでいて協力し合ってる。そうじゃなきゃ生きていけないのが人間だ」
《嘘だ!》
「嘘なもんか。森の精霊はおまえのところで死んだりしないように、村人を隠したんだぞ」
《嘘だ、信じない!》
「嘘じゃないって……だから、もう人間を山に連れて行こうなんて思うな」
《いやだ! 山には貧弱な木しか残っていない、だから木こりも来ない。寂しい。寂しい……人間が好きなんだ。一緒に暮らして欲しい。人間が歌っているのを聞きたいんだ!》
「おまえが村人を減らしたから誰も山に行かなくなった。村は空き家だらけだ」
《嘘だ、どこかに隠れてる。探せば見つかる》
「この村には六十過ぎた人間が二十三人、十六歳以下の子どもは十一人。おまえのせいだ」
《嘘だ、嘘に決まってる! そんな意地悪を言うおまえは誰だ!? 騙そうったって騙されないぞ!》
「おやおや、こっちが聞いた時は答えなかったのに、わたしの素性を訊くか?」
《人間じゃないのは判ってる。おまえのせいで、そこの男に触れられない。男を置いておまえは消えろ》
「この男をどうする気さ?」
《夢を見させて東の山に行かせる。一緒に暮らすんだ》
「で、おまえは誰だ? 住処は判った東の山。で、名は? 本性は? 正直に答えたならば、この男、くれてやらないでもない」
「えっ? クルテ、あんまりだ!」
あまりのことに叫ぶピエッチェ、チッとクルテが舌打ちする。
《そうかクルテか》
ヤギ男が笑った。
《東の山の主ゴゼリュスが命じる。クルテよ、その男を置いてこの村から立ち去れ》
魔力の発動、すぐさまクルテが詠唱する。
「精霊の名において、東の山の主ゴゼリュスに命じる! 正体を見せろ!」
《なんだと、精霊? それになぜ俺の魔力が効かない?》
驚くゴゼリュス、だがクルテの魔力には逆らえないようだ。ヤギ男だったものが見る見る毛が生えてヤギの姿に変わっていく。しかもぐんぐん巨大化し四つん這いになった。それなのに高さはピエッチェの三倍、さらにその先に角がある。
「剣を抜いて構えろ! アイツの首を落とすんだ!」
「無茶言うな! アイツの首に届くもんか!」
「だったらこのまま殺されるのか!? あの角に突かれたら命はないぞ?」
大ヤギに変わったゴゼリュス、前足でカッカと土を蹴り、角を突き出したと思うと、突進してきた!
ドドドッ! 突進してくるゴゼリュス、真直ぐピエッチェに向かっている。
「早いっ!」
思わず叫ぶピエッチェ、動きは鈍いんじゃなかったのかよ? 急な変化に対応できていないピエッチェ、つい立ち尽くす。
「馬鹿! 突っ立ってないで避けろ、右に飛べ!」
「うわっ!」
クルテに言われ、ハッと正気に戻ったピエッチェが右に飛ぶ。ギリギリでの回避、服の裾がゴゼリュスの角に少し引っ掛かったか? どこかがビリっと破れる感触があった。
フンッと頭を振り回し、行き過ぎてから止まったゴゼリュス、前足の蹄をカッカと鳴らしながら向きを変え、今度はクルテを狙う。ところがクルテ、自分はピエッチェを叱責したくせにボケッと突っ立ってゴゼリュスを見ているだけだ。
「クルテ!」
ピエッチェが思わず叫び、クルテに駆け寄る。だめだ、間に合わない、ゴゼリュスがクルテに角を突き刺す方が早い!
「クルテ!」
必死でピエッチェがクルテの名を呼ぶ。それなのにやっぱりクルテは動かない。ピエッチェの目の前で、ゴゼリュスの角がクルテに届く。ギュッとピエッチェが目を閉じた。
ゴゼリュスが突進する音が通り過ぎていく。ピエッチェが恐る恐る目を開ける。ゴゼリュスが急ブレーキで止まった。
《どこに消えた!?》
ゴゼリュスのくぐもった声が怒りを帯びて木霊する。
(……アイツ、消えられるんだった)
腰が抜けそうなほどの安堵、が、ピエッチェ、安心している場合じゃない。ゴゼリュスがピエッチェに向けて体勢を立て直している。身体から炎が立ち上るんじゃないかと思うほどの怒りだ。
《一緒に暮らしたいだけなのに! なんで邪魔をする? おまえなんか嫌いだ!》
蹄を鳴らす回数が今までよりも増えた。身構えるピエッチェ、ゴゼリュスがダン! と踏み出し突進してくる!
(左に向かって走れ!)
頭の中にクルテの声、右から迫ってくるゴゼリュスに背中を見せることに戸惑いを感じるものの、向かって行ったところでどうしたらいいか判らない。クルテの指示通り、左に向かって走るピエッチェにクルテの次の指示、
(アイツが潜んでた家の前に置かれた木箱、あれに登れ!)
向かう先を見ると、手前から奥に向かって高さの違う木箱が階段のように置かれている。最上段はゴゼリュスの頭の高さだ。
(あんなもんあったっけ?)
(今あるんだから、疑うな――全力疾走! 追いつかれるぞ!)
確かにすぐ後ろには、迫りくる巨大ヤギの気配がある。駆け抜けて、木箱の手前で踏み切って木箱に飛び乗るピエッチェ、トントンと段を登る。でも、これで追い詰められた! 焦るピエッチェにクルテの指示が飛ぶ。
(登り切ったら振り返って、ヤギに飛び乗れ!)
(えっ!)
そんなことしたら角に突かれるぞ? そう思いながらも、木箱の最上段で振り向くピエッチェ、目の前にゴゼリュスの角、
「うぉっ!」
それを避けるにも飛ぶしかない。
タン! と木箱を蹴り、角を避けて宙に身を躍らせた。前の足が落ちたのはゴゼリュスの額、が、しっかり立てるはずもない。すぐそこにあるゴゼリュスの角を左手で掴んで身体を支えるピエッチェだ。
《ぬぉ!》
当然ゴゼリュス、温和しく角を掴ませたりしないし、ピエッチェを頭に乗せておきはしない。身体を大きく動かしてピエッチェを振り落とそうとする。
落ちそうなピエッチェにクルテが指示を出す。
(首に跨れ! 両方の角を掴んで手綱代わりにするんだ! 落とされるな! 落とされたら蹴り殺されるぞ!)
(右手には剣を持ってるんだぞ?)
(そんな安物の剣、捨てちまえ! 命を捨てるよりマシ!)
そりゃそうなんだけど、なんて思っている暇もない。必死に捕まらなければイヤでも落とされる、クルテに言われなくても両手で角に捕まり、首を跨ぐしかない。
《酷いよ! 俺は馬じゃないんだ! なんてことするんだよぉ!》
吠えながら、ゴゼリュスが前足を振り上げて嘶く。
「馬と同じことしてるじゃん」
クルテの嘲笑が耳に聞こえた。
《そこにいたのか! 俺はヤギだ! 馬じゃない! 馬鹿にすんなぁ!》
蹄を鳴らす余裕もないか、ゴゼリュスがすぐさまクルテに向かって突進する。ゴゼリュスの角をしっかり掴むピエッチェだ。
(向きを変える時、必ず止まる。それまで頑張ってしがみ付いていろ)
(言われなくても!)
(ヤツが次に止まったら角を掴んだまま左手を支えに上に飛び上がれ。いいか、左手を放すんじゃないぞ)
言われた意味を吟味できないまま、必死にゴゼリュスにしがみ付くピエッチェ、突進するゴゼリュスはもうすぐクルテに辿り着く。
《うぉぅッ!》
悔しそうなゴゼリュスの咆哮、クルテはまた姿を消した。
(飛び上がれ!)
動きを止めたゴゼリュスの上で素早く立ち上がったピエッチェ、背中を蹴って飛ぶ。左手は角、どうしても右手を上げる形になる。その右手に何かが触れた!
(右手を握れ! 首を狙って振り下ろせ!)
(えっ?)
気付けば右手に一振りの剣、
(いつの間に!?)
が、迷うことなく討ちこむピエッチェ、
《ぐわぉうっ!》
確かな手ごたえ、左に握るゴゼリュスの角が縮むのを感じる。反射的に放してしまった左手、身体が落ちていく。
急激な落下、右手の剣が柔らかくなり、それが落下速度を緩めたと感じた。どんどん縮んでいくゴゼリュス、剣は形がなくなって、すっぽり掌に納まる柔らかで温かなものに変わっている。緩やかに着地するとすぐ横にクルテの姿が現れた。温かなものはクルテの手だった。
「クルテ……」
ニヤッと笑ったクルテについ見惚れるピエッチェ、が、
「いつまでわたしを見詰めている?」
とクルテに言われ、慌てて目を背けた。
ゴゼリュスは? と見ると、あれほど大きかった巨体は見る影もなく、角はあるものの黒い獣毛の塊と化している。
「なに? ただのヤギ?」
「そうだな、長生きし過ぎたヤギだ。死ねずに今まで生きていたヤギだ」
「死ねない?」
「ん、まぁ、どんな存在も、長く生き過ぎると魔力を持つようになる――そいつはもう死んだ。あとで東の山に埋めに行こう。それより、女神の森に行くぞ」
「女神の森? まだ何かあるのか?」
すたすた歩きだしたクルテについて行くしかないピエッチェ、ゴゼリュスが潜んでいた家の前にあったはずの木箱が消えているのに気付いたが、黙っていた。




