12
坂を上り始めると民家が途絶えた。
「富裕層と庶民をはっきり線引きしたいって事か」
ピエッチェが苦い顔をする。雑草だらけだった道の両脇がだんだんと整備された林へと変わっていき、お屋敷が見えるあたりになるとまるで公園、遊歩道が敷設されていないのが不思議なくらいだ。
「庭なのかと思ったけど、違うみたい……それにしても高いフェンスだね」
クルテがキョロキョロと周囲を見渡した。
見え始めた屋敷はどれも鉄製の門扉とフェンスで囲まれている。高さはピエッチェの三倍はあるだろうか。内側には目隠しの植栽があるが、隙間から腕を伸ばしても届きそうもない。
「侵入避けだろうな。警備に人を割くより効率がいいんだろう」
「フェンスを上って入ろうとするヤツがいるかもしれないよ?」
「よく見ろ、門扉もフェンスも上部は刃物、上れても越えられない」
「ホントだ。盗人が怪我しようが死んじゃおうが構わないってことだね」
クルテが顔を顰めた。やり過ぎだと思ったのだ。
「ほとんどが別荘だっけ? 不在時には召使も居ないんじゃない? 門扉やフェンスを破るって手もあるよ。音が出るし、時間もかかりそうだけど」
「このあたりは警備兵が頻繁に巡回するようにしてるんじゃないかな?」
「その目を潜るのは至難の業? よっぽどしょっちゅう巡回に来るんだね。お金持ちは優遇されるってことか」
「金持ちに雇われてる者もいる。富裕層優遇の恩恵は最終的に庶民にまで及ぶ」
「なるほどね――ここで柵のない平屋って目立つだろうね」
それにしても、いきなりごく普通の口調のクルテ、どこか不気味さを感じるピエッチェだ。どんな表情で喋ってるんだと見たくなるが、互いに前を向いての二人乗り、クルテが振り向かない限り、ピエッチェがクルテの顔を見るのは無理だ。
俺が慣れればいいだけか? 取り敢えず、この口調ならどこに行っても奇妙がられることはないだろう。貴族と言うより庶民に近いが今はそれでいい。それにどうも、クルテは考えがあって口調を選んでいるような気がする。
「あ……ここだね」
すぐそこに、クルテの肩くらいの高さの灌木で囲まれた家があった。灌木より一段低い高さの木戸もある。木戸の向こうは建物の玄関扉まで煉瓦敷きになっていた。そして建物は平屋、板張りの外壁は少し暗めの白で塗装されている。宿の主人アルが言っていた通りの家だ。しかも木戸に【レムシャン・グレーテ】と書かれた札が掛かっているのだから間違いない。
「ギュームの名前はないね」
クルテがポツリと言った。
ふむ、と唸ったピエッチェがリュネから降りて
「ごめんください」
と声を張り上げた。すると玄関の方ではなく、建物の右手、影に隠れたあたりから出てきた人影があった。
「おや、あなたがたは……」
「ギュームさん!」
出てきたのはギュームだ。ピエッチェより先に下馬していたクルテがギュームを見ると、嬉しそうに名を呼んだ。
二人を見るギュームは満面の笑みだ。
「先だっては随分とお世話になりました。お陰様で、こうして息子夫婦と一緒に暮らせることになりました――どうぞお入りください。お茶を差し上げましょう。オレンジの砂糖漬けがあるんです。お茶請けにしてもいいし、お茶に入れてもいい」
穏やかに話すギュームに嘘はなさそうだ。再会を喜んでいるようにしか見えない。だとしたら、会うのを拒んでいるのはレムシャンか、グレーテか? それともグレーテの親族が快く思っていないのか?
リュネを見ると『いい馬ですねぇ』と、きっとこれはお世辞だ。敷地の中に入れて、手綱は木戸に括り付けるといいとギュームが言う。言われたとおりにしている間もギュームは笑顔だが、早く話がしたそうにソワソワしている。
「いやぁ、あなたたちに聞いて欲しい話が山ほどあるんですよ」
楽しそうなギューム、ギュリューに来てからいいこと続きなのかもしれない。そりゃあそうか。一人息子が結婚し、孫も生まれるともなれば、幸せを噛み締めていることだろう。
でなければ、話し相手に不自由していたか? 息子は仕事で忙しく嫁は悪阻で加減が悪いとなれば、無駄話に付き合わせてはと遠慮もする。日がな一日、一人でボーっと過ごしている可能性だってある。ギュームなら絵の道具があれば退屈しなさそうだが、それでも黙り続けでは辟易しそうだ。
「お義父さん、どうかしましたか?」
不意に玄関扉が開いて、中から若い女が顔をのぞかせた。グレーテだ。他人の気配に、義父を心配して見にきたのだろう。
「グレーテ、お客さんだ。ピエッチェさんとクルテさんだよ。おまえも会ったことがあるって言ってたよね?」
「ま……っ!?」
ピエッチェとクルテを見て、サーーッとグレーテが蒼褪める。
「どうしてここが?」
小さな声で呟くと身体をフラっと蹌踉かせた。眩暈の発作か?
「危ない!」
一番近くにいたクルテが咄嗟に動き、グレーテを支える。
「大丈夫ですか? お加減が悪いなら、今日はお暇しますよ?」
「なんの、グレーテは奥で横になるといい。お二人のお相手はわたしが……それとも爺さんでは不足かな?」
グレーテを気にしながらも変わらず上機嫌のギューム、せっかくの獲物を逃す気はなさそうだ。だがグレーテは
「帰ってください」
と、クルテの腕を振り解く。絞り出すようなか弱い声だ。
「お願いです、帰って……」
「グレーテ?」
さすがのギュームも顔色を変えグレーテを覗き込む。グレーテを穏やかな目で見るクルテ、支えていたグレーテをそっとギュームの腕に渡す。
「帰ります……ご心配なく、もう立ち寄ったりしませんから」
クルテの言葉は寂しげだが、怒りや皮肉の匂いはない。
「でも、クルテ――」
「いいから、リュネを外に出して」
言い募ろうとするピエッチェを押しやってから、クルテが振り返る。
「型焼きケーキをお持ちしたんですが受け取っていただけますか?」
首を振るだけのグレーテ、ギュームはグレーテとクルテを見比べて困っている。
「……押しかけるような真似をして申し訳ありませんでした。お許しください」
ケーキの箱を持ったまま、クルテが木戸から外に出る。道端で、ピエッチェがリュネと一緒にクルテを待っていた――
暫く二人とも黙ったまま、来た道を引き返した。木戸から出て来たクルテがあまりにも寂しげだったのが気になったピエッチェだが、クルテが何にショックを受けたのかが判らない。単純に考えれば追い返されたことだろうが、何しろクルテは相手の心が読める。追い返された理由にショックを受けたのだとピエッチェは感じていた。
いつもより小さく感じるクルテの身体、背中を温めてあげたほうがいいような気がして、リュネの背中でクルテを引き寄せて懐に包んだ。
先に言葉を発したのはピエッチェだ。手土産を買った菓子店の前で、
「土産が無駄になったな」
と言ってしまった。フン! とクルテが鼻を鳴らす。
「無駄になんかしない。ケーキは全部で二十切れ、一人五切れずつだ」
「自分たちで食うってか?」
思わずピエッチェが失笑する。
「おまえ、最初からそのつもりだった?」
「まさか。真剣に選んだのに残念だな――こんな事なら八切ずつにしとけばよかった。公平に分けられたよね。ねぇ、フルーツ入りとチーズ、どっちが食べたい?」
「おまえはどっちが食べたいんだ?」
「同じのがいい」
想像通りの答えがなんとなく嬉しくて、密かに笑んだピエッチェだ。
「それじゃあ俺は、おまえが食べたいほうにする」
進行方向を二人して見ているからピエッチェにはクルテの顔が見えない。でも、ニヤッと笑ったような気がした。
「それじゃあね、フルーツ。わたしたちはフルーツが三切とチーズが二切れ。マデルとカッチーはフルーツ二切れとチーズが三切。これで全部終り」
「それじゃ、アルにティーセットを貰ってから部屋に戻ろう。それともマデルたちを待つか?」
「お茶はすぐ欲しいけど、お菓子はみんな一緒がいい――四人揃ったらギュームとグレーテの話をする。マデルたちがまだなら、少し二人で話しておく?」
「どっちでもいいよ。どうせ四人で話してても、頭の中であれこれ言うんだろ?」
今度は『へへっ』と笑い声が聞こえた。
「オレンジの砂糖漬け、食べたかったなぁ……どこかで売ってない?」
「どうだろうね? 明日探してやる。今日はケーキとリンゴで我慢しろ」
「それじゃ、明日はイチゴとブドウも買って」
「ブドウは飽きたんじゃなかった?」
「最近、食べてないよ?」
最近って、たった数日だ。
「イチゴはマデルのためか? マデルだっていつもイチゴじゃつまらないんじゃないか? イチゴとブドウと決めないで、店で品物を見てから決めるといい」
「判った。そうする。どんな果物があるか楽しみ」
他愛ない話をしているうちに宿に到着する。厩でリュネの水桶と飼葉桶を確認してから受付に行って、ティーセットを頼んだ。受付に居たのはアルではなく女房のほうだった。
「無駄話で迷惑かけていませんか?」
ポットやカップを揃えながら、女房が済まなさそうな顔をする。
「人当たりが良くて楽しい人ですね」
クルテがニッコリ微笑むと
「もう、社交辞令がお上手なんだから」
と房が笑った。
「まあね、人当たりの良さを見込んで婿になって貰ったんですよ。そのあたりに間違いはなかったんだけど、なにしろお喋り好きでねぇ。時間を浪費するのは困りもんなんです」
口では悪く言っているもののアルに惚れていると、鈍感なピエッチェでさえ判る笑顔で女房が言った。
マデルたちが戻ってきたのは思ったよりも早い時刻、お茶のお替りを欲しがるクルテにピエッチェが『たまには自分で淹れたらどうだ?』と苦笑いしている時だった。淹れたことがないから無理だというクルテに、驚いたマデルが懇切丁寧に茶葉や湯の量の解説を始めた。
「ダメ、待ちきれない――カッチー、お茶淹れて」
「クルテったら!」
呆れるマデル、カッチーは『はいはい』とティーセットに手を伸ばして笑った。
「ピエッチェと会うまで、お茶も飲んだことないなんて言わないわよね?」
「そんなこと言わない。でも自分で淹れたことはない――森の中ではお茶なんか飲まない」
「まぁ、そりゃあそうでしょうけど」
「お菓子屋で、カスタードプディングをこないだ初めて食べたって言ったら同情されちゃった」
「お菓子屋さんに行ったんだ?」
「ギュームにお土産を持って行こうと思って……」
お茶が入ったティーカップをクルテの前に置いたカッチーの動きが止まる。が、訊いたのはマデルだ。
「ギュームには会えたの?」
「会えたには会えたけど、追い返された――受け取って貰えなかったお土産、持って帰って来たんで四人で食べよう」
やっぱり追い返されちゃったのね……マデルがカッチーと顔を見交わした。




