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玄関に行くとババロフがいて、ピエッチェたちを見咎めた。
「こんな夜中にどうしたんだ?」
声が怒りを含んでいる。どうやら、外には誰も出したくないらしい。
「散歩に見えるかな?」
クルテが手にした弓をババロフに見せる。背には矢筒を背負い、ピエッチェは剣を腰に下げている。およそ散歩には似つかわしくない。
「夜は出ちゃなんねぇ。魔物が来てる」
「あれ? この村に辿り着いた時、たまに獣は来るけど魔物は来ないって言ってたよね? どうしちゃったのかな?」
「いや、それは……」
「言い訳はどうでもいいよ。そこを退いて――僕たちは魔物を退治しに行く」
するとババロフがさらに怒った。
「本当に退治できるのか? なにが理由か判らないが、あんたらはここに二十日以上もいてあの魔物に見付かってない。きっとこのまま見つからずに済むだろう……どうせなら魔物退治なんか考えず、この村に住んで子どもらを守ってくれ」
「僕たちはこの村に住む気はないし、あの魔物がいる限り、子どもたちは騎士病に罹る。魔物を退治しなきゃ、なんにも解決しない。判っているんだろう?」
「あ、あの魔物は言ったんだ。誰も殺さないから自由に村を探索させろ、って――誰も殺さないって言ったんだ。きっと騎士病に罹ったヤツらもどこかで生きてる。だけどな、抵抗すれば皆殺しにするって言われた。あんたらが失敗したら、みんな殺されちまう」
「心配ないよ、失敗しないから。英雄ピエッチェがなんのためにこの村に来たと思ってるんだい?」
「えっ?」
えっ? と思ったのはババロフだけじゃない。ピエッチェも心の中で、何を言う気だ、とビクビクしている。
「ここの現状を噂に聞いた。きっと魔物の仕業だ、そう思ってわざわざ退治するためこの村に来た――魔物退治だなんて言ったら調査の妨げになりそうだったから、小舟が流されたなんて作り話をしたんだ。騙すようなことを言ってすまなかった」
ウソつけ! とピエッチェ、心で思うだけにしている。
「本当なのか?」
ババロフは、信じていいか迷っている。
「本当さ――あの魔物を退治すれば、いなくなった村人も帰ってくる。いなくなった人たちは、村の近くで眠らされている。アイツを消しちまえば目覚めて帰ってくる」
「生きている? 本当に? 村の近くって?」
「それがどこなのかは行方不明者が帰ってくれば判ることだ……あの魔物、誰も殺さないって言ったんだろう? その約束は破られていない」
「た……確かに殺さないって言っていた。でも、でもそれはアイツに構わなければってことだ。もし、もし失敗してたらそん時は?」
「大丈夫だよ、必ず退治する。豊かな村を取り返したいんだよね? ピエッチェを信じて、ババロフさん」
ババロフがじっとクルテを見、ピエッチェを見る。そして、止めても無駄だと諦めたのか溜息を吐き、場を開けた。
「お願いだ。どうか、俺の息子と孫を助けてくれ――クルテを信じるなら、息子も孫も生きているんだろう? だったら、イチかバチかの勝負もしよう。俺にできることはあるか?」
「誰も表に出ないように、ここにいて。何があっても出てきちゃいけない。それがみんなを守ることになる」
クルテのいつもよりずっと落ち着いた諭すような声音に、ババロフが頷いた。
その頃にはババロフとクルテの声を聞きつけた数人が集まっていて、ババロフと一緒になって『お願いします』と頭を下げた。ここに住む村人たちは、家族の誰かを騎士病に取られた者ばかりだ。
「いいね、みんな。建物から出ちゃいけないよ」
奥の部屋から子どもたちが出てくるのを見たクルテが、『早く行こう』とピエッチェに頷いた。
ランタンを手にピエッチェがクルテに続いて外に出る。
「あんなこと言っちゃって良かったのか?」
「怖じ気づくな、ピエッチェ。わたしが必ず勝たせてやる」
「いや、怖じ気ついてるわけじゃない――それにしても、よくもいけしゃあしゃあと魔物退治のためにこの村に来たなんて、嘘が言えるよな。感心するよ」
「お褒めの言葉、ありがとう……だがあいにく嘘じゃない」
「褒めてもないし、嘘なのは間違いないじゃないか」
暗い村の中をどんどん歩いていくクルテ、牛の姿はまだ見えない。頼りないランタンの光の中で、ピエッチェは前方に目を凝らしている。これから退治する魔物って、どんな姿をしているんだろう?
ピエッチェの言葉にクルテがクスッと笑う。
「退治に来たのは嘘じゃない――この村を大昔から知っている」
「えっ?」
「東の山で温泉を掘らせた精霊とは知り合いだ。世話になった」
「なんだって? だっておまえ、あの森で具合が悪くなってなかったか?」
「森の精霊が苦手ってのは本当だ。あの精霊、いつも説教してきやがる。わたしを森から追い出したのもアイツだ」
「森から追い出された?」
「……あの森で生まれたんだ。で、追い出された」
「ちょっと待てよ、おまえ!?」
「今、森の精霊はこれから退治する魔物に手を焼いている。村人の命を盾にされて言いなりになるしかない――魔物を退治しろ、ピエッチェ。魔物を退治して、森の精霊と村人を助けるんだ」
言いたいことが終わると、幾らピエッチェが抗議しようと質問しようとクルテはすたすた歩くだけで何も答えない。諦めてピエッチェも黙った。
大きな宿屋……と言っても今はお客どころか住む人もない、の角を曲がったところでクルテが立ち止まる。ピエッチェがクルテの前に出てランタンを高く掲げ、前方を透かし見る。闇の中で蠢いている、あれはなんだ?
「牛さんだよ」
ポツリとクルテが言った。
ムッとしたピエッチェだが、ランタンの光に気付いたのか、牛たちがドドドッと地響きを立ててこちらに突進してくれば、やっぱりクルテを庇ってしまう。
「大丈夫、牛さんたちは自分の小屋に帰ってく。素通りしていくから気にしなくていい。それよりヤツはあの家の中……でも出てくる。牛さんの動きでいつもと違うと気づいている――行くよ、油断するな」
ふっとクルテが見えなくなった。すると牛たちがいたあたりに何かが現れた。月明かりでぼんやりとしか見えないが、魔物がいると言った家に向かって弓を構えているようだ。きっとクルテだ、ピエッチェが走り出す。
(ランタンを捨てろ)
頭の中に響くクルテの声、言われたとおりにランタンを放り出し、クルテのもとへ! 息せき切ってピエッチェがクルテの隣に到着した時、家の扉がギギギッと音を立てて開いた――
大きく開け放たれた扉、が、何も出て来ない。中は真っ暗でどうなっているのかよく見えない。クルテは弓を構えたまま微動だにしない。
焦れたピエッチェが、
「中に踏み込むか?」
と小さな声で言う。
(待て)
頭の中にクルテの声、俺は犬かよ? 次は〝臥せ〟とでも言われそうだ。いや、ここは〝よし〟か? ピエッチェがムカつく。
(今、家の中はヤツの領域だ。こっちが圧倒的不利……だから痺れを切らしてヤツが出てくるまで待つんだ)
(いつになったら痺れを切らす?)
(知るか! いいか、ヤツは必ず出てくる。しっかり監視して、少しの変化も見逃すな。だが、わたしの指示があるまで斬り付けるなよ)
(チェッ! 俺はおまえの駒か? だいたい、なんで必ず出てくると言い切れるんだよ?)
(アイツは夜の魔物だ。陽光に弱い。中でも朝陽にな。浴びれば消滅する)
(だったら、日の出まで――)
(そこまで馬鹿だと思うか? わざわざ自分が消滅するのを、何もしないで待ってるもんか! おまえ、魔物を馬鹿にしてるだろう? なんにも考えていないと思うな)
(おまえと一緒にいて、魔物は何も考えていないだなんて思えると?)
(それから、見た目に騙されるなよ)
(うぉ、話を逸らされた――見た目?)
(ん? 部屋に照明が入った)
扉の中が急にパッと明るくなった。テーブルや椅子、奥には暖炉があるのが見える。
(ふん、やっぱり魔物は馬鹿だ。部屋を明るくすれば、不審がってわたしたちが入ってくると思ってる――この魔物は姿を変えられるし、人の心が読める。意識に入り込んで語りかけることもできる)
(なんだ、おまえと同じじゃないか)
(一緒にされるのは遺憾だ。だいたいわたしはあそこまで小者じゃない――で、ヤツには生身の身体がある。だから物理攻撃が有効だ)
(物理攻撃ねぇ……って、俺たちの心をヤツは読んでる?)
(そんなこと、わたしがさせると? 魔力で防いでいる。だからヤツはおまえの心が読めない。わたしを読むのはできないってことはもう言ったよな?――で、ヤツは心に入り込める能力を生かして、狙った獲物に夢を見させる)
(夢?)
(騎士になる夢だ――騎士に成りたいと思わせ、成れると信じ込ませ、なんとしてでも村を出て行くと、決意させる)
(騎士病は夢が原因?)
(単純に言えばな)
(でも、そんな事をしてあの魔物になんの得があるんだ?)
(おっ! 中に誘き寄せるのは諦めたかな? 出てきそうだぞ)
家の照明がだんだんと暗くなり、ぼんやり見えてはいるものの、テーブルや椅子の輪郭が覚束なくなっていく。家具は魔物が見せる幻だったのか、それとも魔物本体だったのか? 曖昧になった輪郭がグニャグニャと混じりあい、人影に変わっていく。
「ジャノ!?」
思わず叫ぶピエッチェ、人影はあの十五歳の少女だ。フン、とクルテが鼻で笑う。
「ピエッチェ、ジャノはみんなと一緒にいる。惑わされるなと言っただろうが」
「あ……」
そうだ、ジャノのはずがない、今、この目で見たじゃないか。家具があの姿に変わっていくところを。
ジャノの姿に化けたものの、魔物はまだ家から出て来ない。中からピエッチェやクルテに向かってニコニコと笑っている。そして手招きした。
「正体は判っている。観念して出て来い!」
魔物のジャノにクルテが叫んだ。するとジャノの輪郭が崩れ、今度はカッチーに化けた。
「俺に剣を教えてくれたお礼がしたいんだ。こっちに来てよ」
声もカッチーのものだ。
(返事するな!)
頭の中に響くクルテの怒鳴り声、思わずピエッチェが顔を顰める。
「ねぇ、プラムがあるよ、サルナシもキャンデーもある。薪も枯草もある。そうだ、本もあるし、酒瓶も二本ある。みんなで食べようよ」
(なに言ってんだ、アイツ?)
ピエッチェが心の中で呆れると、すぐさまクルテが
(人間が何を食べるか理解してないんだ)
と答えた。
(アイツは本体を隠してわたしたちを観察していた。酒瓶と本はわたしが村人に与えたのを見ていた。他は山で集めたものだ。それを食べ物と勘違いしている)
(アイツは何を食ってるんだ? まさか人間?)
(人間を殺したところを見たことはないと森の精霊が言っていた。アイツは人間をペットにしたいらしい。それで騎士病にして、村の外に出たところを拘束するつもりだった。アイツは自ら来た人間しか幽閉できない)
(ペット? って、いつの間に精霊と話をしたんだ?)
(おまえと森に行った時に決まってるだろ? 精霊は侵入者にすぐ気付く。ま、話を聞くために行ったんだ。訊きたい話は全部聞けたから、さっさと森を出た。あれこれ余計なことも言ってきたから半端なく疲弊したがな)
(それであれきり森には行かなかったのか……しかし、人間をペットにしてどうするつもりだ?)
(人間は犬さんや猫さんをペットにするとどうしてる?)
(へっ? 可愛がってる?)
(アイツも一緒だよ。でも、人間の食べ物を理解していない。だから森の精霊がアイツに捕まる前に騎士病に罹った村人を匿った)
(なんだか、わけのわからない話になってきたぞ?)
(ヤツが、今度こそ出てくる! 話はあとで!)
カッチーの姿が崩れ始めた。崩れたまま、前に出てくる。
《ねぇ、どうして来てくれないの? 可愛がってあげるよ》
魔物の声はヘンにくぐもっていて聞き取りづらい。無理やり出しているようだ。
カッチーの面影は最早ない。溶け始めた綿菓子みたいだ。しかも濃い灰色だ。扉よりはみ出した部分から輪郭が整っていく。大きな頭は逆三角形、捻じれた二本の角は先端が鋭い。いかり肩の身体は大きく、長い腕、胴体もやや逆三角、細い腰に支えられている。足の付け根はがっしり、蟹股で、膝が大きく外を向いている。
「ヤギ?」
「ヤギに見えるか? 獣毛がないし、二本の足で立っている」
「オス?」
「付いてるところを見ると、おそらくオスだな」
「……でかいな」
「戦う前に負けた気になるなっ!」
「お、おう!」
魔物の歩みは遅い。それでも少しずつ近づいてくる。
《ねぇ、一緒に行こうよ。大事にするよ》
「おい、クルテ? こっちはいつになったら動くんだ?」
「確実に仕留められる近さになるまで動くな」
魔物とピエッチェたちとの間には、大人の男が両手をあげて、横に十人並んだくらいの距離があった。




