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まともにクルテを見られなくて目を逸らした。クルテはどんな顔で俺を見ているだろう?
怒っている? 呆れている? 嘲笑っている? いつものように不思議そうな顔で首を傾げているのか? どれも見たくない。特に……泣き顔は見たくない。泣かせたくなんかない。なのになんで俺は、こんなことを言ってしまうんだろう?
「そうだね、矛盾してる」
静かなクルテの声がピエッチェの後悔の邪魔をする。コイツ、また俺を読んだ……
後悔しているのに、さらに後悔するだけだと判っているのに、残酷な言葉をクルテに向ける。
「あぁ、人間なんて矛盾した生物さ。魔物には判らないだろうけどな」
「そうかもしれない。でも、判っていることもある。カテロヘブを苦しめているのはわたしだ」
「それは――それは違う」
違くない、その通りだ。でもなんでだ? 認めたくない。
「判っているだろう? 心が読めるわたしに嘘を吐いても無駄だって――おまえはさっきから、相反する思いを同時に感じて苦しんでいる。その原因はわたしだ」
「お、思いあがるな。なんでおまえなんかに、魔物なんかに? 俺が振り回されなきゃならない?」
「振り回す? そうか、わたしはおまえを振り回しているのか……うん、混乱させているってことだな」
すとんと腑に落ちたといった感のクルテに、思わずピエッチェがクルテを見る。クルテはやっぱりピエッチェを見ていた。納得したような物言いだったのに、その顔は困惑そのものだ。
「その混乱はわたしのせいだ。魔法による制約が解けない限り、わたしはこれからもおまえを混乱させ続けるだろう。言いたくても言えない言葉、それがなければこんなにおまえを苦しめないのに――魔物が何を言うかとおまえは思うかもしれないが、わたしの願いはカテロヘブの幸福。それだけは疑わないで欲しい」
俺の幸福? 俺にとって幸福とはなんだろう? そしてクルテの幸福とは? それに……俺は今まで一度でもクルテの幸せを願ったことがあったか?
大抵のことはクルテの意思に従って行動してきた。コゲゼリテでヤギの魔物と対峙した時も、デレドケで不思議な空間に閉じ込められた時も、カッチーやマデルと同行することだって、全部クルテが決めたことだ。だけどそれは、従うというよりも俺自身が考えることを放棄しただけじゃないのか?
「違うよ」
クルテが言った。
「わたしと二人きりでは気まずい。カテロヘブがそう感じていたから同行者が必要だった。魔物退治とかは、カテロヘブがどうにかしたいって思ったから、わたしは実行方法を提示しただけ」
クルテの行動はすべて俺のため? 俺はクルテのために何かしたか? クルテが願えば俺にできることはしてきたけれど、それってクルテのためだったか?
一緒に眠れば魘されずに済むと言われて嬉しかった。身分なんか関係なくても誰かの役に立てる、そんな些細な自尊心、自分を満足させるためだ。
果物を目の前にしたときのクルテの嬉しそうな顔が見たかった。花をマデルに頼んだのだってそうだ。クルテのためじゃない。クルテを喜ばせて、自分が喜ぶためだ。
「わたしだって同じだ。カテロヘブが喜べば嬉しい」
少しだけクルテが笑んだ。そうだ、その顔だ。それが見たくて俺は……
俺の願い。俺の幸福。それってこれか? 一生クルテのそばに居て、その笑顔を見続けていたい。だからなんとしてでもクルテを人間にしたくて、でもそれが巧く行かなくて苛立っている。
――俺は愚かだ。目の前のものを欲しがって、それを手に入れる難しさに苛立っている。自分が不甲斐なくてイラついているのにそれを認めたくなくて、原因を他に求めた。クルテのせいでイライラすると思いたがった。そんなんで、クルテが微笑んでくれるはずないじゃないか。
クルテが不思議そうな顔をする。
「カテロヘブが望むのなら、わたしはいつだって微笑む。怒りもするし、泣きもする。でも、なんだか『そうじゃない』って言われそうな気がする。なぜだろう?」
だって、俺が欲しいのはそんなんじゃない。おまえの感情が動かしたおまえだ。
「なぁ……」
ピエッチェが立ち上がる。クルテは首を傾げて、そんなピエッチェを見ている。
「おまえ、なんでそんなに強いんだ? 俺の言葉はおまえを傷つけただろうに、なんで俺を詰らないでいられる?」
ピエッチェに向かってクルテが腕を伸ばす。
「カテロヘブを信じてるから――不確かで信用できないのはこれから起こることで、カテロヘブのことじゃない」
ゆっくりと近づくピエッチェを見詰めている。
「判ってる。判ってるのに、俺はおまえに八つ当たりしたんだ」
クルテの前に立ち、自分に差し出されたクルテの手を握る。
俺を許してくれるか? 聞くまでもないか……おまえは俺の全てを受け入れてくれる。おまえは何があって俺から離れはしない。無意識がそれを知っていて、クルテに甘えた。
手の中にすっぽり収まってしまうほどおまえの手は小さい。力を込めれば折れそうな細い指……こうして握るだけで心が温かくなり、俺を落ち着かせてくれるおまえの手。この手を生涯放さずにいれば、幸せを築いていける……そう感じてならない。
「クルテ……」
手を握ったままピエッチェがクルテの隣に腰を下ろす。
「俺が王位を取り返したら、人の姿ではいられなくなるって言ったよな?」
自分を見詰めるピエッチェを見詰めてクルテが言った。
「それはできない」
「どうして?」
「正当な王が王位を取り返す手助けをするため、わたしは人の姿になることを許された。カテロヘブが王位を諦めたら、瞬時に人の姿ではいられなくなる」
今のままの状態で生涯を過ごすことはできないのか? もしそれができるなら、魔物のままでもいい――そんなピエッチェの心を読んだクルテの答えだった。なるほど。目的を果たしたら、つまり王位を取り戻したら、人の姿ではいられなくなると言う事か……
クルテを人間にするのを諦めれば苛立つこともなくなるなんて、単純なことじゃないのは判った。そう思ってピエッチェがフッと笑った。
「どんなにイライラしても、それをおまえにぶつけなきゃいいだけのことだな」
するとクルテが不思議そうな顔をした。
「わたしはカテロヘブのための存在なんだから『大切にしたい』なんて考えなくていい」
真顔で訴えるクルテの肩をピエッチェが抱き寄せた。
「一生そばに居て欲しい――おまえは俺の幸福を願ってくれているんだろう? おまえを大切にすることは俺の幸福に繋がる」
クルテが溜息をつくのを感じた。魔物には判らない心理なのかもしれない。だがクルテは
「判った。思うとおりにするといい」
と言った。
「相手の思惑や自分の行動が周囲に与える影響、それをカテロヘブはいつも考え過ぎる。そんな事は考えなくっていいんだ。自分がどうしたいのか、何を望んでいるのか? それだけを考えろ――カテロヘブには無理でも、ピエッチェにならできるはずだ」
抱き寄せていた腕を緩め、ピエッチェがクルテの顔をマジマジと見た。
ピエッチェにならできる……物心つく頃には身分や立場を弁えた言動を課せられて、常にそれに応えてきた。そこから離れ、騎士崩れのピエッチェになった今は縛られずにいられる。でもそれは今だけだ。ネネシリスから王権を取り返せば、義務も元に戻る。
再びピエッチェがクルテを抱き寄せた。
「うん。思うとおりに生きてみる」
自分を見つめ直せと言われたのだと思った。決められた枠に収まることだけ考えてきたが、そこからはみ出す自分も存在していると自覚しろ――今を逃せばこんなチャンスはもう来ないかもしれない。それにクルテがいる。身分なんか気にしないで傍に居てくれるクルテがいる。
クルテがクスッと笑った気がした。
「なに笑ってるんだ?」
つられて笑いながらピエッチェが問う。
「カテロヘブ、また頭で考えてる」
クスクス笑いを隠しもしないでクルテが答える。
「うーーん……考えないってのも難しくないか?」
「カテロヘブは難しく考え過ぎ。物事はもっと単純」
「あれ?」
再びピエッチェがクルテの顔を覗き込む。
「おまえ、話し方がさっきと違うぞ?」
「話し方?」
「さっきまでは出会った頃と同じような話し方だった。なのにまた、なんて言うんだろう、語尾が消えてるって言うか、プツンとしてるって言うか」
「あぁ……」
ニヤリとクルテが笑う。
「マデルが、あまり賢いと嫌われるって言ったから」
「なんだ、それ?」
「そのほうが安心するらしい。どこかに少し欠点がないと息がつまるって」
「それは……マデルの好みかも?」
「そうなのかな? まぁ、どうでもいいや」
「どうでもいいなら、普通に話せ」
「そのほうがカテロヘブは安心する?」
「安心って言うか、ヘンな話し方はやめろ――まさか、食べ物へのこだわりもマデルに何か言われたからか?」
「うん? あぁ、いちいち料理に何が使われているかを見極めたり? あれは物珍しくって見てるだけ。でも、カテロヘブ、イヤなんだね」
「おまえ、魔物になる前は何を食べてたんだよ?」
「なんだったっけ? それより眠いよ」
「おまえ、都合が悪くなると眠くなるよな?」
苦笑するピエッチェ、それでもベッドに入りやすいよう掛け布団を除け、
「まぁ、いいや。それより話し方と食べる時の癖を直して欲しい」
クルテがベッドに入るのを手助けする。
「うん、判った」
続いて横になるピエッチェにクルテがまとわりつく。
「努力します!」
「おい、カッチーの真似か!?」
笑うピエッチェの腕を枕に、クルテが身体を寄せてくる。
「ねぇ、カテロヘブ。思うとおり、好きなようにしていいんだよ」
「うん?」
自分とクルテを掛け布団でくるみながらピエッチェが答えた。
「そうだな、これからはそうする」
ひょっとしたらクルテは別の意味を持たせたんじゃないのか? 微かに浮かんだそんな疑念を消して、ピエッチェは目を閉じた――
クルテが『停まれ』とピエッチェの頭の中で言ったのは菓子店の前だった。リュネに二人で乗ってきた。
「いい匂い……」
そろそろ昼も近いが、腹が減るには少しばかり早い時刻だ。
「菓子が欲しいなら、帰りにまた寄ろう」
ピエッチェが言うと、クルテが唇を尖らせた。
「わたしが食べたいんじゃない。お土産に持ってく」
「あ……」
歓待されそうもない訪問先に、手土産を持参するのは常とう手段、思いつけなかった自分の不明に呆れてしまう。が、リュネをどうしよう? 店先にリュネを放置しては置けない。
「大丈夫、街路樹に手綱を繋いでおけばいい」
「馬は貴重品だ。盗まれたらどうする?」
ましてリュネはもう、老いぼれのボロ馬じゃなくなっている。
「リュネは他人についていかない。盗人なんか蹴り飛ばす」
クルテは笑うがピエッチェとしては心配だ。かと言って、クルテを一人で菓子店に行かせるのも心配だ。




