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騒がしさにピエッチェが目を覚ました。隣の寝台に横たわるクルテを『精神体じゃなくて、生身の時は眠るんだったっけ?』と記憶をたどりながら揺り超す。騒がしいのはどうやら外だ。何かあったんだろうか?
「判ってる、眠っちゃいないよ。でも身体が痛くて……修復するかな」
クルテが言い終わらないうちに、寝具の膨らみが無くなった。
「おはよう、よく眠れた?」
すぐに背後からクルテの声が聞こえ、ピエッチェが振り返る。クルテは窓辺に立って外を見ていた。日差しの様子からすると、そろそろ朝食の時間だ。
「おまえが人間じゃないって、実感した」
しみじみと言うピエッチェにクルテがクスッと笑う。
「今頃?……あぁあ、牛さんたち、牛小屋に帰りたくないみたいだね」
「牛?」
窓辺に並んで外を見ると、男たちが何人かで牛を追っている。どうやら脱走されたらしい。
「手伝いに行くよ。ついてきて、ピエッチェ」
どうせクルテの仕業だと思いながら、黙ってついて行くピエッチェだ。
男たちから逃げ回っていた牛が、クルテを見るなり三頭揃って突進してくる。
「危ない!」
思わずクルテを庇おうとしてしまうピエッチェ、クルテの前に出て身構える。そんなピエッチェの寸前でピタリと止まる三頭の牛、見ていた男たちが息を飲み、次には絶賛の声に変わる。
「すげぇな、ピエッチェ。眼光だけで牛を止めちまった!」
クルテが牛に命じたのは明白、だがそれを言うわけにはいかないピエッチェの頭の中に
(小屋に行くよう、牛さんに言って)
とクルテの声が響く。
ちっくしょう! 秘密を握られて脅されているわけでもないのに、俺は秘魔の言いなりか!? 悔しいピエッチェ、だけどクルテに従ってしまう。
「ほぉ~ら。小屋に入るんだ、おまえたち」
一番近くの牛の首を軽く叩いてみる。
するとその牛を先頭に、三頭は連なって温和しく小屋に向かっていく。最後尾の牛の、後ろ脚の付け根を擦れ違いざまにクルテが撫でると『うんもぅ~』と牛が嬉しそうに鳴いた。なんだか卑猥だ、そう感じたピエッチェ、慌てて首を振って妄想を消した――
食堂に入ると挙って窓から観戦していたようで、ピエッチェは歓声を持って迎えられた。〝眼光で暴れ牛を止めた男〟は、毎日が何の変哲もなく過ぎていく村ではもはや英雄だ。中でもカッチーが目をキラキラさせてピエッチェを見詰めている。それに気づいたピエッチェ、泣きたいほどに後ろめたい。
「ピエッチェはね、若い割には経験豊富。ここに来るまで、何体も魔物を倒しているんだよ」
耳に飛び込むクルテの声、
「牛なんか、一睨みで言うこと聞かせられちゃう。僕もピエッチェに助けられて、今まで旅を続けて来られたんだ」
勝手なことを並べ立てている。おい、俺は魔物退治なんかしたことないぞ! 叫びたいのをグッと我慢のピエッチェだ。
朝食の席もその話題で持ちきり、チヤホヤされっぱなしのピエッチェ、居心地が悪いったりゃありゃしない。だけど読み書き教室で手応えの違いを感じて、少しだけクルテに感謝した。昨日と違って生徒たちは見違えるほど熱心だ。みんな〝英雄〟ピエッチェに認められたくて、早く文字を覚えようと必死のようだ。
さらに優しいおニイさんクルテが助手について、一人一人を見て回れば、自ら質問する子が出てきた。ジャノもその一人だ。
「ねぇ、クルテ。これってあってる?」
頬を染めたジャノが横を行くクルテにそっと聞いている。
「うん?……あ、ここはね、向きが反対だね。あとは正解だよ」
嫌がりもせずクルテが優しく答えている。ちょっとだけ、大丈夫かなと心配するピエッチェだ。
ジャノと競ってクルテを呼ぶのはカッチー、何せ目的をもって読み書きに挑んでいる。村に貢献したいカッチーの思いは真っ直ぐだ。
読み書き教室のあとは少し休憩してからカッチーと三人で東の山に出かけた。子どもが何人か、一緒に行きたいとごねたが、頭の中に届いたクルテの指示で
「みんな自分たちのするべきことをしなくちゃいけないよ」
と言わされた。今日は女神の森に食糧調達に行くぞ、と子どもたちはババロフから言われている。
カッチーだけ狡い、と言い出す子にはクルテが、
「カッチーに喧嘩で勝てたら連れて行こうかな」
と呟くと、みんな諦めた。カッチーは子どもの中では最年長、しかも齢の割には身体も大きい。喧嘩でカッチーに勝てる子は居なかった。
東の山の緩やかな斜面を登る。今日は源泉あとを避けて北に向かった。女神の森とは反対の方向だ。女神の森に行った連中からは見えない位置だ。
山道を登りながら語るのはクルテ、今までの冒険譚をでっち上げている。『あの時のピエッチェは凄かったよ』なんて言いながら魔物退治をカッチーに聞かせる。すげーすげーと連発するカッチー、すっかりクルテの話を信じているようだ。
クルテの話は具体的で詳細にわたっていた。カッチーが信じるのも無理はない。きっと今までの体験を、退治した誰かをピエッチェに置き換えてクルテは話しているのだろう。その置き換えられた誰かとクルテの関係が気になったが、自分には関係ないと聞くのを躊躇うピエッチェだった。
登るにつれて山の木は様相に変化を見せた。区画ごとに木の高さが違っていて、ババロフが言っていた植林の形跡が判る。だがどこも下草は生え放題、手入れが行き届かないなんてもんじゃなく、全くされていないようだ。
「ここらへんでいいかな」
クルテが呟いて立ち止まり、持参した長柄の草刈り鎌で下草を刈り始める。その鎌を手にしたクルテを見た時、死神みたいだと思ってしまい、ピエッチェはクルテに睨みつけられている。
刈り取られた草を集めるのはカッチー、やはり持参したレーキで掻き集める。それをやっぱり持ってきたレーキでピエッチェが積み上げていく。
「これくらいでいいんじゃない?」
手を休めて、カッチーが草を搔き集めるのを見ていたクルテが呟く。いつの間にかそこには、剣の稽古に必要な広さになった空き地ができていた。
最初から剣なんか持たせられない。クルテが長柄鎌で適当な枝を切り落として剣の代わりにした。剣の持ち方、立つ姿勢、構え方……基礎をピエッチェが教えていく。
「そうじゃない、背筋は伸ばせ。それが次の動きに繋がるんだ」
「次の動き?」
「こちらから討ち込むにしても、相手を受けるにしても、動かなきゃならない。その動きは早ければ早い方がいい。遅れれば命とりだ。判るだろう?」
「うん、判った……普段から気を付けるよ」
カッチーは素直だ。ついピエッチェが微笑む。
「だからって突っ立って構えてるだけじゃ詰まらないよな。素振りくらいしてみようか?」
「はいっ!」
「今日はそうだな……好きなように剣を振ってごらん。自分の身体に当てないように気を付けろ。カッチーは右利きだから、左足を一歩前に出して――うん、なかなか悪くない」
本当はとんでもないヘナチョコ、だけど最初なんて誰でもそんなもんだ。少しずつ修正していけばいいと、ピエッチェは素振りを続けるカッチーを見守る。こうしているうちに身体のバランスの取り方も覚えてくるだろうし、必要な筋力もついてくる。
クルテは何をしているのだろうと見ると、鎌を振り回して下枝を落としている。アイツ、本気で木の手入れをするつもりか? 苦笑するしかないピエッチェだ。でも、まぁ、それもいいか……なんだか村に馴染み過ぎているけれど、乗り掛かった舟、騎士病の原因を取り除くとクルテが言っていた。それが終わるまでこっちも村人の世話になる。少しは村の役に立った方がいい。
そんなピエッチェの気持ちを汲んだのか、帰る時になって落とした枝を持っていくとクルテが言い出した。
「薪の足しになるよ。下草は二・三日干してから袋に詰めて持って帰る。牛たちへのお土産だ」
と笑う。カッチーはすぐさま背負子を出して荷造りを始めた――
それからは毎日同じような繰り返しが続いた。なぜか毎晩牛が脱走し、それを毎朝ピエッチェが温和しくさせる。そして朝食のあとは読み書き教室、午後はカッチーを連れて東の山に出かけた。
一日だけいつもと違う日があった。街に薪を売りに出かけたのだ。その時はピエッチェも付き合わされ、クルテ、そしてババロフとカッチーの四人で行った。
薪を売り捌いたあと、ちょっと待ってて、とクルテがどこかに消え、すぐに戻ってきた。手に本を持っている。村に帰るとクルテはその本をジャノに渡した。
『この本は辞書。判らない言葉があったら、この本で調べられる』
読み書き教室を始めて十日、勉強熱心なジャノは幾つか綴りも覚えていた。
『ジャノはますますおまえに惚れるんじゃないか?』
ピエッチェが心配するが、
『失恋も人生経験のうちさ』
とクルテは涼しい顔だ。
本当にクルテにジャノへの気持ちはないんだろうか? 疑わしいが、どのみちクルテは秘魔、魔物だ。下手に結ばれれば辛い思いをするのはジャノ、あまりクルテを煽らないでおこうと思うピエッチェだ。
平穏な日々が続き、まさかクルテはこの村に落ち着く気じゃないだろうなとピエッチェが危ぶみ始めた頃、異変は起きた。それはクルテがジャノに辞書をプレゼントしてから十二日目の深夜の事だった――
クルテがピエッチェを揺り起こす。
「起きろ、ピエッチェ。牛さんが呼んでいる」
「うーーん……なんでおまえ、俺と二人だと、牛を『さん付け』するんだい?」
「わたしに取っちゃあ、人間も牛も変わらない。まぁ、人間さんとは言わないが――いいから、起きろ。せっかく牛さんが見付けてくれたんだ。これを逃がしたら、今度はいつになるか判らないぞ」
「見つけた? 何を?」
「温泉を枯らせ、騎士病を蔓延らせた元凶だ。退治するぞ」
「うん……えっ!?」
さすがにすっかり目が覚めたピエッチェ、窓を見ると真っ暗だ。牛が呼んでいるとクルテは言うが、鳴き声はホンの少しも聞こえない。
「牛なんか鳴いてないじゃないか」
「わたしを誰だと思っている? 牛さんはわたしにしか聞こえない鳴き声をあげているんだ」
そう言われると反論できないピエッチェ、
「さては毎晩、牛を脱走させたのはおまえだな?」
とクルテを睨みつける。
「それがどうした? おまえを毎晩起こしておくのは無理がある。かと言って、わたしはおまえの傍から離れられない。誰かに頼むしかないじゃないか」
そう言えば、牛に何か頼んだと言ってたなとピエッチェが思い出す。
「で、何を頼んだって? ん? 騎士病の元凶? ひょっとして、ここに来てすぐに言っていた、夜中に村を徘徊ついて何か探してるってヤツか?」
「少しだけ察しが良くなったな。褒めてやろう――なぜか三日目からアイツは来なくなった。だから、牛さんに訊いたら不定期訪問だって教えてくれた」
「あぁ? 不定期訪問? おまえ、時どきヘンな言い方をするよな。アイツ、何を探していたんだ?」
「ヘンな言い方とは失礼な。判りやすいだろうが?――探しているのは騎士病にする対象者……ピエッチェも見つかってたら騎士病にされていた」
「なにぃ? って、なんで俺たちは見つからなかった?」
「愚か者め、わたしが隠したからに決まってる。付きっ切りで守ってやっていた。少しはありがたがれ。それにわたしは魔物だ、除外しろ。騎士病にかかるのはおまえだけだ」
「だから俺から離れられなかったってことか。まぁ、そうだよな。そういう事なら礼を言わなきゃな……でもさ、なんで今まで教えてくれなかったんだよ?」
「言ったら、臆病なおまえがこの村から逃げるんじゃないかって心配だったんだ」
「俺が臆病だと!? どうしておまえはいちいち癇に障る言い方をするんだ?」
「臆病と言われるのが嫌なのは、恥だと思っているからだな……臆病は恥ずべきことか? 慎重と言っておけばよかったか? どっちでも同じようなものだ。わたしはどちらでもいいぞ」
「臆病と慎重なのは全く違うものだ。臆病って言うのは根拠もなく怯えること、慎重ってのは、相手を見極めて撤退するべき時は撤退することだ……もう口論は辞めよう――で、その元凶はどう退治すればいいんだ?」
きっと口喧嘩じゃ絶対クルテに勝てないとピエッチェが思う。
「ピエッチェ、相手は魔物だ」
「そうか、魔物か……って、魔物!?」
「あぁ~あ、また今さらなことに驚いてる。アイツを発見した時、魔物だって言ったはずだぞ?」
「そうだったっけ? でも、魔物退治なんかしたことないぞ、俺」
「初めての魔物退治、思う存分楽しめよ――まっさか英雄ピエッチェ、ビビりはしないよな? カッチーが知ったらがっかりするぞ?」
コイツっ! と思うが怖いだなんて言えるはずもない。
「判った、退治する――でも、どうすれば倒せるのか、おまえが俺に指示を出すんだよな?」
ピエッチェが開き直った。




