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お茶とパイナップルを振舞われ上機嫌のクルテ、恐縮してばかりでなかなか手を付けようとしないピエッチェのパイナップルの皿を横取りした。こらっと思うが、
「替りの皿をお持ちいたしましょう」
とを浮かせた宿の主人を引き留めるのが精いっぱいだった。
「聖堂の森に行く時もパンを随分と頂きました。充分過ぎます」
「あぁ、あのパン、美味しかった。また食べたい」
隣でケロッと言うクルテ、再度『こらっ!』と窘めるが効き目があると思えない。
そんなクルテを見て宿の主人は
「少しの間により一層美しくなられた。こないだはあんな状況だったせいもあるのでしょうが温和しく消え入りそうな感じだったのに、今日は表情も伸び伸びと、こんなに明るいお嬢さんだったかと驚いています」
と、ピエッチェに意味深な微笑みを送る。あなたに愛されているからでしょうと言いたげだ。クルテと婚約していることになっているのだから否定するのもヘンだ。だからと言って肯定するのも気が引ける。
「躾が行き届かなくてお恥ずかしい」
婚約者というよりも保護者のようなことを言ってしまった。
「しかし、グレーテは遅いな」
主人が呟くのを待っていたかのようにノックが聞こえ、従業員が覗き込んだ。
「グレーテさんは体調が思わしくないそうです」
「悪阻かな? レムシャンは?」
「料理長と献立の打ち合わせ中です」
「打ち合わせをあとに――」
「いえ、それには及びません。そろそろお暇します」
主人の言葉を遮ったのはピエッチェだ。
「具合が悪いのに押しかけてはお気の毒、明日にでも出直します」
「申し訳ありません」
立ち上がったピエッチェ、宿の主人も立ち上がる。クルテが、
「地図を書いていただけませんか? ご一緒いただくまでもありません。わたしたちだけで伺います。直接行ったほうが時間も取られませんし」
と申し出た。
「それは――こちらの気が済みません。ご案内いたします」
「そうですか……では、また明日」
クルテもサッと立ち上がり、ピエッチェよりも先に部屋を出る。少しニヤッとしたような気がしたピエッチェだ。
スナックサロン経由ではなくて受付側から従業員の控室を出た。玄関を通って宿をあとにし、部屋を取った宿に向かって坂道を降りていく。
「グレーテさん、心配ですね。悪阻って辛いらしいですから」
カッチーに誰も答えない。押し黙っているだけだ。
「あれ? みなさん、どうかしたんですか?」
リュネは泊まる宿の馬小屋に預けてきた。坂を降り切ったら右に曲がり、ギュリューでは珍しい平坦な道を少しばかり行ったところだ。
「わたしたち、体よく追い返されたの」
やっとマデルが返事を寄こした。
「街がピリピリしているのと関係あるのかしら?」
「そこまではなんとも……ま、追い返されたのは確かだろうね」
ピエッチェもマデルと同意見だ。
「グレーテを呼んだってのも、きっと嘘だ」
「えっ? だって、俺たち歓迎されてませんでしたか? マデルさんとピエッチェさんの思い違いでは?」
戸惑うカッチーにピエッチェが、
「恩があることは忘れていない。だから無下にはできない。だけどできるだけ関わり合いたくない。そんなところだよ、カッチー」
と言えば、クルテが、
「明日行っても理由を付けて案内しない」
と決めつける。
「ピエッチェが席を立っても引き止めない。地図も拒否、一緒に行かなくてもいいってのは、遠回しに〝寄るのは面倒〟って事なのに無視」
「寄るのは面倒って?」
カッチーの疑問に答えたのはマデルだ。
「直接行ったほうが時間を取られないってクルテが言ったでしょ? 地図を貰えばわたしたちはわざわざあの宿に行かなくて済む。向こうだって、案内に人を割く必要がなくなる。それなのに、気が済まないって答えた。しかも少し考えてた。こちらにも向こうにも利のある申し出に、即答できずに理由を無理に捻り出したの」
「そう言えば、口籠ってましたね。それに、俺たちが明日のいつ頃来るかも訊きませんでした」
やっとカッチーも納得する。
馬小屋に回ってリュネの様子を見てから部屋に戻った。受付で、お茶のセットを貰うついでに
「王太子さまがいらしてるって噂を聞いたんだけど、どこの宿に泊まってるの?」
とクルテが訊いた。部屋を取った時の受付係は女だったが今度は幾分砕けた感じがする男、交代したのだろう。
「あぁ、ラクティメシッスさまならクレメンテルさまのお屋敷にご滞在中って話だね」
マデルの顔色が変わったのを目の端に見ながら、
「クレメンテルさまって?」
ピエッチェが問う。
「お客さん、ローシェッタの人じゃないね? 我が国の有力貴族の一人だよ。お屋敷って言ったけど正式には別荘さ。で、ご令嬢のビビアニーチェさまは王太子妃最有力候補。このご滞在で婚約が調うんじゃないかって言われてるんだ」
「その別荘にクレメンテルさまとご令嬢も来てるってことか……王太子さまは魔法使いとしてご視察にいらしたんじゃないんだ?」
「そりゃあさ、名目上だよ。まさか女に会うために来たとは言えないだろ?」
「ビビアニーチェさまってどんな人?」
これはクルテ、
「ローシェッタが誇る冬バラの君……って言っても深窓の令嬢、俺たちなんか顔を拝んだこともない。なんでも、ちょっと見は儚げで寂しげなんだけど、お歌がお上手でね。その歌声はカナリヤでさえも聞き惚れるほど、佇まいも堂々としたものに変わり神々しささえ感じられる。耳も目も心も癒されるんだってさ」
受付係はどれも他人から聞いた話なんだけどね、と笑う。
「その令嬢以外に王太子妃候補って?」
「ギンダチッセさまのところのジャニエッリュ嬢、ゴシンバネさまのピレーロンシュ嬢、俺たちの耳に入ってくるのはこの辺りまでかな……あ、お妃さま候補ってわけじゃないけど、王室魔法使いのマデリエンテさまと恋仲だって噂が流れた時期もあったね。破局したらしいけど」
「おニイさん、噂話に詳しいね」
クルテの笑顔に受付係はまんざらでもないようだ。
「お嬢さんも噂話が好きかい? 自分と関わりのない、しかも上流貴族や金持ちの噂なんて無責任にいっくらでも言いたい放題、いいストレス発散になるってもんだ――ここは宿だ。ローシェッタ各地から、それにお客さんたちみたいに国外からも人が集まってくる。ただの噂か真実かなんてどうでもいい、そんな話をいろいろ聞かせてくれる。聞きたい話はあるかい? お望みなら披露するよ」
いつでも、何刻でも話し相手になると言う受付係に、今夜は疲れたからと断って部屋に向かった。
客室の居間でお茶を淹れながらカッチーが笑う。
「あれでこの宿の主人だって言うんだから、大丈夫かなって思うのは俺だけじゃないですよね?」
「部屋を取った時に受付けてくれたのが女房で、この宿の前の主人の娘だって言ってたな。経営はしっかり者の女房に任せて、亭主はちょこっとお手伝い、で、無駄話で一日を終わらせる、そんな感じかも知れないね」
カッチーが差し出したカップを受け取りながらピエッチェが笑う。
「ジェンガテク湖の宿の主人となんとなく似てるけど、向こうはもう少しきちんとしてました」
「比べられたら気を悪くするぞ。ジェンガテク湖の方は商売熱心だった」
「リュネにも優しかった」
リンゴを齧りながらクルテが言った。
「どうせ捨てるからって野菜屑をくれたけど、ここの主人はきっと、そんな気を回せない」
言えてるね、とピエッチェとカッチーが笑った。
「だけどこの街ではあの存在は貴重だ」
ニヤッとしたのはピエッチェ、
「王太子の噂をペラペラ喋る警戒心のなさ、下手すればギュリューの街がなんでカラフルなのかさえ、訊きようによっては呆気なく暴露しそうだ」
「知らないかも」
食べ尽くしたリンゴを物欲しげに睨み付けながらクルテが言った。種がぽつぽつ見えるほど、芯の部分も齧ってしまっている。
「よその土地からの入り婿。あの性格では危なくって大事な秘密は明かせない」
「なるほど、その線もあるな――クルテ、もっと食べたいなら持ってきて食えよ。まったく、食事の時は何を食ったんだ?」
クルテの手からリンゴの残骸をピエッチェが取り上げる。ムッとした顔でピエッチェを見たが立ち上がり、クルテは部屋の隅、リンゴ箱の置いてある場所に行った。
「だがここ最近のことは知っているはずだ。ギュリューの街人の結束と口の固さは前回来た時によく判ってる。ここの主人はいい情報源だと思う」
「そうですよね、まぁ、あくまで噂なんで精査が必要かとは思います」
リンゴ箱の前に立ち、箱を睨みつけているだけのクルテにイライラするが、
「まぁさ、街の雰囲気が変なのとラクティメシッスは関係なさそうだな」
とピエッチェ、やっぱりクルテをチラチラ見ながらカッチーも
「俺もそう感じました」
同意する。
二つ目のリンゴは食べないことにしたらしい。箱を睨みつけるのをやめたクルテが窓ぎわへと歩く。掃き出し窓の向こうはベランダになっていて、アイアン製のティーテーブルと、揃いの椅子が二脚置いてある。その一脚でマデルが溜息をついていた。
「マデル、そろそろ冷える」
テラス窓を出てクルテが言った。
クルテをチラリと見て
「まだ大丈夫よ。それに今夜は少し蒸してる。明日は雨かしらね?」
マデルが微かに笑んだ。
もう一脚の椅子に座りながら
「お茶を貰ってこようか?」
と言うが取りに行く気はないし、マデルが不要というのも判っている。本気でお茶を運ぶ気があるなら座りはしない。
「要らないわ。さっきから飲んだり食べたりしっ放しな気がする」
「そう言うと思った――わたし、リンゴは一つにした」
「リンゴを食べてたの? うん、匂うわね」
「もっと食べたいけど、あと一個は食べきれない」
「クルテは少ししか食べられないけど、すぐお腹が空くよね」
「小鳥と同じ?」
「そうね、小鳥もそうだわ」
クスクス笑うマデルにクルテがホッとした顔をする。
「ねぇ、マデル。今夜はマデルと同じ部屋がいい」
「あら、ピエッチェが寂しがるわよ?」
「今夜はマデルのそばに居たい。どうせピエッチェはわたしが居なくても平気」
拗ねたように言うクルテにマデルが真面目な顔になる。
「クルテ、本気でそう思ってる?」
「マデルのそばに居たいのは本気」
「クルテが居なくてもピエッチェは平気って言うのは?」
「あいつは……時どき素直でなくなる」
「そうよね。平気じゃなくても平気な顔をするだけだって判っているのよね?」
「マデルは?」
「わたし?」
「マデルも同じ。平気じゃなくても平気な顔をしようとする。できてないけど」
「わたしは……クルテが居てくれなくてもちゃんと眠れるわよ」
するとクルテがクスっと笑った。
「魔法の鏡を使って本心を伝えた方がいい――眠くなった。ピエッチェと寝ることにする。オヤスミ」
居間に戻っていくクルテを、マデルは茫然と見送っていた。




