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「カッチーのことって?」
自分のカップを手に取ってピエッチェが答えた。が、クルテはヘンな顔をしてピエッチェを見ている。理由はすぐに判った。お茶だ。
「これはカモミールだよ。知らなかったか?」
「知ってる。さっきからぷんぷん匂うからどこに咲いてるんだろうと思ってた。なんでカモミールがお茶? わたし、お花は食べないって言った」
「花屋でそんなこと言ってたな」
ピエッチェが思い出し笑いする。
「ハチミツがあるから入れてごらん。飲みやすくなるよ」
「カテロヘブはこのお茶、好き?」
「姉がハーブティー好きでね、よく呼ばれた。好きってほどでもないけど、嫌いってこともない。おまえは食べないって言ったけどお茶にするだけじゃなく、花の中には食べられる物もあるんだぞ」
自分のカップにハチミツを足して、クルテが恐る恐る一口飲んだ。
「美味しい……ハチミツの甘さで果物みたいな匂いが引き立った」
「クッキーも食え」
菓子の皿を押し出してやるとすぐに手を伸ばしたクルテ、
「ジンジャーとシナモンの香りがする。美味しい」
と微笑んだ。
カモミール・ジンジャー・シナモン、どれも身体を温めリラックス効果のあるハーブ、鎮静効果もあることを考えると、ベッドの汚れを考えてのチョイスなんだろう。宿の従業員が選んだのか、客の様子を聞いたジェニムの店員が選んだのか? それとも単なる偶然か? どちらにしろ、今のクルテにはまさに『お勧め』だ。
「おまえさ、花は食わないって言ったけど、野菜は好きだよな」
「種を生らせたい」
「切り花にはどうせ、種は生らないだろう?」
「そうなのかな? そうかもしれない」
出たよ、得意のそのセリフ。
「わたし、知らないことがたくさん」
「たまたま知らないだけで、知ってることもたくさんある。誰でもそんなもんだ」
「カテロヘブのほうが物知り」
魔物に関してはおまえの足元にも及ばない、そう言おうとしてやめた。わたしは魔物だからなとクルテが言いそうな気がした。
「まぁ、俺のほうが少なくとも五年は長く生きている。少しはおまえより物知りじゃないと立場がない」
「カテロヘブは二十、わたしは十四……なんで五年?」
「俺はこないだ二十歳になったばかりだ。おまえはもうすぐ十五なんだろう? だから五年と少しだ」
「そうなのかな? いや違う。わたしが生まれたのはかれこれ七百年ほど前だ」
アッと思うが深く考えるのはやめた。七百歳超えと思うより十四歳の方がまだマシだ。見た目だって、とてもそんな高齢とは思えない。
「でも、十四で封印された。それから時が止まったんじゃないのか?」
「そっか、なるほど――お茶のお替り」
「はいはい」
ピエッチェが苦笑してカップに茶を注ぎ足す。他の誰かに言われたらムッとしそうなのに、面白いものだと思う。
「で、カッチーがどうしたって?」
「あぁ、そうそう、カッチー」
クルテはすっかり忘れていたようだ。
「もしカッチーに親類が現れて、引き取りたいって言われたらどうする?」
「うん? そりゃあ、カッチー次第だよな。カッチーが行きたいって言えば、無理に引き留めるわけにはいかない」
「カテロヘブは? 行って欲しい? 行かないで欲しい?」
「俺か……カッチーの気持ちを考えないのなら、正直手放したくない」
家臣にしてください、そう言われた時の嬉しさが蘇ってくる。家臣と言えば最初からいるものだった。成り行きとは言え俺の弟子になり一緒に行動するうちに、今ではきっと俺を慕ってくれている。
「体格がいいから鍛えればいい騎士になる。まだまだ勉強不足だけど、頭も悪くないから文官として仕込んでもいい。文武両道で使えるようになると思う……何せまだ若い。二十歳の俺が言うのもなんだけど、将来が楽しみだよ――なんでそんなことを訊く?」
「うん、マデルがね、カッチーのお祖父さんを知ってるかもしれない」
「カッチーのお祖父さん?」
「去年あたりから孫を探し始めた。ひょっとしたらカッチーかもってマデルが思った」
マデルの心を読んだってことか。
カッチーが自分の両親の話をしたとき、ある貴族が息子の忘れ形見を探していると言う話をマデルは思い出していた。その貴族の息子は随分前に亡くなっていて、奥方との間に子はいなかった。だが、愛人との間に男の子を一人儲けている。
貴族には息子以外の子もいたがすべて娘、嫁ぎ先と交渉したが娘たちの産んだ子を養子に迎えることは叶わなかった。
「それで息子の愛人が産んだ孫を探してる? 身勝手な話だな」
ピエッチェが苦い顔をする。が、クルテは
「マデルはその貴族に好意的だった」
と言う。
「見つかるといいと思っていたし、カッチーがそうなら嬉しいって思ってた」
息子が死んだと言うのに、なんの援助もしてこなかったくせに……それともカッチーの母親の方から援助を拒んだのか? そもそもそんな愛人や子がいると、ずっと知らずにいて最近になって何かのはずみで知った可能性だってある。そうなると一方的に身勝手だと責めるわけにもいかない。
「まぁ、マデルが言い出すまでこの話はするな。もちろんカッチーにもだ」
「判った……違ってたらカッチーが可哀想」
「おまえ、家族って判るのか?」
「お母さん、お父さん、それに居るなら兄弟姉妹。あるいは一緒に暮らす人々」
「そうじゃなくって、家族間の愛情を理解してるのかって訊いた」
「森の女神はわたしにとっては優しいお母さん。口煩い時には、嫌いになるけど」
「あ、コゲゼリテの女神の森に居る?」
「精霊だからね、七百年前からずっとあの森で暮らしてる――眠くなった。寝てもいい?」
「いいけど……おまえ、都合の悪い話になると眠くならないか?」
「そうなのかな? きっと気のせい」
ニヤッとして寝室に向かうクルテ、ピエッチェに『一緒に』とは言わなかった。
マデルとカッチーが戻ってきたのは、そろそろ夕食を注文したほうがよさそうな頃合いだった。
「例の本、有りました!」
嬉しそうにカッチーが報告すれば、
「よかったな。金は足りたか?」
ピエッチェがニッコリ答える。
「はい、充分過ぎるほど貰っていきましたから――フロントで、夕食はどうするかって訊かれたんで、部屋に注文を取りに来てくれるよう頼んでおきました」
元気いっぱいのカッチー、だがマデルは疲れたようでぐったりしている。ソファーに座って溜息をつく。
少し前に起きて来たクルテは花籠を抱えてソファーでボーっとしていた。マデルの対面に置かれたソファーだ。ピエッチェとカッチーはダイニングテーブルで話していた。
「グリュンパの街、楽しくなかった?」
マデルの溜息に、クルテが首を傾げた。
「楽しかったわよ」
疲れた顔でマデルが微笑む。
「でも、カッチーのペースで動き回ったのは失敗だったかも」
と、声を潜める。カッチーには聞こえなかったようで、『リュネのところにも行ってきました』とピエッチェへの報告に余念がない。
「リュネ、心細いって言ってなかった?」
「リュネは話せないわよ。でも、確かに寂しそうだった」
またもクルテの独特の言い回しだとマデルは気にもしていない。
「話せないけど心はある――ところで、明日はギュリューに行こうと思うけど、マデルは大丈夫?」
「大丈夫か訊きたいのはこっちよ。クルテ、あんたは大丈夫なの?」
「ここに居るのは飽きた」
「飽きっぽいのね――ピエッチェ、クルテが明日はギュリューに行くって言ってるけど、どうするの?」
カッチーの話を笑顔で聞いていたピエッチェが『ん?』とソファーの方を向く。
「そりゃあ、俺は構わないけど、クルテは大丈夫なのか?」
「花を買っておいてよかった。お陰でもう元気」
それを聞いてカッチーが
「女神の娘とおんなじですね」
と笑う。
「怪我をした娘を元気づけようとして王子が花束を持って見舞いに行くんです。すると娘の怪我は見る間に治ったって話が本にありました」
「最近カッチーったら、女神の娘の話ばっかりね」
マデルは笑うが、内心穏やかでないのはピエッチェだ。このままではクルテの正体がバレてしまうんじゃないか?
当のクルテが
「わたし、女神の娘なのかも?」
と真面目な顔で言うものだからますます冷や冷やするが、マデルが
「クルテ、冗談が上手になったわね」
と笑い、ピエッチェがホッとする。
そんなピエッチェに
「花だけじゃなく、ピエッチェのお陰」
とクルテが微笑む。
「ずっとお腹を撫でてくれてたから」
おいっ! と思うが、否定できないし、言い訳しても土壺に嵌りそうで、何も言えない。昨夜、マデルが部屋に戻った後は、汚れていないほうのベッドに潜り込んだ。が、クルテはなかなか寝付けないようだった。
撫でると少しは楽になると言うので、背中を向けさせて撫でてやった。寝息が聞こえ始めた時はなんとも言えない安心感を覚えた。いつの間にかピエッチェも眠ってしまい、目が覚めた時は抱き合っていたから『ずっと撫でていた』というのは言い過ぎだけど、わざわざ訂正することもない。
「そっか、よかったわね」
マデルは微笑むがカッチーは
「クルテさん、お腹が痛かったんですか?」
と当然の疑問を口にした。
「そう、イチジクの食べ過ぎ――あっためた方がいいってマデルが。で、ピエッチェが掌で暖めてくれた」
「クルテったら、お腹が痛いって夜中に大騒ぎしたのよ」
マデルが思い出し笑いする。
「ヘンな声にびっくりして行ってみたら、クルテはわんわん泣いてる、ピエッチェはオロオロしてるだけ……カッチー、あんた、あの騒ぎによく起きて来なかったわね」
「そうだったんですか? まったく気が付きませんでした――腹痛が治ったなら、もう心配ないですね。明日はギュリュー泊まり、前回と同じ宿ですか?」
カッチーがピエッチェを見る。どうやら明日のギュリューは決まったようだ。
「イヤ、宿賃は要らないとか言われると厄介だから別の宿にする」
ピエッチェが答えると、マデルは
「あんたって、清廉潔白というか公明正大って言うか、気真面目とか融通が利かないとかでもいいけど」
褒めるか貶すか迷ったようだ。
「俺、ピエッチェさんのそんなところ尊敬してます」
カッチーの声は明るい。気を遣ったとか、おべっかとか、そんな匂いはない。
「ピエッチェさんはね、いつでも正しく居ようとしてるんだと思います。俺、見倣って、自分を磨きたいです」
目の前で自分を評されるのは良くも悪くも居た堪れない。だが、黙っているのもなんだかな、と思う。
「常に正しく公平、親父が俺に一番言い聞かせたことだ」
ピエッチェの呟きにマデルが微笑む。
「ピエッチェのお父さまって家臣に慕われてたんでしょうね」
あぁ、そうだ、家臣だけじゃなく、きっと国民にも慕われていた……ピエッチェの胸に苦い思いが込み上げてくる。そんな父をアイツが殺した――




