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翌朝、ピエッチェが目覚めたのは明るくなってからだった。クルテは窓辺に置いた椅子に腰かけて外を眺めていた。
「今日は散歩には行かないんだ?」
ピエッチェの問い掛けに、
「玄関で待ち伏せされていると判っていて、行く気になるか?」
ピエッチェを見もせず、詰まらなさそうにクルテが答える。
「待ち伏せ?」
「今日も昨日と同じように散歩に行くだろうと考えてるのさ」
「ジャノか?」
ジャノはクルテに一目惚れした少女の名だ。
「ジャノのほかにも三人」
「全部女?」
「一人はカッチー」
「そうか……森の探索はどうするんだ?」
「暫く中断――おまえ、カッチーに剣の扱い方を教えろよ。弓はわたしが教える」
「うん? なんでまた? ババロフに怒られるぞ」
「何も真っ正直にババロフに報告することもない」
「文字を教えるのは納得も行くが、剣や弓はなんでだ? 騎士になりたいって言い出した時のためとか言うなよ」
「カッチーは騎士病になんかならない。もうこの村で騎士になりたいって血迷う者は出ない」
「原因が判ったのか?」
「だいたいね。でもまだ全容が掴めない」
「それでどうするんだ?」
「答えが出たら話す。そして災いの根を引っこ抜く」
「出来るのか?」
「ピエッチェ、そのためにこの村に来たんだ。もう少し時間が欲しい。おまえは退屈だろうから、子どもたちに読み書きを教えて暇を潰せ。剣を教える時はわたしも同行する」
「うん? 俺が子どもたちの俄か教師をしている間、おまえは何をしてるんだ?」
「知らないほうが身のためだ。いいからわたしに従っていろ」
「なんか機嫌が悪そうだな……それにしたってこのところ、俺はおまえに命令されてばかりだ。複雑な心境だ」
「そんな気持ちは 無視しとけ――ピエッチェ、くれぐれも村の誰かと二人きりになるな。それと、必ず誰か男と一緒にいろ」
「おぉい、それって貞操の危機ってヤツか?」
クルテが窓から視線をピエッチェに移す。
「そんな生易しいもんじゃない。命が危険にさらされる――そろそろ朝食だな。食堂に行くぞ」
「えっ? 命の危険? おい、説明しろよ」
立ち上がったクルテは、何も言わず部屋を出て行く。慌ててピエッチェが後を追った。
食堂に行くと配膳の真っ最中で、すぐさまクルテが
「僕、手伝うよ」
ババロフのカミさんに愛想よく申し出た。自分への態度との違いに、何か嫌われたんだろうかとピエッチェが少しムカつく。いつもだったら違うよと意識に直接話しかけてきそうなものなのにそれもない。
予告通り、ジャムが全員に配られた。一人分ずつ小さな容器に入れられたジャムは、大人も子どもも同じ分量だ。
『なるべく平等になるようにしてるんだ。特に食べ物はね』
ピエッチェがババロフの言葉を思いだす。
『こんな少人数だからね、特別扱いはすぐバレる。でもまぁ、幼い子は大して食べないから、その分を食い盛りの子に回してる。大人は男女問わず同量だ。ただし、個人間で交換したり譲ったりまでは禁じちゃいないよ』
酒は希望者全員に同量ずつ配られた、飲まない者には干しリンゴ、あれはそういうことかと納得したピエッチェだ。
パンにはミルクが練り込んであった。
「小麦粉を忘れるんじゃないよ」
ババロフがカミさんにきつく言われている。忘れたことでもあるんだろうか?
具がほとんど入っていないスープを匙で掻き混ぜながら、クルテがババロフに訊いた。
「街には誰が行くの?」
「俺とゴズ、それとウォネ」
「牛を牽いて歩いて行くんだっけ?」
「そうだよ、往復で三時間、それに街ではあれこれ買わなきゃなんねぇ」
ババロフの返事は愚痴っぽい。
「それ、一頭、僕が面倒見ようか?」
「クルテが? 牛に言うこと聞かせられるかい?」
昨日、乳しぼりを見ていただけのクルテをババロフが笑う。
もちろん秘魔のクルテ、牛くらいどうと言うこともない。
「心配なら村を出る前に、牛に曲芸でもさせてみようか?――ウォネの齢じゃ、可哀想だよ」
最後のほうは小声になったクルテだ。
「まぁ、そうなんだけどよぉ……俺は毎回行くけどさ、他の二人は順番なんだ」
「だったらウォネは次回にすればいいよ。僕らが村にいる間はそうしなよ」
押し切られた形でババロフが承諾し、朝食が終わると程なくクルテは、牛に曲芸させることもなくババロフたちと出かけて行った。カッチーはついて行くだけだが一緒だ。
村に残ったピエッチェは食堂で読み書き教室を始めていた。石盤は大きなものが一枚、壁にかけてピエッチェが使うことにし、小さな方は子どもたちに使わせることにした。
対象者を九歳以上としたのは、九歳の下は五歳と年が離れていて区切りが良かったし、九歳以上は街に出かけたカッチーを入れて六人、小さな方の石板も六枚だったからだ。
自分用の石板にピエッチェがアルファベットを書き込んでいく。目をキラキラさせて子どもたちがそれを見ている。
「へぇ……それが〝文字〟ってもんなんだね」
と、誰かが呟いた。その声に、またも複雑な気分を味わうピエッチェだった。
街に行った四人が帰ってきたのはもうすぐ夕食という頃だった。持っていった薪は三台分だが、戻ってきたときに荷がある荷台は一台だけだ。男たちが総出で荷降ろしを手伝った。もちろんピエッチェもその中にいる。
「早くしないと日が暮れるぞ!」
ババロフが大声で指示を出していた。焦りを感じる声は、まるで日が暮れるのを恐れているかのようだ。
粉の入った袋を肩に担いで食糧庫に運ぶピエッチェ、ふとクルテはどうしたんだろうと見渡すと、荷物運びを手伝いもしないで牛小屋にいる。なんだか牛と話し込んでいるように見えなくもない。手伝うように声を掛けるか迷ったが、無駄だと思いやめておいた。
積み荷は小麦粉のほか、塩や砂糖、胡椒などの香辛料、油など、ほとんどが食料だ。着る物はどうしているんだと尋ねたら、お下がりがいくらでもある、とババロフが呟いた。
「新年くらいは新調してやりたいが、そんな余裕はねぇんだ」
いささか怒っている。訊かれたことが不愉快なのではなく、できない自分が腹立たしいからだ。
いつも通りの質素な食事、そしていつも通り賑やかだ。食事の時くらい嘘でも楽しく過ごさなければ、よけい惨めになるとでも思っているようだ。
配膳が終わるとクルテが声を張り上げた。
「今日はね、僕からお土産があるんだ――みんなにキャンデーを買ってきた。一つずつだけど食事のあとにどうぞ!」
ワッと子どもたちが歓声を上げる。慌ててババロフを見たのはピエッチェだ。また機嫌を損ねないか? 果物でさえも余計なことだと怒っていた。だがババロフは微笑んでいる。
ピエッチェの頭の中にクルテの声が響く。
(昔のような賑やかな村にするって約束した……責任重大だぞ。覚悟しろよ)
冗談じゃない、と思うのはピエッチェだ。とは言え、食事中に面白くない顔をするわけにもいかず、考えるのは後にした。
テーブルの向こうではクルテがカッチーと何やら話しているのが見える。しきりに話しかけてくるカッチーに、クルテが微笑んで答えている。街に行っている間に随分仲良くなったようだ――
部屋に戻るなり、
「あぁ~あ、疲れた」
と呟くクルテ、
「おまえ、ババロフになんて言ったんだ?」
くぐもった声で怒るのはピエッチェだ。
寝台に寝転んだクルテがニヤッと笑う。
「騎士病にはもう誰も罹らない、温泉も元に戻る、そう言ったよ?」
「おまえ、よくもそんな出任せを……それにしても、疲れたりしないんじゃないのかよ?」
ピエッチェは椅子に腰かけた。
「そんなこと言ってないよ? 疲れは感じる、生身の時は」
「安請け合いは、できなかったとき余計に失望させるぞ?――そう言えば疲れは感じるって言ってたっけ? 生身なら性別もありそうだ」
「出来るから心配ないよ。でもそのためにはピエッチェが頑張らなきゃ――性別はあるよ、今は男、でもいつでも女に変われる。変わってみようか? 証明するために服を脱いでもいいよ」
「うっさい、そんな必要はない! って、俺はどう頑張ればいいんだ?」
「なんだ、その気になって今、半陰陽だったのに――準備が整ったらちゃんと話すよ」
「半陰陽っ!?」
「もう元の男に戻したよ」
「一瞬にして変化するんじゃなかったのかよっ?」
「一部分を変える時は無理なんだよ――少しずつ変わっていくとこ、ひょっとして見たかった?」
「見たかないやい!」
そう言いながらピエッチェが真っ赤になる。頭の中では想像中だ。村の問題解決に向け、どんな準備か訊こうと思ったのを忘れている。作戦成功、密かにクルテが笑う。
想像に行き詰ったピエッチェが、正気に戻ったような顔でクルテに訊いた。
「そう言えば、随分カッチーと仲良くなったみたいだね。それに牛とも仲良さそうだった」
「あぁ……牛にはちょっとした仕事を依頼した。もちろん承諾させた。何しろ秘密を握っているから簡単だ。カッチーとは道中、いろいろ話をしたからな」
村の問題を解決する話はババロフの横でカッチーも聞いていた。が、それを言えば、せっかく忘れているピエッチェが思い出すから口にしないクルテだ。
「剣と弓の稽古を楽しみにしていた」
これはババロフには内緒でカッチーにだけ話したことだ。
「こんな村にも盗賊やらの悪党が来ないとも限らない。そんな時に備えたほうがいいって言ったらすぐ乗ってきた――それでそっちはどうだった? 読み書き教室は巧く行った?」
「物覚えのいい子はもうアルファベットを覚えた。おまえのジャノとかな。でも、大抵の子はまだまだだ、そう簡単に覚えられるもんじゃない」
「ジャノはわたしのものじゃない――明日の午前中は読み書き教室、カッチーも参加させるし、わたしも行く。で、午後はカッチーと三人で東の山の手入れに行く」
「三人で?」
「ババロフに断ってある――東の山にはいい薪がないから誰も行かない、でも手入れしなきゃいい木も育たないって言ってたから、引き受けた。そしてカッチーを手伝いに借りたんだ」
「ふぅん……本当に山の手入れをするつもりか?」
「山の手入れをしながら剣と弓の稽古をするのさ」
クルテがニヤリと笑った。




