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悲劇の悪女【改稿版】  作者: おてんば松尾


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2/22

2 置き去り

* ミリアside



桟橋の上にぐったりと横たわった私の髪は、濡れて顔に貼りついている。

唇は青白く震えて、胸は激しく上下している。


「……ミリア!ミリア!」


母は震える手で私の頬を叩き、必死に名前を呼ぶ。

全身ずぶ濡れの体は、まるで氷の塊のように冷たかった。


「しっかりして!ミリア!私の声が、聞こえるでしょう!」


その背後ではジェイがなおも泣き叫んでいた。


「いたい!足が折れちゃう!うわあああん!」


彼は母エリザベスの腕に抱かれながら、私の父に取りすがろうと必死に暴れ、床板を蹴り続ける。

その甲高い声は、力無く横たわる私のことはお構いなしに煩く響いていた。



「ブライアン、お願いよ!ジェイを早く!早く医者に連れてって!」


エリザベスは泣きながら、父に頼み込んでいた。

腕の中のジェイはなおも泣き叫び、身をよじっては桟橋の板を蹴りつけている。


「いたい!足が折れる!」


私は彼の様子を見ながら、(あんなに足が動くのに骨折してるわけないじゃない)と、冷静に考えていた。


エリザベスは必死に息子の背をさすりながら続けた。


「見て、こんなに痛がってるのよ!今すぐ医者に診せなきゃ、取り返しがつかなくなる!」


父は私を横目にジェイへ駆け寄った。


父は唇を固く結び、ジェイの顔を見た。

ジェイは父の腕にしがみついている。


一方、桟橋の板に横たえられた私は、意識を保ちながら次に起こることを想像していた。




(父は馬車でジェイだけを連れ帰る)


小説の中では、私と母はこの湖に置き去りにされるのだ。

そしてその間に、小さな私は命を落とす。


朝になって、母は死んだ私を、伯爵邸に連れ帰るのだ。

最悪に悲惨なストーリーだった。


私は後頭部に傷を負っていて、血が流れていることに気がついたときにはもう遅かった。

寒さと失血で、命を落としてしまうのだ。



私の唇は血色を失い、濡れた衣服から冷気が染み込んでいく。



けれど……今、私はきっと死なないはずだと考えていた。


なぜなら、私は怪我をしていないし、溺れてもいない。


私は、頑張って泳いだ。



「……お母様!」


できるだけはっきり母の名を呼んだ。


母は顔を歪め、私の身体を抱きしめる。


「ブライアン!ミリアを!凍えきってるわ!」


母が必死に父に呼びかけた。

だが父は視線を逸らし、ジェイを抱き上げる腕に力を込めた。


「……まずはジェイを医者へ運ぶ。それからだ」


瞬間、母が驚いたように目を見開いた。

私の胸にも、冷たいものが突き刺さる。


やはり、この父親は私を見捨てるのね……



「な、何を言っているの!この子は溺れたのよ!ぐったりして意識も朦朧としているわ!」


私の父親であるはずの彼は、甥のジェイを抱き上げている。


「ブライアン!」


母は必死に父の名を呼んだ。


「ブライアン、馬車は三人しか乗れないわ。早くジェイを運びましょう!」


エリザベスは、母の声を遮るように父に懇願し、彼の腕に手を伸ばしている。


「いや、だが……」


父は、どうしようかと視線を私に向ける。


「叔父さん、いたいよぉぉ!」

「ブライアン、あなたもずぶ濡れじゃない!ミリアは今は落ち着いているから大丈夫よ!」


「駄目!お願い!ミリアを、馬車に乗せて!私はいいから、この子をお願い、ブライアン!」


エリザベスの言葉が耳に入った瞬間、母は叫んだ。


「駄目よ!馬車は三人乗りよ!」

「いたいよ、叔父さん!うわああああん!!」

「ブライアン!ミリアはあなたの子どもでしょう!」


母が叫んだ。


「ブライアン!ジェイは侯爵家の跡継ぎよ、何かあってからでは遅いわ!」


エリザベスも負けじと声を荒げた。


父は御者にジェイを預けると、走って私のもとへ戻ってきた。

母はほっとして、父に私を預けようとした。


けれど彼は首を横に振って、それを拒んだ。


「ティナ……ジェイの方が重傷だ。すぐに迎えの馬車を手配する。ミリア、少しの間だけ、我慢できるか?」


父から出た言葉は信じられないものだった。


「やめて!無理よ!お願い……ミリアだけでも連れて行って、ここへ置いていかないで!」


「ティナ、わがままを言うな。ジェイは痛がっている」


父はそう言うと、桟橋に落ちていた自分の上着を私の上に掛けた。

彼は私の横に膝をつくと、そっと手で頬に触れた。


「ミリア、いい子だ、すぐに戻ってくるから、もう少しだけ頑張れるな?」


彼は辛そうに微笑んで、優しく私にそう言った。


いや、どう考えてもおかしいだろう!


私はしっかりと瞼を開けて、父親の袖を思いっきり引っ張った。


「お父様、馬車に乗らなくていいから、ランプをちょうだい!」

「なっ……ランプ?」


「ミリア、何を言っているの!馬車でお医者様に!」


「お母様!いいから、ランプを持って来て!馬車に積んでいるでしょう!」


「なぜランプなんだ?」


父は、私に尋ねた。


「ランプが必要なの!それ以外はいらないから、お父様お願い!」


父は怪訝そうに眉をしかめた。


「ティナ、すぐに迎えを寄こすから、ミリアを頼んだ」

「いやよブライアン!!駄目!お願いミリアも馬車に乗せて!」


どうあがいても、この父親は私を馬車に乗せないのは分かっている。

そして迎えにも来ないのだ。


「お母様!馬車まで行って、御者からランプをもらってきて!」


「なぜランプなの!」


「火を起こせるでしょう!」


「何を言っているの!ミリア」


「寒いのよ!馬車に乗れないのなら、焚火をして暖を取るの!このままじゃ、低体温で死んじゃうわよ!」


五歳児とは思えない言い分だろうけれど、今はどうやっても火を起こすことを考えなければならない。

朝までここに放置されるのは決まっているのだから。



私は今、頭の怪我がない。

その分意識がハッキリしている。


寒くて、体力は限界でも、ここは生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

何としてでも火種を得なければならない。


母は馬車へ戻ろうとする夫の姿を見て、ショックのあまり頭が真っ白になっているようだ。


「お母様、早く行って!ランプ!」


ここは意地でも、母を動かさなければならない……


「お母様!早く一緒に行って、御者が夜間に使うランプ。もらってきて、それで火を起こすの!」


私は何度も繰り返した。


母は立ち上がって、馬車へと駆けていった。


私はその様子をずっと目で追っていた。

馬車のそばで、御者からランプを受け取っている母の姿が見えた。


そして、動き出す馬車。

母が叫び声をあげている。


「いやぁぁぁ!行かないで!お願い!ミリアを!ミリアを連れて行ってぇぇ!」


彼女の声は馬車の車輪の音にかき消されていった。


父はびしょ濡れの我が子が見えていないのか……平気で馬車に乗り、去っていった。

……本当にクズだわ。


けれど、ここで自分がしっかりしなければ、この物語の中で死んでしまう「ミリア」になってしまう。

私は歯を食いしばって、小さくなる馬車を睨みつけた。



残された湖畔には、父親のコートをかぶった五歳児の私と、泣き叫んで膝をつく母の姿だけが、静かに残った。


私はゆっくりと身を起こして、念のため、後頭部に傷がないかを確認した。

そして、手足を動かして、どこか怪我をしていないかを確かめた。


「ミリア!あなた!起き上がってはだめよ!」

「お母様、服を脱ぎたいの。このドレス……」


何だかややこしい構造になっているドレスはボタンがどこにあるのか分からなかった。


なんとか、めくりあげるように服を脱いで、素っ裸になってから、父親のコートのボタンを留めた。


その様子を、母親であるティナは、茫然として見つめていた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~




《ルノー伯爵家》


ティナ・ルノー :ブライアンの妻

ブライアン・ルノー=クレメンツ :ティナの夫、クレメンツ侯爵家の次男

ミリア・ルノー(五歳) :ティナとブライアンの娘




《クレメンツ侯爵家》


エリザベス・クレメンツ :故カインの妻、元男爵令嬢

カイン・クレメンツ :侯爵家長男、故人

ジェイ・クレメンツ(八歳) :エリザベスとカインの息子

カリオペ・クレメンツ :ブライアンとカインの母



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