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悲劇の悪女【改稿版】  作者: おてんば松尾


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15/22

15 いらない

*ブライアンside


俺の顔は青ざめ、呼吸が荒くなり、肩が上下していた。


「ミリアは……俺の娘だ……」


あのとき俺は、ジェイを優先してしまった。

だが、それは彼が重傷だと思い込んでいたからだ。

泣き叫ぶジェイの姿を見て、深刻な怪我だと判断したのだ。


ティナたちのことを思い出したのは、確かに侯爵邸へ戻ってからずいぶん時間が経ってからだった。

三時間は経っていたと思う。

だから、彼女たちは、誰かが迎えに行っただろうと思った。

まさか、誰も行かなかったなど思ってもみなかった。

けれど、彼女たちは助かり、今は問題なく元気だ。

それに……


「ミリアは、父親が大好きだ。ミリアに会わせてくれ」


その場が静まり返った。


ティナが「えっ」と小さく声を漏らした。

彼女はぎょっとしたように目を見開いて俺を見た。


……どんなにひどい状況であっても俺はミリアの父親だ。

娘に会うのは当然の行為だ。


「ミリアは、父親に会いたがっているはずだ。俺がいなくなることなんて想像していないだろう?それに……ティナ!俺は、君を愛している」


「何を、貴様……」


義父が震えながら拳を握る。また俺に殴りかかってきそうだ。

だが、暴力に訴えるなどあってはならない。伯爵である以上、貴族ならば話し合いで場を収めるべきだ。


俺はティナの腕を優しく取った。

彼女は、その手を振り払った。


「ティナ、俺たちは夫婦としてうまくやっていたはずだ。君は俺を尊重してくれていたし、俺も君を大切にしてきた。互いに愛情を持っていたと思っている。なのに、どうして突然離婚なんて話になるんだ?」


必死に彼女に分かってもらおうとした。

今は、彼らは怒りで頭がいっぱいの状態だと思う。

ここで、流されて離婚届にサインをしてしまっては大変なことになる。


それだけは、はっきりとわかった。



「ブライアン……何を、言っているの?」


ティナは口元を引きつらせ、表情がこわばっている。


「確かに、俺はひどい間違いを犯した。君に、ミリアにとんでもないことをしてしまった。本当に申し訳ない。けれど……」


俺は言葉を切って、呼吸を整えた。


「……君は俺を愛しているはずだ」


その場の全員が息を呑んだように静止した。


「どうか、もう一度だけチャンスが欲しい。許してくれとは言わない。償う機会を与えてほしいんだ……」


しばらく、沈黙が続いた。


「ふ、ふ、ふざけないで!もう愛なんてあるはずないでしょう!」


ティナが叫んだ。


――愛して……いない?


俺の胸に、雷に打たれたような衝撃が走った。


「あなた……正気なの?」


その瞬間、視界がぐらりと揺れた。


足元が崩れ落ちるような錯覚に襲われ、思わず壁に手をつく。

背筋に冷たいものが走る。


「……それは……どういう意味だ?」


なんとか言葉を絞り出す。


「ミリアはもうお父様なんて必要ないって言ってるのよ!」


彼女の言葉は、容赦のない拒絶だった。

まるで俺の存在に、何の価値もないと言われたようだった。


そんなはずはない……

あり得ない……


俺は、何度も何度も心の中で否定した。



「俺が……いらない……?」



心臓が止まったような気がした。


何も聞こえない。何も見えない。

ただ、「いらない」という言葉だけが頭の中で何度も響いていた。


ミリアの笑顔が、遠く霞んでいく。


俺は、もう父親はいらないのか……?





***




馬車は速度を上げ、夕暮れの街道を突き進んでいた。

俺は伯爵家を追い出された。

「もう二度と足を踏み入れるな」と言われて。


娘にも会わせてもらえなかった。自分の子だというのに……

手に持っていたミリアのクッキーが、馬車の床に落ちた。

それは、乾いた音を立てて、情けないほど寂しく響いた。


ミリアに会えるチャンスを、あなたは無駄にしたと言う、彼女の言葉の意味。

それを理解するまで、少し時間がかかった。


「そうか……ティナが侯爵家へ来た日だ……」


ミリアが熱を出したと知らせに来たあの日、俺は「大げさだ」と言って彼女を追い返してしまった。

エリザベスはティナの身だしなみを非難し、母も「いい加減にしろ」と彼女を叱責した。


そして俺は……「明日は帰ってきてほしい」と願った妻の頼みを、聞き入れなかった。


どうすればよかった…… どうすれば、よかったんだ。



娘との幸せだった時間が、走馬灯のように浮かび上がる。

初めて「パパ」と呼ばれた日。

誕生日に贈ったぬいぐるみを抱いて眠る姿。


あの子は、俺と一緒にピクニックに行けることを、心から喜んでいた。

伯爵家に帰るたび、会えない時間を埋めるように、俺のそばから離れなかった。


ちょっとした出来事に、いつも目を輝かせていた。

初めて覚えた詩を、誇らしげに暗唱してくれた。

俺の顔を絵に描いてくれた……



生まれてからずっと、愛する娘だった。


ミリアも俺のことが、大好きだったじゃないか……




***



侯爵家に着くなり、息を整える余裕もなく執務室へ駆け込んだ。

扉を乱暴に押し開けるや否や、声が勝手に張り上がった。


「帳簿を出せ!!」


執事たちが互いに顔を見合わせ、明らかな動揺を浮かべる。

伯爵の「借金をきちんと返済しろ」という声が、頭の中で何度もこだまする。

クリフの「いつまでも甘えられると思うな」という冷たい言葉も、耳にこびりついて離れない。


離婚だけは避けなければならない。

そのためには、まず俺が動かなければ。誠意を示さなければ。

ずさんだと言われる侯爵家の経営を立て直し、ティナにもミリアにも、胸を張れる父でいなければならない。


金を作らなければ、ミリアに会うことすら許されないかもしれない。

それどころか、この屋敷まで取り上げられる。


悪い想像が次々とのしかかる中、俺は独り言のように呻きながら、震える指で帳簿をめくった。

数字が、脈打つ鼓動の速さに合わせてぐらりと揺れる。

余裕があるはずの金が、どこかへ消えている?


「ブライアン様……何があったのですか?」

「伯爵が……ケジメとして、借金を全部清算しろと言ってきたんだ」


「なっ……な、何を突然!そんなの、無茶です!」


「俺は……離婚されたら、本当に全部が終わるんだ!!」


支出を削り、取引業者からの入金を待てばまだ間に合う。

そう思った、その瞬間。


背後から鋭い叫びが落ちた。


「何をしてるの、ブライアン!」


振り返るまでもなく、その声が誰のものか分かった。


母だった。



***



「ちゃんとルノー伯爵に、今月分の支援金を振り込むように伝えたの?」


母の声が、執務室の空気を叩くように飛んできた。


入金?支援金?


「そんなものはもうない!」


「ブライアン!あなた、何をしに伯爵家までわざわざ行ってきたの!あの人たちの言いなりになったんじゃないでしょうね?」


母は事の重大さを分かっていない。


「母さん!まだ支払いが済んでない物は全部、返品してくれ!支援金は……受け取れなかったんだ。今は一刻でも早く金を用意しないと……!」


「ブライアン、伯爵家ごときに、大きな顔をされてどうするの!」


母の目が大きく見開かれ、眉間に刻まれた皺が怒りで震えていた。

彼女はなにも分かっていない。


「身分や爵位は関係ない。金の問題なんだ!」


支払い請求書が山と出てきた。

母とエリザベスが買い漁った贅沢品の請求書だ。

桁外れの金額が、容赦なく財政を圧迫していた。


「こ……こんなに散財していたら……っ!」


ページをめくる手が、長年見過ごしてきた帳簿のずさんさに震えた。


母は、見返りのない投資に金を注ぎ込み続けていた。

エリザベスは、遊興費として毎月のように旅行へ出かけ、その費用はすべて屋敷の必要経費として処理されていた。


どれも、家計を圧迫するだけで何の利益も生まない支出だった。

俺が必死に帳簿を見直しても、数字は冷酷にその事実を突きつけてくる。


胸の奥で、不安がじわじわと広がっていく。


このままでは、屋敷を失う。


そんな最悪の未来が、すぐそこまで迫っていた。


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― 新着の感想 ―
7年間毎月一定額の融資を受け続けていながら1度も返済せず、家の体面を維持するための支出を当然と思い内訳の確認を怠り、収入が増えない理由を不思議だなぁで流していた経理担当…。そんなん、無能を通り越して害…
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