7
ふすまを開けた先で待っていたのはパソコンに向かう長い黒髪の後ろ姿。
傍のベッドで寝てる人がいる。
「竹中綾さん。除霊しに来ました」
反応はない。
佐倉君が一歩踏み込む。
長い黒髪が揺れ、振り向いたその顔は眉と鼻がなくて代わりに大きな口と大きな見開いた目が一つだけあった。
「一つ目お化け」
あ、声に出しちゃった。
しかも大声。
怒られるかな。
「あらあら。こわーい。でもこれだけで来た甲斐あったわね。なっちゃん。もうちょっといないの?一体じゃ物足りないわ」
一つ目お化けから腕が伸び佐倉君はお部屋の外に放り出される。
強烈なパンチ。
セイラちゃんは自身の長い金髪を私の身体に巻き付け私はちょっとしたミノムシとなる。
「佐倉君大丈夫?」
「ああ。ふすまを開けておいて良かった。破れたら弁償だった」
「あ、大丈夫なのね」
「ああ」
「ちょっとあんた弱すぎ。もういいわ。私がやる」
セイラちゃんはご自慢の美しい金髪をうねうねし始める。
セイラちゃんは髪を自在に伸ばしまるで自分自身の手足のように使えるのだ。
これでいつも私を守ってくれてるんだよね。
中学の時もそうだった。
私は見えているから怖くないけど、見えない人からしたらいきなり体の自由が利かなくなって放り投げられたら、恐怖だよね、一生忘れないかな。
「もう大丈夫だ」
「やせ我慢しなくていいわよ。私の活躍を見ていなさい」
「嫌。もう終わる」
「え?」
佐倉君が右手の人差し指を振り下ろす。
私とセイラちゃんは振り返る。
あれ?
一つ目お化けが・・・。
「小さくなってる?」
椅子に座っていたから正確な身長はわからなかったけれど、明らかに小さくなってる。
「俺は自分を攻撃してきた悪霊を小さくすることができる。一度でも攻撃を食らえば後はこの指で自由自在だ」
「何その地味な能力」
「だから期待するなと言っただろう」
「それにしても地味でしょ。終わっちゃったじゃない」
「すぐ終わるって言っただろ」
佐倉君がさらに右手の人差し指を振り下ろすと一つ目お化けさんはまた小さくなってしまった。
大きさで言うと多分もうスマホくらい。
「ごめん。セイラちゃん。苦しい。出して」
「あ、ごめんね。なっちゃん。すぐ解くわね」
佐倉君は部屋に入り一つ目お化けさんの前に胡坐をかき、また指を動かし一つ目お化けさんを更に小さくする。
もうキーホルダーにしても違和感がないくらいの大きさで、デフォルメされたかのごとくそんなに怖くはない。
「ちょっとあんた。攻撃食らわなきゃ小さくできないなら、一撃で首とか飛ばされてたら終わってたじゃないの。どうすんのよ」
「一撃で俺が死ぬようなら、一度で消滅するくらい小さくなる」
「でもあんた死んでるじゃない」
「攻撃態勢に入った時点で小さくできるから多分大丈夫」
「何よ多分って。恐ろしいわね。死んだらどうすんのよ」
「今のところ死んでないから大丈夫だろ」
「あんたねー。まあもういいわ。で、どうすんの?」
「限界まで小さくする」
「どれくらいよ?」
「植物の種くらい?」
あれ、何か。
声がする。
むくりとベッドから人が起き上がる。
白い顔をした肩までの黒髪の女性だ。
女性は額を押さえ、ため息をつく。
「ちょっとやめて。カナちゃん消さないで」
「竹中綾さんですね?」
「ええ。そうよ」
ベッドで寝てた人が憑りつかれている娘さんだった。
そりゃそうか。
この部屋にいた人間は彼女だけだ。
「もう終わりましたので大丈夫です。今日から一日の半分以上寝ているなんて生活しなくても大丈夫になります」
「誰がそんなこと頼んだのよ。お母さんでしょ。ホントあの人余計な事ばっかり私の望むことは全然してくれない」
「それはお母様と話し合ってください」
「カナちゃんもとに戻してよ」
「できませんししません」
「ずっとこのままで良かったのに」
「よくありません」
「あんたに関係ないでしょ。社会に出て働いたこともないガキが偉そうにしないでよ」
「すみません。でもこのまま放っておいたら大変なことになっただけですよ」
「今の方が大変じゃない。カナちゃんいなくなったらどうしたらいいのよ」
「それは好きにしてください」
「なによそれ、誰のせいだと思ってんのよ」
「誰のせいでもありません。憑りつかれたのは竹中さんのせいではありません。でもこのままでいいっていうのはあり得ません。こいつはもう完全に悪霊化していました。肉ばかり食べて竹中家の家計を圧迫していました」
「私もお母さんもそんなに食べないんだからいいでしょ。何にも問題ないじゃない」
「あります。幽霊には段階があって悪霊化すると人間からかけ離れた外見になり動物の肉ばかり食べたくなります。どんどん量が増えていって、食べないではいられなくなります。そして憑りつかれた人間はほとんど起きていられなくなります。さらに段階が上がると、動物の肉では満足できなくなって、人を食い始めます。人を食い始めますと悪霊は再び人間に近づき美しくなっていきます。そして例にもれずこうなります。どうして人間のあんたは生きているのに私は生きていないのと。人間だけが享受できる喜び睡眠が幽霊は取れませんしずっと若いままです。人間と同じ条件で暮せはしない。まあ他にもあるでしょうけど大体はこんなところです。肉を食っててくれる間はいいですが、外見がそうなってきた以上人間を食いだすのは時間の問題です。そうなった時どうしますか。法で裁くことができないのに」
「そんなのどうでもいい。私にはカナちゃんしかいない。お母さんが死んだら二人でこの家で楽しく暮す予定だったのよ。それを台無しにした」
「お母さんがいなくなったらどうやって暮らすんですか?こいつの食費は?光熱費は?オンラインゲームもお金がかかりますよ。ただじゃない」
「お母さんが死んだら私の身体をカナちゃんにあげてカナちゃんが働きに出る予定だった。身体の出し入れ可能なんでしょ?」
「そうですね。年季の入った悪霊ならできます」
「私はもう一生働きたくないけど、カナちゃんは私の代わりに働いてくれるって言った。そして二人でこの家で楽しく暮そうねって。それをあんたたちは邪魔をした」
「人間を食べなきゃならない程悪化したらもう貴方が誰かもわからなくなりますので食べられていたかもしれませんよ」
「それならそれでいい。もう絶対に人と関わりたくない」
「それは竹中さんの勝手にしてください」
「一日中寝てたっていいわよ。もう何もしたいことなんかないんだから」
「ゲームしてたらいいじゃないですか。カナが残してくれたデータ勿体ないですよ。せっかく強くしてくれたんだから当分これを楽しんだらどうですか」
「カナちゃんがやってただけで私一回もしたことないわよゲームなんか」
「じゃあこれから始めたらいいじゃないですか」
「何でよ。メンドクサイ。そんなことするくらいなら寝てるわ」
「もうそんなに寝られなくなりますよ。運動もしてないから逆に不眠症になるかもしれません。取りあえずスーパーに出かける所から初めてみませんか」
「嫌よ。町内の人皆知ってるわ。竹中さん所の綾ちゃん引きこもってるって。田舎ってホント最悪」
「変装したらいいんじゃないですか。帽子被ってマスクして眼鏡かけて」
「何でそこまでしなくちゃならないのよ」
「したくないならいいです。でもどっちみち眠れなくなるのでゲームしてるか出かけるかした方がいいかなと」
「どうしてくれんのよ、最悪よ。ねえ、人のこと不眠症にするとかあんたのが悪魔でしょ。くたばっちまえ」
「すみません。自分達はこれで」
「これでじゃないわよ。どうしろってのよ。外なんか出られないわよ。もう十年家から出てないのよ」
「出たくなかったら出なくていいんじゃないですか。好きにしてください」
「返してよ」
「返せません。こいつが人間を食う可能性がある以上放置するわけにいきません」
「あのクソババア。余計なことしやがって」
「お母さんにそれはないんじゃないですか」
「うっさい。私がこうなったのはあいつのせいなんだから」
「そうですか。でもこいつと竹中さんの生活が成り立ってたのはお母さんが今も頑張って働いてくれているからじゃないですか」
「そんなの当たり前でしょ。私は嫌だったのにあいつが二浪はやめてっていったから滑り止めの三流大学に行くことになったんだから。そしたらつまんない会社しか入れなくて、クソみたいな上司と同僚で鬱になって」
「すみません。帰ります。こいつは回収していくので」
「やめて。じゃあ誰でもいいからお化け紹介してよ」
「そんなことはできません。眠れないなら病院に行ってください。外を歩くのが嫌なら家の前までタクシー呼んでください」
「ふっざけてんの。あんた。私みたいな女馬鹿にしてんでしょ。人生の落後者、負け犬って。そっちのひらひらした女も」
「馬鹿になんかしてません。ただもう帰らないといけないので。何かありましたら白石何でも相談所にお電話ください。ご依頼とあらば何でもご相談に乗らせていただきますよ、所長が」
「外出たくない・・・」
「出なかったらいいじゃないですか。出ないと死ぬわけじゃないんですから。出ないのも竹中さんの自由です」
「他人事だから簡単に言えるのよ」
「そうですね。その通りです。他人ですから」
「さっきからそっちの女何も喋んないけどあんたは何なの?彼女?カップルとかふざけないでよ」
「彼女は助手です」
「もうやだ、死んじゃいたい・・・」
「死ぬことはないんじゃないですか」
「だって生きてたって仕方ないじゃない」
「朝起きたらご飯が食べられるだけで良くないですか?」
「ジジイじゃないんだから。家のジジイなんて根性ないから私が引きこもったら家出て行ったわ。最低でしょ」
「それもお父さんの自由じゃないですか」
「お母さんをおいて?お母さんが離婚しないから内縁の女と暮らしてんのよ。それもババア。ホント最低。キモチワルイ」
「まあお父さんのことはいいじゃないですか。帰りますね」
「カナちゃんだけだったわ。カナちゃんだけが私のこと大切にしてくれてたわ」
「お母さんも竹中さんのこと大切にしてると思いますけど」
「してないわよ。してたとしても親が子供大切にするのは当たり前でしょ。産んだんだから責任取りなさいよ」
「子供のうちは責任があるでしようけど。悪霊化する前はどうだったか知りませんけどこいつはオンラインゲームがしたいのと肉食いたかっただけだと思いますよ。だからもう思い出を余計に美化しなくていいです。竹中さんは利用されていただけです。もうやめましょう。不毛です」
「じゃあどう生きればいいのよ、老後の計画がパーよ、パァー」
「お母さんを大事にしてあげたらどうですか?」
「老い先短いババアを。無駄じゃない。どうせ死ぬんだから」
「どうせ死ぬのは竹中さんも同じですよ。遅いか早いかだけです。人間は皆どんな人でも死にます。
どれほどの栄光を掴み人に羨まれた人でも、どれほど惨めだと思って生きていた人でも」
「大っ嫌いなのよ。何でも受け入れて甘んじて生きているあの人が」
「そんなこともないんじゃないですか。ひょっとしたらお父さんがいなくなって清々してたかもしれませんよ」
「何よそれ」
佐倉君はフウセンカズラの種くらいの大きさになった一つ目お化けさんを右手の人差し指と親指で摘まみ握りしめた。
「喉渇きませんか?何か飲んだ方がいいですよ。自分達ももう帰りますので、一緒に降りましょう」
「話全然終わってないわよ」
「自分は除霊しに来ただけですので」
「人の人生滅茶苦茶にしておいて」
「どっこも滅茶苦茶じゃないですよ。住む家があって明日のパンの心配をしてるわけじゃないんですから」
「職なし、子なし、いるのはババアだけ」
「一人いたらいいじゃないですか」
佐倉君はすたすたと階段を降りていくので私も続く。
竹中綾さんも私の後ろからついてくる。
佐倉君は階段の下に置いておいたリュックのファスナーを開けて透明なピルケースを取り出し小さくなって一つ目お化けの面影もなくなった丸い粒を入れ、本日二本目のウィダインゼリーを開けて一気に体内に流し込むように飲む。
「すみません。帰ります」
佐倉君がお母さんがいるであろう部屋のドアに声をかける。