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佐倉君は約束の十五分前にやって来た。
「早いよ」
「十五分前行動は基本だろ」
着替えといて良かった。
昨日は九時に寝て十一時間は睡眠をとったはずだから体調は万全のはずだ。
「どこに行くの?」
「取りあえず駅に」
「駅で待ち合わせしたら良かったんじゃないの?」
「待ち合わせにしたら、あんた来ないかもしれないだろう?」
「約束は守るよ」
「取りあえず行こう」
「うん」
セイラちゃんは朝からふくれっ面、それでも美人。
私は外に出て白いレースのついた日傘を広げ歩き出す。
「暑いね」
「暑いな」
「ちょっと、イケメン。もしかして私達のこと山奥かなんかに連れて行って埋めちゃおうとか考えてないでしょうね」
「どういう発想でそうなるんだ」
「わっかんないわよ。あんたみたいな何考えているのかわかんないのが一番怖いのよ。もっと怖いのはいっつもニコニコしてる人間だけどね。あれ絶対笑ってないんだから。家でぬいぐるみしばきまくってるわよ」
「そうだな。愛想のいい人間は怖い」
「そうなの?」
「知らん」
「どっち?」
「見た目じゃわからないだろ。でもまあ、よく知らん人間と二人きりにならないことはいいことだ。まああんたの場合は二人きりになろうとしてもなれないわけだが」
「当然でしょ。二人きりになんかさせないわ。悪い人間だらけなんだから。よく学校なんてまともに通わせてるわよね。名前くらいしか知らない人間と丸腰で机並べてるだなんて狂気の沙汰よ。子供を持つ親は皆騎士をつけたらいいのに。ロマンチックでしょう?」
「その騎士が悪い人間だったら?」
「可愛くないわね、あんた」
「そうだな」
セイラちゃんと佐倉君がこまごまとしたやり取りを繰り返すうちに駅に着いた。
「一時間くらいで着く」
ロングシートの座席に並んで座り、電車が揺れ始めると眠くなってきた。
セイラちゃんは目の前でぷかぷかと楽しそうに浮いている。
何だかんだと電車に乗るのは嬉しそうだし、私もそんなセイラちゃんを見ることができて嬉しい。
「寝てていいぞ。着いたら起こしてやる」
「私が起こすからいいわよ」
「うん。じゃあお願いします」
うつらうつらしだすと凭れるものがないので身体が前に倒れそうになり、寸でのところで持ちこたえる。
「肩使っていいぞ」
「よだれ垂らしても電車から放り投げたりしない?」
「するか。あんたは俺をどういう人間だと思ってるんだ」
「じゃあお言葉に甘える。もう眠くて眠くて」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
昨日は佐倉君と別れてお買い物をしてお家に帰ってエンゼルクリームとエンゼルフレンチとココナッツチョコレートを食べて、晩御飯をセイラちゃんが作ってくれるまで寝て、酢豚とほっけの開きでご飯を食べてお風呂にもゆっくり浸かってぐっすり寝たのにな。
昨日初めて話した男の子の肩を借りて寝るなんて考えられなかったよなぁ。
でも佐倉君は男の子っていうより綺麗で不思議な生き物、水族館で見る青い世界の住人、そんな感じ。
つまりセーフ。
「青江、そろそろ降りるぞ」
「なっちゃん」
目を覚ますとセイラちゃんが私の顔を覗き込んでいた。
覚醒するととんでもないことをしたような気になったけれど、終わったことはしょうがないので気にしないことにした。
「じゃあ、駅から歩くから」
「歩くの?この炎天下を?」
「そんなに遠くない。三十分くらいだ」
「三十分も歩くの?」
「ああ」
「ちょっと、なっちゃんは体力ないんだから何とかしなさいよ」
「体力ないのはあんたのせいだろ」
「あーもーやーめーてー。歩くから」
「なっちゃん無理しなくていのよ。もう私達はデパ地下で買い物して帰りましょう。除霊とかホントは興味ないし」
「せっかくここまで来たんだし行こうよ。私除霊見たい」
「見たいのぉ?」
「うん。ちょっと見てみたい」
「ちょっと、イケオ」
「イケオってなんだよ」
「イケてる男の略。イケメンて長いでしょ?何事も短縮短縮。コスパコスパ」
「たった一文字だけだろ。で、何だ?」
「除霊とやらは面白いんでしょうねぇ?」
「それはわからん。俺は彼女がどんなことを面白いと思うか知らないからな」
「言っとくけどなっちゃんはアニメとか漫画とか興味ないからね。特別な能力を得た主人公が無双するのとか全然興味ないし、冴えない男子がやたらと美少女にもてまくるのとかも興味ないし、女の子同士のふわふわした日常も興味ないしぃ。派手に爆発するアメリカの映画とかは大好きだけど。あー。今日もあんたさえ来なかったら二人でひたすらネトフリ見て美味しいもの食べて夏休みらしくだらだらしてたのに」
私は寝ちゃうけどね。
「こんな遠くまで来てクソしょぼいもん見せるんじゃないでしょうねぇ。わざわざ見せてやるって言ったんだからトム・クルーズみたいなことできるんでしょうね?ミッションインポッシブルのっ!!」
「あの止まってるやつか?」
「モチのロンよ」
「あんなことはできないし、爆発もしない。そもそもトム・クルーズが戦っているのは人間で悪霊じゃない」
「わーってるわよ。ホントつまんない男。やっぱりなっちゃん帰りましょう?」
「お腹空いた」
「ほら、駅ビルのデパ地下寄って帰りましょう。ねっ?」
「せっかく来たんだから除霊見て帰ろ。私歩くよ」
「大丈夫なの?」
「うん。でもお腹空いたからあそこのファミマ寄っていい?」
「いいに決まってるじゃない。行きましょ」
普段遠出する習慣がないから補給食を失念していたので鞄には携帯とお財布とハンカチとティッシュしか入っていない。
ファミマのドアを開けるとひんやりとした気持ちいい空気に全身が包まれ、体力ゲージが回復する。
我が家に帰ってきたような安心感。
コンビニ、スーパー、ドラッグストア。
兎にも角にも食べ物が買える所が私のふるさと。
母なる大地。
大好きな北海道メロンパンとカヌレとお水を手に取って興味もないのに女性誌のコーナーを覗いてみる。
同じ顔のイケメンばかりが表紙を飾っている雑誌が並んでいる。
恐らく一生買わないし手に取ることすらないけれど、コンビニに来るとついレジに行く前に雑誌のコーナーに行ってしまう、そして謎の習慣で頷いてからレジへ向かう。
私の指さし確認。
「もっと買っとかなくていいのか?」
「多分。お昼までこれで持つと思う」
「そうか」
「ベンチに座って食べていい?」
「ああ」
バス停の前のベンチに二人で並んで腰かける。
バスは行ったところなのか暑すぎるのか誰もいない。
「このメロンパンが一番好き」
「そうか」
「食べたことある?」
「ない」
「一口食べる?」
「くれるのか?」
「うん」
私はメロンパンの袋を開けて緑色の顔が見えるようにして彼に差し出す。
「ちぎっていいよ」
佐倉君は右手で小鳥のおやつ程度の大きさを持っていき、そのまま口に放り込む。
「美味しいでしょ?」
「ああ」
「なぁにそれ、せっかくなっちゃんがくれたんだからもうちょっと感動しなさいよ。なっちゃんが食べ物を分けるなんて滅多にないことなんだからね」
単純に分ける人がいないからだけどね。
でもそう言われたら、誰ともわけっこしたことないなぁ。
お母さんが出ていく前、なんか有名なジェラート食べに行って分け合いっこした時以来かも。
あれは何てお店だったっけ。
あれ以来一度も行っていない。
「もうちょっと食べていいよ」
佐倉君はまたしても小鳥のおやつほどの大きさにちぎりそのまま口に放り込む。
「美味しい?」
「ああ」
「だーかーらー。もうちょっと美味しい顔しなさいよ。無表情ね。能面みたい」
「美味いと思っている。顔はどうしようもないだろ」
「そうだね」
私は少しだけかけたメロンパンに齧りつく。
私は美味しい顔できているのかな。
「なっちゃん、美味しい?」
「うん。美味しいよ」
「これよ、これ。この顔が美味しい顔。あんたのじゃこのメロンパンの美味しさ伝わんないじゃない」
「・・・悪い。俺も分けられるものを買ったらよかったな」
「いいよ。私が食べてもらいたかっただけだから。このメロンパン大好きなんだけど、言える人がいなかったんだよね。お父さんもお祖母ちゃんもメロンパン好きじゃなくて、菓子パンはもっぱらあんパン派だから。勿論あんパンも大好きだけど。このメロンパンは特別」
「そうか」
佐倉君はガリガリ君のソーダ味の袋を開ける。
一口が大きい。
あ、思い切り齧った。
不思議、その透き通った水色より彼の横顔の方が私には涼しそうに見えている。
昨日まで話したこともなかったのに、今は一緒に並んで食べている。
知ってはいたけど、知らなかった男の子と。
「イケオー。そのリュックに除霊道具が入ってるわけ?」
「嫌。道具は特にない」
「てっきり陰陽師みたいな平安装束で来るのかと思ってたー。何でそんなダボダボのTシャツなのよ。せめて黒いロングコートでしょ」
「この暑いのにか?死んでしまうだろ」
「お札とか使わないの?」
「使わない」
「英霊を召喚、とか?」
「そんなことはできない」
「なぁによー。使えないわね。炎とか氷とか出せたりしないの?」
「出せない」
「思ってる以上にしょぼいことなりそうね」
「そうだな。余り期待しないでくれ。派手なことはできない」
「そうね。あんた闇属性っぽいもんね」
「否定はしない」
「まさか、悪霊たいさーんって言って終わりとかじゃないでしょうね?有り得そうで怖いんだけど」
「それなら苦労はしない」
「ま、いっか。夏休みは長いし。明日からずっと私とエアコンの効いた部屋で食べ物いっぱい買いこんで呑気に過ごしましょうね、なっちゃん」
「うん」
「そういえば、何でなっちゃんなんだ?あんたの名前渚だろう?」
「わかんない。うちはお父さんもお母さんも私のことなっちゃんって言ってたから。あ、カヌレは好き?」
「ああ」
「ごめん。これは分けられない」
「嫌、そんな小さいの分けろなんて言わないし、食いたかったら自分で買う」
「あ、そっか」
日陰の中は気持ちがいい。
もうここから出たくないな。
今時間止まっても別にいいや。
「青江、もう行けるか?」
「うーん」
「じゃあ、行こう」
日傘に入れてあげた方がいいかしらと思ったけれど狭いし身長差があるからやめておこう。
それに佐倉君ちっとも暑そうじゃないんだよね。
除霊師だから?
身体ひえひえなの?
実は私に見えていないだけで佐倉君の背中にべったり幽霊が張り付いていたりする?
面積広いし。
それにしても駅前ってどこも同じ景色なんだな。
コンビニがあってバス停があって、そこそこ高いビルが並ぶ。
そういえば中学の修学旅行以来だな、県外に出るの。
「佐倉君は二年からうちの高校だよね?一年の時はいなかった」
「父親が転勤になったからな」
「どこから来たの?」
「東京」
「いつから、除霊、始めたの?」
「小四から」
「えっと、何で?」
「母親がやってたから。やらなくなって俺が継いだ」
「先祖代々やってるの?」
「ああ」
「平安時代から続く名家、とかなの?」
「嫌。普通の家」
「イケオのご先祖様忍者?陰陽師?山伏?」
「知らん。やってたのは母親の実家だし。父親は普通の会社員」
「お母さんの実家漢字のかくかくした名前?」
「やたらと画数多いあれね。いかにも小学生が好きそうな。なんと院とか普通に読めない漢字の」
「普通に佐藤」
「何でそうあんたはつまらないのよー。あんたって付き合ってもすぐに女の子から一緒にいても楽しくないから別れましょって言われるタイプでしょ」
「否定はしない」
「佐倉君暑くないの?」
「別に。こんなもんだろ。夏なんだから」
「そう」
駅からだいぶ離れると、石垣が見えてきた。
どうやらお城があって観光地っぽいけど佐倉君は目もくれず遠ざかっていくので私はついていき、ひたすら歩く、歩く、歩く。
今日わかったこと、足の長い人の一歩は大きい。
「もう歩けない」
「イケオ、なっちゃん歩けないって」
「じゃあおぶってやろうか?」
「血のつながりのない男の子の背中になんか乗ってはいけないと思います」
「そうよー。セクハラ」
「じゃあ頑張って歩いてくれ。もうちょっとだから」
「だって三十分とか言ってたけどもう三十分以上歩いてるよ。疲れたよ。暑いし」
「水を飲め」
「もう温いです。ちょっと休憩しようよぅ。あそこにスーパーあるよ。そこのフードコートで休憩しよう?休憩を要望します」
「そうだな。昼飯にしよう。じゃああそこまで頑張って歩いてくれ」
「はーい」