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幽霊のセイラちゃんと暮らし始めて十年が経つ。
セイラちゃんは美人で優しくってお料理が上手なとても素敵な女性。
毎日とても楽しく仲良く暮していて、これからもずっとこの生活が続いていくと疑ったことなんてなかったんだけど。
どうやらそうもいかないみたいです。
「あんた、憑りつかれているぞ」
放課後同じクラスの佐倉君に話しかけられ、図書室に行くことになった。
佐倉君と話すのは一学期の終業式の今日が初めてだった。
初対面も同然の男子にこう言われてどう返すのが正解なのか全くもってわからないので、とりあえずすっとぼけてみることにした。
「何のこと?」
「見えているんだろう?あんたの後ろにいる白いワンピースを着た金髪の髪の長い女のことだ」
どうやら佐倉君にはセイラちゃんが見えているらしい。
セイラちゃんが見えている人に会うのはこれが初めてだったけど、ただの親しくもないクラスメイトと個人的な話をするつもりはないので、わからないふりをする。
名前しか知らない人間に土足で踏み込まれたくはない。
「ごめんなさい、何を言っているのかわからない」
「とぼけなくていい。あんたがいつもこいつと弁当を食っているのを知っている。帰り道話しているのも聞いた。いつからだ?」
「だから何言ってるのかわからないよ。ごめんね。もう帰ってもいい?」
「あんた痩せているのに相当食うだろう?幽霊は何も食べなくてもいいからな。弁当はいつもあんた一人で食っていた。野球部男子みたいな弁当箱でな。昼休みまでの間にもチョコを食べたりシリアルバーを食ったりいつも腹を空かせているだろう。朝練もない帰宅部のあんたが。何故だ?」
「人より胃袋が大きいんじゃないかなぁ」
「あんたいつも眠くないか?一日何時間寝ている?」
「十時間くらいかなぁ。お昼寝もするからもっとかも」
しまった。
正直に答えてしまった。
だってこの人目力強すぎるよ。
声も何か重いよ。
そもそもセイラちゃん以外の人とほとんど話さないから、そういえば先生以外の人に質問されるのも久しぶり。
お父さんは私が話しかけない限り話しかけてこないもんなぁ。
「何故そんなに眠いかわかるか?」
「成長期?」
「違う。あんたがそいつに憑りつかれて体力を奪われているからだ。だからいつも腹がすくし、眠い」
「そうなんだ」
「憑りつかれてることは認めるか?」
「認めない。知らない。何言ってるかわかんない」
「頑なだな。安心しろ。信じられないかもしれないが俺はあんたの味方だ」
お腹は確かにすぐ空いてしまう。
眠いのもそう。
だから授業が終わるとスーパーに寄って食料の調達をしてまっすぐ帰る。
家はそんなに離れていない、すぐ帰れるように家から一番近い高校を選んだ。
どうやらそれは不正解だった。
味方、そんなことをほぼ初対面の女子に言える男子は詐欺師に違いない。
もう何も言うまいと心に誓い、口を一文字に閉じる。
チャックチャック。
「このままだと悪化の一途だぞ。一日中食べずにいられなくなるし、授業中も寝てしまう。まともに就職もできない。今は楽しいかもしれないがいずれあんたは苦しむことになる」
「なんないよ」
「今は親のすねをかじっているから食費も気にならないだろうが、このペースで食っていたらどうやって生活する?家賃だって払わなきゃならない。病気だってするだろう。あんたが思っている以上に生きていると金がかかる」
「食費は大丈夫。他に趣味がないからお金使うところ何にもないし。友達もいないから家に帰れば大体寝てるし」
「憑りつかれたままでいいってことか?」
「うん」
あ、しまった。
これは認めちゃいけない流れだった。
やっぱり喋り慣れてないから、会話をかわす技術がない。
「認めたな」
「認めていません。知りません」
「いつからだ?」
「わかりません」
「五年から十年てとこか。そろそろだな」
「何が?」
「幽霊は時が経てばたつほど悪霊化していくリスクが高まる。悪霊化したらもうそんな人間のような姿ではいられなくなる」
「そうなの?」
「ああ。化け物になる。だからその前に除霊する」
「じょれい・・・」
「大丈夫だ。あんたは何もしなくていい。俺がする」
「じょれいってどうなっちゃうの?」
「別に、この世から消えてもらうだけだ。最も、もともといないはずなんだから元の状態に戻すだけだ」
「やだよ」
「あんたの気持ちはわかる。数か月観察しただけだがあんたらがとても上手くいってることは俺でもわかる。でも放っておいたらあんたにとっても彼女にとっても可哀想なことになるだけだ。それは嫌だろう?」
「やだ」
「除霊していいか?」
「やだ。だってセイラちゃんが消えちゃったら私誰と喋ったらいいの?私セイラちゃんしか喋る人いないんだよ」
「俺が喋ってやるから」
「佐倉君男の子だからやだ」
「じゃあ女性の除霊師を紹介してやる」
「やだ。それはセイラちゃんじゃないもん。女の子だったらいいってもんじゃないんだよ。絶対やだ」
「すっかり手懐けられてるな。いいか。あんたはこいつに利用されているだけだ。幽霊は憑りついた人間から体力を奪っていくがそれは全部幽霊のエネルギーになっている。力を貯めているんだ。そしてあんたの身体を乗っ取って」
「ちょっと、人聞き悪いこと言わないでよ」
「セイラちゃん」
あらあら遂に参戦だ。
でも心強い。
二対一なら勝てるかも。
私の二十センチほど高い所にあるセイラちゃんの美しい切れ長の瞳を見つめる。
これは強い。
もう任せます。
私は佐倉君から目を離し恐らく生涯読まないであろう世界文学全集のドストエフスキーという文字を見つめる。
「さっきから黙って聞いてりゃホント失礼ね。私がなっちゃんを利用してる?そんなわけないでしょ。
私達はお互い思い合ってるの。なっちゃんには私しかいないし、私にもなっちゃんしかいない。あんたの出る幕なんかないわ。諦めなさいイケメン君」
「あんたらが上手くいってるってわかってるっていっただろう。そうじゃなくて時間が経てば経つほど悪霊化する確率が上がるんだ。上手くいっているうちに別れた方があんたらのためだ」
「それよ、それ。何で大して親しくもないのにあんたなんて言ってるわけ?失礼だと思わない?イケメンだから何でも許されると思ってるでしょ?」
「思ってない。気に障ったのなら謝る。セイラさん?」
「そう、年上には敬語でね。ついでになっちゃんも青江さんでいいでしょ」
「わかった。青江」
きゅるきゅるきゅるきゅる。
お恥ずかしながらお腹がなってしまった。
仕方ないので挙手をする。
「お腹がすきました」
図書室は飲食禁止。
よって。
「お腹空いたからもう帰ってもいい?」
「話はまだ終わってない」
「終わったわよ。イケメン。私となっちゃんは誰よりも強固な絆で結ばれているの。家族以上なの。あんたのつけ入る隙なんてないの。ごめんなさいねハンサムさぁーん」
きゅるきゅるきゅるきゅる。
私はお腹を押さえる。
沈まれーではなく、もっと鳴れーの意味で。
「お腹空いた」
「わかった。取りあえず帰ろう。途中で何か買ってやるから」
「あー、駄目よ。なっちゃん。知らない人に奢ってもらうのなんか。特に男の子なんか絶対駄目」
「知らない人ではないだろ。クラスメイトだ」
「そんなの知らない人と一緒」
「あんただって悪霊化したくないだろ。この子のためだけじゃなくあんたのためでもある」
「セイラさんね、イケメン坊ちゃん」
「セイラさん」
「お腹空いたよー」
「そうね。帰りましょ。なっちゃん」
「じゃあまたね。佐倉君」
良い夏休みをと言おうかと思ったけど、そんな言い方本当にするのかわからなかったのでやめておいた。
図書室から出るとリュックサックからプロテインバーを出して一口齧る。
隣に並んだ佐倉君は恐らく私より三十センチ以上身体が長い。
黒髪は何だかカチコチで固そう。
声といい見た目といいどこもかしこも柔らかい所なんて一個もなさそう。
歯が折れそうに固いアイスバーみたい。
まあ、口に突っ込んどいたら溶けるんだけど、私は好きじゃない。
だから自分では買わない。
「時が経てば経つほど空腹に苦しむことになるぞ。それでもいいのか?」
「食べればいいだけでしょ。食べるの好きだから平気」
「帰宅途中で眠くなって倒れるかもしれない。そこに車が突っ込んで来たらどうする?」
「セイラちゃんが助けてくれるから平気」
「そうか、掴めるのか」
「セイラちゃんお料理もできるよ。カレーも美味しいし、サバの味噌煮も美味しいし、ゴーヤチャンプルーも美味しいし、セイラちゃん作るもの何でも美味しいよ」
「いつもセイラさんが作っているのか?」
「そうよ。なっちゃんお父さんと二人暮らしだから。パパさんはお料理全然できないから」
「父親にも見えているのか?」
「見えてないわよ。パパさんのいる時はなっちゃんと二人で台所立ってるの。だからパパさんはなっちゃんはとても料理上手な女の子だって思ってるんじゃない。ちょっと大食いな」
プロテインバーを一本食べ終えるとペットボトルのお水を一口飲む。
「暑いよぅ」
「なっちゃん暑いって。もう帰ってもいいでしょ?」
「まだ話は終わってない。飯を食いながら話そう」
「嫌よ。何であんたと一緒に食べなきゃなんないのよ」
「セイラさんは食べなくてもいいだろ。青江に言ってるんだ」
「うん。食べよう」
「なっちゃん」
「だってこのままじゃ埒が明かないし。走って逃げても私足遅いから逃げられないだろうし」
「でーもー」
「それにちょっと気になるし」
「よし。じゃあ行くぞ」
「何命令してんのよ。寧ろあんたが付いてきなさいよ」
「何でもいい。取りあえず話を聞いてくれ」