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鯛焼き焼いた鯛焼き焼いた鯛焼き焼いた

作者: jima

 1908年 4月 大阪


 大阪の神戸清治郎(かんべせいじろう)は『甘いもん』で一旗あげるべく上京を決意した。

 武器は『今川焼き』。


「どうやろ。この餡子(あんこ)なら江戸の何処(どこ)にも負けへんと思うんやけど」

「うーん、美味しいとは思いますけどね」

「何やねん。言いたいことありそうやあれへんか」

「あんたね、このくらいのもんなら東京にもあるんやないの」

「最高の丹波の豆で炊いた秘伝の餡子やで」

「東京で勝負するなら、もうちょっと何か特徴が欲しいんやないかねえ」

「何言うとんねん。真っ向勝負や!待っとけ東京!」

「…ハア」


 清治郎は一本気な楽天家、女将は心配性であったが、とにかく東京へ出て行くことになった。

 餡子のコクは誰にも負けない。これで江戸を席巻する。鼻息と餡をかきまぜる手つきが荒くなった。






 1908年 8月 アメリカ デトロイト 


 アメリカはデトロイト。タイガースのタイ・カッブは絶好調だ。2位のクリーブランド・ナップスとの激しい首位争いの中でヒットを打ちまくる。


「タイラー、いい調子じゃんか」

 試合後、チームメイトのサムがタイ・カッブに声をかけた。

 タイ・カッブとサム・クロフォードはデトロイトタイガースの2枚看板。ともに打の中心選手だ。

 サム・クロフォードは実を言うとこの男のことが苦手である。物言いが乱暴で高飛車、試合でも勝負にこだわりすぎて、ラフなプレーに走りがちだ。


 世間ではタイ・カッブのことを『最高の野球選手で最低の人格』などと噂している。

 案の上タイ・カッブの返事はサムクロフォードを苛立たせるものだった。

「何だ。お前の方がホームランの数が多いってことを自慢したいのか。ああん?」

 ああ、嫌だ。ホント何でこいつのチームメイトなんだ、とサムの顔も曇る。

 それでもチームは絶好調、5月の初めに首位に立って以来、その座を譲る気配はない。


 夏になっても圧倒的に勝ち進むデトロイトタイガースのリーグ2連覇は目前、このままワールドチャンピオンも確実と思われ、タイ・カッブとデトロイト市民の鼻息は俄然荒くなった。






 1908年 10月 東京


 メジャーリーグマニアの大学生、正力松太郎(しょうりきまつたろう)は妄想する。タイ・カッブのような選手が日本から生まれることがあるのだろうか。…今のままではあり得ない。


 彼は東京帝国大学の2年生である。下宿で友人に話題を振ってみる。

「なあ、デトロイトタイガース、ワールドチャンピオンは逃したけど、強かったよなあ」

「何だ。で、でとろいと?チャンピオンと言ったら横綱のことか?」

「ベースボールの話だよ」

「横綱なら梅ヶ谷だろう。強いよなあ」

「相撲じゃないって。ベースボール!野球だ」

「何だ。野球は早慶戦につきるだろう」

 1872年アメリカ人の教師が野球を紹介してから36年。

 だがこの頃の野球と言えば『学生野球』であり『早慶戦』がその頂点として人気を博していた。

 しかしその早慶戦も1906年にそのヒートアップぶりを咎められて中止に追い込まれる。

 ましてやメジャーリーグベースボールなんて長い片仮名言葉はほとんど誰も知らなかった。


 松太郎はめげない。こんな国だからこそやり甲斐がある、本気でそう思っていた。

 ないのならいつか自分の手で作ってやる。誰もが憧れるプロ野球球団、スーパーマンのような選手を。

 この年東京帝国大学2年生の青年は下宿の布団の中で鼻息を荒くした。





 1908年 12月 東京


 東京麹町に店を開いた神戸清治郎は苦悩していた。満を持して開店した『浪花家(なにわや)』には閑古鳥が鳴いている。自信満々の今川焼きの評判も今ひとつ…何か看板商品が欲しい。


「新しい商品、新しい商品、新しい商品、うーむ」

「あんた、何唸ってますの」

「今川焼きが売れんのは目新しさや。これだけ東京に大判焼きや円盤焼きや今川焼きがあったら、誰もうちのんを選ばん。餡子はどこにも負けへんのや。斬新で人目を引くようなデザインや!」

「言ったやないの。特徴が無いて」

 清治郎は都合の悪いことは忘れる。


 女将はこう励ます。

「コツコツやったらええやないの。慌てんでも」

「じゃかましわい。ワシはウサギと亀やったらウサギタイプやねん。バーーッとノンストップで走りたいタイプなんや」

「ウサギより亀のほうが商売には向いてると思うけどねえ」


 清治郎はその言葉にハッと庭の池を見る。

「それや!それや!亀や。亀は万年いうて縁起もええ。形も餡子が入りやすい!よっしゃ、これでいったろ!」

「ウサギタイプ言うたくせに」

「心はウサギ、形は亀、男は清治郎じゃ!」

「…何言うてんねん」


 さっそく彼は亀焼きの開発にとりかかる。

 要は今川焼きの形を亀の形にしただけだ。しかし楽天家の清治郎は確信した。


 これは…いける!


 




 1909年 1月 デトロイト


 デトロイトの地下鉄でタイ・カッブは苦悩していた。タイガースはリーグ2連覇を果たしたものの、ワールドシリーズではシカゴ・カブスに1勝4敗と惨敗し、タイ・カッブが目指していたホームラン王もチームメイトのサム・クロフォードに奪われた。

 自分には何かが足りない。地下鉄に揺れながら、彼は悩んだ。


「あっ、タイ・カッブ選手だ」

「ホントだ。サインもらおうぜ」

「でも『最低の人格』って新聞に書いてあったぜ。大丈夫かな」 


 二人の野球少年がデトロイトのヒーロー、タイ・カッブに恐る恐る話しかける。

「あのー、タイ・カッブ選手ですよね?」

 タイ・カッブはジロリと少年をにらんだ。

「何だ。おめーらは、忙しいんだ俺は」


 少年達は気の毒に、もう涙目だ。

「ごめんなさい。ごめんなさい。結構です。すいません」

「早くそのノートを貸せ」

「?…え?」

「サインだろう。何だ。シャツにして欲しいのか?うん?違うのか?」

 実はタイ・カッブ、口はとことん悪いがめっちゃいい人だったのだ。みんな誤解していた。


「ありがとうございます、タイラーさん。来シーズンも頑張ってください」

 二人の野球少年は大喜びだ。大切そうにサイン入りのノートを胸の前で抱きしめた。

「おう、気にすんな。お前らも学校で勉強しっかりやれよ、馬鹿野郎どもが」

 その『馬鹿野郎』が余分で世間から誤解を受けていることにタイ・カッブは気がつかない。


「はい、あなたのような野球選手になりたいんです。親父みたいにならないよう頑張ります」

「何だと、この野郎!」

 いきなりタイ・カッブが怒鳴ったので少年がのけぞった。


「す、すいません」

「親を悪く言うような奴はろくなモンにならんぞ、このボケナス。お前の親父は何してるんだ」

「は、はい。レンガ職人です」

 タイ・カッブは少年を睨みながら言う。

「立派な仕事だ。お前はそれで養ってもらってるんだろ。親をリスペクトしろ!大馬鹿野郎」

「は、はいっ!」


「この地下鉄の壁のレンガだってお前の親父さんみたいな職人がいなかったらできなかったんだ。判ってんのか、アホのクソ」

 いいことを言ってるのに惜しい欠点である。


「このレンガな、うむ?……!」


 その時自分の言葉と地下鉄の窓を横切るレンガの壁は彼にある天啓を与えた。

 流れていく景色、レンガを窓からジッと見て、色や形を捉える。

 動体視力のトレーニング!まだその概念はなかったが、眼を鍛えるという発想に彼は興奮した。


 これは…いける!





 1909年 3月 東京その1


 松太郎は悩んでいる。日本にプロ野球の球団を作る…何から始めたものやら。大学生が悩むスケールの問題ではないが、彼は大真面目である。

 卒業を2年後に控え、彼の前にある道は真っ直ぐ官僚コースが開けている。法学部から入省して高級官僚になるのが既定コースだが彼の望みは高級より硬球であった。政府高官の人ではなく、セーフで右中間のヒットであった。


 そんなある日彼は麹町付近を歩いていて、ハタと歩みを止める。いい匂いがした。

 実は彼は大の甘党であり、餡子を炊く匂いでその出来が判るほどであった。その彼をして「この匂いはただ者で無い」と感じさせる小豆の甘い香りが漂っている。


「浪花家…聞いたことがないが。屋号からすると上方(かみがた)の店なのだろう」

 小さな店を覗くと一番目立つ場所に飾られているのは『亀焼き』。もちろん松太郎には初耳だ。


「すみません。この亀焼きをひとつください」

「はい。店内で食べてきまっか?」

 応えたのはにこやかな店主、清治郎であった。


 松太郎は店内で亀焼きを口にして、さらに考えに耽る。

「両親や田舎の期待に応え、官僚への道を進むべきか。それとも自らの心のままに振る舞うべきか」

 だが甘くてコクのあるその餡子が松太郎の思考を一旦打ち切らせる。


「うま」


 これは…いける!





1909年 3月 東京その2


 店主が嬉しそうに松太郎の顔を覗き込んだ。

「やろ?味には自信がありまんねん。ほんで今度は目立とうとして、新しくその亀焼き売り出しましてん」

「そうですか。この美味しさなら評判になってるでしょうね」

「それが…」


 まったく売れない。亀焼き販売開始からすでに2ヶ月が過ぎていた。

 清治郎は自信を無くしつつあった。



 その時、一人の巨人(ジャイアント)が入店してきた。当時、東京のど真ん中でもまだまだ外国人は珍しい。

「コニチワ」

 清治郎は慌てる。これは困った。このどでかい外国人は何をしに来たのか。


 松太郎はというと……

 彼は驚愕のあまり、口が利けないどころか腰を抜かして席から立てないでいた。

 彼があれほど憧れた、そして焼け付くほどに胸を焦がし求めたあの人がそこにいた。


 タイ・カッブは実は甘いものが大好きだったが、日本のこの不思議なケーキが何なのかわからなかった。豆を甘く煮付けてデザートにするなどというのは意味不明だったのである。


「Hey,What is this turtle-shaped thing?(この亀の形のものはなんだい?)」


 清治郎はタイ・カッブの言葉にもちろん反応できない。

 松太郎は15秒ほど固まって、ようやく言葉を出した。

「You're T, Ty Cobb, aren't you?(た、タイ・カッブ選手ですよね)」

「It's noisy. I'm asking what this is, stupid!(うっせえな。これは何だって聞いてんだ。このどアホう)」

 タイ・カッブは地球のどこへ行ってもタイ・カッブであった。


「e,excuse me.This is a tortoise-shaped sweet called Kameyaki.(す、すいませんでした。これは亀焼きと言って亀の形をしたお菓子です)」



 タイ・カッブはこの年、本人の希望によって極秘来日していた。友人から見せられたフィルムで日本の早慶戦を見た彼は、走塁やバントなど細かい技術の練習に日本の学生野球が参考になると考えたのである。本日は近くの大学に見学に行ったその帰りだ。


 松太郎が英語に堪能であったのは、ここに集まった3人の誰にとっても幸いであった。もし、この場でお互いの言葉が理解できないまま、三人が解散していたら、大リーグにこの後起きる大きな変化は30年遅れていたかもしれない。プロ野球の誕生もあっただろうか。そして何より鯛焼きは誕生しなかったかもしれないのだ。


 本来はこの後、松太郎の通訳で三人は会話するのだが、まだるっこしいので以下それは省いていく。清治郎とタイ・カッブが平気で話していたりするが、それは間に松太郎が入っている。その姿は脳内で補っていただきたい。


「タイ・カッブ選手、ぼ、僕はあなたの大ファンで…」

「そんなことはいいから。俺にこの亀焼きの説明をしろ」

「そ、そんなことって」

「これは亀焼きでっせ。中に入ってるのは『餡子』といって小豆という豆を甘く砂糖で煮たものです」


「タイ・カッブ選手、僕はあなたの活躍を夢にまで見て……」

「おい、これは日本独自のものか。中華のものか」

「日本独自だとは思いますけど…ただ中華の饅頭(まんとう)というものがあって…」


「僕の憧れはあなたのバッティングフォームで、いや雑誌で見ただけですけど」

「お前はうるさいな。小豆は日本でしか獲れないものか?アメリカにないかな?」

「知りまへんなあ。大豆を炊いても餡子は出来まっけど」


「今年は三冠王で…」

「ううむ。大豆でもイケるのか」

「白あんいうてインゲン豆で作る餡子もありますさかい、いけるんちゃうかなあ」


「タイガースは本当に凄いチームで」

「それにしても本物亀そっくりだ。細かい細工だな」

「大胆で大きな仕事には細かい仕掛けが必要でっせ」

「ふうむ。小技の大切さか」


「安打数が、いや盗塁も凄いですよね。それから」

「お前は通訳してろ。どんな形にしたって味は同じじゃないのか」

「そこでんがな。今川焼きも亀焼きも売れまへん。もうひとつ小さな工夫を積み重ねんと」

「確かにそうだ。基本の力業だけじゃ安定して勝つことは難しい。勝つための細かい工夫が大切だな」


「外人さん、話が合いますな。もうひとつ亀焼きどないですか」

「いただこう。私はデトロイトタイガースのタイ・カッブだ」

「知ってますよ。僕はあなたの大ファンで」

「へえ。タイガースッちゅうと」

「ご主人、虎のことです。この巨人(ジャイアント)は凄い選手で、前のシーズンの三冠王で…」


「…虎焼き、ちゅうのはどうやろか」

「どら焼きと似てますね」

「おい、小僧。俺にそのどら焼きを食べさせろ」

「いやいや、僕に言われても。どら焼き売ってます?」

「ありまへん。タイ・…カッブはんでしたやろか。すんまへんな」

「構わん。この亀焼きも超うまいからな。この野郎」

「タイ・カッブはん、うれしいこと言ってくれはりますな。おおきに。ふむ?タイね、タイ…」


「ワールドシリーズは残念でした」

「!」

 ピタリとタイ・カッブの口が閉じ、松太郎をギロリと睨んだ。

「ボーイ。その話を出すな。亀焼きを二個ほどお前の口にねじ込んで、喋れないようにするぞ」

「そうでんがな。さっきから話の邪魔でっせ」

「な、なんだ。僕がさっきから通訳してんじゃないか。僕を喋れなくしたら、この後どうやって会話するんだよ」


「確かに」「surelyそりゃそうだ

 球界の巨人(ジャイアント)タイ・カッブも、後の鯛焼き巨人(ジャイアント)清治郎も黙った。






1909年 9月 デトロイト


 この年のペナントレースも、引き続きデトロイトタイガースは優勝した。

 タイ・カッブは素晴らしい成績で勝利に貢献し、またも三冠王を獲得した。

 だがこのシーズン、個人成績以外でも彼はある閃きでチームを牽引している。


 シーズン・インの前に彼はチームメイトでライバルのサム・クロフォードに言う。

「サム、俺の考えを聞いてくれ。チームをさらにパワーアップさせたい」

 サムは驚く。あの我が儘で口の悪いタイ・カッブが「チームのため」?

「よし、聞こうじゃないか。話せよ、テイラー」


 ここでタイ・カッブが提案したのは今で言うところの「スモールベースボール」の考えであった。出塁率を上げ、バントも有効に使い、そして何より機動力を駆使する。

「バント練習や走塁練習、それから打者と走者の連係を考えるべきだと思う」

「なるほど。力任せじゃない走攻守、ということだな」

「ああ、これならうちのチームの馬鹿どもでも好不調の波が小さくなるんだ。わかるか」

「…」


 サム・クロフォードはタイ・カッブの相変わらずの口の悪さに閉口しながらも、その発想に感嘆し、コーチ陣にそれを伝える。かくしてタイガースの走塁はベースの内側を蹴って走ることが基本になり、どの打順の打者でもバントができるように練習し、動体視力向上の練習が採り入れられボール球に手を出すと叱責されるようになった。


 彼はこの年、念願のホームラン王も獲得して、打撃のほぼすべての部門でタイトルを獲得する。ホームランは9本(この頃のボールは極端に『飛ばないボール』だった)。何とすべてランニングホームランであった。


 シーズン終了後、サム・クロフォードはタイ・カッブに賞賛をこめて訊く。

「すごいな、タイラー。この発想の転換はどこで得たんだ」

「不思議の国のベースボールだ。…それと」

「それと?」

「不思議の国のスイーツ職人だな」


 




1909年 9月 東京


「どうや。これが『虎焼き』や。あの外人さんのタイガースからやで」

 女将はその形を眺めながら、首をひねる。

「あんた、まあ悪くないやろけど」

「ふふん。ピンとこん、ちゅう顔やな」

「…」


「わかっとる。本命はこっち、ワシの渾身の作や」

「あんた、これは」

「タイ・カッブ焼き!…じゃなくて『鯛焼き』や!」

「これはええんちゃう。おもろいわ。美味しそうな形やし、縁起も『めでタイ』やし」


「どうや!これなら」

「いけるわ!絶対売れるわ。さすがうちの旦那や!」

「ワハハハハハ。もっとほめ!ほめるのや!ワハハハ」


 何をどう考えたのか、清治郎は半年後、ついに『鯛焼き』を完成させた。その音の響き『めでタイ』という縁起担ぎ、形の面白さと金型の加工のしやすさ、すべてあいまってパーフェクトゲームの出来であった。


 この鯛焼きは売れに売れて、大評判となる。浪花家は誰もが認める東京の名店となっていった。

 浪花家はこの年の和菓子界のワールドチャンピオンといってよいだろう。当然『鯛焼き』が三冠王である。


 





1928年 夏 東京


 20年後、3人は東京にいた。

 神部清治郎は大きくなった浪花家総本店の店長となっていた。

 タイ・カッブはこの年引退し、再来日している。

 正力松太郎はあの後、警視庁に入ったがこの年の8月にある事件に巻き込まれる形で逮捕された。 

 

 清治郎とタイ・カッブは鯛焼きを持って、拘置所の松太郎に会いに行った。


「ずいぶん偉くなったもんだな。逮捕されるまでにな」

「うう。巻き込まれたんです。でも来てくれてありがとうございます」

「ほれ、差し入れの鯛焼きや。これ食うて元気出しなはれ」


「うん。美味い。昔のままだ。懐かしい」

「おう。いつの間にあの亀が魚に」

「何でも進化するんでっせ、タイの旦那」

「もっともだな」


「お前はいつここを出られるんだ。小僧」

「たぶん執行猶予がつくと思うんで、長くはないと」

「ふん。お前はプロ野球の球団を日本に作るんじゃなかったのか」

「警察にはもういられませんから、ここを出たら始めます」

「そりゃ楽しみだな」


「学生はん」

「もう学生じゃないけれど、何ですか」

「名前は大切でっせ。鯛焼きで思い知りました」

「そうだ。大切だ。球団の名前はタイガースにしろ」

「実はもう、決めてあります」


「タイガースか」

「いいえ。あなたが最初に浪花家に入ってきたとき決めました」

「だからタイガースか」

「ちゃいますやろ。『鯛ガース』ちゅうのはどうでっか」



「ジャイアンツ、巨人軍ですよ。いい名前でしょう。それから」

「それから?」

「敵役はタイガースにします。大将の故郷の大阪に作ります」



 松太郎はこの後執行猶予付きの有罪判決を受けるが、6年後ついに念願の『大日本東京野球倶楽部』を設立する。

 ベーブルースやルー・ゲーリックを擁する大リーグ選抜チームとの対戦が静岡の草薙競技場で実現したのは11月2日のこと。伝説の投手、沢村栄治の登板した試合である。


 またこの東京野球倶楽部が前身となって、1936年に東京巨人軍(ジャイアンツ)が創設されることになる。








 余談


再び1909年および1975年  ニューヨークと東京



 1909年のある日、ニューヨーク・ジャイアンツ対デトロイト・タイガースの試合を見終わったジャック・ノーワースは地下鉄で家に戻る最中浮かんできた歌詞を友人に見せ、曲をつけてもらった。

 それが「Take Me Out to the Ball Game(私を野球に連れてって)」である。タイ・カッブの絶頂期の年に作られたこの歌は未だに全米で愛され、メジャーリーグの試合では7回裏の前に必ず歌われている。



 1975年、練馬の商店街で飲み過ぎてベロベロになった髙田ひろおは路地で立ち小便をして、鯛焼き屋の親父からひどく怒られる。この時、彼の頭に何故か浮かんだ鍵っ子の少年たちへのエールが『泳げ!たいやきくん』という歌詞であった。


 子供番組から発表されたこの曲も大好評で、シングル売り上げ450万枚は未だに日本の最高記録である。

ちなみにレコードジャケットに採用された「たいやきおじさん」のモデルは浪花家総本店の当時の会長、神戸守一であったといわれている。




「泳げ!たいやきくん」で主人公の鯛焼きは毎日のルーティンに反抗し、店のおじさんとケンカして広い海へ飛び出すが、いつかまた人間の元に帰って食べられ「やっぱり僕は鯛焼きさ」と自嘲する。


「私を野球に連れてって」では主人公の女の子は毎日毎日いつも野球の応援ばかり。彼氏が他の場所へデートに誘っても常に「野球に連れて行って。家に帰れなくてもいいから」とすねてみせる。


 全然似てないようで、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ似てるかもしれない。


 

 読んでいただいてありがとうございました。

 当然ながら一切合切フィクションです。タイ・カッブ選手と神部清治郎氏、正力松太郎氏の三人に面識はないものと思われます(きっと多分)。

 みっつ事実として抑えておきたいのは、正力氏が野球を心から愛されていたこと、タイカッブ選手が口の悪さで現在に至るまで誤解されているけれど、同僚や後輩思いで子供好きで(この頃の白人としては珍しいほどに)人種差別のない人格者であったこと、浪花家総本店が鯛焼きの元祖にして、現在に至る名店であるということです。

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