後悔とその死
ミハイルの胸元から、血液が吹き出す。
一気に体の力が抜け、膝から崩れ落ちる。肩にかけていた通信機器が、天然石を切り出したのであろう冷たい床に叩きつけられる。
しかし、弾が心臓をわずかに逸れ背中から貫通したため、ミハイルにはまだ意識があった。
そのような状態となってなお、彼は眼前の存在に注意を向けていた。
ーーーそれは、この血と硝煙の匂いしかしない戦場に、あってはならない存在であった。
小さな、中等教育を受け始めるくらいの年に見える少女が、そこに立っていた。
緋色の髪は肩のあたりまで伸び、幼さを感じさせる顔立ちは、しかし憂いを帯びていてどこか大人らしく見えた。
百五十センチあるかどうかという華奢で小柄な体は、まるで似つかわしくない軍服を纏っている。
彼女の小さな手には、連邦製の拳銃、マーレフが握られていた。
先の戦闘で確認した少年兵は、皆成人間近の男子だった。
それなのに、少女が銃を構え、あろうことか自分に気づかれずに発砲してみせた。これは、異常だ。
「ーーー君は何者だ。何処から入ってきた」
「この一帯は物理的にも魔術的にも制圧していた。君が入る隙間など無かった筈だ」
その質問を聞いた少女は、あー、と大袈裟にリアクションをとる。どこか飄々とした態度だ。
「魔術だよ。私くらいになるとこんくらいできるのさ」
ーーー魔術。魔導理論で構築された神秘。適性のなかったミハイルには、理解し得なかったもの。それが敗因だった。
暫くの静寂ののち、先ほどまでの雰囲気とはまるで違う、真面目な顔をして少女が口を開く。
「ねぇ、あなたはこの世界を、許せる?」
「ーーーは?」
唐突な質問に、ミハイルは呆気に取られる。
こちらは既にお前に撃たれて瀕死なのに、一体何を、と心の中で疑問を浮かべる。
「人と人が醜く争う。善良な人もそれに巻き込まれる。血と悲鳴が当たり前の酷い世界。嫌いじゃない?壊したくない?…許せなくない?」
少女は何処か縋るように、内に秘めた焦りを誤魔化すように、語気を強めて質問を投げかけてくる。
「壊せるものなら、とっくに壊してたさ」
諦観を多分に含むその言葉には、今までの人生で見て、行なって来た、あらゆる悪への憎悪がやどっていた。もはや体に力は入らず、上半身を壁にもたげてどうにか少女と目を合わせる。
「いつからか、諦めがついてしまった。…自分一人がどれだけ願って行動しても、結局何も変わらないと言うことを嫌と言うほど知ってしまったからな」
否。知ったのは己の無力さではなく、己の醜さだった。
いつしかいいように手駒にされる自分を受け入れ、淡々と軍務を遂行するだけとなった。持って生まれた力は、誰かを守ることは終ぞなかった。
「…ただ、俺が世界から許されないとしても、俺は世界を許したい」
「…え?」
少女は困惑の表情を浮かべる。あまりにも矛盾している。壊したいほど憎いのに、許されなくてもいいほど許したい。そんな暴論を、この男は本気で言っている。
「俺は、戦争以外にも色々なものを見て来た。俺に正しい生き方を説いてくれた老婦人がいた。どんなことでも受け入れてくれる友人がいた。瀕死の俺を命をかけて救ってくれた男がいた。…そこには確かに、高潔さがあったんだよ。どんな汚濁にも飲まれない、高潔さが」
戦場で人を殺し、しまいには殺されることとなったミハイルの魂には、しかし世界を慈しむような優しさがあった。
「…そう。約束するよ。あなたの死は無駄にしない。無碍にしない」
「なんだか知らんが、そうしてくれ」
ミハイルがぼやけた視界で少女を捉えると、目が合う。少女の目は、悲しげに涙を蓄えていた。
「次があるなら、やり直したいな…」
ミハイルはそう言うと、深い眠りに落ちた。二度と覚めない眠りに。
『厭戦のレガリア』、お楽しみいただけてますでしょうか。作者のはるはるです。拙い部分もございますが、そのような場面はちょくちょく改稿しますので、ご了承ください。実は一話目は投稿済みの初稿を改稿しすぎた結果全然違う話になってしまった個人的問題作です。まだご覧になられていない方は生まれ変わった一話目もぜひご覧ください。