蹂躙
商業都市トラフェル東部。コンクリート製の建築物が並ぶ無機質な街を夕日が彩る。戦火にさらされたために、過去の盛況が嘘のように静まりかえっている。
舗装された、しかしどこか荒廃した路面を進むのは、疲労のせいか死んだ目をしている男たちを乗せ、排ガスを吐き出しながら東へと走るトラックの群れ。
その車列の後方に、男はいた。
ルーシア帝国陸軍大佐という身分で戦火に直接身を焦がしているその男は、前線によくなじむ風貌をしていた。露出した肌には数多の切り傷や銃創が、跡になってなお存在感を表している。
その男、ミハイル・フォン・ヘルトリングは、輸送車両の荷台で苦悩していた。
報告に上がった人影は十中八九敵兵だ。しかし、ただの敵兵ではない。おそらく国境付近に住む子供を強制徴兵した、少年兵だ。
正規軍との戦いこそ、ミハイルの仕事だった。完膚なきまでに蹂躙し、慈悲もなく殺す。死を回避しようと味方の死体を盾に使ったこともある。軍属になった瞬間から、とうに良心は捨てている。
しかし、そんな彼が罪悪に押しつぶされている。
敵国アルネイル共和国は、戦線が後退するや否や、辺境に住む国民を徴兵しているらしい。少年兵部隊もその一環である。
先日の交戦で、初めてその存在を確認した。ただでさえ平均年齢が低いのに加え練度も低く、民間人が軍人のまねをしていると形容できるありさまだった。いや、実際そうなのだ。
先の戦闘ではこちらの被害は重軽症六名、対して相手は全滅。そこまでの脅威ではないと考え軽装甲の先導部隊に殲滅させたものの、どこかやりきれない感があった。
しかし、ここは戦場だ。こちらに殺意を向けている相手が眼前に在り、手には武器がある。ならば、何も考えず武力をふるうのが兵士としてあるべき姿だ。
そう自分に言い聞かせ、顔を上げた。
荷台から見る風景は、どこか美しさすら感じるものだった。
引火した野草や木材たちが灰を噴き上げ、雪の降らないこの地を白く染めている。
「ーーー少年兵とは、つくづく外道だな」
「こちらが言えたことではないがな」
下士官たちが談笑する声が聞こえる。
そもそも、ここが戦場となったのは帝国の領土拡大のためなのだから、全くその通りだろう。
帝国から見て北東に位置するアルネイル共和国は、必要十分な豊かさを備えた国だ。あまり好戦的でない温和な国民性もあり、こちらから手を出さない限り動かなかった程には、現状維持を最優先する温厚な国だった。
その点、我が祖国ルーシア帝国というものは正に軍事国家と形容できるものだ。
官僚と呼ばれる人種の大半は軍出身であり、どの職業より軍人が尊ばれ、軍上がりの政治家がいいように権力を振るい、国粋主義からなる選民思想を国中にばら撒き続けている。
魔導工学、物理工学ともに発展しているが、その背景には敵国捕虜を使用した非公式・非人道的実験がある。
俺がそれを許したことなど一度もなかったが、その恩恵を最も預かる立場上、余計な口出しも介入もできなかった。
祖国が肥大化するための大義なき争いのために、周辺諸国の人々が消費されていく。
それは生粋の戦争屋であるミハイルから見ても、不条理かつ虫唾の走る状況だった。
「ヘルトリング大佐、目標地点に到達いたしました」
車列は動きを止め、別の車両からミハイルが唯一信頼する副長、エミール・アーベントロート中佐とその側近が報告しに来る。
「わかった。さて、どんなもんかな」
ミハイルは双眼鏡を手に荷台から飛び降りた。しばらく周囲を見渡した後、双眼鏡を覗く。目標はかなり開けた空間に立つ商工会館だ。
円形の天井を持っていたのだろう跡が確認できる。塔のようなメインホールの両端から、二階建ての構造物が続く。しかし、両端の構造物のうち片方は完全に崩れ落ち、もう片方も二階部分が崩壊している。メインホールさえ、四階より上は壁面が崩れほとんど露出している。このありさまは、先進部隊の次に到着した移動野砲連隊による制圧射撃の成果だ。
目を凝らすと、一階壁面にある僅かな隙間から、ちらちらと慌ただしく動く影が確認できる。
「ここから攻撃しても、多分無意味だな」
「ですね。残党の仕事にしてはしっかりしています」
レンガ造りと思えないほど頑強なようだ。過去二回行われた制圧射撃をもってしてもなお、全体の半分は原形をとどめている。
此方から見て、会館は城塞を思わせるものだった。
ミハイルとしては、籠る敵兵を見逃すという選択肢もあった。相手はいわゆる残党であり、情報が正しければまだ未成年だという。必要以上の戦いはしたくない。
しかし旅団長として、補給路の途中に存在する堅牢な要塞に籠る敵兵など、見過ごすわけにもいかない。
「俺が出るよ。この程度ならいつも通りやれる筈だ」
「やれる筈だ、じゃないですよ。何人いるかも把握しきれていない敵陣に単身で突入するというのは流石に無謀です」
いつも側で作戦指揮を補佐しているエミールが、ミハイルを制止する。
「今ここで効率的に事を運びたいなら、兵士を百人送るより俺一人出向くほうが都合がいいだろう。この程度で俺が死ぬとでも思ってるのか?」
たしかに『魔王』と呼ばれるほど卓越していた彼の戦闘能力は、時が経ってなお失われるものではなかった。
魔法はからっきしだったが、そのリソースを割いたとでもいうかのように、物理的な運動が得意だった。組織としての軍内部で、個人の戦闘力が語り草になるという事実だけでも、ミハイルの人間離れした経歴が読み取れる。
そんな彼が一人で敵地に向かうと言い出したのは、なにも初めてのことではない。自分一人が傷つくだけで事が済むのならそうしたほうがいい、という善意からの行動である。
無論、仮に自分が行動不能になった場合の指揮権は、エミールに譲渡するように取り決めをしている。
「…分かりました。ただし、十分注意してください。威力偵察の結果、敵が銃火器・弾薬を潤沢に備えている事がわかっています」
エミールは達観に似た感情を抱きながらも承諾する。ミハイルは一度言い出したら止まらない性格だし、危険を度外視すれば彼が出向くほうが実際問題早く事が済むからである。そして、ミハイルにはその危険を度外視できるだけの力があった。
ミハイルはあらかじめ用意させていた二輪車両に乗り込むと、一気に加速し会館に急接近した。
腰にはサーベル状の剣が差されている。特にたいそうな逸話などないが、壊れにくい上に軽いということで、愛用している。
そもそもなぜ技術が発達した現代において、彼が剣などという前時代的なものを主兵装に選んでいるのかというと、単純に射撃の才が全くなかったからだ。
銃を手に挑んだ初戦闘では何度も死にかけ、そのたびに銃剣が自分を助けてくれた。
以来、彼は牽制用としてのみ拳銃を持ち歩くようになり、剣を手に暴れまわることとなったのだ。
ミハイルは勢いに任せ会館の玄関口に組まれた木製のバリケードを吹き飛ばすと二輪車から飛び降り、慣性をもって単身屋内に飛び込んだ。
メインホールでは十二人の残党が小銃を手に迎撃態勢をとっていた。その顔つきは大人と呼ぶには少々幼い。
エンジン音を聞いて感づいていたのだろう。ミハイルの姿を視認した瞬間、陣形の後方に設置されていた重機関銃が火を噴く。
ミハイルはとっさにホールの天井を支えるため均等な間隔で立てられていた厚いコンクリート製の柱の陰に隠れる。タイミングを見て飛び出し、牽制のため銃撃を加えるとまた次の支柱に隠れるという動きを反復し、じわじわと間合いを詰めていく。
ある程度近づくと、服の内側に括り付けてあった手榴弾を投げ込み、敵の陣形を崩す。あからさまな爆発は誰にも被害を与えなかったが、そちらに気が向いていた敵との距離を急速に詰め、敵兵に切りかかる。
あとはもう、ミハイルの独壇場だった。
なんの負傷もなく、ホールの一階を陣取っていた敵兵を排除した。
ふと辺りを見渡すと、二階に続く階段が崩れていることを確認する。
それと同時に殺気を感じ、ふいに体をひねり倒す。
瞬間、鉛の塊が靡いた髪を削り取る。吹き抜けになっているホールの三階から、ボルトアクション式の小銃を手にした男がこちらを覗いているのが見えた。
ミハイルはそばに落ちていた細長い木材を手に、全速力で壁に近づいた。その間も銃撃にさらされるが、支柱を使い巧みに射線を切っていく。それどころか懐にしまっていた拳銃で応戦した。しかし、あくまで牽制と割り切った狙いが目標に当たることはなかった。
壁面を眼前にとらえると、木材を壁と直角に押し付けると、その断面に対して加減のない打撃を行う。衝撃を受けた木材がレンガ積みの厚い壁に突き刺さる。それを踏み台に、二階に飛び上がった。
ホールの内側に捻じ曲がった手すりにしがみつき、よじ登る。右側に螺旋状の階段を見据えると、なんの躊躇もなく三階に駆け上がり、敵目掛け走る。
幼さが残る目に恐怖が浮かぶ。錯乱しながらも、携行していた拳銃を撃って迎撃する。当然そんな状況で撃つ弾が歴戦の兵士を捉えることはなく、彼の瞳孔は振り下ろされる刀身を追った。
メインホールを制圧したミハイルは持ってきた通信機器を手に取り、現在エミールが統率する本隊に連絡を取った。
「これで全部か?」
「いえ、東棟の突き当りの部屋に反応があります」
「そうか。片付けてくる」
任務らしい任務といえば魔導索敵でミハイルの支援をすることだけとなった本隊からの報告を受け、商工会館の制圧を確信したミハイルは、血を吸い重くなった軍服を纏いながらゆっくりとした足取りで歩む。
目指すは商工会館で勤務する従業員たちの控え室であっただろう部屋。
最後の獲物を前に、ミハイルは考えた。
絶え間ない領土拡大、終わりのない争い。半生をささげた祖国は、時が経つにつれ醜くなっている。
本当に、こんなことを続けて幸福が得られるのだろうか。
そんなことを考えながら、ドアを蹴り飛ばし室内に入る。
教室一つ分ほどの部屋の奥には少年が一人。金庫のようなもので身を隠し、こちらに銃を向けている。
先ほどの連戦ですでにミハイルの持つ拳銃の弾は尽きている。他に小道具もなく、近づかないわけにはいかない。ミハイルがいつものように踏み込もうと体勢をわずかに変えた瞬間。
少年は大声で叫びながら手に添えた小銃を乱射する。
ミハイルは冷静に側に置かれていたロッカーを引き倒し、その陰に隠れる。
ミハイルが防御に徹している隙を突き、少年が三角錐状の物体をロッカーめがけて投擲する。
壁に備えられていた洗面用の鏡越しにその光景を見ていたミハイルは、超小規模な爆発を起こすことで指向性を持たせた物体の破片を物陰の敵兵に浴びせる個人携帯用吸着炸裂弾であることに気づき、ロッカーの陰から飛び出す。厚い壁でもない限り、装甲を問答無用で貫通する恐ろしい武器だ。
瞬間、先ほどまでミハイルの背後に立てかけてあったパレットが、破砕されたロッカーの破片を浴びて蜂の巣となった。
少年は隙を突きミハイルの懐に潜り込むと、とっさに剣を振りかぶらんとしたミハイルの右掌を撃つ。血が天井を濡らす。衝撃で剣が弾かれ、部屋の片隅に飛ぶ。
利き手の自由と武器を奪い無力化したと考えた少年は、そのままの勢いでミハイルの胸に銃口を向けーーーられなかった。
ミハイルは激痛をものともせず、その見た目に似合わない恐ろしいほどの瞬発力と判断力で肘を振り下ろし、銃を少年ごと地面に叩きつけた。
呆気に取られる少年を尻目に、地面に落ちた小銃を掴み、左手で構える。
銃口の先、少年の顔が歪む。
ミハイルは憐憫と敬意の元、少年に確実な死を与えた。
「俺に匹敵する奴だった。こんなナリでそうなら将来有望だったろうに」
ミハイルは少年の遺体に布を被せつつ、違和感を払拭できず独り言をつぶやいた。
その作業が終わると、右手の止血を行いながら本隊ともう一度通信を行った。
「右手を負傷したが、屋内の制圧を完了した」
子供ともいえる年齢の敵を直接殺し廻ったことに心地悪さを感じつつ、通信機の先にいるであろう副長に対して告げる。
「お待ちください。先ほどまで存在しなかった生命反応が唐突に現れました」
急に現れたその反応に、エミールが困惑の色を帯びた声を発する。
「なぜ唐突に反応が現れたのかは不明ですが、まだ発見していない生き残りがいるのは間違いありません」
「了解した。制圧を続ける」
ミハイルが通信を切り、従業員控え室から出ようと歩き出した時。
「随分と無茶な動きをするんだね。『魔王』さん」
背後から、血なまぐさい戦場には似合いそうもない高い声が聞こえた。
ミハイルは軍内でも有名なほど、『気配察知』に長けていた。先ほどの狙撃兵の不意の一撃をよけられたのも、わずかな空気の流動と呼吸音、服の生地の擦れる音や心拍音などを察知するという、彼の天賦の才によるところが大きい。
そんな彼が、いくら広い屋内とはいえ敵の気配をとらえきれていない。その状況の異常さを、エミールはまず指摘するべきだった。
ミハイルが振り返り、その声の主を視認した瞬間。
一発の弾丸が、ミハイルの胸部を打ち抜いた。
ミリタリー物は好きだけど、やっぱり専門知識がない。書くのめっちゃ難しい。とくにファンタジーを絡めると、造語が増えていって自分でもわけがわからなくなる。
ということで、「厭戦のレガリア」をお楽しみください。