姿見
案内されたのは、色とりどりの服で溢れた部屋だった。部屋の端と中央には大きなハンガーラックが据えられており色別、種類別に服が掛けられている。まるでクローゼットの中に入り込んだかのようだ。
そんな部屋の中で一つだけ、この場には不自然な物があった。真っ黒な布で覆われた、縦長の平べったい何か。それは部屋の隅の壁に、まるで佇むように立てかけられていた。
「コレが、例の物ですか」
「ええ、はい。……変なものが映るようになってからは、布を掛けて見えないようにしました」
変なもの? 映る?
事情を知らない私の疑問は、九十九さんが布を取ったことでひとまずの解答を得た。
先程「その場にそぐわない」と形容したが、どうやら見当違いも甚しかったようだ。むしろ、ここ以上に相応しい場所は少ないだろう。
「鏡?」
「正確には姿見だね。そしてコレが、今回「お祓い」をしてほしい品物になる」
どれどれ、と九十九さんは早速姿見を調べ始めた。私も九十九さんを真似て一歩離れた所から観察する。
鏡の大きさは目測で、幅六〇センチ、高さ二〇〇センチと大きめだ。年代物なのか、焦茶色の木の枠は色が少しくすんでいるように見える。しかし決して見窄らしくなく、むしろフレームのデザインも相まってアンティーク感のある味わい深さを出している。
「大蔵さん、鏡面を触ってもよろしいですか?」
「はい、ご自由にどうぞ」
許可を取ると、九十九さんは手袋をはめて鏡を触った。と言っても、ベタベタと手のひらで触るのではなく、右手の指先でそっと撫でる程度だ。
フレームを一撫で、鏡面を一撫でする。それだけすると今度は、一歩後ろに下がり腕を伸ばして指先を鏡面につけた。
撫でるでもなく、突くでもなく、ただ静かに腕を伸ばしたまま動かさない。
その行動は謎に包まれ、その真意はわからない。しかしその真剣な姿に、なんとなく私たちは問いかけるのが憚られた。
「あの、大蔵さん。あの鏡ってなんですか?」
潜めた声量で大蔵さんに話しかけると、大蔵さんは同じように声量を潜めて返答してくれた。
「あの鏡はね。私が嫁入りするときに、お婆様が持たせてくださった物なのよ」
「嫁入りに、ですか。良いお婆ちゃんだったんですね」
「ふふっ、そうね。優しい人だったわ。でも嫁入りに物を送るのは、昔では当たり前のことだったのよ」
言われみれば、「嫁入り道具」という言葉ならば私も耳にしたことがある。なるほど、そう考えると割と自然なことに感じる。
しかし私が気になっているのはそこではない。その事を察してくれたのか、今度は大蔵さんから質問が来る。
「お手伝いさんって聞いたけど、九十九さんから事情は聞いてる?」
「いえ、着いたら教えると言われましたけど……あの、変なものが映るって言ってましたけど、何が映るんですか?」
大蔵さんは鏡を一瞥すると語り始めた。
確か三週間くらい前だったかしら。夜中に起きちゃった私がこの部屋の前を通り過ぎようとすると、中から小さく物音がしたのよ。
娘はとっくの昔に嫁に行って居ないし、主人は寝ていたから誰も居るはずがないし。
私も最初泥棒かと思ったんだけど、服を漁る音というより、こっこっ、という感じの何かを叩く音が一定の間隔で鳴っていたのよ。
主人を起こすのも忍びなかったから私は思い切って中に入ったの。部屋の中には誰も居なかったわ。
やっぱり私の気のせいだと思ったんだけど、ふと鏡のほうを向いちゃったのよ。いつもこの鏡で身だしなみを整えるからかしら。いつもの癖で、ついつい鏡の前に立ってしまったのよ。
部屋の電気はつけず光は廊下の照明だけだったんだけど、不思議と鏡に映る私の姿はよく見えたわ。
寝起きだったから髪が少し乱れているのに気がついて、私は軽く手櫛で整えてから寝室に戻ろうとしたの。
納得のいく整え方ができたから、戻ろうとしたその時――
「鏡の中の私が勝手に動いたのよ!」
「動いたんですか? 勝手に?」
「そうなのよ!」
私は少しだけオーバーなリアクションをすると、大蔵さんは興奮したように肯定する。
「もうビックリして腰を抜かしちゃって動けなくなっちゃったのよ。幸いなことに、私が戻って来ないことを心配してくれた主人が部屋に入ってきて立ち上がらせてくれたわ。その時にはもう鏡の私は勝手に動くことはなく、屁っ放り腰になっている私の姿が映っていたわ」
「そ、そうなんですか。……ちなみに夜中に起きたのは、その、不穏な気配がしたとか、ですか?」
私がそう聞くと、大蔵さんは少し言いにくそうに「この歳になると、その、お手洗いが近くて、ね?」と言った。
デリカシーのない質問をしてしまった。すぐに謝罪すると、大蔵さんは誤魔化すための咳をする。
「……主人にも相談したんだけど、信じてくれなくてね。そこで九十九さんに相談したら、お祓いもやってるって言うじゃない。だから今回お願いすることにしたのよ」
なるほど、事の経緯はわかった。しかし、やはりわからないのは――
「なぜ、九十九さんにお祓いの依頼を?」
何度も思うが普通は、神社やお寺に頼む案件ではないのか。どうしてこうもピンポイントに九十九さんを頼ったのだろう。
「想継堂は私の行きつけのお店なのよ。九十九さんのお店は古物店だけど、物の修理とかもやってくれるから、よく頼らせてもらっているのよ。私もまさか、お祓いまでやっているとは思わなかったけどね」
九十九さんのお得意様ということか。そういうことなら、まあ、納得だ。
そこまで話したところで、ようやく九十九さんに動きがあった。
「やっぱりダメかぁ」
軽くため息を吐くと、腕を下ろしてこちらを向いた。よくわからないが、どうやらダメだったらしい。