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源為朝  作者: 奈良県
4/12

保元の乱

保元の乱における源為朝の持つ役割について具体的に考えてみよう。


日下力氏は為朝について次のように述べている。

引用したい。


『保元物語』で、為朝像のもつ意味は極めて大きい。強大な為朝像の造型によって、『保元物語』は健康で明るい世界を保有できたと言っても過言ではあるまい。悲話の創造を庶幾する精神と巨人的為朝像の造型を庶幾する精神とは、言わば陰と陽という対照的な関係にありながら、いわゆる中世変革期に生きた民衆の、無垢な心を源とする典型的な二つの志向をものがたっている。(中略)『保元物語』の合戦記事は、為朝の一人舞台といった感が強い。戦闘描写は為朝の守る門を中心に展開され、彼の関与しない門での戦いについては、半井本でも金刀比羅本でも、百字前後の字数が費やされているに過ぎない。為朝の活躍はほぼ五つに分たれるが、そのいずれもが、為朝対挑戦者という形態をとる。

 

具体的に合戦の描写を見てみよう。

主なテキストとしては陽明文庫本を用いつつ他の諸本とも比較する。


為朝が警護するのは大炊御門だ。

この門を攻めるのは安芸守平清盛である。

清盛は「この門を警護しているのは、源氏か平氏か。私は安芸守平清盛、宣旨をいただいて参った」と高らかに名乗る。

すると即座に「鎮西八郎為朝が警護している」と返ってくる。

陽明文庫本では、為朝は以前、以下のように豪語していた。


まして、清盛などがへろへろ矢は、物の数にてや候ふべき


このように清盛を馬鹿にしており、恐らく清盛を敵とも見ていなかったであろうと思われる。

同じ箇所を岩波書店の『新日本古典文学大系』の『保元物語』に求める。(以下、半井本と表記する)本書は底本として国立公文書館内閣文庫蔵半井本を用いている。


「又、清盛ナンドガヘロ矢ハ、何事カ候ベキ。」


ここでも、やはり清盛の放つ矢をへろへろ矢呼ばわりしていることが確認されよう。


清盛も急に怖気付いて、それ以上進み出ようともしない。

ここで『保元物語』の作者は、勇敢な為朝と怖気付く清盛という両者の対比表現を用いている。『平家物語』における平清盛とは別人であるかのようだ。

このように、清盛は『保元物語』においては登場回数が少ないだけでなく、あくまでも為朝の引き立て役としてしか描かれていないとさえ言えよう。

 

進み出ようとしない清盛を見て、伊藤武者景綱と子息である伊藤五、伊藤六が門近くまで進み出る。


だが、すぐに為朝の矢によって伊藤六は射られてしまう。

景綱は息子の戦死を見るや否や急いで引き返す。

為朝の弓矢の凄まじさを改めて知った兵たちは「ものも謂はず、舌を振りて」恐ろしがるのである。


相当箇所を半井本に求める。

ここでもやはり「物モ申サデ舌ヲ振テヲヂアヘリ。」とあるように、兵たちが為朝の矢の凄まじさに滑稽な程驚いている様が描写されていると言える。

 

更に『保元物語』の作者は清盛の人間的な一面、特に親が子を想う感情を中心に描いていることも考えなければならない。

伊藤六戦死の報告を聞いた後、清盛は強がりを言う。


だが、同時に「凡そ、必ずしもこの門へ向へと云う宣旨を蒙りたる事もなし。ただ闇紛れに寄せ当りたるにてこそあれ。さらば、余の門へや向ふべき。東の門へ向ふべかるらん」と言い訳をして、別の門を攻めようと提案する。

素直に撤退するとは言わず、たまたまこの門に行き当たっただけであり、他の門でも良いと言うのである。

このような情けない清盛の姿に対して陽明文庫本の語り手は皮肉を交えて記述している。


例えば、清盛の事実上の撤退宣言に対して「ものの恥をも知りたる者は音もせず」とあるように、恥を知る者はこの清盛の提案に相槌を打つことをしなかったことが読み取れる。

武士として強い敵に背中を向けることが恥である、と分かっている兵士たちは「音もせず」、つまり清盛に従おうとしない。


なべての者どもは、「最もさるべしと思え候ふ。但し、東の門も、この門近く候へば、同人が固めてもや候ふらん。北の門などへも向はせたまふべくや候ふらん」と更に気の弱い発言をしかも「口々に」する。

 

ここでは「ものの恥をも知りたる者」と「なべての者ども」の対比表現が見られる。

「ものの恥をも知りたる者」が清盛の提案に従おうとせず、逆に「なべての者ども」は「口々に」賛意を表明する。

「なべての者ども」というのは「一般の」、「普通の」という意味だ。


更に「東の門は西門に近いので為朝がいる可能性がある。もっと遠くの北の門から攻めてはどうか」と気の弱いことまで言う始末であった。

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