英雄とは何か
まず、「英雄とは何か」という根本的な概念の整理をしておこう。
松木武彦氏は、英雄像の原点について以下のように述べている。
英雄は、抜きんでた武力をもちながら、人びとの利害を代表し、その先頭に立って戦う存在だ。こうした点からすれば、紀元前までの戦闘リーダーたちにも、たしかにその片鱗をうかがうことはできる。だが、その戦いの相手の多くは、日常的世界から一歩も踏み出さない近隣のムラムラだった。これにくらべて、紀元後の戦闘リーダーたちの舞台や相手は、外部の、いうなれば非日常の世界に属するものだ。
その背後に外部の世界が大きくひろがっていること、かれの存在を通して非日常の空間とつながっていること、その点にこそ、英雄の条件がある。人びとは、かれの活動や、かれが身につける見たこともない先進的文物を通じて、「外」の世界を意識した。そして、自分たち自身の姿をかれに仮託することで、「外」の世界との対決や対話を体験し、そのことによって、「われら」という共通の帰属意識を生み出していった。英雄の姿が自分たち自身であり、かれに万全の武装や強大な威信を託すことが、「われら」の力を強め、その地位を高めることを意味したのである。
戦場という舞台から派生する様々な物語・神話・英雄というものは、どの時代、どの国にも存在する。
オットー・ランク著/野田倬訳『英雄誕生の神話』を見てみよう。
以下のように述べられている。
ほとんどすべての著名な文明民族(中略)は、われわれにさまざまの伝承を伝えてくれている。このような伝承という形で、これら諸民族は(中略)国民的英雄を数多くの文学や伝説において賛美している。(中略)それらの特徴が、遠くへだたって完全に互いに無関係に生活している諸民族のあいだで、びっくりするくらいに似ていたり、それどころか部分的には一字一句重なり合ったりする。
本書によると「何故、英雄神話は作られるのか」という疑問に対して、三つの答えを提示している。
一 諸民族の理念(根源的思考の理論)
二 民話がパラレルな形で広く分布している理由として用いられた原社会という解明原理
三 変遷或いは借用という新しい理論
現代の例としては、二〇〇三年に起ったアメリカによるイラク攻撃が挙げられよう。
この攻撃は国連決議なしに始められたものであっただけに、アメリカは強く英雄を求めていた。
二〇〇三年三月二三日、ナシリヤで奇襲攻撃を受け、四月一日に救出された五〇七工兵中隊の米兵ジェシカ・リンチは、まさにアメリカの求めていた英雄であったと言える。
彼女はイラク側からの襲撃を受けた際、全く応戦しなかった。
しかし、報道ではその事実は伝えられなかった。
重傷を負いながらも銃で応戦し、敵に大打撃を与えたと報じられてしまったのである。
以下は『私は英雄じゃない』からの引用だ。
神話は、彼女が眠っている間に作られた。(中略)イラク戦争にはどうしても英雄が必要だった。戦争を計画した者たちは、爆弾投下や舞い上がる粉塵の不鮮明な映像や、無限の砂漠で若者が青い地平線を見つめているといったムード優先のスナップ写真ではなく、明確な勝利のメッセージを求めていた。(中略)物語の詳細、かなりヒューマンな実話が語られるまでには、かなりの時間が必要だった。たとえばそれは、彼女を治療した医師たちのこと、ジェシカの恐怖やパニックのこと、そして医師や看護婦が彼女を救おうとできるかぎりの努力をしたこと、ジェシカも彼らの努力に気づきはじめたこと、などである。(中略)神話は何日もあたりを漂い、次第にジェシカは傷ついた悲劇の兵士から勇者に、戦火のなかの輝ける勇気のシンボルに変わっていった。医師たちがジェシカは銃弾を受けておらず、銃撃による傷は間違いだったと報告した後でさせ、軍はそれを公式には認めず、間違いをただちに正すことはしなかった。
このように、中世日本とは比較にならないほど情報通信技術が発達した二一世紀現代の戦争でも「作られた英雄」というものは存在するのだ。
否、英雄像とはある種の虚構であるとさえ言える。
野中哲照氏は虚構とは視点の重層化であり、合理性の付与であり、同時に典型化であるとして以下のように述べている。
典型はエスカレートする。輪郭を明瞭にして、わかりやすくしたいという指向がとどまらないからである。それらしい特徴、典型的な要素をどんどん伸ばしてゆけば、デフォルメ(誇張)ということになる。源為朝の弓勢は、『平家物語』巻九「弓流し」の三人張りを起点として、古活字本『保元』では五人張り、『義経記』では七人張りになる。
無論、事実に基づいて英雄像というものは作られる。
「完全な作り話だから無価値である」として斥けるつもりはない。
だが、誇張された存在として英雄を新たな視点からもう一度見てみることも大切なのだ。