椿説弓張月
源為朝を英雄として描いた文学作品と言えば、まず思い浮かぶのが滝沢馬琴の『椿説弓張月』だ。
そこで、この作品について検証してみたい。
『椿説弓張月』は江戸後期の読本だ。
五編二九冊である。
正しくは『鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月』である。
不遇に終わった源為朝を琉球に延命させ、その子舜天丸を琉球王に設定することによって人々の歴史に対する憤怒を解消することを意図したと考えられる。
まさに九州・京都・伊豆七島・琉球を舞台にした一大巨編であると言えよう。
最初の刊行は一八〇七(文化四)年。
この年にまず前篇が刊行された。
続いて後篇、続篇、拾遺、残篇の順に刊行され、一八一一(文化八)年に完結した。
本来は前後の二篇で完結する予定であったが、予想以上に反響が大きかったこと、馬琴の想像の筆が伸びたことなどの諸理由によって、完結が延びた。
内容について詳しく見てみる。
前篇巻之一序文の冒頭に「この書保元の猛将八郎為朝の事蹟を述。その談唐山の演義小説に倣ひ多くは憑空結構の筆に成。閲者理外の幻境に遊ぶとして可なり。」 とある。
中国の演義小説と同様に『椿説弓張月』も史実に基づいた為朝ではなく、かなり虚構性の強い為朝英雄像がこれから展開されるであろうことを予感させる。
その意味では、この冒頭部分は特に注目に値する。
また「椿説」は「珍説」の意であり、題名からも作品の虚構性が窺い知れると言えよう。
ただし、では『椿説弓張月』のような極めて虚構性の強い作品が全く価値のないものかと言えばそうではない。
「史実と違うから」という理由で文学作品の全てを価値のないものと断定してしまってはならない。寧ろ「史実と違う」からこそ文学作品たり得るのである。
また同時に、何故このような明らかに史実と違う文学作品が生み出されたのかということも考えねばならない。
『椿説弓張月』を通して見る虚構性の強い為朝英雄像を再検証することは非常に重要であると考える。
作者馬琴は更に続ける。
「為朝琉球に渡り給ひしといふ説、原何の書に出ることをしらず。しかれども神社考に云、「為朝八丈島より鬼界に行、琉球に亘る。今に至り諸島祠を建て島神とす」といふ。」
馬琴の書くように、源為朝が琉球へ渡ったという説は信憑性が低い。
この部分から、江戸時代にも実際は為朝が琉球へ渡ったことはないと考えられていたことが読み取れる。
冒頭から馬琴はこの作品の虚構性を強調しているようかのように思える。