もうボブにしか見えない
この年齢で交際経験が無いことが、こんなにもプレッシャーになるとは、夢にも思わなかった。
「き、霧……霧し、霧島、しゃん!」
自販機でコーヒー当たったから一つどうぞ。
こんな事すらまともに言えないとは、高校の友人達が見たら、さぞ笑い物になるだろう。
「はい? どうしましたか先輩?」
「にゃ!」
「……にゃ?」
「にゃん!」
「……にゃん?」
「にゃん! でも! にゃい! Death!」
「ふふ、変な先輩」
笑われた。
窓際のご令嬢と呼ばれる我が社のアイドルに、ふふって笑われた……!
俺は同じ缶コーヒーを二本並べ、悲しくパソコンに向かった。
「そこの童貞!」
「──!?」
ガード下に出店を構える老婆が、急に俺を呼び止めた。
いきなりの事で驚いたが、何故この老婆は俺が童貞だと見抜けたのだろう……。
「ヒヒ、お前さん、今『どうして童貞だと分かったんだ?』って思ったじゃろ?」
「な、何ですか急に!?」
慌てる口振りが既に自白めいて童貞が露見している。自分でも情けない狼狽えぶりだ。
「童貞の匂いがしとるのぅ……どうせ意中の女子にも、まともに話しかけられないのじゃろ?」
「──ぐぅ」
ぐぅの音しかでない。
「意中の人物をボブにする眼鏡があるんじゃが……買わんかえ?」
「あ、結構です」
雲行きが怪しくなってきた。逃げよう。
君主危うきに近寄らず。入らぬバーにぼったくり無し、だ。
「本来ならお試しでタダなのじゃが、材料費がちょいと不足してのう? 千円ポッキリじゃ」
「すみません、ポッキリ恐怖症なので……」
「千円で意中の女子とワンニャンフェスティバルなら安かろう?」
「買った!!」
気が付けば俺は眼鏡をかけていた。
これは決して本意ではない事を、今ここでハッキリと明言しておく……しておく。
「これは本来就活生の面接対策に作ったんじゃが……特定の相手の見た目をボブにする眼鏡じゃ」
「……ボブ?」
「あくまで眼鏡で画像処理するだけじゃ。慣れたら眼鏡を外して普通に接すれば良い」
「ふぅん」
何だか胡散臭い。今のところ普通の眼鏡だが……。
「つるの所にダイヤルがあるじゃろ?」
「ん、これかな?」
「それでボブ度を変えるとええぞい」
なんだよボブ度って……。
「100%から徐々に下げていって、70%で『ほぼボブ』50%で『半ボブ』30%で『ややボブ』じゃ!」
「そ、そう」
しげしげと眼鏡を眺め、財布から千円を取り出す。
「変えたい人の画像か動画はあるかい?」
「これで」
スマホに霧島さんのアップを出した。
以前何かの集合写真がSNSで回ってきた時のやつだ。
「このQRコードのページからアプリをダウンロードして、写真データを送信しなされ。ついでに☆5の評価も忘れずにな?」
「意外と手間だな……」
「アプリで写真データを変えれば、いつでも変えられるからな。案外便利じゃぞ?」
俺は言われた通り、アプリで画像を登録した。
翌日、霧島さんの席に、如何にもボブな男が座っていた。英語の教科書に出て来そうな、如何にもボブって感じのボブだ。
「……霧島さん?」
「あ、先輩おはようございます」
ボブがこっちを向いた。ボブ度は100%だ。
「コーヒー、いる?」
「え? ありがとうございます」
「うん、今日も一日頑張ってね」
「ありがとうございます!」
自販機のまた当たった缶コーヒーを霧島さんに手渡し、俺は自分の席についた。
……いま、普通に霧島さんと話してた、よな?
見た目ボブだけど、中身霧島さんだよ、ね?
試しに眼鏡を外すと、そこには確かに霧島さんが見えた。
「き、霧島……すぁん!」
「は、はいぃ?」
「こ、こ、こ、こ……」
「ニワトリですか?」
今夜空いてますか?
それすら言えないチキンハートを、ライスにして食べてしまいたい。
「こっ! コックローチは……好きです、か?」
「はい、嫌いです」
最低な会話だ……諦めて眼鏡に頼ろう。
俺にはボブがお似合いさ。
それから、俺は霧島さんと話すときは眼鏡をかける事にした。
「霧島さん。中の下商事の袖の下さんから電話。内線二番ね」
「霧島さん。今メール何処まで回ってるかな?」
「霧島さん。流石にコックローチは食べられないよ、ハハハ」
眼鏡があれば、ジョークも言える。面白いかどうかは置いておくとして、だ。
これはもう霧島さんと恋仲になってワンニャンフェスティバルでペットカーニバルの日も近いな!
「先輩、最近変わりましたね」
「そうか? まぁ、そうだね」
眼鏡のお陰で、霧島さんとグンと距離が近付いた。
たまにお昼も一緒に食べるし、これはもう夫婦だな!
そろそろ、眼鏡無しでもいけるか?
俺は霧島さんを、休日のカフェーに呼び出した。
「霧島さんは、彼氏とか居たり居なかったりするんですか?」
「んんん……普通に居ませんよ?」
心の中でガッツポーズ。
監督が腕を回して二塁ベースへ向かうようにサインを出す。
「霧島さんさえ良ければ……俺と……」
「はい。喜んで♪」
三塁をすっ飛ばし、ホームを踏むランナーを出迎えるチームメイト。監督は腕の回しすぎで肩が外れた。
始まる胴上げ。そしてビールかけ。
心の中は既に凱旋ムード最高潮だ!
「りありー?」
「ええ」
「りありー?」
「ええ」
「りありー?」
「はい」
壊れたレコードと化した俺の手を、霧島さんがそっと握った。頬を赤らめる霧島さんだが、その顔はボブだ。
「宜しくお願いしますね、スティーブン」
「──?」
霧島さんが慌てて口を押さえたのを見て、俺は察した。
「あ、いえ、これは……! 違うんです違うんです!」
「もしかして……霧島さんは……」
俺の手を握り狼狽える霧島さん。
俺が霧島さんをボブと見ていたように、霧島さんも俺のことをスティーブンとやらに見ていたのか──!
だけど、俺は霧島さんの事を悪くは言えない……。
俺も霧島さんの事をボブとしか見てなかったのだから……。
「やっぱり、嘘は良くないね」
「ご、ごめんなさ──」
「いや、俺もさ」
眼鏡を外す。
もう、こんな物に頼るのは終わりにしよう。
「き、きり……きりきりきりっ、島、しゃぁん……ッ!」
目の前で泣いている霧島さんの手をそっと握る。
ようやく全てを察した霧島さんが、コンタクトを外した。
「せ、せせせ……! せむぱッッ……ひ!」
滅茶苦茶噛みまくる霧島さん。
凄まじく赤い顔で俺を見つめている。
「フフッ」
思わず笑ってしまった。
こんなに恥ずかしそうにしている霧島さんを見て、笑わずにはいられなかったのだ。
「霧島さんも恥ずかしかったんですね!?」
「い、いわっ、いわな……ひでッ……!」
めちゃんこ恥ずかしそうに、霧島さんが俺の服を掴んでポコポコと叩き始めた。
「フフッ、何だかアレですねぇ。嬉しいですねぇ」
「は、はじゅかしゅいにょっ……!」
すっかり落ち着いた俺は、その後、恥ずかしがる霧島さんを連れて、誰も居ない公園にやってきた。
「はい、ソフトクリーム。あーんして?」
「あ……ああ……あぁぁ……む……ぅ」
赤くなった霧島さんが小さな口を開けて更に恥ずかしそうにしている。
慣れるまで時間はかかるだろうが、俺達はもう偽らない。ありのままでいいのだ。