クエストに挑戦するようです。
ふっと意識が浮上しゆっくりと目を開けると、唯はどこかの部屋に居た。暗くてよく見えないが、どうやらベッドに横になっているらしい。
いつも使っている布団とは違う手触りと反発に、恐る恐る床に足をついた唯は、そこで自分の体が別人と入れ換わっていることに気がついた。ささやかな胸は断崖絶壁に、股の間には柔らかい塊が違和感と共にぶら下がっている。
何より目線がいつもより高い。一応、唯の体でも二十代女性の平均身長ぐらいはあるのだが、それよりも頭一つ分は優に高くなっている。
まるで自分が直文にでもなったみたいだ。そこまで考えたところで、唯はようやくはたと思い当たる。そうだ、自分は今ゲームの世界に居るのだと。ゲーム内のアバターに入っているのだから、体が違うのは当然だろう。
とりあえず壁伝いによたよたと歩いていくと、スイッチらしきものに指が当たったので迷わず押す。
パッといきなり明るくなった視界に思わず目を瞑った。頭がくらくらする。瞼に感じる光に慣れた辺りで徐々に目を開いていき、それからすぐに唯は目を見開いた。驚きのあまり言葉も出ない。
秋空を切り取って積み上げたような淡い水色のレンガの壁に、燃えているのに永遠に薪が減らない暖炉。部屋を照らす電球の中にはふわふわと光の玉が二つ浮いているし、窓辺では虹色の花が競うようにプランターの中で踊っている。
頬をつねるまでもなく、そこには現実と異なる世界が広がっていた。ゲームの世界だ。
「お、おぉ……」
感動に呻いた声が低くてまたびっくりする。部屋の隅に姿見が置いてあったのでそこまで行くと、鏡に写った自分の見た目は、どこからどう見ても男の子だった。
年齢は恐らく直文と同じくらいだろう。髪と瞳の色が茜色になっているだけで、あとはほぼ現実の弟と変わらない。いや、少しだけ髪が跳ねているような?
見慣れたようで見慣れない自分の身体を色んな角度から観察していると、ずいぶんとごつい装備をしていることが気になった。
アッシュグレーで統一された金属製の鎧に、背中に背負った背丈ほどもある大きな斧。確か直文はバトルアックスと呼んでいた。鎧は上下で分かれていて、腕を覆う籠手は自分の太ももと同じくらいの直径がある。
こんな格好で寝転がっていてよく怪我をしなかったものだと思ったが、そこはゲーム仕様なのだろう。いちいち脱ぎ着していたら確かにちょっと面倒くさい。
ひとしきり眺めたところでもう一度部屋を見渡すと、木彫りのテーブルの上に紙が置いてあった。
唯が紙を手に取ると、その紙を起点に空中へホログラムが表示される。乱れた映像がだんだんと焦点を結び、それはやがて自分とそっくりの男の子の姿に変わった。
『あーあー、姉ちゃん聞こえますか』
「直文!?」
聞こえてきた弟の声に唯は目を見開く。どうやら直文が事前にメッセージを残していてくれたらしい。
映像の中で直文は咳払いをして喉の調子を整えると、こちらをまっすぐ見ながら話し出す。
『これを見ているということは、姉ちゃんが俺の願いを聞いてくれたってことだと思います。ちょろい姉で俺は嬉しいです』
「なんだとこら」
『えー、冗談はさておき。今から簡単な操作方法を説明するのでよく聞いてください』
そこで一度映像が途切れ、すぐに直文の全身が映し出される。
『まず、メニュー画面の開き方から。利き手で反対側の手首を触ると、こんな風にメニュー画面が開きます』
「手首を触る……」
言われた通り右手で左手首を触ると、唯の目の前に何やらたくさんの文字が書かれたホログラムが表示された。直文の映像にも同じものが映っている。なるほどこれがメニュー画面らしい。
『だいたいメニューから何でも出来るから、開き方は絶対忘れないように。それじゃあ次に――』
その後も直文の説明は続いたのだが、なにぶん唯は今日が初プレイなので、専門用語を使われると途端に分からなくなってしまった。『あじりてぃ』が低いけど『ばいたりてぃ』が高いから死ににくいよ、などと言われてもさっぱりである。
まぁ、あとで追い追い覚えていけばいいだろう、と分かる範囲で弟の説明を聞く。
『――最後に、姉ちゃんにこのゲームに慣れてもらおうと思って、簡単なクエストを受けておきました。メニューのクエスト欄から見てみてね』
「クエスト! おぉ、RPGっぽい」
日常ではまず聞かない響きについテンションが上がってしまった。さっそくメニューを開き、空中に表示されたモニターを触ってクエスト欄を開く。
クエスト欄は受注と完了の二つに分かれていて、受注の一番上に『New』のマークが付いている。きっとこれが直文の言っていたクエストだろう。
それをタッチし詳細を開く。
・・・・・・・・・・
採集クエスト2 薬草を届けて(New)
【達成条件】
ギルドに居る受付嬢に薬草を3つ渡す。
【報酬】
60G
【期限】
なし
・・・・・・・・・・
「薬草だって!」
いかにもゲームらしい言葉に、唯のテンションはうなぎ登りだ。『2』ということは、まだ他にもたくさんクエストがあるのだろう。
その中でも恐らく初心者向けのクエストを選んでくれたことに、唯はホッとした。いきなりモンスターでも倒せと言われたらどうしようかと思った。
薬草はどこにあるのだろうと先ほどの映像を思い出しながらメニューを開き、見よう見まねでマップを表示する。
拡大して探すと、どうやらお目当ての薬草は近くの森に生えているらしい。
唯は早速そこに向かおうとして、直文からステータスを逐一見るよう言われていたことを思い出した。初めの頃は状態異常に気付きにくく、少しの体力低下でも命取りになるそうなので、ステータスを確認するクセをつけた方が良いらしい。
といっても、それはゲームを始めたての初心者の話で、直文のアバターを使っている唯には全く関係のない話なのだが、唯のあまりの無知っぷりに直文の頭からはすっかりそのことが抜けていた。
そんなことは知る由もない唯は、直文に言われた通り画面を操作しステータスを開く。
・・・・・・・・・・
【プレイヤー名】ラインカー
【種族】ヒト/男
【Lv】786
【所持金】9,999,999 G
HP:19000/19000
MP:8500/8500
ATK:8392
DEF:5068
VIT:7864
AGI:418
RES:3076
※以下の値は、実際のプレイヤーの能力値に依存する。
INT:385
DEX:76
LUK:999
・・・・・・・・・・
「なんだこれ」
やたらと並んだ数字とアルファベットの羅列に、唯はステータスを二度見した。バグかと思ったがそうではないらしい。
もう一度開き直しても変わらないその画面に数分ほど首を傾げたあと、唯はそっとステータスを閉じた。見なかったことにしたのではなくこれが普通だと思ったのだ。
唯の友人に、スマホの音ゲーでレベル900を超える猛者が居たことも大きかった。普通に遊んでいればゲームってこのくらいレベルが上がるんだ、こんな風に数字がたくさん並ぶんだ、と特に疑いもせずに信じ切ってしまった。
実は、半年前に発売したばかりのこの『イーストグリシン』では、現在のレベル上限である800に迫るプレイヤーは、直文を含め世界に十数人しか居ない(もっと言うなら直文が現時点で一番レベルが高い)のだが、唯はただただ凄いなぁと感心するばかりであった。
ともかく無事にクエストを達成しようと、唯は張り切って部屋の扉を押し開ける。
AGIは、このゲームでは400前後あれば充分動くことができます。他のステータスも同様です。
また、INT、DEX、LUKの3つは999が最高値です。
次回は7月31日(土)のお昼頃に投稿したいと考えております。