スライムと戦えないようです。
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アシュリーと別れ、唯は家からほど近いところにある草原にやって来ていた。
本当はすぐに『ウインター』へ行って素材集めをしようと思っていたが、「まずはここでモンスターに慣れた方がいいんじゃない?」というアシュリーの助言に従い、初心者向けだというここにやってきたのだ。
見た感じはサバンナに近く、ちらほらと生えた背の高い木以外は、芝生のような短い草が地面を覆っている。
初心者向けという言葉通り、遠くの方では、懐かしい色合いのTシャツを着たプレイヤーが何人も動き回っているのが見えた。唯もあのTシャツに着替えようかと思ったが、直文から止められていたことを思い出し、渋々諦める。あいつは怒ったらしつこいのだ。
てくてくと辺りを見渡しながら歩いていると、大きな岩の陰に、青いゲル状の何かが動いているのが見えた。ゼリーを床に落としたようなプルンとした形に、ゲームに疎い唯でもピンと来る。
(スライムだ!)
スライムと言えば、唯の中では序盤に出てくるモンスターというイメージが強い。
まさしくRPGを体現したようなそのプルプルの体に、唯は興奮を押さえながら腰に差したナイフを取り出した。
これもアシュリーに助言をもらって、バトルアックスから武器を変えておいたのだ。身体もやたらと軽くなった気がするので、充分動くことが出来るだろう。
そして言わずもがなだが、これが唯の初戦闘になる。
緊張に、心臓が痛いくらいドクドクと鼓動する。スライムとはいえ、自分にも倒せるだろうか。いや、何としてでも倒してみせる。
じりじりと足音を立てないように、ゆっくりとスライムに近づいていく。そして静かにナイフを振りかぶり、スライムに飛びかかろうとした瞬間、青い体はビクンと跳ね、目にも止まらぬ速さで唯の前から消え去った。
「……え?」
ナイフを構えた間抜けな格好のまま、唯は固まる。もしかして気づかれてしまったのだろうか。あんなにゆっくり近づいたのに……としょんぼり肩を落とす。
だが、気を取り直して別のスライムを探すことにした。なにも初めてで上手くいくことの方が珍しいのだ。唯はどちらかというとポジティブな人間だった。続けていればいつかは必ず倒せるだろう。この時はそう思っていた。
だが、その後いくらスライムを見つけて倒そうとしても、なぜか全て逃げ出してしまうのだ。さすがの唯も、これはおかしいぞ……? と気づき始めた。だって、スライムどころか出会うモンスター全てが唯の姿を見つけるなり死に物狂いで逃げていくのだから。
「な、なんでスライムが逃げていくんだろう……。初心者はスライムに襲われるって聞いたのに」
原っぱの真ん中で立ち止まり、うーんと首をひねる。
音はたてていない。動きだってゆっくりだ。鎧も金属じゃないからうるさくないし、見たところ他のプレイヤーは楽々とスライムを倒していたので、唯には早すぎる敵というわけでもないようだ。なのに、何故か唯には倒せない。どうしてだろう。いったい何がいけないのか。
「う~ん……なんで逃げちゃうんだろうなぁ」
「何がですか?」
「うわっ!!」
突然、背後から声をかけられた。びっくりして、弾かれるように振り向くと、そこには白銀の鎧を見事に着こなした、細身の女性が立っていた。長いプラチナブロンドの髪を一つにくくり、切れ長の瞳が真っすぐ唯を見つめている。かなり美人なので、無意識に唯は腰が引けてしまった。腰に差した大剣がとてもよく似合っている。
「すみません。驚かせてしまいましたね」
「は、はぁ……」
生返事をしながら、唯はごくりと唾を飲み込む。どうしよう、他のプレイヤーに話しかけられるとは思わなかった。口下手な唯が天気の話でもしようか、とうだうだ迷っている内に、女性がまた言葉を重ねる。
「あの、私の顔に見覚えはありませんか?」
「えっ、見覚えですか!? ど、どうでしょう……ちょっと分からないかもなー、なんて」
「……やっぱり、覚えられていないですよね」
答えづらい質問に唯がしどろもどろになると、何故か女性は悲しそうに顔を伏せた。その表情がひどく残念そうで、咄嗟に唯は口を開く。
「も、もしかしたら弟の知り合いなのかもしれません」
「おとうと?」
「えーっと、実は色々事情がありまして――」
話した限り悪い人ではなさそうだったので、今の自分は弟の代わりにプレイしていることを伝える。
話し終わると、途端に女性は何か言いたそうな顔になった。人のアバターを使うのはあまり褒められたことではないのは分かっていたので、唯の方から勘違いさせてしまったことを謝る。
「い、いえ。謝られるほどのことでは……家族で交替で遊んでいる話はよく聞くので。ただ、その、ラインカー様が学生さんだったことにちょっと驚いてしまって。このゲームを遊んでいる人に、ラインカー様を知らない人はいませんから」
「そうなんですか?」
弟がまさか現在の世界ランク一位なことを知らない唯は、いまいち凄さが分からず、あいまいに笑っておく。
そんな唯を白い目で見ながら、女性はコホンと軽く咳ばらいをすると居住まいを正した。白銀の籠手に包まれた右手を唯に向かって差し出す。
「申し遅れました。私、ジルと申します」
「は、初めまして。ラインカーです。といっても、今プレイしているのは、姉の唯の方ですけど」
差し出された手をおずおずと握り返す。タコのできた手のひらは固く、それだけでこの人がどれだけ戦って来たのか想像できた。きっとスライムだって山ほど倒してきているのだろう。急に先ほどまでの出来事を思い出し、唯はしょんぼりと肩を落とす。
「どうかされましたか?」
「いや……実は、さっきからずっとスライムを倒そうと思って躍起になっていたんですけど、逃げられてしまって」
「……スライム倒したかったんですか?」
「別にモンスターはなんでも良いんです。ただ、モンスターを倒すという経験がしてみたくて」
あはは、と唯が愛想笑いで誤魔化すと、ジルは顎に手を当てて考えだした。そして意を決したように顔を上げる。
「よ……良ければ、私と一緒にモンスターを倒しませんか?」
「ジルさんと?」
「ちょうど今からダンジョンに行こうと思っていたんです。恐らく唯さんは初心者さん……ですよね? だったら、それを踏まえたとしても、ラインカー様でしたら充分肩慣らしになると思います」
ジルの提案は有り難かったが、初対面の人間と長時間プレイできるか不安だったので、一度は断ろうとした。だが、よくよく考えてみると、ゲームに詳しいジルと一緒に戦った方がこの世界に慣れるためにも良いような気がした。
それに、初心者にも肩慣らしになるということは、もしかして、ジルが今から行こうとしている場所は、チュートリアルとか練習場とか、そういう場所なんじゃないだろうか。唯は絶対にそうだと目を輝かせた。
ちなみに、ジルの言う肩慣らしとは、世界最強のラインカーの能力を踏まえてのことだったのだが、唯には知る由もない。
「ジルさんのご迷惑でなければ、ご一緒しても構いませんか?」
「ほ、本当にいいんですか! わぁっ、嬉しいです! 私、実はラインカー様の大ファンなんですよ」
「ええ、弟のですか? でも、中身は別人ですけど……」
「いいんです。私、唯様のことも好きになりましたから」
どこをどう好かれたのか分からないが、美人から好意を持たれて嬉しくない人間はいない。唯ははにかむと、ジルに向かってもう一度手を差し出した。
「改めて、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします! それじゃあ(『スプリング』のラスボスが待つ)ダンジョンに参りましょう!」
「はいっ! (チュートリアル用の)ダンジョンに向かいましょう!」
こうして二人は、絶妙な食い違いに気付かぬまま、肩を並べて歩き始めたのだった。
◯お知らせ
途中ではあるのですが、これからさらに仕事が忙しくなることや、別作品の連載を先に終わらせておきたいこともあり、しばらく連載を停止させていただきます。
読者の皆さまには大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
再開の目処が立ち次第、またお知らせいたします。