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民の主  作者: 垣屋但成
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結婚(2)

 承安五年(1200年)、タイチウト族が壊滅したことに危機感を持ったモンゴル諸族は、仇敵タタル部族の残存勢力を加え、アルクイ泉で会盟をおこない、白馬を犠牲として天に捧げ、必勝を誓った。ところが、この会盟に加わっていたボルテの父、つまりテムジンの舅にあたる大賢者デイセチェンが、テムジンに軍の動静を知らせていたため、ホロンバイル草原でモンゴル・タタル連合軍はケレイト軍に敗れた。


 翌泰和元年(1201年)、モンゴル諸族はジャムーカを「グルカン」に推戴し、西遼を裏切ったテムジン討伐の動きを見せたが、内通者から情報を得ていたテムジン軍に先手を取られ、また敗北したのであった。


 先鋒たるモンゴル軍がケレイト旗下のテムジンに敗れはしたものの、西遼は大部隊の集結を各部族に命じていた。泰和二年(1202年)秋、ジャムーカの下に、ナイマン部族、メルキト部族、オイラト部族の軍勢が到着した。


 西遼側の動きを把握していたケレイト軍は、家族や家畜を金朝領内に避難させ、自軍はアラル(川中島)塞に集結し、遠路の疲れ勢を待ち受ける策に出た。こうしてアラル塞近くのコイテンで両軍は激突、ケレイト軍は西遼側を打ち破ったのだった。


 ジャムーカはケレイトに投降し、オンカンは快く受け入れた。ジャムーカがいれば、モンゴル部族の残存勢力も従う可能性があるからだ。これに比べてテムジンの力は卑小だった。


 しかしながら、知り合い・縁者のつてを使って情報収集に励み、また、金朝国境まで引いて家族や家畜を守るとともに、補給を確保したテムジンの才覚には目を見張るものがあった。オンカンは満足し、オンカンの子や側近は恐怖した。


 ジョチは、父が戦場を駆け巡っているのを見たことがない。敵より先に軍を集めて攻めるのも記憶にない。敵が浮足立って軍を集めるのを見て、おもむろに立ち、いつのまにか有利な地点を占め、最後には勝っている。コンギラトの中には戦闘中、真面目に戦わない、あるいは傍観している隊がいて、戦闘が終わると父のところに来て談笑している者さえいる。


 戦場の後方にいる家族の下には、外国から商人たちがやってきて、色々なものを売買していて、テムジン様のおかげで商売がやりやすいと口々に言っている。


 ジョチは、そうした商人の一人ハッサンに尋ねた。

「父は戦場がコイテンになるから、界濠のこの拠点に来いと命じたのだな」

ハッサンは流暢なモンゴル語で、かつ商人らしい言葉づかいで答えた。

「左様です。手前どもは羊をオングトから買ってくるようにも言われまして。来年はバルジュナ湖に羊や馬を連れてきます」

オングトは長城周辺に住むトルコ系の遊牧民で、金朝の辺境守備についている。


 ハッサンは聞かれてもいないことを言った。

「まぐさも運んできました。家畜は契丹の牧場に入れてもらいました。阿海殿のお力あってのことですな」

ケレイトの馬群へのまぐさ供給をハッサンが担っているのも、金朝の官許商人とつながりがあって初めてできることであり、あらゆる手配をしたのが耶律阿海だった。


 ジョチは、外交手腕にたけた人物や商人を手に入れたいと思った。その瞬間、ハッサンは言った。

「これなるは私のせがれでございます。以後お見知りおきを」

息子というのは髭ののび方まで似るのかと思うほど、ハッサンにそっくりな若者を紹介された。

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