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民の主  作者: 垣屋但成
3/7

初陣(3)

 テムジンは自分の天幕に戻ると、長男ジョチに言った。

「来年、初陣となるだろう」

テムジンは冗談が嫌いで、言葉は少なめだ。モンゴルは国民皆兵で、15歳から70歳までの成年男子はすべて騎兵となる。来年ジョチは数え15歳となるのである。


 ジョチは少し考えながら言った。

「タタル部族を攻めるのですか」

テムジンは一瞬笑みを見せるとすぐ真顔に戻り、トオリルの下に金帝の使者が来たとだけ答えた。


 ジョチは僚友(りょうゆう)のケテに、良馬を5頭用意するよう頼むため、天幕から東の方へ走り出ていった。


 僚友はモンゴル語ではノコルといい、腹心を指す。ケテはフウシン部族出身の若者で、テムジンの家に代々使える家系のものだ。他にも(れい)(しん)(ボオル)や付人インジュといった家臣がいる。


 戦闘には馬だけでなく、矢じりや合成弓、接近戦用の刀、小型で円形の盾、突撃用の槍、携帯食糧としての干し肉などが必要である。また、遊牧民は奥魯(アウルク)といって、戦場の近くまで家族や家畜を連れていくことが多い。家族は、後方での補給・連絡・捕虜の管理を行い、戦場の「清掃」、すなわち、略奪や遺体の処理なども担当する。戦闘員・非戦闘員の区別なく、戦の準備に半年かけ、来年春に備えるのである。


 明昌七年(1196年)春、完顔襄は臨潢府より出撃した。軍を三手に分け、まず別働隊を北東方面に出発させてから、次に本隊を東西に分け、完顔襄自身は西軍を率いた。加えて、北西からケレイト軍が迫ることで、タタル部族は完全包囲されたことになる。


 戦術としては軍を分けるのは禁じ手だが、逃げられないようにするために包囲する必要があった。とはいえ、当然のことながら、タタル側は各個撃破を選択する。


 タタル軍は金朝の東軍を攻め包囲したが、西軍が急きょ駆け付け、挟み撃ちにされたタタル軍は敗走した。遅れて合流した別働隊がタタル軍を追撃し、ウルジャ河畔でケレイト軍が接近中と知ったタタル軍は、ポプラ(とりで)と松塞という2つの拠点に立てこもった。


 契丹・遼朝時代に築かれた塞は、上空から見ると「日」の形をしている。遼朝は草原各地に契丹やタタルを農民として入植させ塞を築かせていた。それゆえ、タタル軍は塞の利用方法を熟知していた。堅固な塞を攻城兵器なしに攻めるのは困難だった。


 テムジンはふたたび到来した耶律阿海と、今回一緒についてきた弟の禿(とく)()に質問した。

「城攻めの方法は」

阿海は笑って答えた。

「食糧不足のため、タタル軍は撃って出ざるを得ないでしょう。完全に囲まず、北だけ開けておきましょう」

禿花はつづけて言った。

「窮鼠猫をかむと申します。逃げ場がないと敵の抵抗は激しくなり、こちらの損害も大きくなります」


 タタル部族の騎兵の多くは逃走に成功したが、彼らの家族や家畜はケレイト軍に捕獲された。


 ジョチは、城を攻めるのは下策であることを、死地で学んだ。


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