黄色
「またかよ」
陽一郎は迷った。だが、アクセルを踏み込んでそのまま進む。急ブレーキをかけたら後ろの車が突っ込んできそうで怖かったし、もう渡りかけていたところだったからだ。
今日の運転中、黄色信号になりかけたタイミングで通り過ぎたのは何度目だろうか。
「ったく。毎日毎日、嫌になる」
ブツブツと一人文句を言いながら車を走らせていた。
陽一郎は、信号を前にすると黄色に変わることが多々あった。それを自分の人生観と重ね合わせて考えることもよくある。
二十八歳、フリーター。実家暮らしで彼女もいない。
正社員として勤めていたこともあったが、長続きしなかった。
結局のところ、アルバイトを掛け持ちして生活している。と言っても、家にお金を入れる余裕も無く、生活費は親が負担してくれているのが現状である。両親に申し訳なく思い、また、自分に嫌気が差していた。生きるのも疲れてきた。家族や周囲の人達に迷惑をかけるぐらいならいっそのこと……、っと危ない危ない。そこで踏みとどまった自分に拍手。まさに、黄色信号を通過しているような人生を歩んでいる。
自分のやりたいことってなんだ? なんで仕事をしなくちゃいけないんだ? なんの為に頑張っているんだ?
様々な疑問と葛藤しながら、陽一郎はアルバイト生活を続けていた。
逃げている。と言ってもいい。
性別や外見で判断するのなら、強い方だと思われ、厳しい言葉を浴びせられる。だが、俺の精神はガラスのようのに脆い。悔しくても、腹が立っても我慢する。ひたすら我慢することしかできない。怒りをぶちまけられない。
男だから何を言われても平気だろう、とか思われていたに違いない。
そんな我慢の毎日から逃げるために、会社を辞めた。
その後も職を探したが、過去のトラウマがあって始めの一歩がなかなか踏み出せないでいた。その結果が今に繋がっている。
眠っても、悪夢ばかり見るようになった。
経済的な面や周囲との関係。それらの不安材料がリアルな夢となって現れる。これまでに何度、夢の中で首を吊っただろう。人を殺し、人に殺されてきたのだろう。死にたくても死にきれない夢だって、もう数えきれないほど見てきた。
だから、同じ場所で同じ人と長時間働くことのないアルバイトが俺には合っているのだ(と、自分では思っている)。
しかし、そんな俺も、今や二十八歳。ここで心機一転。正社員を目指すべく、職探しに履歴書等の送付、そして面接に明け暮れる日々。
もうなんでもいいから仕事をさせてくれと言わんばかりに必死に探した。無愛想でも雇ってくれる会社を。以前のような出来事はこりごりだ。ありのままの自分を採用してくれる会社は、きっとどこかにあるはず。
相変わらず取り柄も無く、トラウマを引き摺ったままの自分だけれど、なんとか一歩を踏み出そうと努力している。今も履歴書を書いているが、これで何枚目になるのやら。
書類選考は通っても、面接で上手くいかない。自分の考えを上手に表現することができないのもそうだし、なにより「なぜ前の会社を辞めてしまったのか」とか「今までフリーター生活を続けてきたのはなぜですか?」といった質問に上手く答えられないのである。そもそも、こちらからすれば、前の会社を辞めたことやフリーターでいたことの何が悪いんですか? と逆に聞きたいぐらいだ。……そんなこと言えもしないけど。
以前勤めていた会社に入社したての頃は、第一印象を良くしようと、元気に明るく振る舞っていたのだが、それが裏目に出てしまった。「あいつになら愚痴や怒りをぶつけても、元気に跳ね飛ばしてくれるから大丈夫だ」というウワサが広まり、俺に強気で不満をぶつけてくる人が増えたのである。最初はニコニコしながら話を流しつつ相手をしていたけれど、疲れてきてしまったのか、不満を言う相手に愛想笑いもできなくなっていた。それが、「あいつはただ、イイコぶってみんなに良く見られたいだけだ」などと皆のウワサとなり、オマケに「昔、不良だったらしいぜ」なんて尾ひれまでついて俺の耳に入ってきた。不良でも真面目でもない凡人でしたがなにか?
それ以来、人を信用できなくなって、心も表情も冷えきったものになっていた。「無表情で仕事をしていると人が寄って来なくて良いものだ」なんて思っていたのは最初のうちだけ。後々、嫌がらせや仲間外れの対象となっていた。「別にいいけど」なんて強がっていても、心は正直で、心と身体が繋がっていることもわかってきた。そのときにはもう遅かったのだが。
酷い目まいや吐き気がすることが多くなり、食事をすることもできず、会社に行くこともままならなくなってしまった。そしてそのまま、退社することになったのである。
とにかく今は、現在の体調を改善すべく、俺はメンタルクリニックに通うことにした。悪夢を見ることも体調不良も、全ては精神的なものだと確信していた。なぜなら、以前にも同じような経験をしたことがあったから。それも、精神的なものが原因で。
メンタルクリニックに行き、話を聞いてもらった。すると。「うつ病」だと宣告され、しばらくはクリニックに通うことになった。
「無理をしないように一歩ずつ、ゆっくりと進んでいきましょう」
そんなことが可能なのだろうか?
勢いでガーっと稼いで、ワーっと遊んでストレスを発散しながら生活していくことが俺の理想なのだが、先生いわく、
「勢い任せで突っ走っちゃうと、反動で大きな精神的ダメージを受けることになりかねませんから気をつけて」
とのこと。
薬も処方され、クリニックに通うことになり、そんなこんなでお金は無くなっていく一方。遊ぶこともできなければ、彼女もできるわけがない。そして、家にお金を入れることができないという罪悪感や遊ぶこともままならない気の重さで、うつ病も日に日に酷くなっていくような気さえしていた。
いまだに安心して眠ることができない。再診の際に睡眠薬を変えてもらい、精神安定剤(抗不安剤)は増やされた。
おかげで安定してきたのか、不安に思うことが少なくなってきた気がした。
それからは活発に動き、新たな就職先も探していた。もちろん正社員で、だ。
「体が資本なんだから、無理せず体を大事にね」と、クリニックの先生には言われたものの、そうは言っていられない。もう二十八歳なんだ。「いい大人がちゃんとした仕事に就いていなくてどうする」と心の中で自分に苛立っていた。
トラウマはというものはなかなか消えないものだ。
「陽一郎」という名前は、両親が「太陽のような明るい心を持った男の子に育ってほしい」という願いを込めて付けたという。
実際は……、暗闇だ。
陽の光を遮られたような場所にいる。人を信じることができず、人が恐くて顔色を窺い、自分の気持ちを自分の中に押し込め、まるで引きこもり人間のようだ(精神的に)。ドアの隙間から周りを覗き見ているだけで、そこから外へはなかなか出ることができない。そんな自分を変えようと、外に出てみようかと何度も何度も試みた。だが、世の中は自分が思っているようには上手くいってくれない。
幼い頃から「男の子なんだからしっかりしなさい」などと、両親を始め、周囲の大人達から怒られることが多かった。その頃からだろうか。自分のことが嫌になっていたのは。
「自分はなんでこんなに悩んでいるんだろう?」
何について悩んでいるのかわからない、という悩みを抱えていた。
友達を見れば、「なんであいつは、ああも明るくいられるんだろうか?」なんて疑問に思うことも多々。それを真似してみるのだが、これがまた辛いのなんのって。
楽しくないのに楽しいフリをする。笑えないけど笑ってみる。色々と試してみたけれど、そういったことをやればやるほど自分の首を絞めていくように苦しくなっていく。
さらに言えば、小学校の作文などで「楽しかったこと」とか「将来の夢」を書くことが苦痛で仕方なかった。とりあえず、みんなが書きそうな、ありきたりなことを無難にまとめていた。しかし、いざ、得意なことや好きなことなどといった「自分らしさ」を問われると困ったもので、これといった特徴が無い自分にとっては悲惨だった。そんなときは「特にありません」と答える他なかったのである。
どのくらいかかっただろう。
やっと就職先が決まった。まぁ、簡単な機械の部品の検査の仕事である。初めは研修ということで各部署での作業をし、その後、その人に合った部署で働くことになるという。周りを見れば、真剣に黙々と作業をしている人達の姿があった。どの人も俺と似たような雰囲気だし、なんとなく上手くやっていけそうだ、うん。……と、嬉しくなっている場合ではない。教えられたことをメモしながら、なんとか仕事に慣れるようにやっていかなければ。
そして、部署が決まった頃には精神的にも落ち着いてきたようで、そのことを先生に話したら、
「じゃあ、安定剤は減らしていってみようか」
というお言葉が。
「睡眠薬も処方しておくけど、自然と眠れるようだったら飲まなくていいからね」
これでいよいよクリニックから遠ざかっていけるかもしれない。まずは、薬に頼らなくても生活できる心身を作り上げていくことを当面の目標にやっていってみよう。
職場の環境は悪くはない。ただ、なかなか人とのコミュニケーションがとれない。それは自分から積極的に関わろうとしないことと「近寄るな」という雰囲気を醸し出して、自身で壁を作っていることに問題があるといえよう。まぁ周囲にも似たようなオーラを発する人達もいるから安心といえば安心なのだが。問題は、休み時間はどうしようかというところである。ケータイをいじっている人もいれば本を読んでいる人もいる。はたまた、親しい人と話し込んでいる人達もいれば、寝ている(フリをしている?)人もいる。さて、俺はどうしようか。ケータイでゲームをしたり、友人と連絡をとったりと、ケータイに依存する方ではないし、読書家でもなければ積極的に人と関わろうとも思わない。それに、人前で寝るなんて御法度だ。迂闊に寝てしまうと悪夢を見る可能性があって、人前で唸ったり悲鳴をあげたりしようものなら、とんでもない変人扱いされてしまう危険性があるから。寝ているフリをするのだって、その間にいろいろと考え込んでしまったりして苦労する。「さぁ、どうしたら良いものか」と悩んでいると、突然メールが来た。相手はわからない。内容は『今度いつヒマある~?』という文章だった。登録されていない人のようだが、もしかしたら知り合いのアドレスを削除してしまったのかもしれないので、一応返信をしてみた。
『すみませんが、どちら様でしょうか?』
俺と連絡を取ろうという奴は数少ない。用件があるなら電話でちゃちゃっと終わらすぐらい、ケータイ不精なのである。そんな俺にメールを送るなんて、どこのどいつだ?
片肘をテーブルについて考えを巡らせていると、再びメールが返ってきた。
『水沼だよ~♪』
水沼? 聞き覚えのない名前だ。
『すみませんが、僕の知り合いに水沼という知り合いはいないのですが……。間違えて送信していませんか?』
とりあえずメールを返す。するとすぐに、
『すみません。間違えて送信してしまったみたいです。友達のアドレスに送信したと思ってたんですけど……』
という返事がきた。俺はヒマだったし、「まぁいいか」と特別深く考えることもなく返事をしてしまった。
『大丈夫ですよ。その友達と会えるといいですね』
終了。
……と思いきや、再びその水沼という人物から返信メールが送られてきた。
『ありがとうございます。でも、こんなことってあるんですね。せっかくですし、迷惑じゃなければ今後もメールのやり取りを続けてもいいですか? あ、私は東京に住んでる二十八歳の女ですが、よかったら話し相手になってください☆』
二十八歳? 俺と同い年じゃないか。
親近感が湧いたのか、俺はメールのやり取りを承諾してしまった。
『僕なんかでよければお相手しますよ』
絶対怪しい。と思いながらも、俺は相手にしようと思ってしまった。相手が同い年だからか、女性だからか。はたまた、相手が寂しがり屋なのではないか、などと妙な妄想をしていたが、結局は寂しいのは自分なのだということを思い知らされる。
『「僕なんか」なんて言わないでください。私のことを心配してくれた優しい人じゃないですか! すごく嬉しかったです☆ あの、あなたのことはなんてお呼びすればいいですか?』
「お呼び」だなんて、この人は丁寧な人だなぁ。って、感心してる場合じゃない! 絶対怪しいだろ!
警戒しながら、俺は返事を打った。
『僕は「ヨウイチ」って呼ばれてます。あなたと同じ二十八歳です』
陽一郎という名は伏せた。もちろん、怪しいメールだと疑っているからだ。それに、実際にも「ヨウイチ」と呼ばれている。「ヨウイチロウ」と呼ぶのは長くて面倒くさいらしい。
『わぁ! 同い年じゃないですか! 親近感わきます~♪ じゃあ敬語使うのやめませんか? そのほうが話しやすいですし☆』
そんなこんなで、敬語を使うのをやめて、メールのやり取りをする運びとなった。
その水沼さんとのメールは数日続いた。
その日に起きた出来事や互いを励まし合うことなど、特別これといった話題ではなかったが、そのメールのやり取りによって自分のモチベーションが上がっていくのを感じていた。『疲れたー』とか『今日もお互い頑張ろうね』といったメッセージによって今日も頑張ろうと思え、彼女に対する警戒心は薄れていった。仲良くなってきた、と勘違いをしてしまっていたのだ。
だが数日経つと、急展開を迎えることになる。
『急にごめんね……。このケータイ、会社の支給品で、急な異動で会社に返さなきゃならなくなっちゃったんだ。だから、これからはチャットでやり取りしたいと思ってるんだけど……。ヨウイチ君はそれでも大丈夫?』
大丈夫も何も、チャットでしかやりとりできなくなるんじゃあ仕方ないじゃないか。
いつの間にか俺はメール相手に依存するようになっていた。
『大丈夫だよ』
詳しいことも聞かずに返事をしたのが間違いだった、と後悔した。
よくよく考えれば、なんで会社のケータイで友達に連絡取ろうとしたんだよ。自分のケータイとか持ってるだろうに。それに、アドレス間違いとかありえないだろ。
妙だな、と思うことは度々あったはずなのに、それでも水沼さんとチャットをしてまで連絡を取りたいと思うだなんて。顔も知らない相手なのに。そもそも女性かどうかもわからないし……。
しかし、ここで終えるわけにはいかなかった。なにせ、自分が誰かを欲していたから。俺の相手になってくれる誰かが。
『よかった~。じゃあこれからチャットの招待するから、そこからログインしてね♪ このケータイはもう返さなきゃいけないから、連絡待ってるね☆』
そして彼女からのメールは途絶えた。最後に送られてきたチャットへの案内を残して。
調べるということは大切なことだ。それに気がついたのは後々の話。
以前もこのような流れの出来事はあった気がする。いわゆる詐欺被害。そのときは冷静に対処し、難を逃れた。だが、今回は違った。俺は勤め先のゴタゴタに巻き込まれていた最中で、冷静な判断を下せなくなっていたのだ。
チャットに参加し、水沼さんとのやり取りを続けていた際に、彼女の関係者と思われる人物からも連絡があった。それもチャットでだ。
『私、堀田と申します。お嬢様の身の回りのお世話と経理をさせていただている者です。この度はヨウイチ様にお世話になっていることの感謝をお伝えさせていただきたく、ご連絡させていただきました。ヨウイチ様のお蔭で、お嬢様もお仕事を頑張っておられます。今後とも、お嬢様の支えとなっていただければと思っております。何卒よろしくお願い致します』
お嬢様!? どこぞの金持ちだよ!
驚きと戸惑いで混乱した。俺は金持ちの女性と連絡を取り合っていたのか? いや、これも罠かもしれない。冷静になれ、俺!
『水沼さんとはたまたま知り合っただけで、なんとなく連絡のやり取りをしているだけです。でも、それが彼女の励みになっていると知って嬉しく思っております』
とりあえず返事はしたけれども……。さぁ、相手はどう出るか。
その堀田という人から返事がきた。
『お嬢様はデリケートな方で、私達には特に話しかけてこられませんでしたが、ヨウイチ様との連絡が始まってから、著しい変化を見せました。ヨウイチ様のことを嬉しそうに話すお姿は私達にとっても大変嬉しいことです。今後ともお嬢様のことをよろしくお願い致します』
そんなことを言われたら、引くに引けなくなるじゃないか。
相手は人の弱みに付け込むことのエキスパートなのか? まぁ、そうでもなきゃ詐欺なんてできないだろう。いや、まだ詐欺だと決まったわけじゃない。そう思いたい。俺はただ、水沼さんとのやり取りを続けたいんだ。
しかし、その思いが届くことはなかった。
俺が招待されたチャットはポイント制で、ポイントが無くなるとメッセージを送ることができない仕組みになっていたのである。
『ヨウイチ君と連絡できなくなるのはイヤだよ……』
そんなメッセージを送られてきたら課金せずにはいられない。
結局ポイントを買うことにし、「数千円ならなんとかなる」と、やり取りを続けることにした。そんな折、堀田さんからも連絡が来た。
『この度は、お嬢様がヨウイチ様にご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません。今回、そして今後の連絡につきましてはこちらの経費で負担させていただきたく思っております。なんとかお嬢様とのやり取りを続けてはいただけませんでしょうか』
言われるがまま、俺は水沼さんとの交流を続けた。『そのうちヨウイチ君と会いたいな♪』なんて言われたら尚の事。しかし、それも危うく感じてきた。さすがに数万円となってくると話は別だ。堀田という人の言うことも怪しいし、「金の切れ目は縁の切れ目」とも言う。
俺は、このチャットを退会することに決めた。しかし、退会するにもこれまで使ったポイント分を支払わなければ退会できないという。
やられた。
俺はまんまと詐欺の被害に遭ったようだ。
最初の数千円はクレジットカードで支払っていたため、カード会社に連絡をしてカードでの支払いを止めてもらえないかとお願いした。事情を説明したところ、カード番号の差し替えを薦められた。そして番号の差し替えをしたが、すでに遅かったようだ。退会のための料金はすでに支払われていた。
このままでは安定しかけてきた生活が危うい。
危険を感じ、これ以上の被害に合わないよう、メールアドレスも変更し、これで大丈夫かどうか、消費生活センターの相談窓口にも連絡をした。これまでの経緯を説明し、自分がとった対処方法も話すと、「それで大丈夫だと思います」との返答。そして、
「もしまたなにかありましたらお知らせください」
と言われた。
大丈夫かどうかは不安なところだが、とりあえずは一段落というところだろう。
だが、胸を撫で下ろしたところに止めの一撃がやってきた。
それは仕事の関係でのこと。
自分の働いている部署で大きな損害が出たという。上司は言い訳も聞いてくれないし、チームリーダーはしらばっくれて俺の責任として逃げた。「新人だから失敗もある」と俺を庇うフリをして。
俺は職場の先輩方に言われたとおりにやってきた。特にこれといった大失敗はしていないはずだ。もしかしたら気づかないうちに間違ったやり方をしていたのかもしれない。でも、俺が失敗したんだと誰がわかる? もしかしたら他の誰かが間違っていたのかもしれないじゃあないか。それを一方的に、新人という立場だからといって俺の責任にするなんて。
もうやってられない。
俺はどうしてこうも人間関係に運がないのだろう。
大波がやってきた。
誰かが耳元で囁く。
「お前さえいなければ、全ては上手くいっていたんだよ」
と。
幻聴か? だが、それもそうかもしれないとも思った。自分のせいでどのくらいの人達に迷惑をかけたことだろうか。もう、そんなことにはしたくない。
仕事が終わってから、ホームセンターに立ち寄った。
これと言って必要な買い物はなかったはずなのだが、何かに導かれるように歩みを進めた。足を止めたのは、キッチン用品売り場だった。しかも、包丁の並ぶコーナー。値段や、その包丁の長さ、鋭さなどを見て、手頃な品を他の物と一緒に購入。他の物については何を買ったのか覚えていない。覚えているのは、ホームセンターで包丁を購入したということだけだ。
俺の頭はおかしくなっていたのかもしれない。そんなときこそ、クリニックに行くなり友人に相談するなりしておけばよかったのだろうが、俺の頭の中は自分への、そして他人への憎しみでいっぱいになっていて、まともな判断力は失われていた。
家に帰ると、まずは自分の部屋の身の回りの整理をした。とはいっても、ちょっとキレイに片付けたぐらいだが。その間にでも気分が落ち着けば、それはそれで良いと思ったから。だが、そんなことで自分の気持ちが落ち着くわけがなく、いよいよ準備にとりかかり始めてしまった。
なんの準備かって? もちろん自殺の準備さ。
汚れを最小限に減らす為、自分の下には毛布やら布類を何重にも敷き、買ってきた包丁を取り出し、それを手に、毛布の上に座り込んだ。
あっと、忘れていた。別れの書置きを。
『みなさん、ごめんなさい。さようなら。』
そう書いた紙を机に置き、今度は余っていたうつ病のための薬と睡眠薬をすべて飲み込んだ。何錠あっただろうか。決してやってはいけないという、アルコールとの同時摂取で。缶ビールを何本あけたかも覚えていない。下手をすれば脳に障害が出るという、不適切な薬の飲み方だ。だが、生き延びたいという考えは全く無かったから、そんなことをしても平気でいた。「もうどうにでもなれ」という気持ちで。この時点で、もうどうにかなっていたのだと思う。
そして、再び所定の位置に正座した。
もう思い残すことはない。むしろ、早くこの世界からいなくなってしまいたい。
右手で包丁を逆手にとり、左手を添えた。
そのままぐっと、ヘソより十センチほど左側の腹へ、包丁の先端を突き刺した。そのままぐぅっと右のほうへと切り進んでいく。ほどなくすると、腹筋という壁にぶち当たった。これがまた思っていたよりも硬いもので、なかなか先へと進ませてくれない。腹筋を緩めると手に力が入らないし、手に力を入れて進ませようとすると、腹筋に力が入ってしまい、これまた先へと進めることができないのだ。不本意だが、その部位は浅く切り進めることにして、また柔らかくなった部分から深く突き刺して裂いていくことにした。
左から右へと一刀。その傷口から湧き出る血は止まらない。だが、まだまだ余力が残っている。死を確実なものとするために、もう一度、位置をずらして腹を切り裂いた。それから心臓にも。……と思ったが、肋骨が邪魔して包丁が刺さらない。仕方なく、肋骨の下(胃のあたり?)に包丁を突き刺した。
想像していたのとは違って、痛みは感じない。薬やアルコールのせいだろうか。
ただ、ドクンドクンと血が脈打つ振動だけは感じていた。
このままでいれば、出血多量で明け方には死んでいることだろう。
俺は冷静に、包丁についていた血を布で拭き取り、そっと傍らに置いた。
うずくまったまま、「あぁ、これでやっと楽になれる」という思いに耽りながら眠りについたのだった。
翌朝。
ドクンドクン、という振動で目が覚めた。「あれ? まだ、生きているのか?」と不思議に思いながら体を起こす。服は血まみれで、傷口からの血も止まっていない。「人間って案外しぶとい生き物なんだな」と苦笑いをした。まったく、これじゃあ計画が台無しじゃないか。いや、特に計画はしていなかったか。
困ったなぁ。
なにが困るって、このまま会社にも行かず、部屋からも出ていかなかったら親が部屋に来てしまうことだ。そうしたら色々と気まずいじゃないか。
まぁいいや。最寄りの病院が開く時間まで、あと二時間ちょっと。それまでに気を失うなりなんなりしてくれることを祈ろう。
だが、その祈りは届かなかった。神様が「その願いは叶えられません」とでも言ったのか? もしそうなら、俺は神様ってやつを恨むよ。
傷口を見たが、昨日と変わらず流血は止まっていない。若干、流れ出る勢いが弱まっているぐらいか。
なーに中途半端なことやってんだ、俺は。こんなことなら、どっかのビルの屋上から飛び降りた方が早かったんじゃないか? あ。高所恐怖症の俺じゃあ、足がすくんで無理かもな。リスクカットだって、案外効果が無いし……。
昔、俺はリスクカットをして死のうと試みたことがあった。だが、手首を切ったところですぐに傷口はカサブタができて流血しない。また、切った後にずっと水に浸しておく方法も試したが、これもまた、血が流れ出し続けてはいたものの、なかなか意識が飛ぶような効果は得られなかった。その傷跡は、今も俺の左手首に残っている。そもそもリスクカットという行為は、誰かに気づいてほしくて行うものだと後々悟った。「誰か助けて」という黄色信号のサインなのだ。もしくは、痛みに駆られることによって、苦しさや嫌なことを一時的に忘れることができる、という独自の考えも持っていた。だから俺はリスクカットを繰り返していたのだ。最近は、やっていなかったけれど。
そして今。
自分でもビックリするほど頭は冷静だった。腹部の痛みは感じていたが、それ以上に、他に死ぬ方法はないかということや、これからどうするかなどと、冷静に考えを巡らせていたのである。また、この脈打つ振動も心地良く感じていた。
体の力が抜けかかっていたとき、ふと時計を見た。
あぁ。もう八時か。とりあえず病院に行っとくかぁ。
なんて、なんか少し風邪っぽいんですけど、というようなノリでぼんやりしながら着替え始めた。流石に血みどろの服で外に出たら、周りの人が驚くだろうし。
着替えても、すぐにじんわりと腹部からの出血で服の色が変わっていった。幸い黒っぽい服を着て出ていったので、それほど目立つこともなかったけれど。
車に乗ってキーを差し込む。「あ、流石にシートベルトは傷口に当たって痛いかも」なんて思いながら運転していった。段差やカーブも堪えた。
なんとか無事に病院に着き、受付に診察券を出して、ごく普通に待ち受け室のイスに腰をおろす。
しばらくすると看護師さんがやってきて、
「今日はどうなさいましたか?」
と笑顔で話しかけてきてくれた。
「あ、えーと。昨晩お腹を切ってですね。血が止まらないんです」
俺がそう言うと、笑顔でいた看護師さんの顔が青くなった。そして静かに、だが力強い声で、
「ちょっとこちらに来ていただいてもよろしいですか?」
と言い、俺を処置室へと案内してくれた。
処置室に行くと、「ここへ仰向けになって寝てください」と言われたので、言われた通りにした。そして服をまくり上げられ、傷口を見た看護師さん達が慌ててガーゼを持ってきて、傷口を押さえるようにし、止血をし始めた。
いつも担当をしてくれていた先生は、たまたま今日は留守にしていたらしい。そして、「ここでの処置は難しい」と判断した病院側は、別の病院に搬送するようにと救急車を手配した。
ここからは質問の嵐だった。
「これは誰かにやられたの? それとも自分でやったの?」
「家の人は誰か知っているの?」
「警察に連絡するけどいい? というか、警察に連絡しなきゃいけないんだけど、いいかな?」
すべて冷静に、淡々と答えた。
また、救急車に乗せられる前に警察の人がやってきて、その警察官にも色々と質問をされた。
「これはご自身でやった、ということで間違いありませんか?」
「包丁で切ったんですね?」
「その包丁はどこで買った物ですか? それは今、どこにありますか?」
「ご家族に連絡して、お部屋の現場検証をさせていただきますが、よろしいですか?」
などなど……。
そしてやっと、救急車に乗せてもらえた。
なんだか、いろんな意味で疲れた。傷口はまだいい。痛みがそこそこ続いている程度だ。しかしながら、人との会話には体力がいるものである。ドッと疲れが出た。その後、さらに大変な体力を必要とするということは予想だにしていなかった。
別の病院に着くと、急いで治療室へと運ばれた。急いでいたのは看護師さん達だが。
ICU(集中治療室)にて二人の医師に挟まれ、傷口の縫合が即座におこなわれた。両側から同時に縫合されていったのだが、これがもう痛いのなんのって。麻酔を打っていたにもかかわらずこの痛さ。麻酔をしていなかったらどれだけの痛さを味わっていたのだろうか。治療中、自分の声とは思えない声が出た。
呻き、手に汗を握り、歯を食いしばり……。内臓を外へ引っ張り出されているのではないかと想像するぐらいの激痛だった。
先生も声をかけてくれていたみたいだったが、どんな言葉をかけてくれていたのだろうか。激痛への抵抗に必死で、耳から入ってきていた音は、自分の呻き声か耳鳴りのようなものぐらいしか聞こえていなかったように思う。他のことは、残念ながらあまり覚えていない。
縫合終了。
そして、これからの療養生活を送ることになる病棟に運ばれた。
俺が療養するために過ごす部屋はHCUというところにあって、なんでも、重病患者が収容される病棟らしい。そのためか、看護師さんがバタバタと動き回っていた。深夜でもだ。別の部屋から喚き声(?)が聞こえたり、なにかしらの物音が聞こえたりと、安心して眠ることもままならなかった。
日中は暇で仕方がなかった。上体を起こすのにも一苦労……どころか、かなりの工夫と体力を必要とした。それに、起き上がることができたところで、めまいがして気持ち悪くなり、またすぐにベッドに横になることに。幸い、尿道カテーテルは入っていたのでトイレの心配はなかった。
それから、食事は徐々に増やしていく方向で。最初は点滴のみの生活。それから重湯や柔らかい野菜などが用意され、食事の状態も看護師さんにチェックされる。
看護師さんは一日に二、三回来てくれた。体温や血圧を測り、気分や体調はどうかなどといったことを聞いてくれる。あとは、傷口の回復経過の観察やガーゼの取り換えなど。本当にお世話になった。
やっと、なんとか自力で歩くことができるようになったが、HCUの病棟からは出てはいけないことになっており、散歩といっても水やお茶を取りに行くぐらいしかできなかった。あとはトイレ。部屋にトイレがあるので大した距離ではないのだが、尿道カテーテルを抜いてからの最初の頃は、トイレに行く度に尿の採取をしなければならなかった。それもまた一苦労。なにせ、お腹の傷口が痛くて痛くて。
しばらくすると、手術の担当をしてくれた先生が術後の様子を見つつ、俺の状態について説明してくれた。
昔、部活やらで体を鍛え上げてきた甲斐もあって(?)、それほど深くまでは刺さっていなかったらしい。すんでのところで腹膜までは届いていなかったという。そのため、腹膜炎の心配は無いとのこと。ギリギリ命拾いをしたというところか。筋肉様様である。
しかし、心境としては複雑なところだ。死にたいがために自殺未遂をしたというのに命拾いをしてしまうとは……。親に迷惑をかけっぱなしだったことにも本当に申し訳なく思っている。職場へは親が連絡をしてくれ(どのように伝えたかは俺自身は知らない)、警察の現場検証にも付き合い、入院中に必要な物も用意してくれた。……この上無く、罪悪感で胸がいっぱいになった。
なにを中途半端なことをしているんだか。
自分は一体何をしているんだ。
入院中、そんなことばかり考えていた。
お見舞いのためにと何人か面会に来てくれたが、嬉しいやら情けないやらで泣けてきた。「体があれば、なんとかなる」なんて言葉をかけてくれた先輩もいた。人生の先輩が言うのだ。きっと体一つでなんとか乗り越えられる壁もあるのだろう。
あとは、ネガティブなことを考え過ぎないように、親に本を持ってきてもらい、それをひたすら読んでいた。何かに没頭していれば、何も考えなくて済むと思ったから。
だが、「退院した後はどうしようか」と急に不安になった。
今後の人生は上手くやっていけるのだろうか? 親を始め、お世話になった人達にはなにをしたら恩返しとなるのだろうか? 自分にはやりたいことは無いのか?
考えれば考えるほど、退院という日が近づくにつれて気が重くなっていく。「恩」というものに対して束縛感すら覚える。また、「感謝」という思いを大切にしていた自分はどこかにいってしまい、今では「憎しみ」という感情に変わりつつあった。「感謝」と「憎悪」は表裏一体なのかもしれない。考え方ひとつですべてが変わってしまいそうだと思い、なんだか怖くなった。これまでに受けてきた「苦痛」も考え方によっては「有り難いことだ」と受け取ることができるかもしれない。しかし、それが「恨み」となり、「あいつなんかに」と思ってしまう自分自身に嫌悪感を抱く。それはそれで、「生きる糧」としようか。「いつか見返してやる」とか「あいつになんか負けない」といった対抗心を持って。あまり人とは敵対したくないが、人間が生きていくにはそういった感情も必要なのだろう。
退院してからは、「保護観察処分」ということで、親との約束事を決めてそれに従うことになり、しばらくはおとなしくしていることとなった。
なんとか落ち着いてきてからは部屋の片付けを始め、部屋にあった様々な物をリサイクルショップに売り、それを自分の小遣いにあてた。雑貨や本、さらにはパソコンやテレビなども売った。流石に車は売ることができなかった。今後の生活や仕事のことを考えると、移動手段が無くなるのは英断とは言えない。
治療費や入院費の諸々については親が支払ってくれていたので、これ以上は迷惑をかけたくないと思って簡単なアルバイトを探すことから始めることにした。まだ傷口が痛むので、重労働はできないが。
しかし、ここでも問題が発生。人間恐怖症(?)と言えはいいのだろうか。人のことがより一層「恐い」と感じ始めていた。
車の運転に関しては、サングラスをかけていれば大丈夫。対向車の運転手の目を見ることも可能である。だが、いざサングラスをとって車から降りると、周囲の視線が気になって仕方がない。
そんなことで面接に挑めば敗北も同然。なにせ、面接官の顔を見ることもできずに受け答えをするなんて、相手にとって失礼極まりないからだ。それに、相手の質問に対して上手く答えることができず、なんとか話をしようにも、どもってしまう。予想通り、面接は惨敗。
「申し訳ありませんが、この度は採用を見送らせていただきたいと思います。また機会がありましたらよろしくお願い致します」
との連絡がきた。想像はしていたものの、実際に不採用の旨を告げられると心が痛む。
なにか策はないものか。
まずは人に慣れることが大切だろう。とりあえず外出に精を出すことにした。
職業安定所では、受付の人や担当者の目を見るように努めた。これがまた、なかなか難しい。そして、職安の担当者と話をするときにも、スムーズに話しをすることができるように努力した。何事も反復練習だ。慣れていくためには、繰り返し行動をするしかない。恐がってなにもしないんじゃあ、前進することはできない。
それから、特に理由もなくお店に立ち寄るようになった。いわゆるウィンドウショッピングというものだ。人の目に晒されることによって、人に見られるということに慣れていこうという考えに基づいた行動である。というか、見られているかもわからないのに緊張してしまう俺って、どれだけ自意識過剰で臆病なんだか。
いろいろと実践してみたが、なかなか上手く事は運ばない。煮えに煮詰まって、友人に相談することにした。……そもそも、最初からそうしていればよかったのに。
「人が恐い? 外出するときはどうすんのさ」
「それはまぁ……。人を見ないようにして……」
「それ、練習の意味なくね?」
「う……」
返す言葉も無かった。
あれ? でも……。
「あ、そうそう。でもさ、運転中は対向車の運転手とか歩行者の顔とか見れるんだぜ」
「は? どうして?」
「なんかこう……。サングラスをかけてると、相手は俺が見てることなんてわからないだろうから。こっちからはサングラス越しに安心して相手を見れるんだよ」
「へぇ~。じゃあ、普段もサングラスかけてれば?」
「そんな恥ずかしいことできるかよ。それにサッと通り過ぎるだけだから知らない人の顔も見れるわけで……」
「んー……」
友人は考え込んだ。
「どうした?」
「あ、いや。サングラスかけてれば人の顔を見れるんだろ? それなら、そのクセを活かしてメガネでもかけてれば、普段から人と目を合わせることもできるんじゃね? と思ってさ」
「そんなわけ……」
「そういう暗示かけも試してみろって。もしかしたら、レンズ越しだったら周りの人の視線も気にならなくなるかもしれないっしょ?」
友人は俺の話を遮って言った。
「よくあるじゃん? 子どもに酔い止めだって言ってジュース飲ませたら、酔い止めを飲んだわけじゃないのに車酔いしなかったって話。だからメガネだよ! はい、決定!」
「ちょ、ちょっと待てよ! 俺、別に目が悪いってわけでもないし」
「伊達メガネでいいんだよ。今なんてパソコンとかブルーライトの光を防ぐっていうメガネもあるし、オシャレな伊達メガネもあるだろ? そんで、弱視なフリでもしときゃいいんだって」
「そんなこと……」
「とりあえずやってみろよ。もしかしたらいつの間にかメガネ無しでも人の顔を見れるようになるかもしんないし。慣れだよ、慣れ! まぁ確かにヨウイチのメガネ姿なんて想像できないけど」
笑いながら言うなっての。
「ま、まぁ、気が向いたら試してみるよ」
「おー。そしたらお前の写メ送れよな」
絶対に送らない。
「相談にのってくれて、ありがとう」
「あぁ。またなんか困ったことがあったら連絡しろよ」
話は終わり、俺はその後、結局伊達メガネを買いに出かけた。
俺は、これまで薬を処方してくれていたクリニックへ行き、担当の先生と話をした。内容は事件当日の状況についてなど。
「不運が重なっちゃったんだね。つらかったね」
その言葉を聞いて、俺は涙が込み上げてくるのを堪えることができなかった。
涙を流しながら、これまでの経緯、今の気持ち、それから「これから自分はどうしたらいいのかわからない」とか「お金が必要だから早く仕事がしたい」などの話を、なんとか伝えようと必死に、所々言葉が詰まりながらも話をした。先生は、
「もちろんお金を稼ぐことは大切だよね。でも、嫌なことの我慢のし過ぎはよくないかな。たまにはストレスを吐き出さないとね。きっと陽一郎君は優しいから、全部を我慢して過ごしてきちゃったんだと思う。今までよく頑張ってきたね」
と、優しく話してくれた。
「それから、仕事を探すにしても無理は禁物。どうしてもすぐに働きたいって思うならアルバイトから始めてみた方がいいかなぁとは思うよ」
丁寧なアドバイスをしてくれた先生を前に、俺は止まりかけていた涙を再び流してしまった。
「すいません。先生……。男が泣くなんて、みっともないですよね」
「いや、それは違うよ」
先生は笑顔で話しかけてきた。
「むしろ泣いた方がいいんだよ。泣けるときは。ワーっと泣いて、楽しいときはとことん笑う。男女関係なく、感情的になるのは大事なことでね、喜怒哀楽を素直に出すことができるとストレスも溜まらないし」
「でも、周りに合わせなきゃって思って、つい、自分の感情を押し込めて無理しちゃうんです……。それがクセになってて、自分の感情を出すと周りに迷惑がかかるんじゃないかって不安になって……」
あいつは空気が読めない奴だと思われて、嫌われるのが恐い。それに、背徳感すら感じる。「普通はこうするだろ」とか「空気が読めない奴だ」なんて思われてたら嫌だ。その「普通」というのが、どこまでのことをいうのかがわからない。だから「自分」というものを無くして、人形のようにそこにいるだけでいい。何もしないのが一番だと思っていた。いや、今でも思っている。
「そんなに怯えることはないよ」
先生は柔らかい口調で話す。
「陽一郎君の周りにもいろんな人がいるでしょ? 価値観は人それぞれだから、君も自分を押し込める必要はないんだよ。まぁ、いきなりワガママを言うのもあれだけれど、とりあえず身近な人には自分の考えや気持ちをはっきり言ってみても受け入れてもらえるんじゃないかな。ちょっと勇気がいるかもしれないけれど」
先生の素敵な笑顔に目を奪われながら話を聞いていた。
俺も、先生みたいな素敵な人になりたい。
初めて「憧れの存在」という人を見つけた気がする。今までの「憧れ」はテレビの画面越しに映る人だったり、雑誌の表紙を飾っているような人だったりで、あまりにも遠い存在であった。「自分があんな風になれたらなぁ」なんて、現実味の無い妄想をしていただけだ。
だけど今は、はっきりと「理想」が見えた気がする。俺も誰かのためになれたら……。
「陽一郎君?」
「はっ、はい!」
ボーっと考え事をしていたら、先生の言葉が途中から耳に入らなくなっていた。
「もしまた悩んだり迷ったりしたら、すぐに話しに来てね。とにかく、声に出したり文章にしたり、自分の感情を表現することが大事だから。身近な人と話をするでもいいし」
「はい。ありがとうございます」
そうして診察は終わった。
できることならば、人生をやり直したいとすら思った。もっと昔から将来のことを考えておきたかったから。だけど、そんなことはできない。今の状況を考えた上で、これからできることを探していかなければならないのだ。
自分は今、なにがしたいんだ?
それを見つけるのは、これからでも遅くない。……気がする。
今ここに生きている自分には、きっとなんらかの意味があるんだ。
よくよく考えれば、危なっかしい人生を歩んできた。できることならば、今後の人生は黄色ではなく青信号を安全に渡っていきたい。
なにかを始めることに必要なのは勇気。そして準備。それはどんな人でも、いつからでも関係ない。今の自分なら、はっきりとそう言える。
生きる意味、方法、目的。それらについては、これから見つけていくこととしよう。
それが、今の俺にとっての生きる意味だ。