生きるということ
生きるということは、他の誰かに生かされるということだ。
一ヶ月前のあの日……俺はそれを身をもって感じた。
〜生きるということ〜
***
絶望は突然訪れた。
「残念ですが……もってあと、半年だと思われます。手術さえ出来れば助かる見込みはあるのですが、酒井さんに適合するドナーがなかなか見つからなくて……」
今まで二十六年間積み上げてきたものが音を立てて崩れていく。
なんで俺が? そんな言葉が頭をぐるぐると回って涙が溢れてきた。
隣を見ると母さんが俺以上に声をあげて泣いている。
親不孝な息子でごめんな……。
それからは入院生活が始まった。今の今まで入院なんてしたことがない俺は、なんだか牢屋にでも入れられた気分になっていた。
刻一刻と迫り来る寿命。残り僅かなのに何もできない自分が本当に悔しかった。
そんなある日
「酒井さん! ドナーが見つかりました! 手術できますよ!」
こうして、今にも消えてしまいそうだった俺の命は、見ず知らずの誰かに救われたんだ。
手術は無事成功し、リハビリも順調に進んだ。だが、体の調子が戻ってくると少し今までと違う感じがしてきた。
でもそれもそうか……心臓を移植したんだからな。
違和感があっても当然かもしれない。
いずれ慣れてくるだろう。
そんな考えだった。
けど違ったんだ。
違和感はなんていうか……少し変わっていて……。
例えば今までめちゃくちゃ下手だった絵がすごく上手くなったり。
やたらメイドという言葉に胸がドキドキしたり。
オーダーメイド。
トクン……。
マーメイド。
トクン……。
救命胴衣。
トクン……。
チェックメイト。
ト……。
おい、騙されるなよ!
そんなこんなで俺はこの心臓の持ち主が大のメイド好きで、絵を描く仕事をしていた人間だったんじゃないかと睨んだ。
当然、守秘義務があるからドナーの情報は得られない。
そんな時あのニュースが流れてきたんだ。
『続いてのニュースは先日亡くなられた、『冥土の土産にメイドはいかが?』で知られるマンガ家のマッスル金子先生についてですーー』
まさかっ!? と思い、すぐWakipediaで調べる。
〜〜〜〜〜
マッスル金子
本名:田代ひろし
生誕:1990年6月3日・日本・大阪府吹田市
職業:漫画家・アニメーター
代表作:『冥土の土産にメイドはいかが?』
〜〜〜〜〜
あっ……間違い無いわこれ。
トクン。
ん? 俺の頭で考えてることに反応してる?
トクン。
女教師は好きか?
……。
メイドは好きか?
トクン。
間違いない。
どうやら俺に移植された心臓はマッスル金子の心臓なんだ!
この日を境に、俺はマンガ家と会話ができるようになった。
まぁ会話といっても、俺の疑問符に心音で反応するだけなんだが……。
***
というわけで現在に至るのだが……俺は今、夜の歌舞伎町にいる。
目の前には【コスプレの楽園】と書かれた看板。
メイド喫茶とかそんな可愛いものではなく、俗に言う風俗店だ。
俗に言う風俗店……我ながら上手いことを言ったなと思う今日この頃26歳、童貞ですハイ。
勘違いしないでもらいたいが、断じて俺の意思でここに来たわけじゃない。
俺の中の漫画家に身を任せたらここにいたんだ。
身を任せたらというと、少し誤解を招くかもしれないが、体を乗っ取られたり、意識を乗っ取られたりするわけではない。
単純に生かしてもらった御礼として、漫画家のやり残した事をやってあげたいと思い、ダウジングの要領で辿り着いたのが【コスプレの楽園】というわけなんだ。
「お兄さんいらっしゃい。うちは可愛い子いっぱい揃ってるよー」
黒スーツの男性に声をかけられた。
ゴクリと息を呑み、歩を進める。
「うちのオススメはなんと言ってもチャイナドレスの凛ちゃんなんすわぁ。どうですか?」
そう言うと男性は、働いてる女の子達が載っている写真付きのプロフィールを見せてきた。
女教師の美里。
……。
チャイナドレスの凛。
……。
ショートカットJKの玲奈。
……。
メイドのミ
トクン。
はい。了解。まぁ分かっていたけど。
ってか食い気味に反応したな漫画家!
「えっと、じゃあメイドのミサちゃんでお願いします」
「ありがとうございます。ではミサちゃんですね。すぐ用意させますので、こちらでお待ちください」
2、3分控え室みたいなところで待っていると、すぐに部屋に案内された。
コンコンとノックすると、中から「はぁーい。どうぞ」という可愛らしい声がかえってきた。
俺はドキドキしながら楽園の扉を開ける。
「おかえりなさいませ御主人様。今日も遅くまでお疲れ様でした。お風呂の準備が出来ていますので、すぐ脱いでくださいませ。私が綺麗に洗ってあげますので」
「……あっ、えっと……あの」
ものすっごくキョドッてしまった!
初めてなんだから仕方ないだろ!!!
「そんなに緊張しないでくださいませ御主人様。優しく洗ってあげますから」
プロフィール写真で見た顔と少し印象が違うけど、それでも優しく微笑みかけてくれたミサちゃんは天使に見えた。
メイド天使降臨!!!
っと、違う違う冷静になれ俺。
今日ここにきた目的は違うんだ!
「えっと、今日はそういうんじゃなくて絵を描かせてもらいたくて来たんです」
「絵……ですか?」
キョトン顔のミサちゃん。
そりゃまぁそんな顔なりますわな。
「うん。実は絵を描く仕事をしていて、どうしてもメイドの絵が描きたかったんだ。メイド喫茶とかだとこれがまた嫌がられるんだよね経営者に」
「そういうことですか……。では承知致しました御主人様。なんなりと指示してください」
どんなポーズかいいんだろうか。
ニッコリピース?
……。
谷間を強調させて、だっちゅーの?
……。
女の子座りしながらの上目遣い?
……。
体育座りパンチラでアヒル口?
トクン。
「えっと、体育座りしてもらってもいいですか? あとパンチラ意識しながらアヒル口で」
「承知致しました御主人様……。こうでよろしいですか?」
トクントクントクントクントクン。
おい、俺より先に興奮するな!
「それで大丈夫です」
正直かなりエロ可愛かった。メイドなんてと思ってたけど少し興味湧いてきたなこれ。
それから他愛もない話をしながら筆を走らせた。
「実は以前にもこうやって、絵を描かせてくれって言ってきたお客さんがいたんですよ」
「そうなんですか。変わってますねその方」
高いお金払って風俗にきたのに絵を描くって、よっぽどイかれてるなその客。
って、今俺もその客と同じことしてるじゃん。
「御主人様も……ですよ? プフッ」
俺の謎発言にミサちゃんが笑った。
リラックスしてきたミサちゃんは更にいろいろなことを話してくれた。
「その人、毎週金曜日の夜9時に必ず来てくれてたんですよ。高いお金払って、ただメイド姿の私の絵を描くだけ。一度も風俗らしい行為は求めてこなかったんですよね。ホント変な人でしょ?」
少しだけ……ほんの少しだけだけどミサちゃんの表情が曇った。
「来てくれてた? 過去形なんですか?」
「はい……。もう今は来てくれなくなりました。また絶対来週来るね! なんて言ってさぁ……。多分私のこと描くのに飽きたんだと思う……」
トクン。
もしかして……その客って……。
トクン。
俺の中で何かが弾けた。
「そんなことないって! その人、ミサちゃんに会える金曜日を絶対楽しみにしてたはずだよ! だってミサちゃん、こんな可愛いし、明るいし、ホント元気もらえるしさ。多分その人、仕事とか何かでどうしても来れなくなっちゃったんだよ! 絶対そう! だから……そんな顔しないで」
俺の言葉を聞いてる途中からミサちゃんはもう泣いていた。
“体”ではなく“自分という人間”を求めてくれた漫画家はもしかしたら、ミサちゃんの心の救いだったのかもしれない。
「なんか不思議です。御主人様がそう言うと、ホントにその人が言ってるみたいに聞こえてきちゃう」
俺は指でミサちゃんの涙を拭いてあげた。
そして描き終えた絵を見せた。
俺の絵を見たミサちゃんはまた泣き出してしまった。
だってそこに描かれていたのは、何回も何回も描いてもらった“見覚えのある自分”だったから。
「この絵……」
「それはミサちゃんにあげる。また来るよ」
時計に目を向けると残り時間は5分もなかった。
帰りの支度をしていると……
「まだ5分あります。少しだけでも御礼をさせてください!」
漫画家が一度も汚さなかったミサちゃんを俺が汚していいわけがない。
なぁそうだろ?
…………。
ん? なぁそうだろ?
…………。
もしかして……ずっとしてもらいたかったけど恥ずかしくてお願いできなかったとか?
トクン。
じゃあ今からミサちゃんにお願いしたいのか?
トクン。
俺の体でもいいのか?
トクン。
俺は漫画家に返しても返しきれない程の恩がある。やり残したことがあるなら俺が代わりにやらなくてはならない。
これは俺の意思ではない。二人の意思だ。
「えっと……じゃあお言葉に甘えて」
結論から言おう。
俺がGo to Heavenするのに5分もいらなかった。
いや、正確に言うと、2分で事足りた。
こうして俺と漫画家はソウルメイトになったんだ。
ト……。
おい、またメイトに反応しそうになってんじゃねーか! 引っかかるなって!
「また来ます」
その言葉を残し、店を後にした。
少し肌寒い4月の夜風が心地いい。
そんな中ふと思ったんだ。
【生きるということは、他の誰かに生かされるということ】だってさ。
なぁ相棒。
俺の中は居心地がいいか?
トクン。