第三話-恩人エラメリア
数分後、俺は興奮も冷め切らぬまま呆然と椅子に座っていた。椅子といっても木を切った程度の簡素なものである。
パンツもジーパンもおじゃんにしてしまい、下半身裸にタオル一枚腰に巻いた状態で大人しく着席していた。
俺のおしっこまみれになった衣類は例の美人さんが不思議な力を駆使して洗ってくれている。
こんな時だというのに、自分の粗相の後始末を美女がしてくれているというシチュに思わず鼻が膨らむ。
いかんいかん、自重せねば。
とりあえず落ち着こう。パンツとジーパンのことはひとまず任せて、現状の確認だ。
どうやら俺は昼間見た夢を継続して見ているらしい。
暗がりの中で全く周囲に目が行って無かったのもあるが、俺が今まで見たこともない動植物に囲まれていたことからそう予想される。
先ほど食ってゲロッたエメラルド林檎の木を見つけたからほぼ間違いない。
極めつけに女性がなんの機材も使わずに、手をかざすだけで水の塊が出現し衣類がトルネードしたのを見てしまえば、最早俺が普段生活していた世界の面影は無いといってもよいだろう。
トリック無しのそれを目の当たりにし、ここが完全に元の世界と一線を画した地であると確信させる。
あまりのリアルさに最近流行りの転生やらなにやら考えたが、そんな馬鹿げた夢物語を信じるほど俺も餓鬼ではない。夢物語説が今のところ最も有効だろう。
ちょっと夢の中での自我が強いだけだ。
これからのことを考えるに、いつ覚めるかわからん夢に長々付き合う気もない。
一生覚めぬ夢とかならもちろん大歓迎だが、殊更深く感情移入しすぎていざここから!って時に目が覚めても面白くない。
なのでとりあえずは後悔の無いよう目一杯自由に遊びつくすつもりだ。
夢の中なら何をしても文句など出ないしな。
ただ。万が一億が一。夢だ希望だと宣ってきたことが本当だったとすれば。
即ち、俗にいう『転生』や『召喚』といった超常現象が俺の身にも起きていたと仮定すれば。
そりゃ俺だって愚かな仮定だってことはわかってる。
だが、可能性としては無きにしも非ずなのだ。それほどまでにこの世界は高い完成度を持っていたのだから。
もしそうだったなら、序盤の軽率な行動で最悪なセカンドライフを送らなければならなくなる。
先刻の様な淑女の尻にかぶりつくようなマネは厳禁だ。
幸運にも女性の身体に恵まれたお陰でなんの罰も受けることなく済んでいるが(吹っ飛ばされたのは本人も意図せずだったのでノーカン)これ以上の蛮行は社会的な品位を落としかねない。
最悪な結果を避けるためにも、できるだけ自制して過ごさねばなるまい。
とにかく指針としては、出来るだけ常識の範囲内でやりたいことをやって、荒波立たぬよう過ごしていくってことでいいかな。
それにここならちょっとぐらい無茶しても大丈夫だろう、きっと。
そんでもし危ない状況になったら即ズラかるって体で。
おお、丁寧に考えてったら、思いのほか上手に満喫できそうじゃないか!
心の中でにやりとほくそ笑む。
・・・あ、でも待った。
夢の世界の常識って、やっぱり日本での常識とは違うのかもしれない。
普通に魔法とかバンバン使われてそうだし、野宿とかも当たり前のように行われているみたいだ。
それはこの人に限った話かもしれないが、それはそれとして服装やらなにやらで既に非常識な世界にいることは間違いない。
とにもかくにも、ここでの一般常識がしっかりと測れない今、迂闊な行動は避けた方がいいだろうという考えだ。
思えば実質何も出来ない訳だが・・・。
思考を張り巡らせ、妥協できるポイントを探して一進一退していると、ウンザリしてたのが顔に出ていたのだろうか、目の前の女性が優しく声をかけてきた。
「気分は落ち着きましたか?」
「あ、はい。お陰様で。はしたないところをお見せしてしまって申し訳ありません」
「ふふ、気にしなくても大丈夫ですよ。これくらいのミスなんて誰にでもあります。かく言う私もあなたぐらいの時にはおもらしをしたことがありますし・・・・・・うん、あの時は若かった」
遠い目をして静かに微笑む女性。
彼女みたいな清楚な人でも、やはりやんちゃな過去の一つや二つ、あるのだろうか。
振り返って思い出した黒歴史は、とっくに彼女の中では整理がつけられているであろう。
こくりと頷くその瞳には、なんとなく哀愁の意が感じられた。
心なしか笑顔の裏に本物の黒いオーラが見え隠れしているような気もするが。
まあ、掘り返したくない失敗談も、そりゃあるだろうさ。
気を取り直すように、女性は顔を振って、こちらに話の矛先を向けてきた。
「そんなことより、あなたの話をお聞かせください。さっき話してみて思ったんですけど、あなたはその辺の冒険家ではなさそうですね。この土地もよく分かってないようですし。もしかしたら、気付かぬ内の迷子だったりするのでしょう。それだったら私にもお手伝い出来ることがあるかもしれません」
俺は内心驚いていた。
初対面も同然の相手に、小便の処理をした挙句近辺の問題も親身になって考えようとしてくれるのだ。
お人よしが過ぎる、なんてものではない。
俺ならまず間違いなくこんな面倒ごとは避けて通るだろう。もちろん相手が美少女だったら話は別だが。
もちろんそんなことがあろうはずもないが、人の親切を素直に受け取れない捻くれ者は、何か裏があるのではないかと勘ぐったりしていた。
俺の沈黙を否定的に受け取ったのかもしれない。
女性は慌てたように言い繕った。
「あ、もちろん言いたくないことなら無理しておっしゃらなくても大丈夫です! すいません、少々出しゃばりすぎちゃいましたよね・・・」
そんな返答されるとこちらも凄く困る。
鼻から疑う気も無かったのだ。
ただ、自分が人に親切にできない、親切にされた記憶が無いため慎重になっているだけである。
自分の矮小さに改めてげんなりすると同時に、ものすごく申し訳ない気持ちが湧いてきた。
気が付いたら俺にも焦りが伝播してしまい、結果すべてを正直に話してしまっていた。
「いえいえ! 相談に乗っていただけると本当に助かります! 今もその服のことでかなり感謝してるのに・・・これ以上ご迷惑を掛けるのも申し訳ないなと思いまして」
そういうと、女性は安心したようにほぅと一息つく。
そして、女神の様な慈悲深い微笑みを湛えて俺の手を取った。
「そんなことありませんよ。私としても迷っている少女一人を見過ごすのは心苦しいですもの。困ったときはお互いさまです。そうだ、自己紹介が遅れましたね。私はエラメリア。エラメリア=シーストーンと申します。気軽にエラと呼んでもらって構いません」
エラメリアか。綺麗な響きだ。顔と性格に合っている。
色々と現実離れした素晴らしさに感極まっていると、自然と口が動いていく。
「エラメリア、美しい名前ですね。優しいあなたにピッタリです」
正直にそうそう言うと、エラメリアと名乗る女性は、「ありがとうございます」と照れたように笑った。
うん凄いこの感じ。
さて、向こうが名乗ってきたら、こちらも返すのが常識ってもんだろう。
軽い深呼吸で調子を整え、すっと口を開く。
「次は俺が名乗る番ですね。俺の名前は、光・・・」
ふと言い淀む。
果たしてここで本名を名乗っていくべきだろうか。
この世界観に日本人くさい名前はなんだか場違いな気もする。
せっかくだから俺もまさにコレ!みたいな名前で過ごしてみたい。
しかし会って早々優しくしてくれた女性に嘘をつくのか。気が引けるな、どうしようか・・・
いやでも早く答えないと変に思われたらやだし、
「俺は、ステラフラッシュ。ステラフラッシュ=ガーディです」
逡巡した後、俺はそう名乗ることにした。
どっちも元の名前から取ったのだ。
西洋風の、なんかそれっぽい名前で通すことにした。
・・・わかってる。何も言うな。
俺のネーミングセンスが無いのは本人が一番理解しているのだ。
西洋風とは程遠い名前だとも。
仕方がないじゃないか、学生時代ろくに語学を勉強しなかった俺にはそういった気の利いた単語は知らないんだよ。
だが思いのほかエラメリアには好評だったようだ。
「ステラフラッシュ・・・! 素敵な響きですね。光の道しるべ、みたいな雰囲気が感じられます。もしあなたの気に触れなければ、ステフと呼ばせてもらってもよろしいですか?」
ステフ、いい名前じゃないか。喉にストンと落ちてきそうな名前だ。
ステラフラッシュより何百倍も素晴らしい名前だと思う。
「いいですよ。むしろ愛称で呼んでもらえて嬉しいです」
「ふふ、なら良かった」
喜びが伝わるように微笑んで頷くと、エラメリアもにっこりと笑って応じてくれた。
ああ、今人生で一番幸せかもしれない。
経験したことのない甘い雰囲気が、俺の周りをふよふよと漂っている気がした。
さて、自己紹介も程々に、本題とばかりにエラメリアが姿勢を正す。
釣られて俺も崩れた顔を調えた。
「ではステフ、あなたがどうしてここにいるのか詳しく教えていただけませんか。言える事だけでもいいので」
ふむ、俺の経歴か。
実は俺もさっぱりわからないのである。
気が付いたらここにいた。
前の身体での記憶が多少なりとも残ってはいるが、ここに来る直前何をしていたのか全く思い出せないのだ。寝てたんだろうか。
いやまさか寝てましたなんて言えるはずもなく、深く考えてしまう。
いっそ実際あったことをすべて話してしまおうか。
別世界にいて、気が付いたらここに飛ばされてました、と。夢か現実かもわからず今も曖昧なままですと。
だがそれはとても失礼な発言だと思った。
唐突に目の前の少女に自分の存在すら信じてない、と言われれば誰であろうと不快になるだろう。
それに、俺としても前の記憶を根掘り葉掘り聞かれるのも御免だ。人様に聞いてもらえる程いい過去なんて一つもないのだから。
困った俺は無難な回答でごまかすことにした。
「実は俺、自分の記憶が曖昧なんです。気が付いたらここに居たと言うか・・・。それで腹も減って、そこの緑の果物を食べようと思って木に登ったら、降りるときにしくっちゃって足滑らせて。気絶して起きたらあなたが目の前にいたんです。そのあとは・・・覚えてないです」
我ながら支離滅裂な説明だな。やはり俺は人にモノを教えるという行為に向いてない。何から話せばよいのかわからなくなるのだ。
だがエラメリアはそんな雑な説明からも趣旨をくみ取ってくれたようである。
「うーん、それなら転移や移送といった類のアクシデントでしょうか・・・」
「そういう魔法みたいなものががこの世には存在するんですか?」
「ええ、ありますよ。一般に高等魔術と呼ばれるものです。ただこういう魔術の場合、莫大なエネルギーが必要な上、正確な位置設定もできない不便なものですから普通使われませんが」
先刻の洗濯場を見てうすうす感じてはいたが、やはり魔法という概念が存在するようだ。それが本当なら転生説が結構有力になってきそうだな。
「でもここは俺の住んでいた場所とは環境が全然違いますし、自分の容姿…髪型とかも少し変わってるんです。もしかして、『転生』に関わる魔法とかって存在してたりしませんかね?」
容姿の件は後々面倒なので誤魔化すことにした。
「『転生』とは聞いたこともない魔術ですね・・・。もしかしたら世界のどこかには存在するのかもしれませんが、少なくとも私の知ってる中にはそういったものは無かったように思います」
「そうですか・・・」
内心がっかりしていた。
転生魔法があるならこの世界の現実性はぐんと跳ね上がるからだ。
夢オチが残ってる中では有力な手掛かりもつかめそうにないな。
とはいえ、エラメリアにも知らないことはあるはずだ。
見知らぬ土地で最初に会った人だからって期待をかけすぎた。
もしかしたらあるのかもしれないから、転生も十分考えられよう。ポジティブシンキング。
と、勝手に思考を進めていたところにエラメリアから今後の事について訊かれた。
「ところで、ステフはこれからどうするつもりなんですか? 聞いたところこの辺の土地の情報も持ってないようですが・・・」
「そうですね、とりあえずは安全なところまで移動しようと思います。人の多い街とかがあればそこに向かいます」
「そうですか。この近くの街ならデミウラ湖付近のアスティアが一番近いのでしょうか。大都市になってくるとマズラ王国の首都ヴァネラになってきますね。しかし、近いといえどアスティアまで歩きでは1週間ほどかかります。旅の経験などはありますか」
「げ。そんなにかかりますか・・・恥ずかしながら火の熾し方どころか料理の一つもできません。でも仕方がないですね、俺には野宿とかで身を守る方法を知りませんからここに留まるのはもっと危険です。地図さえ見せていただければなんとかなると思います」
正直キツイとは思っていた。
数年単位で引きこもっていた俺に一週間も歩き続けるのは不可能に等しい。
生活に必要なものもなく安全かどうかもわからない道を越えるのは奇跡に近い所業だろう。
だが先ほども言った通り、この場で生活を続けるのは論外だ。嫌でも旅するしかあるまい。
とはいえ、俺はこの状況に少しも不安に思っていなかった。
現世では内向的な性格細々と屋内生活を送っていたが、本で読んだような冒険や旅に強い憧れを持っていたこともあった。
いい年になった今でもこの羨望は健在だ。
むしろこの不思議な世界を楽しんでいると言えよう。
聞いたことのない地名だろうが何だろうがドンと来い!
多少エラメリアに旅の注意やら最低限の生活方法などの教えを乞うことになりそうだが、じっくり時間をかけて旅をすれば十分安全で可能な話にもなってこようものだ。
俺の中で、今を乗り切る為の明確なビジョンが着々出来上がる。これはイケる。
ブツブツ呟きながら作戦を練っていたところで、エレメリアから一つの提案が挙がった。
「ステフが嫌じゃなかったら私の目的地まで一緒に行きませんか? 先ほどの街よりかなり遠くにはなりますが、この世界でも最も安全な地域だと言われています。そこに行くまでに、ステフに旅の方法とかも教えてあげられると思うのです」
「え、いいんですか?」
「はい。手持ちにもかなり余裕がありますし。一人旅にも飽きてきたところなんです」
そういってエラメリアは恥ずかしそうに笑う。
もちろん一人旅に飽きたというのは冗談だろう。それは彼女の優しさなのだ。
だが安全に旅もでき、さらに道中旅の仕方を教えていただけるなどこちらとしても願ったりかなったりだ。
断る道理も無い。
それにこんな綺麗な人と一週間もパートナーを組めるなんて人生にそう無いチャンスだもんな。
お言葉に甘えさせていただこう。
「ならお願いしようかな。すいません、ご迷惑をおかけします」
「いえいえ大丈夫ですよ。それに私としても助かるのは本当です。ステフが焚き火とかご飯を作れるようになったら私もかなり楽になりますから」
「ええ、ご命令とあれば不肖わたくし、命に代えて火飯寝床と準備致しましょう」
「ふふふ、頼もしいですね。ではそうと決まれば明日から行動を開始しましょう。万全の状態で出発したいので、今日はもう寝た方がよさそうですね。」
そういってエラメリアは動物の毛皮を二枚、引っ張り出してきた。熊や猪サイズの大きな毛皮である。それを布団にして寝るのだろうか。臭くないかな。
そんな不安を胸に一枚受け取った。ずっしりとした重みが伝わってくる。広げてみると、大人三人が余裕で入れそうな大きさをしていた。布団だと思っていたのだが、実はこれでテントを張ったりするのだろうか。
どうしてよいかわからずエラメリアの方をみると、彼女は器用に布団にくるまって寝ていた。ふむ、そうやって使うのか。
まず角を内側に数回織り込む。これが枕だ。
次に床に敷いて体を寝かす。あとは簀巻きの要領で布団の角をつかんで転がるだけ。
タコスみたいな状態になって寝るのだ。
なるほど、肌に直接体毛の柔らかさが伝わってきて心地よい。
「くんくん」
鼻を近付けて嗅いでみると、獣臭さは完全にとれていて代わりに女性特有の甘い香りがした。
そうか、これはエラメリアが昨日まで身体を包んでいた布団なんだな・・・!
より一層強く体に巻き付ける。
と、不意に焚き火を挟んで寝転がったエラメリアから声が掛かった。
「その布団は予備に買っておいた新品なんで、臭くはないと思います。すいません、私が使ってる方が上質なんですが何分汗とか泥がついてますので・・・」
チクショウ。俺もそっちがよかった。
完全に萎えてしまい、同時に強い眠気が襲ってくる。昼間あれだけ寝たというのに呑気なもんだ。
ふと、この状況は彼女あってのものだと思い直す。
どうしてもお礼が言いたくなってこちらも声を上げた。
「エラ、本当にありがとう。あなたがいてくれなかったら俺は今日安心して寝る事すらできなかったと思う。足を引っ張ってばかりだと思うけど、精一杯頑張るから、明日からよろしくお願いします」
驚いたような顔でこちらを見るエラメリア。火を通して見た彼女の顔はうっすら赤みがかっていた。
そしてやんわりと微笑み、嬉しそうに俺の方を見つめる。
「はい、こちらこそお願いしますね」
その日、決して布団だけのお陰でないだろう温かみを肌で感じながら、俺はゆっくりと深い眠りについたのだった。
パンツとジーパンは明日返してもらえばよかろう(台無し)
2017/8/3
途中、一部の文章を書き替えました。
少しだけ文体が変わっているように感じられるかもしれません。
ご了承ください。