第一話-異様な夢
目が覚めたら飛び切りの美少女になっていた。
健全な男子諸君なら一度は夢見るシチュエーションだろう。
性を意識し始めた頃、誰もが異性に対して性感への刺激に強い好奇心を抱く。
これには男も女も関係ない。
そして、それは即ち性転換願望へと直結する。
何も知らないなりに精一杯創造力を働かせ、可能な限りイメージを近づけていこうと努力する。
未知の快楽を夢見て。
しかし、あくまでも夢は夢。一生快感を分かち合うことなく男女は死別していく。
そんな当然な理を、我々はいつしかすんなり受け入れ、自分の快楽のみを追求するようになってしまった。
考えることを諦めた。想像することを放棄した。
だがそれは決して悔やむべきことではない。そんな発想、現代社会に生きる我々にとっては爆弾も同じだ。
異常な性癖だと蔑視され、卑下されるに違いない。
軽蔑している本人もまた、若いころ同じように妄想を膨らませていただろうに。
だがこの生きにくい社会の中でもその初々しい好奇心を一切捨て去ることなく、男女の交わりに強い興味を持ち続けている者も少なからずいる。
そしてそういった者達は皆夢を見ているのだ。叶わないとわかっても尚、高貴な夢を――
*****
ある荒れた広野で俺は目覚めた。
そして一目見てここが夢の中であると確信した。
今日の日本とはかけ離れた色彩の植物に、見たこともない生物。
まして、太陽が二つも浮かんでいるとなればもはやそう結論付ける他あるまい。
仄かに香る甘い蜜の匂いに酔いしれながら、俺ははっきりとした意識で立ち上がった。
心なしか目線が低く感じられたものの、異次元の輝きを放つ自然に感極まっている俺には些細なことだった。
どうせすぐに覚める夢だ。存分に味わっておこう。
俺はまず、近くの木に近付いた。
大きく開かれた枝の先端に、なにやら青林檎のような実が成っていた。
遠目からでも分かるほど美しく輝くエメラルドカラーのそれに目を奪われ、その味を確かめてみたくなったのだ。
まずはこの木を登ろう。
現世とは比べものにならないほどしなやかに伸縮する手足に身を任せ、するすると木の中腹まで上り詰める。
そして太腿でガッチリ枝を挟み、近くの青林檎(の様なもの)を一つもぎ取る。いとも簡単に手に入れることができた。
表面は瑞々しく光を反射し、果肉は茄子のように確かな弾力を持っていた。見るからにうまそうな果実である。
期待に胸を高鳴らせ、俺は一口齧った。
「おえぇぇぇ」
端的に言えば、それはかなりひどいものだった。
実は魚が腐ったような異臭を放ち、喉の奥を不快に刺激する。
加えてアルコールの様なぽわぽわした酸味が微かに舌を打つ。
はっきり言ってクソ不味い。
ミスって腐った実を選んでしまったのかと思い、他も手に取り齧りついてみたが、同様に濃い吐き気をもたらすだけに終わった。
思わず眼下にぺっと吐き出す。
それでも自らの口から発せられる腐臭に耐え切れず、口直しに別の食べ物を探しに行くことにした。
食べ残しは枝の上に適当に放置する。
木から降りる時も登りと同じように、手足の可動域を最大限利用して下る。
やはり夢の中だからだろうか、思い通りに関節が動いてくれた。
実際よりいくらか短い四肢が、信じられないぐらいぐりぐり動いて何不自由なく自身の移動を手助けする。
そして、さらに驚くべきはその筋力だ。
今上り下りしている木は、実際40m程の高さがあった。
果実を食した地点にしても、地面から裕に25m程の位置にある。
それを登り切っても尚、一切の疲れや軋みを伝うことなく万全な動きをしてくれた。
全体重をアンバランスに掛けているのに未だ限界を訴えてくることはない。
流石である。
しかし本当に目を見張るのはまだ他にある。
それは目の前を交互に動く腕のビジュアルにあった。
先ほども述べた通り、ここまで負荷のかかる動きを可能にするためには信じられないぐらいの筋力と関節の駆動域が求められる。それはもう目に見えて筋骨隆々で黒々とした強靭な肉体が。
だが眼前のそれは違う。
腕は現世の自分がつかめば簡単に親指が中指の第一関節に届くぐらいの細さで、少しでも変な方に曲げようものならポキリと楽々折れてしまいそうな様子だ。
その華奢なシルエットに倣い、皮膚の色素の方も我ながらドキリとさせられるほどに白い。かといって、病弱なまでの真っ白ではない。
適度に運動している者特有の柔らかく薄い肌色だった。
輪郭と色合いがうまく調律されていて、見ている者を魅了するには十分な破壊力を持っている。
自分自身の想像の果ての姿といえど、うっかり目を奪われてしまう。
それがいけなかった。
「あっ」
引っかけていた足が滑った。
それはもう、見事に。
木の表面を数ミリ削り、木屑を巻き上げながら盛大に足が空を切る。
流石のこの肉体も十分に初速のついた慣性に耐え切れず、掴んでいた指とつま先も宙に放り出された。
ヤバい!と感じた時には既に遅し。
まだ半分ほどしか降りていなかった為、地面に激突する瞬間には既に十分なエネルギーを蓄えていた。
中途半端に木にしがみつこうとしたせいで上半身が仰け反る。
結果背中から土に叩き付けられることとなった。
「かハッ・・・!」
衝撃が内臓を滅茶苦茶にする。
全身に隈なく衝撃が伝わる。目の前がチカチカと明滅する。
なんという呆気無さ。
いくら強い肉体と言えど、充分に加速した体を完全に守るまではいかなかった。
内側から殴りつけられるような痛み。
ぶつけた頭がガンガンして三半規管が狂う。
普通に超痛い。
だがそれもすぐのことで、神経がやられ視界に影が掛かってきた。
圧倒的リアルさを残しつつ、段々と痛覚も薄れてきて次第に意識が遠のいていく。
夢とのお別れをぼんやりと認識した。
だがこんな時でも俺の本心は脳に訴えるのだ。
『せっかくこんな面白い世界を見ることができたのに。もう終わっちまうのかよ・・・・!』
それは悔しさだった。
こんな世界を夢見るほどだ。現実世界の俺は世界にとうに見放された、負け組の様な存在だった。
ネットやゲームに明け暮れ、他者との交流を断つ生活がもう5年も経とうとしていた。
友人教師親族にはとっくに無視され、唯一家族の中でも俺に優しく真摯に接してくれていた母には昨夜信じられない暴言を吐いたばかりだったのだ。
後悔や反省といった負の感情が背筋を震わせる。
肉体を放置してでも逃げ出したい衝動に駆られていた。
そんなタイミングでのこの夢である。
見渡す限り、木、木、木。
かといってそれだけではない。
近くには小動物も走り回っており、記憶に無い木の実などがそこら中に散らばっている。
まさに今の俺にピッタリな空間。終わってしまうにはとても惜しい世界だった。
痛みとは違う辛さで目尻に涙が浮かぶ。
時間にしては一瞬のことであったが、夢とは思えぬリアルさに俺はガチで走馬燈を経験してしまった。
せめて明日もまた同じ夢を見られるよう精一杯祈ろう。
地獄のような闇に飲まれながら俺が最後に目に焼き付けたのは、眼下に浮かぶ一対のなだらかな双丘だった。
*****
尻。それは、人の感覚、主に視覚を強く刺激する。
歩くたびに左右に震え、外部の圧力に対し全てを受け入れるかのような温かみと優しさを併せ持つ。
そのあまりの包容力に人々は容易く飲まれ、日常的な生活では勿論のこと、大切な事業や会議、果てには戦時中にすらそのことばかりを考えてしまう。
何を穿いても豊かな曲線美を見せつけるそれは確かに芸術という他ならないだろう。
だが弾力、色合い、微かな体温などは到底他人には計り知れない。
直接脳に訴えてくるような情熱と深い好奇心にしばし我を忘れることもあるくらいだ。
しかしそういった探究心こそ愛すべき感情であり、決して忘れてはならない数少ない人類の遺産でもあるのだ。
例え下半身をすっぽり隠すような衣類を纏っていたとしても、その人の身長、顔、性格、その他見える範囲で晒されている格好から推測することができる。
だがいくら考えを張り巡らせても決して正解を知ることはできない。
ことさら尻にばかり興味を持つことは相手に失礼な感情を与えてしまうからだ。
それゆえエロティックな服装に人は魅かれがちだが、もどかしさも良い塩梅に与えてくれる清楚な服装にも尊敬の念を覚える。
いわば、尻とは宇宙と言えよう。
人にとって、それは未知の存在だ。
部分的な認識やおおまかな仕組みを知っても、全容を理解することは不可能なのである。
手の届かぬものに人は強いあこがれを抱く。
それは、宇宙も尻も変わらないのだ。
――そんなことを考えながら、俺は目の前の美尻にむしゃぶりついていた。
「きゃあああああああ!」
そして体に強い衝撃。
目の前で何かが爆発したような感覚を感じつつ、後方へ激しく吹っ飛んだ。
何が起こったのか一瞬わからなかったが、さっきまでのぷりっとした豊かな尻のことで頭が一杯の俺にはどうでもいいことだった。
「ななななにするんですか! 私のお尻にだきついて!」
豊満な尻を手で隠し、美しく整った顔を赤らめながら女性は俺のほうへとじりじり歩み寄ってくる。
「なんでそんなきょとんとした顔をしていられるんですかアナタは!ご自分のしたこと解ってます?! 」
自分に向けられた言葉だと気がつくのにしばしの間があって。
はたと我に返る。
思い出した。
俺は先ほどまで目の前の女性の尻を無意識のうちにまさぐっていたのだ。
なるほど、顔も知らない男に突然そんなことをされたら誰だってブチギレるだろう。
いや、この場合はその程度じゃすまないかもしれない。
俺の外見は一般平均で考えても最底辺に位置することは重々承知している。
顔は当然のように不細工で、目つきは悪く鼻も潰れている。
唇だけ妙にうっすら整っていて、逆に人の不快感を誘った。
体格にも恵まれず、上半身と下半身の比が2:1で尚且つ脂まみれのクソデブである。
おまけに乾燥肌ときた。
肩にフケの積もったダルマみたいな大男に触れられたが最後、世の女性は悲鳴を上げる前に卒倒する。
目の前の女性は気絶こそしなかったが、内心では俺のことを殺してやろうと考えているに違いない。
いや、法律などを考慮に入れると、俺を拉致監禁して一生奴隷のように扱き使おうとするかもしれない。
そして俺が心身ともにやつれ倒れた後、ピンの尖ったハイヒールで穴凹開けられて山奥に捨てられるのだ。
しかし残念ながら俺には効かない。
むしろ喜んで踏まれ遺棄されよう。ご褒美だ。
いやいやそんな馬鹿なことを考えている場合ではない。
現実的に考えると、すぐさま警察を呼ばれ監獄に連れて行かれるだろう。
事実が事実なだけに、俺は何の抵抗もすることなく檻にぶち込まれる。
そしてその日のうちにニュースで大々的に報道され世間の怒りの対象となるのだ。
隠匿されるべき個人情報もSNSなどであっという間に拡散されてしまい、社会的に抹殺されよう。
終わった。
助かるビジョンが見えない。
齢19にして人生詰んだ。
自分の人生にこれといった未練は無いが、今になってしておきたかったことが次々浮かんでくる。
だがこれもきっと罰なのだ。
今までグータラして他人に迷惑を掛けてきたツケが回ってきたのだ。
そう考えると仕方がないな、と簡単に諦めてしまう自分がいた。
でもああ、せめて母には謝っておきたかった。
日頃の苦労に対し、一切の恥も捨てて精一杯感謝の意を伝えたかった。
それももう叶わない。
精々こんな屑息子とおさらば出来たことを喜んでもらおう。
何の価値もないゴミみたいな人生だったけど、最後にこんな綺麗な女性の尻を触ることができて本当に良かった。
よく見ると今まで見てきた女性の中でも随一の美しさだ。
ハーフだろうか、日本人離れした目鼻立ちに黒とは無縁の白い肌を携えている。
髪も銀髪に腰まである超ロングで、女騎士のような装備を身に付けていた。
体つきもまさに理想のそれで、高めの身長にボンキュッボンなシルエット。
はち切れんばかりの巨乳が胸元から苦しそうに顔を覗かせていた。
二次元の世界の住人。
彼女の容姿を言い表すには充分な説得力を持っていた。
緊急事態だというのに一度意識してしまってはもう目が離せない。
残りの人生分のおっぱいを返上するつもりで眼底に焼き付ける。
先ほど「尻こそ宇宙だ」みたいなことを口走ってしまったが、アレは嘘だ。
襟元からはみ出した乳こそ万物の根源、宇宙の神髄と言えよう。
まさにビッグバンだ。
そして宇宙の誕生を知った俺に容赦なく降りかかる人生の終点。
こうなったら自棄だ。
この女性には本当に申し訳ないが、最後の乳を心行くまで揉ませてもらおう。
人生終了を告げるベルの音を聞きつつ(幻聴)、俺の中での理性を軽々ぶっ飛ばす。
そして俺の顔程もある眼前のダブルエベレストに、力強く己の両手を突き出した!
・・・むにむに
「ぎゃああああああああ?!」
本日二度目となる大爆発。吹き飛ばされてくるくる回転しながら、俺は今度こそ意識を手放したのだった。