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現実的な彼女と無神経な少年

 理乃は夢を見ていた。


 湖に浮かぶ一艘のボートにうつ伏せ寝ころび、ゆらゆらと揺られていると、優しい歌声が降り注ぎ、全身を包み込む。


『光の種をひとつ 命の葉をふたつ 風の実をみっつ』


 不思議な歌詞は理乃の身体の中にひとつ、またひとつと入り込み、身体の中から淡い光を放つ。

 それはすぐにじんわりとした熱に変わり、理乃はその心地よいぬくもりに身を委ねた。


 不思議な旋律の歌は続く。


『水の花をよっつ 踊る まわる 沈む』


 柔らかな手が理乃の頬を触れる。

 ゆらゆらと揺らぐ船の中、その手は肩を撫で、背中にゆっくりと移動した。


(気持ちいい……)


 理乃の顔にうっすらと笑みが浮かぶ。


 手はゆったりと、優しく理乃の肌を撫でる。

 それは、身体の中に生まれた熱を確認するような動きで、手の動きと共に、熱もまた移動した。

 背中に触れていた指がまた移動を始める。

 すーっと流れるようにさがると、それは理乃のお尻にたどり着き、ふくらみに手のひらを合わせた。


「そ、それダメーーー!!」


 パッと目を開けた理乃は、そう叫ぶと身をよじった。

 起き上がった瞬間、背中とお尻に痛みを感じたが、それどころではない。

 両手で自分の恰好を確認する。

 着ているのは、倒れた時に着ていた制服だ。それを確認し、理乃はホッとした。

 だが、その安堵感もつかの間、制服の下に着ていたタンクトップはかなりずり上がっていることに気づいた。ブラはそのままだが、心もとないことに変わりはない。リノは慌てて下半身を確認すると、鋭い悲鳴をあげた。

 スカートは大きくめくれ、パンツが半分ずり下げられているではないか。


「い、嫌ぁぁぁぁぁ!」

「なんだ。起き上がれるだけの元気があるじゃないか」


 そっけない声が聞こえてそちらを見ると、そこには同じ年頃と思われる少年がいた。

 褐色の肌に明るいホワイトアッシュの髪。ザケスによく似たデザインの服を着ているが、目の前の少年は緑色の宝石が縫い付けられている、とてもシンプルな服だった。


「あ、あの……、あなた、今……な、なにしていたんですか?」

「なにって。僕は治癒師だ。君が怪我をしたというので、治していた」


 そう話しながら、腕をさする。

 左腕の袖を肘までまくり上げ、むき出しになっていた腕には、まるで蔦が絡まるような模様があった。


「気がついたのなら、もういいだろう」


 少年が右手で左腕の模様をこすると、みるみるうちに模様が消えていく。

 理乃が信じられない思いで見ていると、最後まで残った緑色の指輪がはめられた指先の模様も、彼の右手がこすると、綺麗になくなった。


「えっ、どういう……どういうことですか?」

「僕は治癒師だと言っただろう。君の怪我を治したんだ。背中と尻に痣ができていた。それはもう消えたから問題ない。尻が少し腫れているが――」

「失礼な! ちょっと大きいだけです!」


 勝手に触っておいてその言いぐさはなにごとだ。

 理乃は顔を真っ赤にして抗議した。

 だが、少年は意に介した様子もなく、淡々としている。


「そうか。ならば、皆のところに行って無事を伝えてこよう」


 少年の言葉に、理乃が上体を起こして、寝かされていたベッドに座りなおすと、尻に痛みが走った。


「いたっ……」

「まだ痛むか」

「――少し、だけ」


 また触られては敵わない。少し警戒気味に返事をしたが、少年はただ頷くだけだった。


「すまないが、僕は痛みまでも取れるわけではない。表面上の治癒しかできない。外傷なら傷がなくなることによって、痛みも大体消えるが、打ち身はどうにもできない」

「はあ……」


 少年の言葉が理解できず、理乃は呆けたように返事をした。そんな理乃を見て、少年が理乃に手を伸ばす。

 思わず身を固くすると、少年は理乃の唇にそっと触れた。


「な、なに……」

「喋るな。口の端が切れている」


 理乃が黙ると、少年が口を開いた。


「光の種をひとつ 命の葉をふたつ 風の実をみっつ……」


 夢で聞いた歌声が、少年の口から流れ出てくる。

 そして、歌声とともに、理乃に触れた左手には、するり、するりと蔦のような模様が浮かび上がった。

 唇がじんわりとあたたかくなる。

 彼の腕に浮かんだ模様は、まるで生き物のようにうごめいて、理乃は視線を外すことができなかった。


「……これでいい。口は痛むこともないだろう。……紫の治癒師の力があれば、背中と尻の痛みも取れるのだがな。領主様が自ら治癒なさろうとしたのだが、奥方様がそれを止めたのだ。この地に、紫の治癒師は領主様しかいない。だから、代わりに僕が依頼された」

「えーっと、どうして、その……領主様? その人の治療を止めたの?」

「親子になるとはいえ、娘の尻は見てはならぬと、奥方様が言ったのでな」

「奥方様?」

「なにを言っているんだ。君の母親だろう」


 少年が呆れたように言い、理乃はようやく事態が呑み込めた。

 つまり、ザケスが治療しようとしたが、母が止めたのだ。

 理乃が尻に打撲を負ったことで、患部を見せることになるのなら、理乃が恥ずかしい思いをしないようにとの配慮だろう。

 だからといって、この少年に頼むのはいかがなものか。


(結果、初対面の少年にお尻触られたし!!)


 顔を真っ赤にするが、少年はそんな理乃を不思議そうに見ている。


「どこかもっと別の箇所を打ったのか? 頭か? 君はやけに混乱しているようだ」


 これが混乱せずにいられるだろうか。

 漆喰のような壁に、ただ丸くくりぬいただけの窓。そこから見える景色は、理乃の知っている世界ではなかった。

 やはり、あの赤土の大地と恐竜のような生き物は夢ではなかったのだ。

 おまけに、ここにはザケスも母もおらず、名前も知らない少年だけだ。

 早く、ふたりと捕まえて話を聞かなければならない。


「ええと……大丈夫、です。あの……あなた、お名前は?」

「僕か? 僕はアリューデラ・カンノだ」

「私は、理乃って言います」

「そんなにかしこまらなくてもいい。領主様に、君は僕と年が変わらないと聞いている。僕のことはアリューでいい」


 そう言われても、いきなりニックネームで呼ぶことはなんとなく恥ずかしい。

 言い返す理由もないので理乃はただ頷いたが、アリューはさほど気にした様子もなく、ザケスと母の元への案内を申し出た。


「では、お願いできますか? ザケスさんに色々聞きたいことがあるんです」

「――余計なお世話かもしれないが、父上と呼んだ方がいいだろう。この国で、アンツェーノの名は強い。君のような無色の娘を守ることもできるだろう」

「無職??」


 理乃は少年が何を言っているのか分からなかった。

 理乃のいた世界では、芸能人など特殊な仕事をしていない限り、中学生は無職が普通だ。

 この世界ではそうではないのだろうか。

 とはいえ、同じ年だというこの少年は治癒師を名乗っているくらいなのだから、彼もこれで収入を得ているのだろう。

 一体、ここで理乃はどうしたらいいのか――描いていた夢とはまったく違う世界に、理乃は愕然とした。


「なにを驚いている」

「私のいた世界では……私の年齢の子は、無職が普通だったから」

「普通? 年と共に現れるということか? 遅いんだな。こちらでは、生まれながらに持っているものだがな」

「えっ!!」


 生まれながらに仕事があるとはどういうことなのだろう。

 だが問題はそれではない。

 この年で無職の理乃は、スタートから出遅れているということだろうか。

 高校生活を真面目に過ごし、公務員試験を受けて、安定した職業に就く。そして家計を支えるのだと意気込んでいたのに……引っ越し先でいきなり躓くのはごめんだ。迷惑はかけたくないのに。


「私……どうすれば……」

「僕は表で待つことにする。気持ちが落ち着いたら声をかけてくれ。あと……少し、身なりを整えるといい」

「あ、待って。あの……治してくれて、ありがとう」

「構わない。それが僕の役割だった。だが、君は少し尻を引き締めた方がいい。身体に対してのバランスが悪い。あれではすぐ転ぶのも仕方がない」


 それだけ言うと、アリューはさっさと部屋を出て行った。

 残された理乃は、アリューが残した言葉に口をあんぐり開けていた。


「ひ、ひどい……! 人のコンプレックスを……! アイタタタ」


 使い慣れた物に比べると、やや硬く、高さのあるベッドから下りる時、背中と尻に痛みを感じた。それでもなんとか立ち上がり、制服についた汚れを払い落とす。

 卒業式のためにアイロンをあて、綺麗なプリーツを作ったスカートがしわくちゃだった。


「あ~あ……。いきなりの落ちこぼれスタートか……それは勘弁して欲しかったわ……。やっぱり1人でも日本に残れば良かった」


 ため息まじりに呟き、スカートの汚れを落とそうとかがむと、やはり腰に違和感を感じる。

 理乃は腰に手を当て、上体を起こした。


「……ん?」


 さきほどよりも、痛みを感じない。

 それどころか、痛みなどなかったかのようだ。

 腰に手をあてそのまま左右に捻るが、違和感を感じない。もしかして……と背中にも手を伸ばすが、やはり先ほどのような痛みはなかった。


「あれ? ……アリュー……さんが治してくれたのかな? 痛みを消すことはできないって言ってたけど……そんなことないじゃん。凄い! 全然痛くないよ!」


 背中も、お尻も、起き上がる時には確かに痛みがあったのに、今は身体が軽く感じるほどだ。

 アリューはああ言ったが、痛みを取れないというのは、謙遜だったのかもしれない。

 身体の変化は、心にも現れる。

 気持ちも少し軽くなり、まずはできることから頑張ろう、と思えた。

 腰にあてた手の指輪は、紫色に輝いている。

 だが、それに理乃が気づくことはなかった。

 アリューのおかげだと思い込んだ理乃は、扉の向こうにいるアリューに声をかけると再び礼を言った。

 ザケスと母の元へと向かうべく、休んでいた部屋を出る。

 扉にかけたその手の指輪は、また透明に戻っていた。





 



 

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