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魔王降臨!  作者: 闇目
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8話

 一夜を曙亭で明かしたアギト達は、朝食を取った後に再びギルド会館を訪れていた。

 依頼を受けるのが目的だが、その理由は二つ。アギトのレベルアップと金を稼ぐためだ。

 そのギルド会館だが、朝一番という事もあり、ホールは多くの傭兵でごったがえしていた。特に依頼が張り出されている掲示板と、その受付を行うカウンダ―の周辺の込み具合が激しい。

 完全に区切られているせいで此方からは見る事は叶わないが、冒険者用のカウンターも此処ほどではないが同様の混み具合を見せている。

 そんな様子を見たカダルの口から零れたのは、こんなセリフだ。

「相変わらずひでぇ混み方してやがるぜ」

 アギトは当然のようにカダルもあの人混みの中に突っ込んでいくものかと思っていたのだが、そのカダルは何故か一向に動こうとしない。

「どうしたんですか? 早くしないと割のいい依頼がなくなってしまう」

 アギトが不安に駆られるのも当然だ。なにしろ今彼の腰に下げられているのは、つい先日借金の形で手に入れた刀だ。支払の期限を切られていないとは言え、それを放置して置けるほど彼の精神は図太くない。

 だがカダルは「問題ない」という一言を返したのみ。

 流石にこれだけでは説明不足なので、このパーティーの長老たるガルフが補足説明をするために口を挟んで来た。

「ここにいる傭兵のレベルじゃが、その多くが四十以上じゃ。今あそこで取り合いになっている依頼も、その辺りのレベルを意識したモノばかりでな。お前さんのような駆け出しが関わるには、ちと荷の重いモノばかりなんじゃよ。初心者向けな依頼、と言っても冒険者共が投げ出したヤツじゃが、この混雑が済んでから張り出されるんじゃよ」

 つまり今回取る予定の依頼は、アギトのレベルを上げるのを主目的とした謂わば初心者向けのモノで、ガルフ達にとっては楽なモノだという訳だ。 

 カダルがこうやって悠然と構えているのも、初心者向けの依頼が奪い合いになる可能性が低いからだ。

 初心者向けの依頼専用の掲示板を別に作っても良さそうなものだが、その様な依頼は絶対数からして少ないのであまり意味がない。

 何しろ初心者向けという事は難易度が低いと言う事でもあり、そういった楽でそこそこ報酬がある依頼は、全て冒険者が先に取ってしまっている。


 ほどなくして掲示板の周囲から人混みが消えた。

 掲示板に残っているのは、昨日訪れた時と同じモノだけだ。二日続けて放置されている所を見ると、余程条件が割に合わないか胡散臭い代物らしい。

 辺りはまだ少しざわついている。依頼を獲得した人物たちの一部が、ロビーの隅で自分のパーティーに依頼内容の説明をしているからだ。

 それらの声が落ち着いた頃、漸く職員がカウンターから出てきて新しい依頼書を掲示板に張り始めた。

 ガルフの説明によれば、今から張り出されるのが初心者向けの「安い」依頼という事になる。

 アギトは気づかなかったが、張り出された依頼の件数は何時もより多い。これはゴブリンの群れがリンツの近くにいるであろう事を知った冒険者達が、行き返りで群れとの遭遇する事を嫌った結果だった。


 職員が掲示板から離れたとの同時に、周囲から数人の傭兵が掲示板に向かって歩き出していた。

 その内の一人は、言うまでもなくカダルだ。

「よう、カダル。お前さんトコも新入りが入ったのか?」

 こうカダルに声を掛けて来たのは、皮鎧を着た彼と同じくらいの年齢のヒト族の男だった。腰に長剣を下げている所を見ると、彼も前衛型の人間であるようだ。

 カダルの方もこの男と顔見知りのようで、気安く声を返す。

「ああ、一人面倒を見る事になってな。これから取る依頼で、どの程度使えるかを確認しなくちゃならんのさ」

「今まで若手を入れるのを渋ってたお前がねぇ……。若手を育てきってこそ、一人前の傭兵ってな。ソイツが初めてなんだろ? きっちり育てろよ」

 この格言めいた言葉は、傭兵の境遇の悪さと死亡率の高さから来ている。

 ただカダル達の場合は、レンの村の位置を隠す為に迂闊に新人を入れる事が出来なかったという事情があった。男が言うように、新人を入れなかったのではない。

 だがその事を指摘する訳にもいかないので、カダルは当たり障りのない言葉で返した。

「ああ、分かってるって。”はぐれ”が出たって噂もあるからな、そっちも注意しろよ」

「昨日の昼に出たって情報だな。新入りを鍛えたい時にコレとは、お互いついてないな」

 ギルドの支部長がちゃんと仕事をしてくれた事を知り、カダルは内心で胸をなでおろしていた。

「しゃあねぇだろ。俺たちの事情をあいつ等が知るはずもないし、知った所で合わせる道理もない」

「ちげえねぇや。だがお陰で俺たちが受けることが出来る依頼が増えた」

 昨日出た情報にも関わらず、傭兵に”流れる”依頼が増えているのだ。

「皮肉なモンだ」

「臆病な冒険者に感謝すべき、なのか?」

「やめとけ。俺達に尻拭いさせて喜んでるだけさ」

 二人はそんな会話をしながらも、真剣な表情で掲示板に張られた依頼の内容の確認をしている。

「決めたぞ」

「こっちもだ」

 二人の手が同時に動く。

 それぞれの手が指し示したのは、異なる二枚の依頼書だった。どちらも発生した『凶獣』の討伐が目的だが、その位置と数が異なる。

「ほう」

「かち合わずに済んでなによりだ」

 二人はニヤリと笑い合うと、それぞれの依頼の手続きを行うためにカウンターに向かうのだった。


   ***   ***


 ここで『凶獣』という代物について説明しなくてはならない。


 戦いと死があたりまえのこの世界では、「恐れ」、「怒り」、「悲しみ」、「苦しみ」、「恨み」、「辛み」などの様々な負の感情が影響して、『陰の魔力』とでもいうモノが多量に発生している。

 魔力というモノは、この世界に於いては全ての生き物が当たり前に持つ力の一つで、やり方次第で誰もが利用できる力でもある。これは同時に、誰もが影響を受ける力という事も意味していた。


 では濃厚な『陰の魔力』とでもいうモノが浴びせられたら、一体何が起きるのか。

 普通であれば悪い雰囲気に中てられて気分を害したり軽く体調を崩したりする程度で済むが、魔力に対する感受性が強すぎたり何らかの理由で魔力に対する抵抗力が著しく落ちていたりすると、その影響は深刻なレベルにまで達してしまう。

 簡単に言ってしまうと、体が変異を起こし、凶暴化してしまうのだ。

 この変異によって凶暴化した存在の総称が『凶獣』である。

 先ず一番解り易い変化は、ほぼ例外なく大型化するという事だ。

 そして凶暴化した事を示すように、全身から禍々しいまでの魔力を発するようになる。

 レベルが最低でも10は上がるため、力が見かけ以上に強くなっている場合が多い。

 一見すると判り難いが一番確実と言われているのは、眼の色が金色に変化する事だろう。

 だが時折、体の一部が異形と化す事がある。

 何処がどの様に変化するか、そこには法則性は全く見られない。陸上の生物に触手が生えたかと思えば、全身の羽毛が鱗に変わった鳥の話もあるし、魚に猿のような腕が生えたという記録もあるのだ。

 厄介な変化は、食性にも現れてくる。

 多くの場合、雑食化ないし肉食化する事だ。極稀にだが、吸血化する事もある。

 そのために『凶獣』が発生した地域では、農地の作物を始めとしたありとあらゆる植物と、そこに住まう全ての動物が『凶獣』のエサとされてしまう。当然だが、そのエサには人間も含まれる。


 被害を治めるには大元の『凶獣』を討伐するしかないのだが、それも依頼を受ける側に予想される脅威に対処できるだけの腕前があり、脅威と苦労に見合った報酬が提示されているという前提をクリアしなければ、結局は放置される事になる。

 悲しい事に、『凶獣』の被害に遭うような場所の殆どは、収入が少なく報酬の用意が難しい『無明の民』の村や集落だ。

 加えて全ての依頼は最初に冒険者が受けるか否かの判断を下す恰好になっているので、対応が遅れる傾向にあった。

 せめてもの救いと言えるか微妙であるが、『凶獣』から採れる素材は普通のモノよりも高性能である事が知られている。そのために、『凶獣』の素材のみならず死骸そのものも、持ち帰ることができれば結構な高値で買い取ってもらえるのだ。

 そういった理由から、傭兵たちは依頼でなくとも『凶獣』は倒し、多少の無理を押してでもその死骸を持ち帰る事が多い。

 一方で、余計な労力を嫌う傾向が強いせいか、そこまでする冒険者は皆無で、自分達が欲する素材(高く売れそうな部位)を得ると、残りを放置していた。


   ***   ***


 依頼の受付を完了したアギト達は、準備を整えるとその足で目的地の村へと出発していた。

 問題のカダルが取ってきた依頼だが、リンツから東に徒歩で一日ほどの距離にある村で出た、ブレードボアの凶獣を討伐するというモノだった。


 時折行き違う人々を視界の端に収めながら、アギトは呟いていた。

「ブレードボアか。コイツが凶獣になったとしたら、一体どんな変化をしてるんだろう」

 これに答えたのは、すぐ隣を歩いていたヨグだ。

「カダルの説明を聞いた限りでは、大型化以外に外見上の変化はないみたいだね。そうであれば、僕からすれば楽な相手だよ」

「ヨグはそう言うが、牙には要注意じゃぞ、アギト」

「はい」

 ガルフが注意したように、ブレードボアはその名の通りにナイフのように鋭く大きい牙を持つ猪だ。

 俊敏性は猪より劣るそうだが、突進力では普通の猪のソレを大きく凌駕している。特に突進からの牙での斬り裂きは脅威で、熊ですら一撃で倒すと言われるほど強力だ。

 ヨグのように遠距離攻撃だけで対処できれば楽だが、接近戦のみだとそうもいかない。

 一応大人のブレードボアのレベルは、ヒト族の大人と同じかやや下とされている。だが今回アギトが相手をするのは、その凶獣バージョン。

 凶獣となった場合の常としてそのレベルが10以上加算されていることを考えれば、今のアギトにとっては少しばかり荷の重い相手になる。

「目撃情報の一匹だけという話が本当なら、アギトの腕前なら油断しない限り大丈夫よ」

「そう願いたいね、義姉さん。多過ぎて運べないと、ちょっと損した気分になるから」

 ネリスにこう答えたアギトは、一台の荷車を引いていた。サイズは大きく、大人を四人乗せてもまだ余裕がある。

 目的はもちろん、討伐した凶獣の死骸を持ち帰えり、売った代金を報酬の足しにするためだ。

 たかが猪の死骸を運ぶ程度にしては大げさに見えるかもしれないが、相手は凶獣と化した猪だ。凶獣の傾向として大型化している事を考えれば、このサイズは間違いではない。

 因みにこの荷車、ギルドからのレンタルである。

 アギトの言葉から不安を感じ取ったのか、先頭を歩いていたカダルが振り返って話しかけてきた。

「もう一,二匹いるかもしれねぇが、そん時は俺たちも手を貸すから心配するな。だが、少なくとも一匹はお前さんだけで仕留めてもらうからな」

「解ってますよ、カダル。俺のレベルアップが目的ですから」

「ならよろしい」


 話に区切りを付けた一行は、黙々と行軍を再開するのだった。


   ***   ***


 五人が目的地である村に辿り着いたのは、翌日の朝食時を過ぎた辺りだ。

 一応言っておくと、アギト達は夜営を終わらせた時点で腹ごしらえをしている。

 依頼書によれば、この村は農業と森から採れる様々な山菜と狩りで得られる素材を売る事で成りたっているそうだが、この時間になっても住民たちが外に出て働いている様子は伺えない。それどころか戸を固く閉ざし、何かに怯える様に窓から此方を窺う様子が見て取れる。


「おーい、俺たちは依頼を受けて来た傭兵だー」

 カダルがどこか間延びした声を上げると、道の奥にある一軒の家の戸が開かれた。

 中から出てきたのは、この村の村長を名乗る初老の男性だった。

「おお……、よくぞ依頼を受けて下さりました」

 村長は感極まった表情で何度もカダルに頭を下げている。この村が被った被害は、どうやら予想以上に酷いらしい。

 いつまでもこうしていてはらちが明かないので、カダルは強引に依頼の方に話を持っていく。

「とにかく状況がどうなっているか聞かせてくれ。冒険者どもがすっぽかしてくれたせいで、大分ひどくなってるはずだからな」

 さりげなく冒険者に対する嫌味を混ぜているのは、傭兵のサガなのだろうか。

 だが村長はそれに気付いた風もない。いや、分かっていてもどうする事もできないのを悟っているのだ。

「解りました。ここでの話もなんですので、ワシの家に来て下され」

 そうして一行は村長の家で説明を受ける事になった。


 村長の説明によると、最初に凶獣が発見されたのは今から六日ほど前の事だ。

 山菜の採取に向かった住民の一人が何時までも返ってこないので、主に狩りをする人間で森を捜索していたら、たまたま見つけたのだという。

 通常よりも二回りは大きなブレードボアが、人型をした何かを貪っていたそうだ。

 どうしてソレが凶獣だと分かったのかというと、禍々しい雰囲気に加えて明らかに生肉を喰らっていたいたというのもあるが、彼らの接近に気付いたソレが頭を上げて振り向いた時に、その金色に輝く眼が見えたと言うのが大きい。

 慌てて逃げ帰った彼らに犠牲者が出なかったのは、幸運以外の何物でもなかった。

 それ以降、村の住民たちは僅かな蓄えをやりくりしながら隠れ怯える毎日を過ごしていた。

 時折様子見の為に森へ出かけてはいたが、その度に荒れ果てていく森の姿を見せつけられていたのだという。

 幸いにして畑にまで被害は出ていないが、それも何時まで大丈夫なのかは分からない。

「いやあ正直な所、この村を捨てる事も覚悟しておったのですよ。依頼に出したように、もう二匹見つかりましたのでな」

「ちょっと待ってくれ、村長さんよ」

 聞き捨てならない言葉を知覚したカダルは、反射的に村長の言葉を遮っていた。

 依頼書に掛かれていた情報では、凶獣は一匹だけだった。だが村長の話によると、もう二匹追加されて三匹となる。

 だが村長はそんなカダルの焦りに気付くこともなく、言葉を続けていく。

「一昨日の昼にリンツへ使いを出したというのに、こんなに早く対応してくれるとは思ってもおりませんでした」

 この言葉で、カダル達は何が起きたのかを理解してしまった。


 傭兵の受ける依頼は、全てが冒険者が見放したモノばかり。理由は色々あるが、それが傭兵用の掲示板に張られるまでにはそれなりの日数が経過している。

 恐らくこの村長は、最初の一匹を発見した時点ですぐに依頼を出したのだ。だがそれは冒険者に見向きもされず、数日の時を置いて傭兵の掲示板に流れて来た。

 だがその僅か数日の間に凶獣が一匹だけでないと判り、村長は依頼の修正をしようとしたのだ。

 しかし修正の報がレンツのギルドに届くより早く、カダル達が修正前の依頼を受けてしまっていた。

 発見の報がもう一日早ければ、この依頼は冒険者が受けていたにちがいない。それくらいの価値が凶獣と化したブレードボア、正確にはその牙にある。


「喜んでいる所を悪いが、俺たちの受けた依頼では、凶獣は一匹だけという事になっている」

 カダルのこの言葉に村長の顔が一気に青ざめた。依頼書と実情の著しい齟齬は、依頼の失敗や破棄に繋がる事を知っていたから。

「あ、あ、あの……、依頼のほうは、だ、だい、じょうぶでしょう、か」

 最悪の事態を予測し震える村長に、最長老たるガルフが優しく語り掛けた。

「心配にはおよばんよ、村長。ワシらは傭兵。依頼書に書かれた状況と実際のソレにずれがある事などしょっちゅうじゃ。ソレに凶獣の数が増える程度の事は、とっくに想定して来ておる」

 それでも安心できない様子の村長を見やり、ネリスとヨグも加勢して来た。

「アタシたちを甘く見ないでほしいわ。この程度で尻込みしてたら、傭兵なんかやってらんないわよ」

「確かに予定より数が増えたのは問題だけど、その凶獣の元はブレードボア。よっぽど凶悪な変化をしてない限り、大した事にはなりません」

 こう自信満々に語った二人だが、胸の内は少しだけ異なっている。

 凶獣の変化には共通項となる部分が多いが、たまにそこから外れる変化をするモノもある。そんな変化をした個体が相手であった場合、元が弱い生き物であっても楽勝とは行かない。

 だが依頼主を不安にさせる訳にもいかないので、こうしてわざと強気な発言をしたのだ。

 この二人の発言が功を奏したのか、村長の顔色は急速に良くなっていく。

 その後なんとか持ち直した村長は、カダルが求めるままに情報を教えていくのだった。


 数分後、伝えられる情報の全てを村長は伝え終えていた。

「解りました。では、よろしくお願いします」

 部屋を出ていく一行に、村長は深々と頭を下げていた。

「全力を尽くします」

 この依頼が自分の為に選んでもらったと知っているアギトは、ドアを抜ける直前にこう口にしていた。


   ***   ***


 森に入った一行は、早速とばかりに凶獣の捜索を開始していた。

 死骸を運ぶために持ち込んだ荷車は、捜索の邪魔になるので森の入り口に置いて来ている。

 そして森の入口付近まで案内してくれた住人はと言うと、身の安全を確保する為に既に返してある。


 森に入ってアギトが最初に行ったのは、視覚以外で常に外界に対して開かれている感覚、聴覚、嗅覚、触覚の感度を上げる魔法をその身に掛ける事だった。

 何しろ周囲は木々が生い茂り視界が良いとは言えない。こういった状況での探索に慣れていないアギトにとっては、魔法による補助が必要になる。

 魔法の選択については、目に頼って探していてはいけないという、ヨグからのアドバイスに従った格好だ。

 これと同時にガルフが『探知』の魔法を展開する。

 凶獣は特徴として強い魔力を発しているのもあるが、こも面子の中では彼が一番探査可能範囲が広いと言うのがその理由になる。


 捜索を開始して、かなりの時間が経過していた。

 森は異様なほどに静かで、小さな虫を除けば、生き物の気配がまるで感じられない。恐らくは凶獣に食べられるのを恐れて逃げ出したか、逃げきれずに食べられてしまったからだろう。

 緊張した雰囲気の中、最初に痕跡を掴んだのは、この日四回目となる感覚を強化する魔法の掛けなおしを終えたばかりのアギトだった。

「何だ、この臭いは」

 魔法の効果によって強化された感覚が、風に乗って流れて来た血なまぐさい臭いを捉えたのだ。

「この方向じゃな?」

「はい」

 アギトの指摘に従い、ガルフがその方向にだけ『探知』の範囲を伸ばす。

 その直後、ガルフの表情が厳しいモノに変わった。

「捕まえたぞ。凶獣と思われる反応が、一つだけじゃ」

 その声に、カダル達から安堵のため息が零れた。

 予想された最悪のケースでは、いきなり三匹の凶獣と戦う事もあり得たのだから。

 だが現段階で接触してきそうな位置にいるのは、アギトとガルフで見つけた一匹だけ。これならば安心してアギトの訓練に使う事ができる。

 そう判断したカダルは、即座に行動に移すべく指示を出した。

「よし。このまま風下から接敵する。爺さんはそのままアギトを誘導してやってくれ。ネリスはその護衛。俺とヨグで周辺を警戒をする」

「むう」

「解ったわ」

「了解」

 五人は即座に陣形を整えると、凶獣がいると思われる地点へ向けて慎重に移動を始めた。


 風下の位置を保ちながら移動してどれ程経ったであろうか。アギト達は問題の現場を視界に収めることに成功していた。

 不自然なほど綺麗に開けたその場所は、恐らく凶獣と化したブレードボアに食べられてできたのだろう。そこでは体長2mを超える一匹のブレードボアが、食事の真っ最中だった。

 凶獣と化した事で大型化したその体から放たれる気配は禍々しく、周囲が歪んでいるのではないかと錯覚させるほどだ。だが魔力の放出は思ったほどではなく、それがガルフの『探知』を遅らせる要因になっていたらしい。

「知ってはいたけど、こうして見るととんでもないな」

 小声で呟くアギト達の視線の先にあるのは、凶獣と化したブレードボアの食事にされてしまった不幸な存在だ。

「ああなっちゃうと、森の王者も哀れね」

 ネリスが囁くように、犠牲になっていたのは、体長だけならソレを上回っているヒグマだった。

 咀嚼する音が鳴り響く度に、ブレードボアの背中が揺れている。

 既に内蔵の殆どを食い散らかされ、今は四肢を攻略されている所だ。もう暫くすれば、背骨をかみ砕く音が鳴り響くことだろう。


 ブレードボアはまだ食事に夢中で、アギト達の接近に気付いた様子はない。

 アギトは気取られないようにと一端後方に下がり、その身に筋力と反応速度を引き上げる強化の魔法を纏う。そして腰の刀を引き抜き、音を立てないようにゆっくりと戻る。

 アギトの準備が整った事を確認したカダルは、アギトに突撃させるべく彼の背を押すと同時に、『鑑定』の魔法をブレードボアに向けて放った。

 脳裏に浮かんだブレードボアのレベルは34。厄介なスキルの存在は確認できない。

 想定範囲内である事に安堵しつつ、カダルは戦いの趨勢に注意を向けた。


 自分に魔法が掛けられた事を悟ったブレードボアが、食事を止めて周囲を窺う仕草をみせる。

 だがその時既に、アギトは最初の攻撃を放とうとしていた。

「喰らえ!」

 掛け声と共に放たれた『風刃』の魔法が、ブレードボアの四肢を斬り裂く。だが凶獣と化しているためか、人間であれば首を簡単に斬り落とす攻撃も、肉を深く斬り裂くに終わる。

 その痛みにブレードボアが上げる悲鳴を聞きながら、アギトは刀の間合いにまで接近していた。

 アギトの接近に気付いたブレードボアは、名前の由来となった凶悪な牙を振るおうとするが、傷ついた脚では思うように動くことが出来ない。

 振り向く事ができただけで、アギトの振るう刃をその身に受けてしまう。

「せいっ!」

 鈍い音を立てて刃が肉を斬り裂いていく。

 だが凶獣となって肉体の強度が上がったのか、それとも無意識に魔力で体を強化していたのか、刃はアギトの予想よりも食い込んでいかない。

 アギトは強引に刀を引き抜いて間合いを取った。

 互いの隙を伺うように、双方で睨みあう形になっていた。


 無理やり引き抜いた事で広がった傷口から多量の血が零れ落ち、周囲をその臭いで埋め尽くしていく。

 その臭さに顔を顰めつつ、アギトは次の攻撃に移るチャンスを伺っていた。

 彼が与えた怪我は致命傷とまでは行かない。だが放っておけば、動きを阻害するには十分なほどの出血をもたらしている。

 このまま挑発を繰り返して出血死を狙うか、それとも更にカウンター攻撃を繰り返す事でダメージを積み重ねていくか、それによってアギトの戦い方も変わってくる。

「さて、どう来る」

 前もって自分に掛けていた強化魔法は、もう暫くすればその効果が切れる。効果時間が短いのは、音を立てて気取られる事を警戒して戻るのに時間をかけすぎたのもあるが、術式の制御が甘かったからだ。

 効果が切れる前に仕掛けるべきか。それとも術式を立ち上げている最中に攻撃を喰らう危険を承知の上で上掛けするか。

 アギトが効果の残り時間に意識を向けた直後、ブレードボアが動いた。

 突進力が売りのブレードボアだが、傷ついた脚で向かってくるせいで、その速度は明らかに遅い。

「このまま失血死してもらうのも良いけど、それだと時間が掛かり過ぎるし、嬲るのも気分が悪いな」

 こう呟いたアギトは、全身に魔力による強化を施す。

 幸いにして接触直前に施した強化の魔法はまだその効力を残していた。

 積み重なった強化による速度で突進を回避したアギトは、姿を見失っているブレードボアの首筋目がけて、全力で刀を振り下ろした。

 大気を斬り裂く音を追うように、肉を裂き骨を断つ音が響く。

 ブレードボアはその突進の勢いを維持したまま息絶え、ネリスが傍らで見守る樹の根元に激突して漸く動きを止めた。


 レベルアップによる独特の感覚がアギトを包む。

 内面に眼を向ければ、レベルは一つ上がって26になっていた。

「なんとかな……。ネリス義姉さん?」

 その事を報告しようと後ろを振り返ってみれば、何故かそこにいたのは厳しい顔をしたネリスだけだ。

「良くやったわね、アギト。でも今はカダル達の援護が先よ」

「まさか」

 アギトの頭を嫌な考えがよぎる。

「そのまさかよ。残りの二匹が来たの」

 その言葉に驚いたアギトは、慌てて『探知』の魔法を使った。

 ネリスの言う通り、ここからそう離れていない場所に凶獣と思われる反応が二つ。そしてその正面にある反応は、カダルのソレだ。そして少し離れてガルフとヨグのモノと思われる反応がある。

 カダルは槍のの間合いと後ろからの援護を上手くやりくりしているらしく、激しく位置を変えながらも相対距離にはあまり変化が無い。

 これなら大丈夫と判断したアギトの脚が遅れがちになるが、それをネリスは許さなかった。

「なにとぼけた事してるのよ、アギト。膠着しているように見えても、実際にはどれ程余裕があるかは分からないのよ」

「すみません」

 ネリスの指摘に、アギトは反論が出来ない。

 確かに『探知』の魔法で相互の位置関係を知ることが出来る。だがそこでどのような戦闘が繰り広げられているか、どの様な技の応酬が成されているかまでは知ることが出来ないからだ。

 素直に謝る義弟アギトの声を耳にしながら、ネリスは更に移動する速度を上げる。

 アギトも義姉ネリスに遅れまいと、走る速度を上げた。


 結果から言えば、ネリスの心配は杞憂に終わった。

 二人が後方で支援していたガルフとヨグの側にまで辿り着いた時、カダルは自分の槍で最後の一匹に止めの一撃を突き刺していたからだ。

 もう一匹はというと、此方はカダルの魔法とヨグの弓矢により、頭部を穴だらけでハリネズミな状態にされていた。

「やあ、わざわざこっちにまで来てくれたのかい」

 ヨグの声には疲れと言ったモノが全く感じられない。むしろ慌てて駆けつけたアギトを労う響きが感じられる。

「結局は無駄足になってしもうたの。じゃがそうやって万一に備えるという姿勢は大事じゃ」

 ガルフの声にも疲労の色は感じられない。どちらかと言うと、はるばる訪ねて来た孫に挨拶しているような感じさえする。

「爺さんと言う通りだ。大元が弱い獣だからといって、油断するのは愚か者だ。状況次第では、こっちの存在を感づかれるのを覚悟した上で『鑑定』で強さを確認しなきゃならねぇぞ」

 カダルはそういうと、自分が過去に体験した失敗談を語りだした。


 カダルが傭兵となって間もない頃、そしてヨグとネリスがまだ傭兵になっていない頃、カダルはとあるパーティーに臨時で参加する機会を得た。

 その時の依頼はと言うと、隣の街までの間を往復で隊商を護衛するというモノだった。

 そこそこ整備された街道を行くこともあり、往路は順調な旅路だった。

 問題の事件は復路に起きた。突如として、子供ほどの大きさになった野鼠の凶獣に襲われたのだ。

 野鼠と言えばレベルが低い事で良く知られている。それが凶獣化して大きくなろうとも、所詮は野鼠である、的が大きくなって寧ろ好都合だと、誰もが油断していた。

 ところが、野鼠は一瞬で彼我の距離をゼロにすると、先頭を警備していた傭兵の一人の喉笛を食いちぎり、その横を歩いていたもう一人傭兵の頭の半分を齧り取ってしまったのだ。

 慌てて反撃を開始したが時すでに遅く、凶獣を打倒した時には、この依頼に参加していた傭兵の半数が死亡していた。

 後で知った事だが、この時襲ってきた凶獣は、通常の野鼠より30も上のレベルだったらしい。

 依頼主の方には人的被害がゼロだったので問題視はされなかった。それどころか、支払う相手の数が減って良かった、儲かったと喜ばれたという。

 もう気づいただろう、この隊商を率いていたのは光の民だったのだ。


「こんな事があったからな。凶獣が相手の時は、慎重なくらいで丁度いいんだ」

 こう話を締めくくったカダルの顔は、まるでお面のように表情が抜け落ちていた。


「さて、暗い話はこれまでだ、さっさとやる事をやっちまおうぜ」

 カダルは努めて明るい声をだすと、アギト達の意識を依頼へ強引に引き戻した。

「そうよね、先ずは死骸を運ぶ準備をしないといけないわね」

 そんなカダルに吊られるように、ネリスも意識の切り替えを促してきた。彼らにはまだしなければならない事が残っていたのだから。

 当初の目的では、凶獣の死骸は持ち帰る事にしていた。

 だが大型化した死骸をそのまま運ぶのは問題だ。放っておけばスカベンジャーホークのような死肉漁りを招きよせてしまうし、それがなくても時間経過により腐敗が進行して、素材としての価値を落としてしまう。

 何よりも大型化した事で体重は数倍に達している。

 少なくとも血抜きをした上で魔法による凍結処理はしなくてはならない。

「モタモタしてるヒマはねぇぞ」

 早速とばかりに、アギトたちは自分達が倒したブレードボアの血抜きを始める事にした。

 アギトはこれが初めてなので、ネリスがその指導に付く事になった。


 血抜きが終われば、次に来るのは搬送となる。

 だが死骸を街まで運ぶ道具としての荷車は、探索と戦闘の邪魔になるからと森の入り口に置きっぱなしだ。地形の関係でここまで持ってくる事が出来ない以上、誰かが担いでそこまで行かなければならない。

「ワシは非力なエルフで老人じゃぞ」

 この時とばかりに、ガルフは自分の種族と年齢を持ち出してきた。

 彼は見るからに力仕事には向いていないので、異論が出るはずもない。

「アンタたち、か弱い女性に力仕事をさせるつもりなの?」

 ネリスの主張は一般的には正しい。しかし一端の傭兵として剣を振り回している彼女を指して、誰も『か弱い』とは言うまい。

 だがそれを指摘するだけの無謀な思考の持ち主もこの場にはいなかった。

「はぁ~、やっぱしそうなるか」

「僕たちしか残らないよね」

「妥当な判断ですから、反論できません」


 当然カダル、ヨグ、アギトの三人で運ぶ事になったのだが、ここでもう一つ問題が出て来た。

 凶獣の数が多かったと言うのもあるが、一番の問題は予想していたサイズより大きかったという事。

 野生の猪で大型のモノは、体重が100㎏を超えるモノがいる。そして今回の得物は凶獣と化した事で大型化したブレードボアになる。

 この面子の中で一番体重があるカダルの倍以上の重さがあるのだ。

 最初にカダルが魔力で強化を施した上で運ぼうとしたのだが、彼の筋力をもってしても持ち上げるので精一杯。とてもではないが、森の入り口まで運ぶなどは出来ない事が分かってしまった。

 ならばネリスとガルフに手伝ってもらえばと言いたいが、それでも一人分頭数が足りない。

 荷車と現場を何回か往復する事も考えたのだが、それをしていると日が暮れてしまう。

 結局のところ、三人が魔力で強化して運ぶ所は同じだが、そこにガルフが『筋力強化』の魔法で補助し、死骸に『軽量化』を掛ける事で何とか一人で運ぶことと相成った。



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