4話
アギトの視線の先に、彼が今しがたこの手で命を奪った相手の体が横たわっている。
顔は憎しみと驚愕のままに凍り付き、自分がどうして死ぬのかを理解できていないようだ。虚空を睨む視線は、自分にこのような結末をもたらした存在を恨んでいるようでもある。
その下手人たるアギトであるが、倒れた相手の側にしゃがみ込み、その服でぼろぼろになったショートソードにこびりついた血を拭い取ると、無表情に鞘に納めていた。
この世界に来ての殺人はこれで実質三人目だが、その割には冷静、いや冷酷に状況を見据えているように見える。しかし実際には、覚悟していたほど罪悪感が湧かない事に内心で驚いていた。
(ハインツさんの命を奪った時には辛さや悲しみを感じたのに、この二人を殺した時はそんなモノを全く感じなかった。敵対者と認識した人間の命はどうでも良くなっているみたいだ。
ひょっとすると、これも『魔王』のとなった者へ施された”処置”の一つなんだろうな。今後の事を考えればコレも必要な”処置”だとは分かっているけど……)
そんなアギトの心の内を知ってか知らずか、槍を持った男が歩み寄ってきた。
「何処の誰だか知らないが、一応礼を言わせてもらう。連中がアンタに掛かりっきりだったお陰で、俺たちは上手く不意を突くことができたからな。アンタを利用した恰好になっちまったが、そこは獲物を少し譲った事で勘弁してくれると嬉しい」
男はそういうと、槍を左手に持ち替えて右手をアギトの方へと差し出してきた。
「それならこっちも同じです。あのままなら俺は嬲り殺されて、今頃は死体の仲間入りだったハズ。貴方たちの割り込みがあったからこそ、こうして生きていられると思っていますから」
アギトは立ち上がってその手を握り返すと、お互いに自己紹介を始めた。
話しかけて来た男性は、カダルと名乗った。
アギトよりも少し背が高く、割とがっしりとした体つきをしている。
主武器は槍のようだが、腰には刀身がやたらと身の厚い鉈のような剣を下げている。そして身に纏っているのは、要所を金属板で補強した皮鎧だ。
こげ茶色の髪を短く刈り上げているせいか、活動的な雰囲気がある。
聞けば歳が二十二歳で、今からここに集まってくる四人の中でリーダー的な役割を任されているそうだ。
「あら、アタシは紹介してくれないの?」
ここで唐突に割り込んで来たのは、人懐っこそうな笑みを浮かべた女性だった。
栗色の髪をショートカットにしており背丈はアギトより拳一つ分低い。
髪型のせいで顔だけ見ると美少年と取られる可能性が若干あるが、女性として出るべき個所はしっかり出ているお陰で、その心配はないだろう。
こちらはコレと言って特徴のない皮鎧姿で、腰には柄の長い長剣を差している。
躍動的な雰囲気から察するに、彼女がこの中でムードメーカー的な役割を担っているのだろう。
ネリスと名乗ったその女性はアギトの正面に立ち、真剣な表情になると、いきなり頭を下げてきた。
「アナタ、アタシのお義父さんを弔おうとしてくれたんでしょ? お礼を言わせてもらうわ」
こう来るとは思っていなかったアギトは答に窮してしまう。
「い、いや、それは、俺はハインツさんから……その……」
なにしろ彼は『死の継承』によりハインツからスキルを得ている。悪い言い方になるが、スキルを丸ごと奪っているとも言える。『死の継承』には双方の了解が必要不可欠とはいえ、アギトがハインツの命を絶った事実は動かしようがないのだから。
だが此処で思わぬ方向から援護射撃がきた。
「なに、お前さんのスキルを『鑑定』で見れば一目瞭然じゃて」
慌てて声のした方に視線を向ければ、見事な灰色の顎鬚を生やした老エルフの男性がやってくるところだった。アギトが内心で「エルフの耳が尖っているのはどの世界でも共通なのかな?」と思ってしまったのは、ここだけの秘密だ。
背丈はアギトより頭一つ低い。そのせいで頭髪がかなり寂しい、有体に言ってしまえば見事に剥げているのがアギトから良く見えてしまう。
身に付けているのはこれまた皮鎧で、手には真直ぐで丈夫そうな杖を持っている。
RPGゲームの感覚からすると異様に見えるかもしれないが、この世界において魔法を主な攻撃手段とする傭兵の装備としては、コレが標準なのだ。
逆に明らかに護りの薄い恰好をしているのは、よほど魔法の腕に自信がある実力者か、体術に長けた肉体技巧派か、そう思わせたいだけの見かけ倒しだけだったりする。
ガルフと名乗った老エルフは、自分が先の一件において魔法で攻撃していた事を明かすと、ネリスの行動の種明かしを始めた。
「お前さんのレベルは、ワシが最初に『鑑定』を使った時点では二十しかなかった。今はいくらか上がっておるであろうがの。じゃがソレに比してスキルが異様と言えるくらいに高い。そしてそのスキルの構成じゃが、ワシたちが知るハインツのソレと全く同じじゃ。加えてお前さんが使っておった得物は、持っておるスキルにそぐわぬ代物。
これだけ情報が揃えば、ハインツがお前さんに全てを託したのは明らかじゃて」
「そうだったんですか」
表面上平静を装ったアギトだが、その実内心で驚いていた。
言われて確認してみたのだが、思った以上にレベルが上がっていたのだ。実にレベル24。
彼が倒したのはたった二人だったが、その相手のレベルが倍以上あったお陰だ。
この後を継ぐように、ネリスが申し訳なさそうに話してきた。
「最初アタシたちは、あなたをエサに連中を皆殺しにするつもりだった。でも遠距離から『鑑定』を使ったお爺ちゃんがあなたのスキルがお義父さんのソレと変わらないと言うのを聞いて、見殺しにする事だけはしてはいけないと思ったわ。
そして何よりも決定的だったのは、アレを見つけたからよ」
そう言って彼女が指さす先には、ハインツの埋葬途中で放置されたままの穴があった。
他の村の住人の遺体がそこらじゅうに放置されているのに、ハインツの遺体だけが格別の扱いを受けている。
では誰がそれを行ったのか? 当時その場にいた人間では、蹂躙を受けていたアギトしか該当しない。
そしてこの村の住人でも関係者でもない人間がハインツにそれを行う理由は? 『死の継承』以外考えられない。
そう説明をされて、アギトはようやく合点が行った。
この世界での死者の扱いというと、衛生上の問題という理由から、共同墓地に葬られるのが普通だ。
人口が多い都市や街の場合、個人の為のスペースを作るような事はせず、大きな穴に数体から十数人の袋詰めにした遺体を放り込み、後でまとめて埋めるという形式になる。
埋葬と言う行為わざわざ個人の為にをするという事は、村のような人口少ない小さな集団を除けば、埋葬される人物に対して肉親にも等しい関係を築いていたか、そうするに値するだけの恩義を受けた場合に限定されてしまう。
逆に敵対勢力に属する人間の死体であれば、この村で起きた惨劇のように、積極的に辱めて貶めた上で放置するのが当たり前だ。
つまりアギトが行った事は、自分がハインツに大きな恩義を感じていると喧伝しているのと同じだった訳だ。
アギトがどう言葉を返そうか悩んでいると、この場にいる最後の一人が現れた。
背はアギトと同じくらいで髪は黒く短髪にしている。
丸顔で人懐っこそうに見えるが眼だけが鋭く、どこか相手を値踏みしているようにも見える。
身に付けているのはこれまた皮鎧だが、肩に掛けた弓と背中の矢筒の存在が、彼がそれを得意とする弓兵か狩人の類である事を主張していた。
あの時アギトを援護したのは、間違いなくこの男だった。
「あの時はどうも。お陰で死なずに済んだ上に、レベルまで上がりました」
接近に気づいたアギトが礼を言うが、男の返事はそっけないモノだった。
「なに、僕はあの連中に、少しでも嬲られる側の気持ちを味あわせてやりたかっただけさ」
この男は中々良い性格をしているのかもしれない。
ヨグと名乗ったその男は、挨拶もそこそこにネリスに話しかけた。
「なあ、ネリス。そうやって話しているのも良いけれど、出来るだけ早く此処を離れた方が良くないか?」
「どういう事なの」
いきなりの提案にネリスは頭の回転が追い付かないようだ。それを見たヨグは、表情を変えないままその根拠を語りだした。
「こいつらが此処を襲った連中の仲間だとすると、こいつらに任された仕事って何だと思う? 生き残りがいないかの確認と、いた場合の始末だと僕は思う。
そいつらが何時までも戻ってこなかったとしたら、今度は連中の本隊そのものが戻ってくるかもしれないよ。この数で対処が出来なかったって事になるから。もちろん、連中がこいつらを見捨てるという可能性もあるけれど、余計な危険は冒すべきじゃない」
確かに筋の通った意見だ。
だがここでガルフが口を挟んで来た。
「ヨグの言うように、ここをなるべく早く立ち去るのは正しい判断じゃろう。じゃがせめて、アギトとやらのナリくらいは何とかしてやった方が良くはないかの?」
四人の視線がアギトに集中する。
アギトもここへきて、ようやく自分の状態を確認する余裕が出来た。
改めて見てみると、その恰好は酷いモノだった。
服は剣戟で切り刻まれてボロボロな上に、魔法による攻撃のお陰であちこちが焼け焦げている。上着は申し訳程度に上半身に引っかかっているが、今にもちぎれて落ちそうだ。
下半身は比較的マシな状態だが、それでも数か所に大穴が開き、その下にある肌を覗かせている。
リュックサックとマントは一番最初に倒された時に剥がされてしまったお陰で無事だが、最寄りの街まで徒歩で数日ある事を考えると、代わりの服を用意しないと夜は苦労しそうだった。
「あ~こりゃ確かに」
「下半身はともかく、上半身はなんとかしなくちゃね」
カダルとネリスはそういうと、ガルフに何かを期待するような視線を向けた。
「言わんでも分かっておるわい。言い出したのはワシじゃらな」
二人の視線を受けたガルフは憮然と返すと、その場で魔法の詠唱を始める。
詠唱が終わった直後から周囲で立ち上っていた炎が小さくなっていき、そして完全に消えた。
未だ熱を持ち煙が立ち上ってはいるが、それも時期に治まるだろう。
「燃える」という現象を封じる魔法、『封火』の効果だった。
この『封火』は割と初歩的な魔法で、『死の継承』を行う前のアギトでも使う事が出きる。だがそれは『減火』で火の勢いを弱めてた上での話で、今の状態でも家一軒が精一杯だ。
ガルフがいきなり村全体を効果範囲に置いただけでも、彼が優れた魔法の使い手であることが分かる。
「ほれ、さっさと行かんか」
ちゃんと『封火』が効果を現したのを確認すると、ガルフがアギトの背中を叩いた。
「お前さんが使うのじゃぞ。使う本人が探さんでどうする」
「は、はい!」
一番手近な家に入って行ったアギトを見送ると、次はネリスに声を掛けた。
「ネリスよ、あの男に恩義を感じておるなら、一緒にいって探すのを手伝ってはくれぬか? この村の事をあ奴は知らぬであろうからの」
「うん、分かった。でも……」
言いよどんだネリスの視線の先には、埋葬途中で放置されたままの、ハインツが横たわっている穴がある。義理の娘としては、こちらも放置しておけないのだ。
そんなネリスを優しい顔で見やると、ガルフはこう返した。
「ハインツの事はワシがしておく。お前さんの魔法でするより、ワシの方が早いしの。付き合いはワシの方が何倍もある。それに……」
「それに?」
「ワシとの約束を守れなかったことについて、ちょっとばかり愚痴も言いたいんじゃ。これは義理とはいえ娘であるお前さんには聞かせたくないんでの。……言い換えれば、ワシに一人でアイツと話す時間を作って欲しいんじゃよ」
長命なエルフ故の年の功なのか、その表情には全く変化が無い。だが言葉の最後の方には、隠しきれない悲しみのような響きが混ざっていた。
それなりにある付き合いからガルフの胸の内を察したのか、ネリスは何も言わずに踵を返し、アギトの後を追った。
カダルとヨグはと言うと、ガルフがネリスに話しかけた時点で、倒れ伏した襲撃者たちから現金と売りさばけそうな装備の剥ぎ取りを始めていた。
仲間が十分に離れていった事を確認したガルフは、ハインツが眠る穴へと向かう。
あの連中がアギトをいたぶるという享楽に興じていたお陰で、ハインツの遺体は辱めを免れていた。
「ずいぶんと満足そうな顔をしておるではないか……」
彼が穴を覗き込んだ時の第一声は、悲しげなこの言葉であった。
ガルフとハインツは、ヒトとエルフという種族の違いを超えた親友だった。
ハインツが若いころは彼が望む剣や刀の素材を求める傍ら、傭兵としてあちこちを旅して回ったものだ。
勿論『無明の民』故の様々な差別や迫害に遭ったが、それを受けてなお一緒に行動することで得られる経験に言いようのない満足感を得ていた。
だが十年ほど前にこの隠れ里でのトラブルを解決したのを区切りに、ハインツは傭兵稼業を引退。以後この村で鍛冶師として生活を始めた。ネリスを養女として引き取ったのもこの時になる。
ガルフもこれを機として拠点を此処に移し、この村の若者たちに魔法の指導をしていた。今回村を離れたのは、一番の成長株である三人が傭兵としてどのくらい使えるかをこの目で見るためだった。
結論から言えば、村を離れていたお陰で命拾いした事になる。だがその一方で、彼はハインツという親友を喪う事になった。
ガルフの心情としては、ハインツと一緒に戦いたかった。たとえ屍を曝すことになろうとも、親友と共に居たかった。
「最後の言葉はワシに託すのではなかったか? 娘が産んだ子供を見たいと言っておったくせに、先にくたばるとは何事じゃ。お主は自分の全てをあ奴に託して満足じゃろうが、ワシは後継者の候補すら見つけておらぬぞじゃぞ?」
ひとしきりハインツの亡骸に向かって愚痴を溢すと、ガルフは『操地』の魔法を使いハインツの亡骸を、深く大地の下に隠した。
これ以上何者にも汚される事の無い様に。
*** ***
アギトとネリスの「家探し」は順調に進み、三件目に突入していた。
一件目は空振りに終わったが、二件目でなんとか着られる服を数着手に入れ、既にアギトはその内の一つに着替えてある。上下とも外見上の変化は殆どないが、以前の物よりほんのちょっとだけサイズが大きく色が少しだけ色あせていた。
今彼らがいるのは、ハインツが自宅兼仕事場としていた家だ。
だが鍛冶師をしてたせいか、家の中は徹底的に荒らされていた。
制作途中の作品はおろか、原材料である鉱石の一欠片すら残されていない。
目ぼしい家具は全て壊され、焼け焦げた中身が床の上に散乱している。ガルフが『封火』を使っていなかったら、今なお燃えていたのは間違いない。
「あー、ネリスさん? この状態の何処を探すんです?」
見たところ無事な箇所が見当たらないのだ。アギトが疑問に思うのも当然だろう。
だがネリスはそんなアギトの言葉を綺麗に無視して仕事場の片隅に行くと、無言のままそこの床石を剥がし始めた。
床石はそこだけ薄い物が敷かれていたようで、彼女がそれほど力を入れていないにも関わらず、簡単に捲れあがっていく。
「え……これは……」
驚くアギトの前に現れたのは、旅先でも鍛冶仕事が出来るようにと作られた鍛冶道具一式だった。
術理魔法の『加熱』がある程度炉の代用をするので、全体としては小さくまとまっている。
ネリスはそれらを取り出すと、アギトに押し付ける様に渡した。
「ほら、アンタはお義父さんの技を全部受け継いだんでしょ。何処に行っても仕事ができるように、この道具も受け取りなさい。どうせこの村には二度と来ないんだから、遠慮する事はないわよ」
「は、はい。解りました」
ネリスの勢いに押されがちなアギトは、ただ頷くしか出来ずにいる。
幸いにしてアギトのリュックサックの容量には余裕があった、と言うよりは碌に物が入っていなかったので、全てを収める事が出来た。
アギトが道具を全て収納したのを見届けると、ネリスは更に細長い袋を床下から取り出してきた。
長さは80㎝ほど。緩く湾曲している。
袋の中から出て来たのは、漆黒の木刀だった。
しかし只の木刀と言うには少々尖った造りをしている。これで殴られるくらいなら、鞘に入ったままの刀で殴られる方がマシだろう。
「これはお義父さんが昔修練につかっていたの。黒曜樹で出来ているから、二流どころの打った鈍なら簡単にへし折る事ができるわ。これもアンタに譲るから、これを使って自分の技と体のズレを早いとこ修正しなさい」
スキルのレベルが『死の継承』によって著しく上がった場合、肉体が置いてけぼりを喰らう事は割と良くある話なのだ。それを知っている彼女としては、先の一件でのアギトはとても見ていられなかったのだろう。
「承知しました。精進いたします」
アギトはそう言うと両手を差しだし、恭しく漆黒の木刀を受け取った。
「うん、分かったなら宜しい」
ところがネリスの手から木刀が離れた瞬間、アギトは驚きの声を上げる事になった。
「お、重い?!」
それもそうだろう、黒曜樹はその硬い材質を得た代償に成長は遅く、木材とは思えないくらいに重いのだ。当然のごとく水には浮かない。
あまりに硬すぎるために普通の工具では大して使わない内に刃がダメになるので、加工には特別な材質、それこそ白魔鋼や黄魔鋼といった魔法金属でできた道具を使うか、『水刃』とか『風刃』などの魔法を使う必要がある。
だがネリスの仕掛けた「びっくり」は、これで終わりではなかった。
「お義父さんの技を全て受け継いだアンタは、ある意味では息子の様なモノだって分かっているわよね?」
「まあ、そういう解釈もあるのは確かですね」
師匠と弟子の関係は親子にも等しいと何かの本で読んだ記憶があるアギトは、曖昧な答えを返した。
「ならこれから当分の間一緒に生活するんだから……」
「だから?」
「アタシの事はお義姉さんと呼びなさい!」
「へ?」
家族の様なモノだからもっと気楽に呼び捨てにしなさい、そんなセリフを予想していただけに、アギトの応えは滑稽なモノになってしまっていた。
だがその反応が気に食わないのか、ネリスは更にまくしたてて来た。
アタシの何処が義姉として相応しくないのかとか、先達を敬うのは後を追う者の義務だとか、思いつく限りの色んな理屈を並べ立て、果てにはアギトの年齢まで確認してきたのだ。
アギトも流石に転生する前の実年齢(3X歳)をいう訳にはいかないので、『魔王』として転生の際に設定された18歳と答えた。
この回答がとどめになってしまった。
ネリスは勝ち誇った顔で「アタシは20歳だから、これで決まりね」と一方的に勝利宣言をすると、そのまま意気揚々とアギトの右手を引いて家の外へと歩き出したのだ。
なお、アギトがネリスの事を「ネリス義姉さん」と呼びかけるまで、ネリスは頑としてその手を離さなかったという。
因みにこの呼びかけが行われた時、ガルフ達三人は気の毒そうにアギトを見やり、当のネリスは満足そうにその呼びかけに答えたそうな。
*** ***
村を発ってすぐ、アギトはカダルたちの傭兵パーティーに加わらないかと誘いを受けた。ハインツに関わるあの一件事が効いているのだが、それ以外にもネリスがアギトをえらく気に入ってしまっていたのが大きい。
アギトとしても、この申し出は渡りに船だった。
彼は『魔王』としてやらねばならない事があるが、現状ではどこから手を付ける事ができるかすら解らない。今後の方針が決まらない以上、その他大勢に紛れていなくてはならない。
ありがたい事にあの時村にいた理由ですら、「お前さんも訳ありじゃろうから」と聞いてこないのだ。
当初アギトは継承した技術と知識を利用して、街で鍛冶屋の真似事でもしようかと考えていたのだが、(焼き付けられた知識でしか知らない)見知らぬ土地でどこまでやれるかという不安もある。
断る理由は何処にも無かった。
二つ返事で了承すると、街へ着き次第彼らの傭兵パーティーの一員として登録する事が決められた。
そして現在、数日が経過している。
アギトたちは五人は、街道を最寄りの街である「リンツ」へと向かって歩いているところだ。
森を抜けてから半日ほどは荒れた地形が続いていたが、街道を進むに従い緑が増え、今では所々に林が見られる程度にまで回復している。
途中何度か野生動物の襲撃を受けたが、そこは戦い慣れた人間が四人もいる集団である、いとも簡単に退け、一部を食糧にするほどだった。
アギトもただ守られているだけでは悪いと迎撃に加わろうとしたのだが、今までの所は「相手が悪い」、「レベルが足りない」との理由で参加させてもらえないでいる。
その代わりといってはなんだが、休憩の際には素振りや魔法の練習を見てもらっていた。
街に近づくにつれ、生き物の骸を目にする機会が増えてきていた。
周囲から恵みをかき集めているのだから、街に近づけばそれだけ自然の恵みが増えるのだから、生き物の数が増えるという意味では正しい変化と言えるかもしれない。
「はぁ……、またかよ」
こう呟くカダルの視線の先にあるのも、そういった骸の一つである。
だが今彼らが目にしている骸は、野生の動物のモノではない。本日四回目になる人間の死骸だった。
死骸には数羽のスカベンジャーホーク、この世界で死肉を専門に喰らうタカの一種が群がり、その死した身体を貪っている。
元の人間がどの様な人物だったかは今では知る由もないが、その死にざまは無残の一言だろう。
衣服は破れて風にでも飛ばされてしまったのか、見える範囲何にはその痕跡すら見当たらない。体は肉の殆どをはぎ取られ、後は骨とそこにこびり付いている僅かな肉を残すのみとなっていた。
そんな哀れな犠牲者の姿を見たガルフの口から、「妙じゃな」と疑問を呈する言葉がこぼれた。
これに食いついたのは、すぐ隣を歩いていたアギトだ。
「何か気がついたんですか?」
この世界は争いが絶えないだけに、人間が殺される事例は飽きるほどある。仰ぎ見る国の旗が違うからと言って殺し、崇める神が違うからと殺す。
同じ『無明の民』のヒト族同士であってもそうなのだ。そこに『光の民』の『無明の民』に対する迫害やら種族ごとの対立やらが加わるのだから、街道上に人間の死骸があっても珍しくないはずだった。
他の三人もアギトと同じ考えだったらしく、問うような視線をガルフに向けている。
「爺さん、もったいぶらないで話してくれ」
カダルのこの言葉の後押しを受けて、ガルフは感じた違和感の説明を始める。
「此処までワシらが見た人間の死骸じゃが、そのどれもが装備を全てはぎ取られておった」
コレだけであれば、治療が間に合わず死んだ仲間を撃ち捨てて行ったとも取れるし、盗賊まがいの連中の犠牲者とも取れる。
この程度の事はここにいる全員が承知している事なので、誰も口を挟んでこない。
だが次にガルフの口から出た説明は、四人が完全に見落としていた事だった。
「頭蓋骨の形から判断するしかないが、こやつはヒトではない。もちろんワシの様なエルフでもない」
言われて改めて死骸を見直す四人。
背丈は人間より小柄で、ガルフが言うように頭蓋骨の形が人間のソレとは違う。記憶を探ってみると、今日目にした死骸はどれもコレと同じだったような気がする。
「爺さん、まさか」
ヨグが不安そうな声をだす。彼はこの死骸が何者であるか分かったらしい。
ガルフはそんなヨグの懸念を肯定する答えを吐きだした。
「そうじゃ。これまでに見た人間の死骸は、全部がゴブリンのモノじゃ」
「なんだって!」
「勘弁してよ」
カダルとネリスの悲鳴にも似た叫びが響いた。
ここで出て来たゴブリンという種族だが、この世界ではヒトに次ぐ種族で、オークと並んで数が多い。
背丈はヒトの七割ほどで、土色の肌に尖った耳を持ち、顔はヒトやエルフの感性からすると、醜いと判断される部類になる。
特定の土地に定住せず、部族ごとに群れを作って放浪しながら生活している。
極めて繁殖力が強く、成体(大人)となるのに必要な時間が短い。個体としてはそれ程の脅威になる者は少ないのだが、直ぐ増えるという意味で集団としての脅威度はかなり高い。
各国は主に傭兵を使ってゴブリンの殲滅に乗り出しているのだが、結果は捗々しくない。この特性のお陰で、一つの群れを全滅させてもしばらくすれば次の群れが現れてしまうからだ。
群れがある程度大きくなると分裂するのだが、その際に弱い個体を討ち捨てるか追い出して行く事が多い。
今回彼らが目にしている死骸は、この際に見捨てられた個体のなれの果てである可能性が高かったのだ。
そしてこの様な死骸が見つかるという事は、そこそこの規模を持ったゴブリンの群れが近くを徘徊している事になる。
同時にこれは、そう遠くない時期にゴブリンの討伐に彼ら傭兵が駆り出される事も意味した。
このゴブリンの討伐だが、手間がかかって危険度はそれなりに高いくせに報酬は呆れるほど少ない。
彼らとしても自分達の生活圏が脅かされるのでやらなければならないのだが、その矢面に立たされるのは、先にも説明したように、常に『無明の民』である傭兵たちなのだ。
二人が愚痴を溢したくなるのも当然かもしれない。
驚愕が一段落したところで、ヨグが意見を述べた。
「多少無理をしてでも、リンツに急ぐ必要があると僕は思うけど」
いつ何時ゴブリンの群れと遭遇するか分からないのだから、彼の不安も当然だろう。それに今は戦闘に不慣れなアギトもいる。多数に囲まれては逃げるだけでも苦しいのに、そこにレベルの低い足手まといがいては生存の可能性すらおぼつかなくなる。
この意見に誰も異存は無かった。
「キャンプ中に襲われたくないからな。今夜は夜通しリンツに向けて歩くぞ」
そしてカダルのこの掛け声で、一行は前進を再開するのだった。
アギトの魔王生活は、こうして波乱万丈な始まりで明けた。
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