1話
闇目初のオリジナル小説です。
どうか気長にお付き合いください。
そこは何もない空間だった。
辺り一面は、地面も空も、少し白っぽい灰色としか表現できない色で塗りつぶされている。
遥か彼方に見えるうっすらとした直線は、恐らく地平線なのだろう。地面と空とのわずかな濃淡の違いによって、辛うじてその区別が出来上がっている。
そんな見渡す限り何もない無彩色で無機質な空間に、たった一つだけ色彩を持った存在が佇んでいた。
いや、視点を近づけてみれば、それは一つではなかった。二つの存在が寄り添うように存在していたせいで一つの存在として認識されていたようだ。
極めて似てはいるが、そこから放たれる波動は金色と銀色の二種類ある。そして容貌はよく似ているもののシルエットは対照的、というより男と女のソレを示している。どうやら二つの、いや一対の存在は双子のようなものであるらしい。
「これはもう、見守るのも限界ですね」
こう声を発したのは、金色の波動を放つ男性の方だ。
彼の視線の先には何も存在しない。境目がはっきりしない灰色の空間が広がっているだけである。だが彼の目は確実に何かの様子を捉えていた。
そこに何が映ってるのかは解らないが、彼の眼は深い悲しみの色に染まっている。
これに応えて、銀色の波動を纏っている女性も声を返してきた。
「確かに。彼らがあの状況を何とかする事を期待するのは、……無駄でしょうね」
女性の眼にも同じモノが見えているいるのだろう、その声の響きには深い憂いが含まれている。
そんな女性の言葉を受け、男性が何かを決意したように話し出した。
「このままではあの世界は確実に滅びます。これを回避するためには、非常に残念な事ですが、我らに許された唯一の介入手段を執る他ありません」
男性の言葉に、女性がハッとした声を上げる。
「やはり”アレ”を行うのですね」
男性が答を返す。
「ええ、『外』の御方たちにこの現状を報告するのです。高い確率で……、いや、ほぼ間違いなく『魔王降臨』が発動するでしょう」
男性の表情は相変わらず愁いを帯びている。だが放たれた言葉には揺るぎない決意が秘められていた。
その決意に女性も同意したらしい。男性に向かって頷くしぐさを見せると、男性を勇気づけるかのようにその右腕に自身の両腕を絡ませる。
「私が報告に参りましょう。『外』の御方たちが『魔王』たる人物の選定と受け入れにかかる手間を考えれば、時間的な余裕はあまりないでしょうし」
「頼めるかい? なら僕は受け入れの準備を出来るだけ進めておくから」
「はい、そちらはお願いしますね」
二つの存在は暫しの間互いに見つめ合うと、その場を離れて何処へかと消えていった。
*** ***
「どこだ? ここは……」
上も下も解らない、緋色一色で染められた空間で響いたこの言葉を発したのは、一人の男性だった。
歳は30代半ば。背はそれなりにあるが170㎝を少し超えたくらいだ。
身体には無駄な脂肪というものは見当たらず、割と引き締まった体形をしている。だが筋肉質と言うほど鍛えられているようにも見えない。
髪の毛は黒で、顔立ちから判断するにアジア系、それも日本人であるらしい。
容貌は取り立てて美形という事はない。だが仮に醜美を測ることが出来る天秤があるとすれば、その針が美の方に傾く程度には整っている。
身に着けているのは何もない、真っ裸である。股間にある立派な男の象徴が曝け出されているが、それを男性が気にしている様子もない。
まあ、周囲には誰もいなので、気にする必要を感じていないというのが正解だろう。
男性は周囲を見渡してみるが、見える範囲内にこれといって目印になるようなモノは何も見つからない。それどころか自分がちゃんと立っているのかすらも覚束ない。どちらかと言うと、何もない空間に浮かんでいるというのが正直な感想だった。
「どうなってんだ、ここは」
物は試しと泳ぐような動作をしてみるが、周囲に目印にできるような物が存在していないので、移動出来たかどうかが判断ができない。そのくせに頭髪は浮かび上がるといった事はないので、無重量状態という訳でもないらしい。
暑いと寒いとも感じられない。自分が何も着ていないという状況を考えれば、状況は最悪という訳ではないようだ。
奇妙なことに、何処かに光源があるという訳でもないのに、自分の身体はしっかりと視認できている。確認の為に腕で体のあちこちに手を翳してみるが、影ができる様子は全くない。
なまじ自分の身体を自分の視覚で認知できる分、不安感だけが膨らんでいった。
どれ程の時間が流れたであろうか。いつの間にかこの空間に新たな存在が出現していた。
その存在は眩い光に包まれており、男性はまぶしくてその正体を窺うことが出来ない。
光り輝く存在はゆっくりと近づいてくると、男性の目の前で人の形をとった。
「えっ……」
男性の口から零れたのは、驚きを意味するつぶやきだった。
それもそうだろう、彼の目の前に具現化したのは、儀式を行う巫女のような装束を身に纏い、長く艶やかな黒髪を持つ、男性より頭一つ背の低い、美しい女性の姿であったのだから。
重ねて言うが男性は何も身に着けていない、真っ裸の状態だ。
目の前の女性が本当に巫女であるかはさて置き、こんな姿を曝しているのが失礼である事には違いがない。慌てて両手で股間を隠すのが彼の精一杯の対応だった。
そんな男性の行動を前にしても、女性は一向に慌てる様子を見せない。それどころか男性が慌てふためく様を他所に、男性の持つ何かを観察するような眼差しを向けていた。
念のために言うと、女性の視線が向かう先は股間ではないのだが、男性がソレに気付くことはなかった。
「え、え~っと、なんか粗末なモンを見せちゃったみたいで……」
男性がこんなセリフを発したのは、女性が現れて十数秒経過した後だった。
さすがバツが悪いのか、片手で股間を隠し、もう片方の手で恥ずかしそうに頭をかいている。姿勢が謝罪するような感じで前屈みになっているのは当然だろう。
それでも後ろを見せないのは、彼なりのプライドというモノもあるが、身を隠す事も出来ないこの空間で背を向けて話すのを無礼と感じていたからだ。
だが女性は男性の姿と態度に慌てる様子を全く見せず、むしろ堂々とした態度で男性に話しかけてきた。
「気にするでない。其方が此処におるのは、我等の勝手な都合によるものじゃからな。其方の姿がそのようになっておるのは、此処の在り様がそうなっておるからとしかいえぬ」
「はい?」
いきなり言われた内容に、男性は理解が追い付かないようだ。それを認識した女性は居住まいを正すと、改めて説明を開始した。
「つまりこの場では魂の在り方がそのまま現れるというておるのじゃ。其方の様な”只の人”では、我等のように身に纏う衣まで己の在り方として定義できぬからの。その点では妾はそれなりに格のある存在での、こうして我が身に纏う衣も己の在り方として定義出来るのじゃ。解ったかの?」
「は、はあ。なんとなくですが」
途方もない話しであったが、特に否定する要素も見いだせない以上、現状ではそれを受け入れるしかない。
理解の追いつかない頭で男性は曖昧な返事を返した。
それを見た女性は納得した表情で頷くと、右手を虚空に翻し、男性の視線の高さに、ある映像を浮かび上がらせた。
「先ずはコレを見てもらおうかの」
男性の眼に映ったのは、どこかの街の情景だった。ただちょっと普通と異なる点があるとすれば、それはそこの風景がどこか現実離れした、言い換えればファンタジー的な要素を多分に含んだ代物だったという事だ。
街にはどこか中世的な衣装をまとった人々が溢れており、彼らの表情は明るく活気がみなぎっている。
市場の店先にならぶ品々は多彩で、男性の眼には産地や季節をある程度無視した現代の食料品売り場とそう変わらないように見える。
視線を郊外へ向ければ、先ほどの市場の賑わいを裏付ける様に、畑には何種類もの作物が生い茂り、近くの山には実をたわわに実らせた多種多様な木々が青々と茂っている。これがあるからこそあの市場の賑わいが保たれているのだろう。
実に命に満ち溢れた世界が広がっていた。
だが映像が陽の差し込まない路地裏やスラムに切り変わると、そこは目を背けたくなるような陰惨な様相を呈していた。
真っ先に目についたのは、明らかに人とは異なる姿形をした存在、エルフやドワーフと見られる人種が、まるで奴隷のように働かされている姿だった。
エルフは容貌に優れているせいで愛玩動物のような扱いを受けている者が少なからずいたが、そうでない者は例外なく労役、それも何かしらの魔法的な要素を必要とする仕事に駆り出されているように見える。
ドワーフは肉体的に優れているせいか、こちらは主に肉体的な労役に従事させられていた。鍛冶や工芸細工の現場でも多く姿が見られる事から、此方のゲーム設定と似た背景を持っているようだ。
よく見れば、奴隷的な扱いを受けているのは人間、いやゲーム的な言い方をすればヒト族、そっちの方が数が多い。そもそも絶対数においてヒト族が圧倒的多数を占めている。
そのヒト族の奴隷だが、ボロボロな衣服で痩せこけている姿の者が多い。碌に食料を与えられていないのは明白だ。彼らに比べればエルフやドワーフの方がまだまともな服装をしているし、食べ物も不足はしていないように見える。
そんな彼らに共通しているのは、額に浮かぶ刺青の様なモノ。女性の説明によると『隷属』の魔法によって記された『奴隷紋』だという。今は衣服に隠れて見えないが、背中にもアレと同様のモノが存在している。
アレが記されているせいで、彼らは主とされた人物の命令に逆らう事が出来ずにいるのだ。
明らかに異なる点は、ヒト族が奴隷の場合、主と思われる人物(こちらは100%ヒト族)が彼らを傷つける事を全く躊躇わない事だ。彼らが少しでも行動を遅らせる気配を見せれば、容赦なく仕置きがなされている。
その仕置きも鞭や棍棒を使ったモノならまだ優しい方で、剣で斬りつけたり槍で刺すなどの行為が当たり前に行われている。それで奴隷が死ぬようなことになっても、周囲の人間たちはそれを当然と受け止めているようだ。
「なんなんだ……、コレは。どうしてコレを俺に見せる」
「驚いたか。だがまだコレだけではないぞ」
男性の声には戸惑いと言いようのない怒りが含まれていた。その反応に満足したのか、女性はもう一つの映像を虚空に浮かび上がらせた。
今度の映像は先ほどと打って変わって、そこは碌に草も生えていない荒野の情景だった。
乾いて荒れ果てた大地には生命の気配が微塵も感じられず、所々に転がる白骨の存在が、この地が生命を育むには極めて不適当であることを無言のままに証明している。
映像が切り替わる。先ほどと同じ大地だ。だがその大地が、今度は無数の人影で埋め尽くされている。
数多の兵士が己の手に持つ武器を振りかざし、それぞれの相対する敵と戦っている姿がその人影の正体だった。
傷を受けた兵士から零れた血が大地を朱に染め、躯となった体が次々と積み重なっていく。
そんな血にまみれた彼らを飛び越すように、此方の常識では起こりえない現象、火球や電光や吹雪や竜巻といった魔法的な現象が、弓矢に混じって飛び交っている。的になっているのは双方の陣であろう。
攻撃が当たる度に爆音や破壊音が響き、少し遅れて多数の悲鳴が上がる。巻き上がった爆風に紛れて見える幾つもの黒い塊は、嘗ては人間であったモノのなれの果てだ。
受けた衝撃が大きすぎたのか、男性はうめき声すら上げずに茫然と映像に見入っている。いつの間にか股間が曝け出されているが、男性がソレに気付いた様子はない。
だが女性はそんな男性の恰好を気にする素振りも見せず、悠然と語り掛けて来た。
「見たな? コレが其方がこれから行く事になる世界の大雑把な様子じゃ。都市には命が満ち溢れる一方で、数日離れただけの土地であのように死と殺戮が当たり前の世界。この忌まわしい状況を変えるのが、其方に託される使命なのじゃ」
女性の言葉に理性を取り戻したのか、男性はその言葉に反射的に問い返していた。
「何故俺なんだ? なんであの世界の連中はあんな戦をしている? どうしてあそこまで自然の状態に差が出来る? 本当は俺に何をさせようとしている!」
状況を上手く呑み込めていないのか、男性の問いは次第にその声量を上げ、最後の方は叫び声になっていた。女性に掴みかかって行かないのが不思議なくらいの勢いだ。
そんな男性を優しい眼差しで見返すと、憂いを含んだ声音で説明を始めた。
「まず言っておかねばならぬが、其方は既に死亡しておる」
「俺が?」
想定外の内容に、男性の声は裏返っていた。
「覚えておらぬかの? 其方は事件に巻き込まれたのじゃ」
そう言われて男性は記憶を掘り返し始める。
「え~っと、確か俺は失業中でハローワークで求人情報を探してたはず。そんでいい仕事が見つからないんで諦めて帰ろうとして……」
そこまで口にしたところで、決定的な事実に突き当たった。
同じように仕事を求めてそこへ来て、望む仕事が見つけられなかった事に絶望したのか、包丁を両手に暴れる男性がいた事に。そしてその凶行から逃げようとして逆に男性に目を付けられ、幾度も斬りつけられ突き刺されてしまった事を。
「そっか…、俺、殺されちまってたんだ」
意外なほど素直に、男性は現状を受け止めていた。
「納得したかの。それで其方が選ばれた理由じゃが、このタイミングで死亡しており、尚且つあの状況に心から憤る事が出来るからじゃよ」
「俺以外にも候補がいるように聞こえるけど」
「確かに候補と言うならば、此方の世界で数万人おるの。じゃがこのタイミングの星の配置で向うへの転移、正確には転生じゃが、それを行える土地に居るのは、生憎と其方だけじゃ」
「ははは……、宝くじでは下から二番目すら当たらないのに、数万分の一の確率でご当選か」
この男性が一回につき何枚の宝くじを買っていたのか分からないが、下二桁を外しまくるとは、相当に運が悪いと言う他ないだろう。
男性の口から乾いた笑いがこぼれるのも当然かもしれない。
だが女性はそんな男性を無視して説明を再開する。彼女の方もそれほど時間的余裕がある訳ではなかったのだから。
「落ち込んでいる所を悪いが、話を続けさせてもらうぞ」
女性の説明によれば、あの映像の世界には数多の神々が存在し、見ての通りに魔法を始めとするファンタジー的な要素が幾つも詰め込まれている。人間、いわゆるヒューマノイドはヒト族を始めとして幾つかの種族が存在するが、その最大勢力がヒト族であることもゲームや小説での設定と同じだ。
だが最大の相違点は、国家、部族、集落ごとにそれぞれ異なる神を信仰しており、住人の多くがその土地を守護する神の加護の下にあるという事だ。言い換えれば、それなりの規模の集団の頂点にその土地の土地神が君臨しているような物かもしれない。
そしてほぼ全ての集団がこの世界の覇権をかけて争い、侵略した土地の住人を己の配下に組み込むか隷属させている事だ。
「神様主導で世界全体が戦国時代な訳か。そりゃ土地も人も荒む訳だ」
男性が納得したように呟く。だがそれに対する女性の答えは違っていた。
「残念じゃがそれだけではないの。神が己の信者と彼らが住まう土地に加護を与えるのは間違いではない。本来ならのそ代償として用いられるのは信者達から捧げられた信仰なのじゃが、あ奴らは事もあろうに他所の土地の恵みを奪ってソレに充てておる」
「なんだって」
男性が思わず目をむく。その説明が本当ならば、自分の土地が豊かになればなるほど他所の土地が荒廃していく事になる。
だが驚愕の事実はそれだけではなかった。
「神の加護を得ておるとはいえ所詮『人間』じゃ。支配領域の増減といった勢力図の変化は多少あるが、概ね膠着状態にあるといってよかろう。なにしろ神が直接手を下せる状況は限られておるでの。そこであ奴らは己の勢力拡大の為に一番単純で最悪な手段を執った。特定の『人間』に『勇者』や『英雄』といった強力な加護を与えて戦力としただけでなく、種族の、いや世界が進化する力までも消費して、己の配下の数を増やす事に利用しよった」
女性が憤懣やるかたなしといった風に語ると、周囲の空間が怯えたかのように歪む。彼女が発した見えざる力のせいだ。
その力に威圧されながらも男性は言葉を発する。
「お、おい。まさか、そんな事をしたら……」
男性の理解の早さに気を良くしたのか、女性から放たれていた力が霧散する。
「気づいたか? その通りじゃ。世界には生命が満ち溢れたが、それは無理やり増やした『人間』を強引に養おうとした結果にすぎぬ。そして種としての進化も文明の発展もないままに、既に二万年の歳月が流れておる」
「にまん、ねん、だと?」
あまりにも予想を超えた数字に、男性は目をむいている。
「二百や二千ではないぞ、二万じゃ。まあこのせいで言葉と文字と通貨が完全に統一されてしまったのは思わぬ副産物じゃな。コレの準備に想定以上の手間と時間を要したが、向うが後退の兆しだけは見せておらぬのは救いといえば救いじゃろうて」
驚愕の事実が男性の心を打ちのめす。
確かにファンタジー物では、魔法が存在する事で科学技術の発展が阻害されるとする作品が存在する。だがこのように魔法だけでなく神々までもが進化を阻害する要因というのは初めてだ。しかもその理由が勢力争いだという。
女性が言うように文化レベルは後退していないそうだが、それもいつまで続くか分かったものではない。
「それでは、自分がやらねばならない事は何でしょうか?」
男性の口調が畏まったモノに切り替わっていた。姿勢も同様に立ちんぼから跪くという相手を敬うモノに切り替わっている。
女性が神またはそれに等しい存在であると、ここまで来てやっと気が付いたからだ。
女性に向き直った男性の眼には、強い意志の存在を示す輝きが産まれていた。
ソレを女性も見て取ったのだろう。改めて居住まいを正すと、厳かな口調で語りだした。
「其方にアノ世界でやってもらいたいのは、アノ世界の神々が本来の仕事である世界の管理運営に戻るように仕向る事。神々の『人間』への干渉を制限し、増えすぎた『人間』の数を減らす事。この二つじゃ」
本来であればこのように停滞してしまった世界はリセットの為に大規模な自然災害を起こすのだが、あの世界では世界を管理する神々が停滞の状況を作り出してそれを改めようとしていない。それ故に外の世界から変化をもたらす要因を送り込まなくてはならないのだ。
「具体的に自分は何をすれば良いのでしょうか」
「うむ、あの世界の神々の意識を変えられれば一番なのじゃが、それはいくらなんでも無理が過ぎる。庇護下にある人間どもから働きかけようにも、あ奴らは程度の差こそあれ己の神に心酔しておるので困難じゃ。ならば神から人間への干渉を減らすか断ち切るしかない。
神が『人間』に干渉するには、神と繋がり語らう能力を持つ存在、『神官』が不可欠。故に『神官』を可能な限り減らしてほしい。
『神官』を根絶やしにできれば最良であるのは言うまでもないの。一旦神との繋がりが完全に断たれれば、その修復は容易ではないのがその理由じゃ。
そうやって陣取り合戦から脱落すれば、己の本来するべき役目を思い出すであろうて。
ついでに言っておくと、あの世界で己が庇護していた民との繋がりを完全に断たれて、ソレを回復できた神は一つとしておらぬ。
そしてもう一つじゃが、神との繋がりを断つことで間接的に実現可能じゃ。加護を大幅に減らすか失う事で出生数が抑えられるからの。より簡単に行いたくば、とにかく殺して殺して殺しまくる事じゃな。
妾としては其方に前者の手段を択んでほしい。後者の手段はあまりにも凄惨で、其方では気が重くなるのは間違いなかろうからの。
何しろ現状であの世界の『人間』の適正人口は十億そこらじゃというのに、千億を超えておるのでな」
「今度は99%削減ですか」
又しても出て来たとんでもない数字に、男性は反射的に呟いてしまっていた。呆れ果てていると言ってもいいだろう。口調が元に戻りかけているのがその証拠だ。
それにしても千億とはとんでもない数字だ。男性自身のいた地球でさえ、六十億は多過ぎではないかと言われている。
世界を進化させる力がどれ程のモノかは分からないが、それを消費してのアノ数字なのだと考えると、無駄に使われなければどれだけ文明が発達したか分からない。
だが同時に疑念も出て来た。
コレだけの事を成すならば、それに動員されるのが自分だけとは考えにくい。そして動員される数と状況次第ではあるが、自分の心が壊れて破壊と殺戮に酔ってしまう恐れがある。自分が殺人狂のようになるとは思いたくないが、そうなった姿を想像すると恐ろしくなる。
そんな男性の不安を読み取ったのか、女性は空かさず補足説明を入れて来た。
「心配するでない。今回この世界から送り込まれるのは其方一人だが、総勢で千の世界からあの世界を改変するための人員が送り込まれる。其方は最終の第三人陣三百人の一人じゃ。そして送り込まれる人員には、それなりの処置が施される。暴走の防止もそのひとつじゃ」
送り込まれる人員は世界の改変を担う役目を負わされている。それも現行の支配体制を打ち破る形で。それ故に最低限の戦闘技能に言語と一般常識に関する知識は勿論、この役目を担うに相応しい特殊な能力が付与される事になっていた。
ただこの能力、ちょっとばかり名前に問題があった。
「特殊スキル『魔王』、ですか?」
とんでもない話を何度も聞かされてもう慣れたと思っていた男性だが、又しても想定外な名称に面喰ってしまっていた。
「済まぬな。これは妾とは関わりない所で決められたモノでの」
返す女性も申し訳なさそうだった。
特殊スキル『魔王』。これは幾つかの様式をとる世界において、外部からの介入によって世界を改変するために送り込まれる要員たちに付与される能力群の名称である。
このスキルが作り出された時、最初はもっと穏便な名称が候補に挙がっていた。
だがこのスキルを付与された存在が送り込まれるような状況では、現地を管理運営する神々の行動に問題がある。そうなれば送り込まれた要員たちの行動は、間違いなく現地の神々に対する反抗といった形で認識されるであろう。
ならば始めからそういったニュアンスを含んだ名称にしてしまえ、という事でこの名前にになったらしい。
「基本的には肉体を最盛期の状態に若返らせた上で、『不老』と『身体能力強化』と『回復力強化』と『再生』の四つが付く。改変にどれ程の時間を要するか分からぬからの。都合が良いように聞こえるかもしれぬが、寿命で死ぬ事が無く、他のよりもいくらかマシな体を得て、怪我や病気や疲労からの回復が早く、生きておれば失った部位も復元される、それだけじゃからな。努々油断するでないぞ。
これに送り込まれる世界に合わせたスキルを『魔王』用に調整して追加する。今回送り込まれる世界はとりわけ『人間』が過剰じゃ。よって『不妊』が更に追加される」
「『不妊』ですか。色に堕ちる人が出そうな能力、というか制約ですね」
男性が不安そうに言うが、女性は一向に気にしていなかった。
「色に堕ちるなら堕ちればよい。その場合は淫魔か色魔として周囲に認識されるじゃろうて。『魔王』の面目躍如ではないか。それに周りの異性を巻き込んで色に堕ちてくれれば、それだけ現地の戦力を削る事になるではないか」
意外とこの女性は強かなのかもしれない。
女性はニヤリと人の悪い笑みを浮かべたが、直ぐそれを真面目な表情に戻す。どうやら時間が押し迫ってきたようだ。
男性の足元に魔方陣が浮かび上がり、それが輝きだしたからだ。
「いい加減に時間のようじゃの。妾の土地の子に嫌な仕事を押し付けてしまうという事で出張ってきたが、それも此処までのようじゃ。
まだ伝えねばならぬ事が残っておるが、ここまで説明した事も含めて知識として焼き付けて置くので案ずるでないぞ」
「申し訳ありません。最後に貴方様のお名前をお聞かせ願えないでしょうか」
足元からの光に包まれながら、男性は女性、いや女神に懇願していた。
故郷の世界との最後の別れに、それに立ち会ってくれた女神の姿と名を心に焼き付けて置きたくなったのだ。自分が何者であるかを忘れない為に。
男性の心を読み取ったのであろう、女性は自愛のこもった表情で男性の問いに答えた。
「妾の名はククリ。ククリ姫とも呼ばれるが、其方には白山比咩神と言った方が通りが良いかの」
白山比咩神。または菊理姫神。霊峰白山におわす女神で、基本的には山の神で農耕を司る神とされる。
神話での出番は少ないが、その数少ない出番では重要な役割を担っている。
それは黄泉の国から逃げ出すイザナギ神とそれを追ってきたイザナミ神が黄泉平坂で言い争いをした際、黄泉平坂の番人と一緒に間に立って双方を取りなした件がソレだ。
国生みと神生みに携わった、いわば日本神話の祖神ともいうべき二柱の間に立てるのだ。相当に高い神格をもつ女神とも言える。
見方を変えれば、常世と現世の間に立った柱であるからこそ、この場に出て来たとも取れなくはない。
「ここまで色々と有難うございました」
立ち上がった男性は深く頭を垂れ、感謝の意を示していた。自分の地元に関係する女神と聞いていたが、そこまで格が高い女神に見送ってもらえるとは予想すらしていなかったからだ。
「行くがよい、日ノ本の子よ。そして其方に託された任を全うするのじゃ」
菊理姫神の声に送られて、男性は異世界へと旅立って行った。