死は大きくて、なんでも吸い込んでしまうような広さがあって、きれいな青色をしている。
死は大きくて、
なんでも吸い込んでしまうような広さがあって、
きれいな青色をしている。
母が死んだ。
ある日突然、坂を転がり落ちるように。
なんの前触れもなく、
元気にしていたはずの人が、
すっぽりどこかに消えてしまって、
色の褪せた、セミの脱け殻みたいなものが、ごろんとそこに残されている。
家族は母から三本線を引くように、三角形に繋がっている。
家で家族と話すことが、旅行をするより、休むより、好きな人だった。
いつも家族を心配して、家を家族を守ってくれた。
夫婦仲は良好、いつだって嫌味を言い合ってじゃれ合うような関係だった。
仕事をしながら、家を切り盛りしてくれた。
病院のくすんだ白。
母はもう少し白いシーツのストレッチャに横たえられていた。
十歳も老けて見える姿は、どこも悪いところなど見えやしない。
その代わり、目元のシミが目についた。
窓の空は、雲に彩られた青だった。
ロマンチストな文章屋は、これがありふれた悲劇であることを知っていた。
最低な人間は、親孝行を「できなかったと悔やむもの」だと考えていた。
年齢だけ重ねた子どもは、前触れもなく襲う死がこの世にあると分かっていた。
空っぽな理屈屋は、その病で助からない容態になったと聞いて、迎える結末に納得した。
気取り屋なリアリストは、呼吸器を止めると決まったときに、彼女の死を受け入れた。
知って、考えて、分かって、納得して、受け入れて、
ただ悲しいがために涙した。
こらえた涙が鼻から垂れた。
生物学的に、鼻水は涙と同じ液体らしい。
いい歳こいた洟垂れ小僧だ。
五月三十日の午後三時。
昔から月末は嫌いだった。
時間の流れが早いことを感じさせるから。
昔から午後三時は嫌いだった。
夕方が近いことを知らせる時間だから。
梅雨は嫌いだ。雨は嫌い。
梅雨を過ぎれば、私の好きな夏が来る。
暑いのは嫌いだったけれど、空が一番青いから。
遺体に思い入れはない。
その面差しが、ただ悲しい。
葬儀とは、本人にさえ突然訪れた死を、受け入れてもらって安らかに眠ってもらうために。
私たちが母の死を整理して、受け入れて、身なりを正して送るために。
火葬で弔うのは、母が亡骸に縛られることのないように。正しく自然に還れるように。
煙に乗って空に、そしてその先に昇れるように。
その空が晴れていることを、今は願う。
私は文章屋です。
口に出してなにかを表現することは、まったく苦手で、会話なんてもってのほかです。
でも、私は文章屋です。
別にそれで売り出すことも、多くの人に読んでいただけるような実力もありません。
それでも、文章屋は、自分を文章にするべきで、私にはそれができて、そしてそれこそがふさわしいと感じています。
この出来事は、絶対に文章に仕上げなければならないと、心から思います。
大昔の弔いは、物語を語り継ぐことでした。
だから、これが文章屋なりの弔いです。
ありがとう、さようなら。
またいつか。