第1話:運命の出会い(※ただし相手は王子様ではありません)
豪華絢爛な彫刻が施された白亜の回廊に、新緑の風が吹き抜けていく。 今日から始まるのは、王立魔法学院の入学式。着慣れない制服に身を包んだ新入生たちが、期待と緊張に胸を膨らませて行き交っていた。
そんな華やかな喧騒から少し離れた窓辺で、私——エリザ・フォン・クラリスは、冷や汗を流しながら己の悲惨な運命に絶望していた。
(……思い出しちゃったのよね。前世の記憶を……!)
公爵家の令嬢として何不自由なく育てられた私が、前世で愛読していた乙女ゲーム『ルミナス・ファンタジア』の悪役令嬢その人だと気づいたのは、つい数日前のことだった。
ゲームにおけるエリザは、高慢ちきで高飛車な公爵令嬢。 平民出身のヒロインを虐げた末に、ゲームの終盤で豪華絢爛な男攻略対象(王子や騎士たち)によって国外追放に処されるという、惨めな破滅エンドが待っている。
(絶対に嫌! 追放なんてお断りよ! 私は平穏で優雅なスローライフを送るの!)
破滅フラグを回避するための条件は至極明快。
【ヒロインと男攻略対象たちの恋愛イベントには一切関わらず、遠くから生温かく見守るだけにする】。
今日、まさにこの廊下で発生するのが、記念すべきゲームのオープニングイベントである。 平民特待生として入学したヒロインが、慣れない革靴で足を滑らせて転びそうになり、それを通りかかった第一王子エドワード様が華麗に抱きとめる——乙女ゲー名物・限定イベントスチル『廊下の運命の出会い』だ。
「よし、エドワード様がヒロインを助けて、いい雰囲気(イベント発生)になるのを確認したら、私は何事もなかったように立ち去りましょう」
柱の陰からこっそりと廊下の様子を伺う。 予想通り、廊下の向こうから眩しい金髪をなびかせた第一王子エドワード様が、キザな笑みを浮かべて歩いてくるのが見えた。王道の「俺様・イケメン王子」属性そのままだ。
「——きゃっ!?」
ついにその時が来た。 角を曲がってきた可憐な桃色の髪の少女——本来のヒロインであるマリア・ローズちゃんが、床の段差につまずいて盛大に姿勢を崩す。
「危ない、可憐な乙女よ——!」
エドワード王子がキザなセリフとともに華麗に手を伸ばす。 完璧なタイミング、完璧なアングル。ゲーム画面で見たイベントCGそのままの光景のはずだった。
——しかし。
(あ、あの靴の滑り方……! そのまま倒れたら、壁の鋭い装飾に頭をぶつけちゃうじゃない!?)
前世で重度の百合好きオタクだった私の身体は、王子様よりも、そして自身の思考よりも早く動いてしまっていた。
「——っ、危ないわ!」
ドレスの裾を翻し、猛然とダッシュ。 キザに手を伸ばしていたエドワード王子の横を凄まじい速度で通り抜け、私は倒れ込むマリアちゃんの身体をすんでのところでしっかりと腕の中に受け止めた。
ふわり、と甘いお花のような香りが鼻腔をくすぐる。 抱き留めた身体は驚くほど小さく、羽毛のように柔らかい。
「ふぅ……! 間に合ったわ……怪我はないかしら?」
「あ……っ……」
腕の中で、マリアちゃんがパチパチと大きな瞳を瞬かせている。 桃色のふわふわした髪に、まるで小動物のような可愛らしいお顔。実物のヒロインは、ゲームの立ち絵の100倍可愛い。
「……え?」
そして、空を切った手のまま固まっていたエドワード王子が、呆然とした声を漏らした。
「え、エリザ……? なぜ君がここに……? いや、それより私がいま助けようと……」
「あら、エドワード様。お騒がせして申し訳ありませんわ。ご覧の通り、この生徒さんが怪我をしないよう保護いたしましたので、どうぞお気になさらず」
私は悪役令嬢らしく、すっと背筋を伸ばしてツンとすました態度をとってみせる。 (よしっ! これで王子様に手柄(?)は譲れなかったけれど、関わり合いにならない態度は示せたわ!)
……しかし、私が胸を撫で下ろしたその瞬間だった。
「あの……っ……!」
腕の中から、細く震える声が聞こえた。 見下ろすと、マリアちゃんがぽっと頬を林檎のように真っ赤に染め、うるうると潤んだ瞳で私を見上げていた。
彼女は小さく震える手で、私の制服の袖口をキュッとつまんでいる。
「た、助けてくださって……ありがとうございました……! あの、私……お名前を伺ってもよろしいですか……?」
「え? あ、ええ。私はエリザ・フォン・クラリスよ。……その、急に抱きとめたりして驚かせてしまったわね。失礼したわ」
あまりの可憐さに毒気を抜かれ、思わず声が優しくなってしまう。 するとマリアちゃんは、ぱあっと花が咲いたような眩しい笑顔を浮かべた。
「ううんっ! 全然嫌じゃありません! すごくカッコよくて……私、抱きしめられたとき、胸がドキドキして……っ」
「っ……!? ど, ど、ドキドキ……?」
「はい! まるで絵本に出てくるお騎士様みたいでした……! あの、厚かましいかもしれないのですが……エリザ様とお呼びしてもよろしいでしょうか……?」
上目遣いで、おずおずと、でも一途な瞳で見つめてくるマリアちゃん。 その破壊力たるや、まさに超弩級。
(か、可愛すぎる……!! なにこの生き物、保護したい……!!)
「ま、待ちなさいマリア」 完全に蚊帳の外に置かれていたエドワード王子が、慌てて間に割り込もうとする。 「君を最初に気遣ったのは私だ。何か困りごとがあれば、この私に——」
「あっ、すみません王子様。私、エリザ様とお話し中ですので、少し下がっていただけますか?」
マリアちゃんは王子様に向かってぺこりと頭を下げると、すぐさま私の方へ向き直し、ぎゅっと私の手を両手で包み込んだ。
「エリザ様……私、学園のことが何も分からなくて不安だったんです。知識もなくて……でも、エリザ様にお会いできて……本当によかった……♡」
「あ……う、うん……?」
第一王子のキザな申し出を秒で冷たく辞退し、私にだけとびきりの甘い笑顔を向けるヒロイン。 背後でエドワード王子が「え……? 私、秒で拒絶された……?」とショックを受けて固まっているけれど、今の私にはそれを気にする余裕などなかった。
(ちょっと待って……! 本編の攻略イベントが完全に粉砕されて、私との百合CGに上書きされてるじゃないのーーー!?)
こうして、私の「破滅フラグ回避計画」は、王子様を置き去りにしたまま、静かに、そして激しく甘い百合ルートへと舵を切り始めたのだった——。




