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得意技は殴打、必殺技も殴打  作者: 加賀月こんや
PART4 竜の棲む地にて

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影響





 黒竜の死。その影響が現れ出したのは、その翌日からだった。


 日中から街中で生活する商売や護衛をする亜人たちには落ち着かない空気が広がり、そこかしこで話し合う様子が見られる。

 夜が来ると、異変はさらに顕著だった。街へと羽目を外しに来る兵士たちは武器を携帯し、平時の呑気さも無い。むしろどこか刺々しい空気を纏う。


 酒場もまた、その影響は逃れなかった。明らかに客足はまばらで、普段であれば満席の座席は半分ほどしか埋まっていない。


「……何か、あったのでしょうか?」


 そんな疑問をぽつりと口にするのはウルである。

 未だ何も知らぬ少女は、しかし空気の変化を敏感に感じ取り、何かが起こっていることに感づいていた。


「たいしたことではないよ。それよりもまだ、私のために唄ってくれるつもりはないのか?」

「ええと、ごめんなさい。あれは黒竜様に捧げる演奏ですので……」

「むぅ。……ま、よかろう」


 自分よりも僅かに背の低いウルを膝抱きにして上機嫌にするのは、翼や角を魔法で隠蔽し、すっかりと人間になりすましたアルマである。

 竜の巨体では不可能だったウルの猫可愛がりを実現してご満悦の様子だが、当のウルからは『また変な人が増えた……』と引き気味に対応されていることには気づけていない。もっとも、気づいたところでアルマは気にしないのかもしれなかったが。


 そんな時、入店してきた人影がある。

 見覚えのあるその姿に、ウルは思わず声をかけた。


「あ、シリウスさん……」


 そして言葉に詰まった。

 シリウスは明らかに普段とは異なる、張り詰めた空気を発していた。そしてその剣呑な雰囲気のままに、まっすぐにこちらへと向かってくる。


「……あのう?」

「……単刀直入に聞く」


 向かいの席に腰掛けたシリウスは迷いを乗せた目をウルに向け、酒も頼まずに話を切り出す。


「あなたが、やったのか?」

「えっ? な、何を……?」


 戸惑うウルに、シリウスは静かに激昂した。


「……知らぬふりはやめていただけますか。あなたが竜神様を、……たのですか」

「だ、だから……なんですか、本当に? いったい、何のことを話しているのですか?」

「まだ、シラを……ッ」


 シリウスはウルを真正面から見つめた。そして返ってきた純粋な戸惑いの視線に一瞬だけ呆け、そしてどこか諦めたように笑う。


「……私はこれでも、狼の血族の末裔。嘘を見抜くのは得意なつもりです。ええ、あなたが嘘をついていないことくらいはわかります。……あなたでは、ありませんでしたか」

「……だから、何の」


 未だ戸惑うウルに、シリウスは苦笑を向ける。


「もちろん……竜神様が身罷られたことに関してですよ、ウル様。ご存知なかったのですね」

「えっ……?」


 混乱がウルの頭の中を支配する。……死? あの黒竜が? 空を、全てを統べる竜神が?

 ウルは引き攣った笑みを浮かべる。


「じょ、冗談はよしてください。そんなことがあるわけ……」

「私もまだ信じられません。何度も真偽を確認しました。ですが……実際に見せられては、疑うこともできません」

「実際にって……」


 シリウスは小さな魔道具を取り出した。軍用の投影機だ。

 目の前に映し出されるのは、岩肌に身体を横たえた黒竜の姿。山肌から削り出された彫刻のように静かなその姿からは、近づくことすら叶わなかった威圧は失われ、暴風のごとき生命力の息吹はその欠片すらも感じられない。


 飛翔する黒竜の姿を知るものからすれば、その映像から一目で分かる────ここに映っているものが、魂なき骸であると。

 それはウルにも、例外ではなかった。


 衝撃を受けるウルに、興味無さげに映像を見つめるアルマ。

 シリウスは声を潜めて言った。


「……もう、話は漏れ出してヒトの間にすら広がっています。あなたが何かを知っているはずだと思い、ここに来ましたが……見当違いでしたか」


 シリウスの悲嘆とも自虐とも取れない横顔からは、嘘を吐いているようにはとても思えない。

 ……足元が崩れ落ちるような気分とは、こういうものなのだろうか。視界がひどくぐらぐらとして、気持ちが悪かった。


「ふむ、どうしたウルよ?」


 どこまでも平静なアルマの視線がこちらを覗き込む。その瞳孔が縦に割れていることに、ウルは今更ながらに気がついた。


「どうした、って……竜神様が、死んだ、って……アルマさんは何とも、思わないのですか?」

「まあ、特には。そも、私は知っていたしな」

「えっ……」


 驚愕に二の句の告げないウルに、アルマは不思議そうに、本当に不思議そうに問いかけてきた。


「……いったい、何に戸惑っている? 黒竜がこれまで、お前に何かをしてくれたわけでもなかろう?」

「……それは」

「竜とて生物、死す時はいつか来る。それだけのことに過ぎない。お前が心を乱す必要などないのだよ。そうではないか?」


 そう告げられたウルはアルマの言うことを理解しながらも、自分の中で迸る激情と奇妙な安堵感に説明をつけられずにいた。

 辿々しく、それを言葉にする。


「……わたし、生きてて良かったなって思ったこと、あんまり無いんです」

「む?」

「生まれたときから私は特別で、でも、特別な役目を果たす力なんて持ってなくて。だからずっと、嘘をつくのが私のお仕事でした。お母さんから教えられた嘘のつき方を、神官のおじいちゃんたちを相手に繰り返して。たぶんバレてるってわかってるのに、聞いてみる勇気もありませんでした」


 何の話だかよく理解できていないアルマを尻目に、独り言のようにウルは言葉を吐き出す。


「これからもずっとこれが続くんだって、このままいつか大人になって、自分の子どもにも嘘のつき方を教え込んで……ずっとずっと、そう思ってました」

「よ、よくわからないが……これからはその必要も無いのだろう?」

「ええ、そうです」


 戸惑うアルマに、ウルは答えた。

 言葉にしてようやく、自分を理解できた。


「これで私にはもう、何も無くなりました。役割も、嘘をつく必要も、存在意義も、全て。……私、悪い子ですね。悲しくないんです。すっきりしました。空っぽなのに中身があるって言い張り続けるの、気持ち悪かったんです、ずっと」


 そう言って笑うウルに、アルマは何も言えなかった。

 重荷を背負っていたと、それを下ろして楽になったと、ウルはそう言う。だがそれが喜ばしいことのようには、未だヒトをよく知らぬアルマにすら思えなかった。否、むしろ、それは忌避すべきものだという確信すらあった。

 なぜならウルの抱くそれは、黒竜が抱いていたものとどこか同質の────。


「……ご一緒していいか?」


 そんな奇妙に緊張感の漂う空気を破ったのは、くたびれた男の声だった。


「……ジャック」

「つーか勝手にお邪魔する。いいだろ? ……あれ、というか嬢ちゃん、あんたは知らない顔だな。初めてだよな?」

「その通りだな人の子よ。アルマと呼ぶがいい」

「人の子て……まあいいや」


 ジャックは疲れた表情のままシリウスに向き直る。

 黒狼の獣人は、憮然とした態度で問いかけた。


「何をしに来たのだ、貴様は」

「会いに来たんだよ、お前に」


 シリウスの表情は見ものだった。困惑と羞恥と怒りが複雑に入り混じった、なんとも器用な表情で口をもごもごと動かす。だが、次の瞬間にはジャックの表情から何かを察したのか、急速にその表情を冷やした。

 静かに問いかける。


「何故だ?」

「もう、会えなくなるかもしれんからな」


 ジャックはまっすぐにシリウスの視線を捉えた。


「上っ面を隠しててもしょうがないから言うが、ヒト側も何が起こったのか、もう分かってる。で、だ……気まずい状況だろ? こうなっちまえば」

「……フン。そうだな。そうならざるを得まい」

「お互い、あとどのくらいこの街に顔を出せるか分かったもんじゃない。早いうちに会っときたくてな」

「私は別に、その必要を感じないが」

「そう言うなよ、相棒」


 ジャックが宥めながら杯を差し出す。


「一杯だけ、な?」

「一杯だけ、だ」


 シリウスは嘆息し、やれやれと言わんばかりの表情でそれを受け取った。


 ゆっくりと、ぽつりぽつりと話をしながら二人は杯を傾けていく。

 それでもたったの一杯、飲み干すのにそう時間はかからなかった。小さな音を立てて杯を置き、一息ついたジャックは外套を手に立ち上がる。


「……もう行く。すまないな、早めに戻って来いと言われてるんだ」

「勝手にしろ。行ってしまえ」


 シリウスが手で追い払うと、ジャックは苦笑した。


「……全部が俺の勘違いだったなら、それがいい。まだ何が決まったわけでもない。また一緒に飲めるだろうし、だから、……またな」

「……ああ。またな」


 青年の姿は振り返らず、そのまま酒場から出て行った。

 シリウスは無言でその後、一杯だけ酒を注文して飲み干す。そして十数分前の幻影を追うように、酒場から出て行った。


 そうして残された、その場に居合わせただけのウルがぽつりと呟く。


「ねえ、アルマさん」

「なんだ?」

「さっき私、竜神様が死んでしまっても悲しくないって言いました」

「そうだな」

「たぶん、違いました」

「ほう?」


 アルマがウルの瞳を覗き込む。そこには先ほどの、どこか虚脱したような色は無い。けれど何か、アルマにはまだ理解し難いものが渦巻いていた。


「……誰かが死んでしまうことは、悲しいことです。あたりまえに。だって死んでしまえば、その人に関係する繋がりが壊れてしまいますから。竜神様だってきっと、それは同じことで……私はそれが、悲しいみたいです」

「……」


 アルマは頷くことも否定することもできない。ただ、腕の中の小さな身体を、少しだけ強く抱きしめてみる。

 暖かかった。














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