第7話 「見えてはいけない数字」
夜。
オフィスの明かりは、ほとんど落ちていた。
残っているのは、数人だけ。
その中に、蓮たちもいた。
「こっち」
中原が小さく手招きする。
向かったのは、経理室の奥。
普段は施錠されているエリア。
カードキーをかざすと、静かにロックが外れる。
「入って」
三人は中に入る。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
(……ここが本丸か)
部屋の中は、思ったよりも普通だった。
デスク。
書類棚。
パソコン。
だが、その“普通”が逆に不気味だった。
「これ」
中原が、一台のPCの前に座る。
迷いなく操作する。
いくつかのフォルダを開き。
そして。
「これが、実データ」
画面をこちらに向ける。
蓮と佐伯が、同時に身を乗り出す。
表示されているのは——
月次の資金繰り表。
だが。
(……ひどいな)
思わず、そう思う。
数字が、崩壊している。
入金より、出金が多い。
その差は、月を追うごとに広がっている。
「これ、どこまで持つんですか」
佐伯が呟く。
中原は、淡々と答える。
「今週いっぱい」
即答だった。
空気が、凍る。
「……終わってるじゃないですか」
佐伯の声が、わずかに震える。
「だから言ったでしょ」
中原は表情を変えない。
「もう終わり」
その現実が、数字として突きつけられる。
蓮は、画面から目を離さない。
(これが、“本当の数字”)
小野寺の言葉が蘇る。
——値段を決めるのは、情報を持ってる側だ。
「まだある」
中原が言う。
さらにフォルダを開く。
そこにあったのは——
「……これは」
蓮の目が細くなる。
「二重帳簿」
中原が言う。
「外向けと、内向け」
並べて表示される二つのデータ。
一目で分かる。
“別物”だ。
「ここまでやるか……」
佐伯が苦笑する。
だが、その顔は笑っていない。
「上は全部知ってる」
中原が静かに言う。
「そして、続けてる」
延命。
それだけのために。
数秒、誰も言葉を発しない。
ただ、数字だけがそこにある。
そのとき。
「……ん?」
蓮が、小さく声を漏らす。
一つのファイルに、目が止まる。
「これ、何ですか」
中原が画面を見る。
そして、ほんのわずかに眉をひそめた。
「……それは」
クリックする。
開かれたファイル。
そこにあったのは——
社員のリスト。
名前が並んでいる。
だが、普通の名簿ではない。
横に、記号がついている。
「A、B、C……?」
佐伯が呟く。
中原は、ゆっくりと言った。
「選別リスト」
空気が、一気に冷える。
「……選別?」
蓮が聞く。
中原は頷く。
「残す人間と、切る人間」
そのままの意味。
「Aは確保対象」
「Bは様子見」
「Cは——」
一拍。
「切る」
言葉が、重く落ちる。
佐伯が、無意識に一歩引く。
「ふざけてるだろ……」
だが、誰も否定しない。
否定できない。
現実だから。
蓮は、無言でスクロールする。
名前が流れていく。
見知った顔。
何度も話した相手。
その横に、無機質な評価。
(人を、値段で見てる)
いや——
それ以上だ。
(切る前提で見てる)
そのとき。
蓮の指が、止まる。
「……これ」
画面の一点。
二人も視線を向ける。
そこにあった名前。
「佐伯……お前」
A。
確保対象。
佐伯が、固まる。
「……は?」
自分の名前を見つめる。
「なんで……」
意味が分からない、という顔。
「営業だからでしょ」
中原が冷静に言う。
「数字持ってる人間は、価値がある」
合理的な判断。
だが、それは——。
「じゃあ……」
佐伯の声が、わずかに震える。
「助かるってことか?」
その問いに、中原は首を横に振る。
「違う」
はっきりと言う。
「“使われる”だけ」
その一言で、全てが変わる。
佐伯の表情が、歪む。
「……クソが」
低く吐き捨てる。
蓮は、何も言わない。
ただ、スクロールを続ける。
そして。
「……中原」
名前を呼ぶ。
中原の名前。
その横。
「C……」
切る対象。
一瞬だけ、沈黙。
だが、中原は表情を変えない。
「知ってた」
あっさりと言う。
「だから動いた」
納得のいく理由。
そして——。
「神谷は?」
佐伯が聞く。
蓮は、画面を見つめる。
自分の名前を探す。
すぐに見つかる。
その横に書かれていたのは——
「……B」
様子見。
どちらでもない。
中途半端な位置。
「微妙だな」
佐伯が言う。
「一番、動きづらい」
その通りだった。
だが——。
(都合はいい)
どちらにも転べる。
それは、武器になる。
そのとき。
中原が、ふと動きを止める。
「……待って」
画面を拡大する。
一つの列に、注目する。
「これ……何?」
そこには、小さなチェックマーク。
一部の名前にだけ付いている。
「こんなの、さっきなかった」
中原の声が、わずかに揺れる。
嫌な予感。
蓮は、静かに言う。
「更新履歴は?」
中原が操作する。
ログを開く。
そして——
「……今」
空気が、凍りつく。
「さっき、更新されてる」
誰かが。
今、この瞬間も。
このデータにアクセスしている。
「……見られてる?」
佐伯の声が、低くなる。
その可能性は高い。
いや——。
(ほぼ確定だな)
蓮は、ゆっくりと周囲を見る。
静かな部屋。
閉ざされた空間。
だが——
どこかに“目”がある。
そのとき。
中原が、もう一つの情報を開く。
アクセスログ。
ユーザー名が表示される。
三人が、同時にそれを見る。
そこにあった名前。
「……部長」
空気が、完全に止まる。
だが——
その下に、もう一つ。
見慣れないID。
「これ……誰?」
佐伯が言う。
中原は首を振る。
「分からない」
だが、そのIDには——
直近で、何度もアクセスしている記録。
しかも。
「社内端末じゃない」
中原の声が低くなる。
「外部から」
その意味は、一つ。
「監視役……」
誰かが、外から見ている。
そして——
社内にも、協力者がいる。
そのとき。
——カチャ。
小さな音。
三人が、同時に振り向く。
ドアの方。
誰かが、外にいる。
気配。
息を潜める。
数秒。
沈黙。
だが——
足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。
完全に消えるまで、誰も動かない。
やがて。
佐伯が、小さく呟く。
「……今の、誰だよ」
答えはない。
だが。
(いる)
確実に。
この中に。
“監視役”が。
蓮は、ゆっくりと息を吐く。
そして、静かに言った。
「時間がない」
二人を見る。
「急ぎます」
状況は、最悪に近い。
だが——。
同時に。
(面白くなってきた)
そんな感覚が、どこかにあった。
もう、止まらない。
止まる気もない。
ゲームは——
完全に、始まった。




