第6話 「交差する視線」
午後。
オフィスの空気は、わずかに張り詰めていた。
理由は単純だ。
——呼び出し。
午前中に数人が部長に呼ばれ、そのまま戻ってきていない。
誰も口には出さない。
だが、全員が気づいている。
(始まってるな)
蓮は、画面を見つめたまま思う。
数字は動いている。
だが、それ以上に——
人が、動いている。
「神谷」
不意に呼ばれる。
顔を上げると、佐伯が立っていた。
「ちょっといい?」
軽い調子。
だが、目は笑っていない。
「いいですよ」
蓮は席を立つ。
向かった先は、給湯室。
人気のない場所。
ドアが閉まる。
音が、遮断される。
数秒の沈黙。
先に口を開いたのは、佐伯だった。
「さっきの、嘘でしょ」
直球。
蓮は、一瞬だけ視線を逸らし。
すぐに戻す。
「何のことですか」
とぼける。
佐伯は、小さく息を吐いた。
「やっぱりか」
確信した顔。
逃げ場はない。
「……何が言いたいんです」
低く返す。
佐伯は、少しだけ近づく。
声を落とす。
「この会社、もう無理だよ」
断言。
迷いがない。
蓮は何も言わない。
ただ、聞く。
「資金、回ってない」
「——」
「支払い、止まり始めてる」
そこまで知っている。
思った以上だ。
「どこから聞いたんですか」
自然に探る。
佐伯は苦笑した。
「聞いてないよ」
そして。
「見てる」
短く言う。
「営業やってれば分かるでしょ」
確かに。
取引先の反応。
入金の遅れ。
微妙な空気。
現場は、嘘をつかない。
「……それで?」
蓮はあえて淡々と聞く。
佐伯は、一瞬だけ迷い。
そして言った。
「組まない?」
空気が、変わる。
「組む?」
「情報、集めてるんでしょ」
完全に見抜かれている。
蓮は、わずかに笑った。
「何の話ですか」
最後の抵抗。
だが、佐伯は引かない。
「さっきの顔」
指で軽く示す。
「“知ってる側”の顔だった」
麻衣の言葉が、頭をよぎる。
——気づいてる側でいて。
(厄介だな)
だが。
(使える)
その判断も同時に下す。
「……組んで、どうするんです」
問い返す。
佐伯は即答しない。
少し考えて。
「生き残る」
それだけ言った。
シンプルで、正しい。
だが——。
「方法は?」
踏み込む。
佐伯は、少しだけ笑った。
「それを考えてるんでしょ、あんたが」
役割の押し付け。
だが、的外れではない。
蓮は、数秒黙る。
その沈黙を、佐伯は待つ。
焦らない。
(いい性格してる)
結論を急がないタイプ。
信用はできないが、軽くもない。
そのとき。
——コンコン。
ドアがノックされる。
二人とも、同時に視線を向ける。
「入っていい?」
女性の声。
ドアが開く。
入ってきたのは——
経理の中原だった。
普段は目立たない存在。
物静かで、感情を表に出さない。
だが今は——
はっきりと、二人を見ていた。
「……何してるの?」
静かな問い。
だが、逃げ場はない。
「ちょっと雑談」
佐伯が先に答える。
中原は、数秒沈黙し。
そして、言った。
「嘘ね」
空気が凍る。
「聞こえてた」
短く言う。
心臓が、一瞬だけ強く打つ。
(まずいな)
だが、中原の次の言葉は——
予想と違った。
「私も入れて」
——は?
一瞬、思考が止まる。
「……どういう意味ですか」
蓮が聞く。
中原は、ゆっくりとドアを閉める。
逃げ道を、自分で断つ。
そして。
「この会社、もう終わり」
佐伯と同じ言葉。
だが、重みが違う。
「数字、全部見てるから」
経理。
それは——。
(本丸だ)
蓮の中で、何かが一気に繋がる。
「どこまで知ってるんです」
声が低くなる。
中原は、迷わず答える。
「全部」
即答。
「粉飾も、資金も、借入も」
そして。
「隠してる資料の場所も」
その一言で、空気が完全に変わった。
佐伯も、言葉を失っている。
(当たりだ)
しかも、大当たり。
「……なんで、今まで黙ってたんです」
蓮は聞く。
中原は、少しだけ目を伏せる。
「関わりたくなかったから」
正直な答え。
そして。
「でも、無理になった」
顔を上げる。
その目には、覚悟があった。
「巻き込まれる前に、動く」
それは、防御ではない。
攻めだ。
数秒の沈黙。
三人の視線が交差する。
疑い。
打算。
そして——期待。
「……三人か」
蓮が呟く。
想定外だが、悪くない。
むしろ——。
(強い)
営業。
現場感覚の佐伯。
経理。
内部データの中原。
そして、自分。
ピースは揃い始めている。
だが。
「条件があります」
中原が言う。
視線が鋭い。
「主導は、あなたがやって」
蓮を見る。
「その代わり——」
一拍。
「絶対に失敗しないで」
重い言葉。
責任の押し付け。
だが、同時に信頼でもある。
蓮は、わずかに笑った。
「無茶言いますね」
「無茶じゃないと、生き残れない」
即答。
正論だ。
佐伯が小さく息を吐く。
「決まりだな」
逃げる気はないらしい。
蓮は、二人を見る。
選択肢は、もうない。
(使うか、切るか)
そして——。
(今は、使う)
結論は早い。
「分かりました」
短く言う。
「やりましょう」
その一言で、全てが動き出す。
中原は小さく頷く。
佐伯は、少しだけ笑う。
だが、その空気は——
決して明るくはない。
利害で繋がった関係。
いつ切れてもおかしくない。
(いい)
それでいい。
甘さはいらない。
蓮は、静かに言った。
「まずは情報の整理からいきます」
視線を二人に向ける。
「持ってるもの、全部出してください」
空気が、さらに引き締まる。
戦いは、もう始まっている。
しかも——
社内で。




