第17話 「選ばれない者」
「決めた」
その一言で——
空気が止まる。
顧客の視線が、ゆっくりと動く。
蓮へ。
そして、佐伯へ。
数秒。
その間が、やけに長い。
やがて。
「——今回は」
一拍。
「見送ります」
静かな声。
意味を理解するまで、わずかな時間がかかる。
「……は?」
思わず、佐伯が声を漏らす。
蓮も、わずかに眉を動かす。
(来たな)
予想の外側。
だが——
あり得る選択。
顧客は、ゆっくりと続ける。
「どちらも優秀です」
評価。
嘘ではない。
「だからこそ」
一拍。
「危ない」
その一言。
空気が、変わる。
「ここまで踏み込んでくる人間と組むのは——」
コーヒーに手を伸ばす。
「リスクが高すぎる」
合理的判断。
だが、それは同時に——
“拒絶”。
「今は、静観します」
結論。
席から、ゆっくりと立ち上がる。
「機会があれば、また」
それだけ言って——
去る。
残されたのは、二人。
沈黙。
完全な。
「……マジかよ」
佐伯が、小さく笑う。
乾いた音。
「どっちも負け、ってか」
皮肉。
だが——
違う。
蓮は、静かに言う。
「違いますね」
佐伯が、顔を上げる。
「もう決まってる」
一拍。
「別の場所で」
その言葉の意味。
佐伯の目が、わずかに細くなる。
理解する。
(試されてたのは、俺たちじゃない)
——顧客の方だ。
どこまで情報を引き出せるか。
どこまで踏み込んでくるか。
全部、見られていた。
そして——
“使える情報だけ持って帰った”。
「……やられたな」
佐伯が呟く。
悔しさよりも、納得が勝っている。
「ええ」
蓮も認める。
完全に。
「でも」
佐伯が、少しだけ笑う。
「収穫はあっただろ」
視線が、蓮に向く。
その意味。
分かる。
(あいつの“判断基準”)
そして——
(今、何を怖がっているか)
情報は、取った。
「十分ですね」
蓮が言う。
短く。
沈黙。
だが、その空気は——
さっきまでとは違う。
敵同士ではない。
かといって、味方でもない。
奇妙な距離。
そのとき。
佐伯が、ゆっくりと立ち上がる。
「次は」
一拍。
「負けない」
宣言。
だが、敵意はない。
純粋な競争。
蓮も、立ち上がる。
「ええ」
わずかに笑う。
「こちらも」
そのまま、二人は背を向ける。
別々の方向へ。
交わらないようで——
また、必ず交わる。
同時刻。
別室。
先ほどの顧客が、電話をしている。
「——ああ、終わったよ」
落ち着いた声。
相手は——
見えない。
「どっちも使える」
一拍。
「だから、両方外した」
合理的な判断。
「情報は取れた」
コスト構造。
内部データ。
判断スピード。
十分すぎる。
「で?」
相手が何か言う。
顧客は、少しだけ笑った。
「もう一社、当たる」
それが、本命。
「条件は揃った」
全て、整った。
電話を切る。
窓の外を見る。
「……いい駒だ」
小さく呟く。
使い方次第で、いくらでも化ける。
そう思っている。
夕方。
オフィス。
蓮は、席に戻る。
資料を置く。
結果は——
「失注」
だが。
麻衣は、顔色一つ変えない。
「で?」
短く聞く。
蓮は、淡々と答える。
「情報は取れました」
顧客の判断基準。
リスク許容。
意思決定の速さ。
すべて。
麻衣は、数秒考え——
小さく頷いた。
「OK」
評価は、それで終わり。
「次」
すぐに切り替える。
テーブルに、新しい資料が置かれる。
「こっち、取りに行って」
別の顧客。
さらに大きい。
蓮は、それを見る。
そして。
静かに笑った。
「了解です」
迷いはない。
失敗ではない。
次に繋げるだけ。
そのとき。
ポケットの中のスマートフォンが震える。
画面を見る。
知らない番号。
だが——
直感が告げる。
(来たな)
通話に出る。
「神谷です」
名乗る。
数秒の沈黙。
そして——
「さっきはどうも」
あの顧客の声。
だが。
トーンが違う。
低い。
慎重。
「一つ、確認したい」
空気が、変わる。
蓮は、何も言わない。
ただ、聞く。
「——あのデータ」
一拍。
「どこまで持ってる?」
その問い。
意味は明確。
さっきは“選ばなかった”。
だが——
今は違う。
(始まったな)
裏の交渉。
蓮は、わずかに笑う。
「どこまでだと思います?」
問い返す。
その瞬間——
ゲームは、もう一段深くなった。




