第16話 「再会の条件」
午後三時。
都内の高層ビル群の中にある、ガラス張りのラウンジ。
静かで、洗練された空間。
だが——
その空気の中に、わずかな緊張が混ざっていた。
蓮は、窓際の席に座っている。
テーブルの上には、資料が一式。
だが、それに目を落とすことはない。
視線は、入口に向いている。
(来るな)
約束の時間まで、あと二分。
相手は——
元の会社の大口顧客。
ここを取れるかどうかで、今回の“初仕事”の評価が決まる。
だが。
それ以上に。
(このタイミングで呼ばれるか)
わずかな違和感。
麻衣からの指示はシンプルだった。
「この顧客、今日中に押さえて」
それだけ。
だが——
“今日中”という期限。
そして、この時間。
(何か重なってるな)
直感。
だが、確証はない。
そのとき。
足音。
革靴の音が、一定のリズムで近づいてくる。
蓮は、視線を上げる。
入口から現れたのは——
見覚えのある顔だった。
「……久しぶりだな」
低い声。
スーツ姿。
少しやつれているが、その目は鋭い。
——佐伯。
時間が、一瞬止まる。
周囲の音が、遠のく。
「……驚きました」
蓮は、静かに言う。
表情は崩さない。
だが、内側では整理が走る。
(ここで来るか)
想定外ではない。
だが、早い。
「俺もだよ」
佐伯は苦笑する。
そのまま、対面に座る。
自然な動き。
だが、その距離感にはわずかな緊張がある。
「まさか、同じテーブルに座るとはな」
軽く言う。
だが——
軽くはない。
「偶然ですか?」
蓮が聞く。
佐伯は、少しだけ考え。
首を振った。
「いや」
否定。
「呼ばれた」
短い言葉。
それで十分だった。
(やっぱりか)
この商談。
ただの顧客獲得ではない。
「試されてるな」
蓮が言うと、佐伯は笑った。
「お互いな」
同意。
そのとき。
「お待たせしました」
声が入る。
二人同時に振り向く。
現れたのは——
今回の顧客。
五十代の男。
落ち着いた雰囲気。
だが、その目は鋭い。
すべてを見ている目。
「座ってください」
三人が席につく。
短い沈黙。
その中で——
顧客が、ゆっくりと口を開いた。
「面白いことになってますね」
穏やかな口調。
だが、その言葉の裏には——
完全な理解。
「会社が一つ潰れて」
一拍。
「その中の人間が、両側から来る」
視線が、二人を交互に見る。
逃げ場はない。
「で」
カップに手を伸ばす。
コーヒーを一口。
ゆっくりと置く。
「どっちに価値があるか、決めろと」
その一言で——
この場のルールが確定した。
勝者総取り。
敗者は、何も得られない。
「分かりやすいですね」
蓮が言う。
感情を乗せずに。
佐伯も、小さく頷く。
「嫌いじゃない」
短く言う。
顧客は、少しだけ笑った。
「いいですね」
興味深そうに。
「じゃあ、始めましょうか」
その瞬間——
空気が、切り替わる。
完全な勝負。
「まずは、あなたから」
顧客が、蓮に視線を向ける。
先手。
蓮は、一瞬で組み立てる。
数字。
条件。
タイミング。
そして——
「御社にとって一番リスクが低い形を提案します」
静かに切り出す。
「現状、供給ラインが不安定になっているはずです」
事実。
相手の眉が、わずかに動く。
「それを、即時に安定させます」
条件提示。
「価格は据え置き」
ここで切る。
「ただし——」
一拍。
「契約は、当社へ全面移行」
シンプル。
だが、強い。
顧客は、何も言わない。
ただ、聞いている。
「リスクはゼロです」
言い切る。
嘘ではない。
だが——
完全でもない。
沈黙。
そして。
「なるほど」
小さく頷く。
「じゃあ、次」
視線が、佐伯に移る。
佐伯は、数秒黙る。
考えている。
そして——
口を開いた。
「リスクは、ある」
いきなり、否定から入る。
空気が揺れる。
蓮の視線が、わずかに動く。
(ほう)
攻め方が違う。
佐伯は続ける。
「完全移行は、現場が持たない」
現実。
現場感覚。
顧客の目が、わずかに細まる。
「一時的に、混乱が出る」
リスク提示。
だが。
「だから」
一拍。
「段階的に移す」
対案。
「三ヶ月」
具体的な期間。
「その間、俺が直接入る」
ここで、自分を出す。
蓮の目が、わずかに細くなる。
(それやるか)
リスクを、自分で引き受ける。
強い。
顧客は、ゆっくりと背もたれに体を預ける。
そして。
「面白い」
小さく言う。
明らかに、興味が深まっている。
沈黙。
数秒。
その中で——
蓮は、静かに佐伯を見る。
目が合う。
一瞬。
言葉はない。
だが——
分かる。
(本気だな)
もう、迷っていない。
完全に“こちら側”に来ている。
だが同時に——
(敵でもある)
この場では。
顧客が、ゆっくりと口を開く。
「どっちも、正しい」
評価。
「だから」
一拍。
「もう一つ、見せてください」
空気が変わる。
「あなたたちが、“何を捨てられるか”を」
その言葉。
意味は、明確だった。
より冷酷な方が、勝つ。
沈黙。
重い。
だが——
蓮は、わずかに笑った。
「簡単ですね」
静かに言う。
そして。
資料を一枚、取り出す。
テーブルに置く。
そこに書かれていたのは——
元の会社の、別の顧客リスト。
まだ手が付いていない、重要な取引先。
「これ、全部切ります」
淡々と。
言い切る。
中途半端はしない。
リソースは、ここに集中する。
それが——
答え。
空気が、凍る。
顧客の目が、大きく見開かれる。
「……そこまでやるか」
驚き。
そして——
興味。
佐伯は、その資料を見る。
一瞬だけ。
だが、その表情は動かない。
そして。
小さく、笑った。
「やるな」
認める。
その上で——
「じゃあ、こっちも出すか」
ポケットから、スマートフォンを取り出す。
画面を操作。
そして——
顧客の前に置く。
そこに映っていたのは。
「……これ」
顧客の表情が、変わる。
驚き。
そして——
確信。
「御社の、内部データです」
佐伯が言う。
静かに。
「コスト構造、全部見てる」
完全な踏み込み。
危険な一手。
だが——
強烈。
空気が、完全に変わる。
蓮は、目を細める。
(そこまでやるか)
もう、戻れない領域。
だが。
その選択は——
間違っていない。
顧客が、ゆっくりと笑う。
初めて。
心から。
「……いいね」
低く言う。
「決めた」
その一言で——
全てが決まる。
視線が、どちらかに向く。
その瞬間——
蓮と佐伯、二人の呼吸が止まる。




