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忘れ物専門、言の葉郵便局  作者: 輝久実


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輪郭の再生

アパートの薄暗い一室。


 ハルが握りしめた赤い封筒は、中で暴れる「名前」の力で、今にも破けそうなほど激しく波打っていた。


「……連れてきたよ。君を、君自身に」


 ハルは息を切らしながら、のっぺらぼうの男の前に膝をついた。男は力なく顔を上げ、空虚な平地のような自分の「顔」を、震えるハルの手の方へ向ける。


 ハルが封筒の封を切った瞬間、中から溢れ出したのは、先ほどの傲慢な偽物の姿ではなかった。それは、無数の黒い文字の糸。バラバラに解けた記号の群れだ。


 文字の糸は、まるで磁石に吸い寄せられるように、男の空白の顔へと吸い込まれていく。


「う……あ、ああ……っ!」


 男が苦悶の声を上げ、自分の顔を両手で覆った。


 文字の一文字一文字が、彼の皮膚の下に潜り込み、神経を繋ぎ、骨格を形作っていく。それは、彼が捨て去ったはずの「過去」や「責任」、そして「誰かに呼ばれた記憶」を無理やり脳内に流し込む作業だった。


 やがて。


 部屋を埋め尽くしていた奇妙な光が収まり、静寂が戻った。


 男がゆっくりと手を下ろす。そこには、どこにでもいるような、少し疲れた表情の青年の顔があった。


 目は充血し、口元は歪んでいる。決して「理想の自分」のような輝きはない。けれど、そこには確かに、彼という人間にしかない独特の温かみと、生々しい「重さ」が宿っていた。


「……あ」


 男は、自分の手を、腕を、そして鏡に映る自分の顔を、確かめるように何度も触れた。


「……僕は、僕だ。佐藤……タカシ。そうだ、僕の名前はこれだった」


 彼が自分の名前を口にした瞬間、のっぺらぼうだった時に漂っていた死の匂いが消え、部屋に確かな生命の鼓動が戻った。


 男は、ぼろぼろと涙をこぼした。それは偽物の「キラキラした喝采」よりも、ずっと重く、価値のある涙だった。


「……ありがとう。……君は、誰? どうして僕を助けてくれたの?」


 男の問いに、ハルは一瞬戸惑った。自分の名前は、まだ見つかっていない。


 けれど、ハルは少しだけ誇らしげに、けれど照れくさそうに微笑んだ。


「僕は……『言の葉郵便局』の配達員です。あなたの忘れ物を、届けに来ました」


 ハルの言葉が終わるのと同時に、背後でクロが


「へっ、様になってきたじゃねえか」


と小さく笑い、尾を振った。


 アパートを出て、霧の立ち込める境界線へと戻る道すがら、ウツロはヘッドホンを首にかけ直し、いつもより少しだけ優しい声で言った。


「お疲れ、新人君。名前の修復は骨が折れるけど……あの男、明日は外に出るかもね」


「……だといいな」


 ハルが空を見上げると、そこには現世の月とは違う、郵便局特有の淡い銀色の月が浮かんでいた。


 ふと胸元に手をやると、ペンダントの「空っぽ」だったはずの底に、小さな文字の欠片のようなものが沈んでいるのが見えた。


「……クロ。僕の名前も、いつかこうやって捕まえられるかな」


「捕まえるんじゃねえよ。お前が配った『想い』の分だけ、お前の輪郭ができるんだ。……さあ、帰るぞ。ミス・カラスが、遅いって怒鳴り散らす準備をして待ってるぜ」


 二人と一匹の影が、深い霧の中へと溶けていく。


 今日もまた一つ、迷子の想いが居場所を見つけた。

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